私がスポーツ選手を(出来れば)推したくない理由~殆ど野球の話です~

kayako

Love is destructive.

 

 私には推しキャラがたくさんいる。

 ウン十年も生きていれば、それはもう二次元三次元問わず、ありとあらゆる界隈に推しは存在する。

 これから先、見たことないジャンルに触れたとしても、多分推しは出来てしまうのだろう。

 ただ……

 正直、出来れば推しを作りたくないジャンルがあるのも事実。

 それが



 スポーツ全般である。



 いや、決してスポーツに興味がないわけではない。

 やるのは全然駄目だが、見るのは別に嫌ではない。

 昔はむしろ積極的に見ていたくらいだ。

 ただ、私、スポーツ方面で推しが出来てしまうと、とんでもないことになってしまうのである。



 簡単に言うと

 推しが勝てないと発狂する。



 これだけだとピンと来ないかたもいらっしゃると思うので、具体的なエピソードを。

 そう、あれはまだ幼き頃。

 私はとある野球選手に恋をした。

 野球のルールを何とか覚えた頃に、そのピッチングに魅せられ、気がついたら大ファンに。


 それだけならまだいいとして――

 問題はここから。


 その推し選手がいるチームを応援していたはずが、いつしか私は、推し「だけ」を応援するようになっていた。

 純粋にチームの勝利を願っていたはずが、推しの勝利だけを願うようになり。

 推しより勝ち星の多い投手がチーム内にいれば、その投手の敗北、つまりチームの敗北すら願うようになっていた。


 そして推しへの愛はさらにエスカレート。

 推しの登板前日には必ず冷水シャワーを浴びて身体を清め、

 自室に作った特製祭壇で願掛けをし、

 そして試合当日となれば

 テレビ中継があればテレビを凝視、なければ部屋でラジオにかじりつきずっと延々祈りを捧げる。さながら勇者に祈りを捧げる聖女気分であった。

 というか当時、ガチで超能力を信じていた。

 必死で祈りを捧げれば、1ミリでも球が良い方向へ逸れてくれるのではないかと。

 うん、ガチの馬鹿でした。テスト勉強しかできない馬鹿の典型。

 多分、勉強漬けでストレスたまってたんだろうなぁ(他人事)



 ちなみに当時、私は地方在住。推しのチームはパリーグ。

 テレビ中継どころかラジオの試合中継も殆どなく、巨人戦のラジオにしがみつき、時々入ってくる途中経過を貪るように聴くより他に応援の手段はなかった。

 こういうところも、狂気を爆速させた一因だったかも知れない。

 ツイッター? SNS? Youtube? ネット自体がないのにあるわけないだろ!!



 それでも、推しの調子が良い時はまだ良かった(良くないが)

 狂気がさらに加速したのは、推しが絶不調に陥った時である。

 ある時、どれほど祈りを捧げても、推しは勝てなくなり。

 エースだったはずの推しはKO負けが続き、ローテからも外れ、遂には二軍落ちに。

 自分の苦しみではないはずなのに、どういうわけかとても苦しかった。

 家族にまで当たり散らし、暴れ、勉強など投げ捨てて、それでも推しの勝利を希う姿はまさしくバカそのもの。



 そして思った。

 何故、自分のことではないはずなのに、こんなにも苦しくなるのか。

 何故、推しが勝てないと、これほど苦しいのか。

 自分が勝てないわけではない。自分の努力が報われなかったわけではない。

 推しが勝とうが負けようが、自分の生活にも将来にも何も関係はないはずだ。



 原因は色々考えてみた。

 ・推しが勝てないと、テレビに推しが出なくなる⇒単純に推しを見る機会が減る

 ・推しが勝てないと、チームの優勝が遠のく⇒推しが戦犯として叩かれる

 ・推しが勝てない状態が続けば、推しが引退してしまうかも知れない⇒容易に推しを見られなくなる

 ・推しが勝てないのは、単純に悔しい


 いずれも正解な気もするし、いずれも不正解な気もする。

 推しが見られなくなるとか、叩かれるとか、そういう損得勘定もあるかも知れないが――

 多分、一番近いのが4番目。最も単純な答え。



 いや、だから何で、推しが勝てないと自分がそんなに悔しいの?

