機械仕掛けの傍観者

宮古遠

機械仕掛けの傍観者

 

     一



 それがこの世に現れたのは二年一ヶ月と一六日前。世の中では未曾有の感染症蔓延が起こっていたり、戦争が起こるだ起こらないだの攻防が某国間であったり、平和の祭典らしきものが