 ……と、結局問題はここでループしてしまう。

 そしてこの答え、私の中では未だに出ていない。



 無残な敗北を喫して思わず涙する推しを見るのも結構イイものだろ?という考え方も、出来ないことはない。

 アニメや漫画での推しキャラが敗北してうちひしがれる姿は、単純に勝利した時の姿より心をうつことも多いから。


 しかし今問題にしているのは、アニメや漫画や映画じゃない。現実の勝負だ。

 現実で推しが酷い敗北を喫して、悔しげに唇を噛みしめて無言でグラウンドを後にする、そんな姿を「推せる」とか、容易に言えるものだろうか?

 いや、勿論言える人もいるだろう。敗北した姿もまた美しいと言えるファンも。

 でも私には無理だった。少なくとも当時の私には。

 当時の私にとって、推しが負けるなんてことはあってはならない事態であり。

 推しは全球団で一番カッコイイ、何があっても負けない大エースだったから。

 そんなカッコイイ推しがバカスカ打たれまくり、KOされてベンチへ引きさがり、マスコミに悪しざまに罵られる姿は、この世で一番見たくないものだった。



 自分の作品内で推しキャラをフルボッコにしがちな自分が、現実のスポーツになると何故そうなるのか。

 今、自分自身でいくら考えても分からん……



 それ以降、野球では他にも何人か推し選手が出来た。

 ピッチャーを推すのはもう正直しんどかったのか、バッターを推すことが多くなった。

(バッターだと打席に入る時だけ応援すればいいし、打てなくてもまぁ野球ってのは7割がた打てないもんだし……で済むし、推す側のストレスはピッチャーより軽いかも知れない。が、これも多分人による)

 さすがに冷水シャワーやら謎の儀式やらはしなくなったが、祈りで球筋1ミリぐらい変えられるかも?はまだ信じてたw



 しかし推しが変わったところで、発狂具合はあまり変わらず。

 推しが怪我して1年棒に振るのが確定した時は、ショックで寝込んだ気がする。


 あと、これはまた別の推しの話だが。

 推しが見たい一心で球場まで足を運んだら推しがスタメン落ちしてて、あまりのショックで応援なんか忘れてしまってて、気が付いたら相手チーム応援してたことまである。

 何の因果かその試合、推しのチームは初回からバカスカ打ちまくって大勝利。

 周囲が大盛り上がりの中、私は

「〇ちゃん(推しの愛称)がいないのに、なんであんたたち喜べるの?」

「〇ちゃんがいないのに、勝ったって意味ないよね?」

「〇ちゃんがいないのに勝っちゃったら、むしろまずいよね?」

「ここにいるやつら みんないなくなっちゃえば(ry」

 などと、誰にともなく狂気の台詞を呟いていた(そして途中で帰った)

 当時ツイッターが存在しなくて本当に良かったと思う。



 現実の勝負は水物。勝ったり負けたり、怪我したり病気したり、色々ある。

 アニメだったら確実に大逆転フラグ立ってる場面なのに、あっけなく三振したり。

 マンガだったら着々と大勝利フラグ積み重ねている場面であっても、突然調子崩してまさかのKOされたり。

 そんな場面をどれだけ見たか分からない。

 スポーツはアニメでも漫画でもない、現実だ。

 それは頭では分かっていたつもりでも、心では到底納得いかなかった。

 私の推しは、いつでも一番強くて、一番カッコよくなければいけないんだと。

 推しの選手に対しては誰もが持つ願望だと思うけど、私のそれは最早強迫観念に近かった。

 自分でもマズイと分かっていても、心に宿してしまう狂気。



 うん、やっぱり、ストレスたまってたのかも知れない(身も蓋もない結論)



 そんな推したちが結婚する!というニュースが入った時は、勿論若干ショックを受けはしたけれど、二軍落ちやスタメン落ちや故障した時の衝撃の比ではなかったなぁ。

 何故それほどまでに推しの勝利に執着するのか、本当に自分が分からない……





 そしてこの狂気。

 恐ろしいことに、今でもたまーにちょいちょい顔を出す。

 そんな時はヤバイ!と慌ててテレビを消すので、そこまで大事にはなってないけども。

 野球以外のスポーツでも、推したい選手が出てくるとこの狂気がむくむくと……

 だからオリンピックとかろくに見られません。羽生君は好きなんですが、なんか生中継は見られない。結果分かってからゆっくり映像を見る。いや邪道だってのは分かってます。





 こういうことが続いたからこそ、結局アニメや漫画やゲームに走っちゃったのかも知れないなぁ。

 何だかんだで、何らかのフラグが立つ世界というのは安心感がある。

 現実のスポーツにはフラグなど存在せず、理不尽すぎる負け方をすることもしょっちゅう。

 だけど二次元では、突然理不尽に負けることなんてない。あっても、それまでの展開からある程度予測が可能。

(いや、中には全然予測つかない時もあると言えばあるけど超レアケースでしょう。喰霊零みたいな)

 そして二次元の推しは勝ち負け関係なく、そのままで十分カッコイイし可愛い。

 というか大敗北して傷ついて呻く姿が(ry



 スポーツ選手に限らず、歌手でもアイドルでもお笑い芸人でも俳優でもアナウンサーでも、三次元に存在している人間である限り、とてつもない理不尽が起こる可能性は常にある。突然の番組降板とかレギュラー落ちとか失言による大炎上とか。

 だけどスポーツ選手の場合、その理不尽が起こる確率が他よりやたら高いんだよなぁ……

 何をもって理不尽と捉えるかにもよるけど(推しのKO負けは私にとっては理不尽です)



 ここまで書いて思ったが。

 多分私は、自分の中で築き上げた偶像が壊れるのが、すごく嫌だっていうタイプなのかも知れない。

 頭では分かっている。推しだって人間、負けることもあれば怪我することもあるし、ファンの期待に応えられない時だって勿論あるってことを。

 でも、自分の中の狂気が、それでも嫌だ嫌だと駄々をこねる。

 そういう人は実は思った以上に多いのかも知れないとも思う。

 スポーツに限らず、最近の某Vtuberと某歌い手の騒動を見てると特に感じる。



 野球はFA制度が当然のように使われるようになって以降、何となく見なくなってしまったなぁ。

 何だかんだ言っても、贔屓チームに属している推しが好きだったから。

 どこへ行っても推しは推し、推しが今のチームを出たいって言うのならそれは仕方ないし、ファンとして受け入れよう、とは思っていたけど。

 特に推しが某アンチ球団に入った時のボルテージの下がりっぷりはヤバかった。

 いや、彼が悩みに悩み抜いての決断だったというのは今なら分かってるけど。

 選手が当たり前のように大リーグ行ったり、ルールも球団も昔と変わってたり、今のプロ野球は正直殆ど分からないです。


 でもファール数に制限がないのは変わらないのな!

 ピッチャーが全力で投げてバッターが全力で打ってるのは変わらないのに、

 ファールだとヒットや三振と実況のテンションが全然違うの何なの?

 時にはカメラが球を追いもしないの何なの?

 何より2ストライク後のファールはカウントが一切変化しないの絶対理不尽!!と思う。

 5球ファールになったら三振か四球扱いにしろって昔っから思ってるんだけど。

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私がスポーツ選手を(出来れば)推したくない理由~殆ど野球の話です~ kayako @kayako001

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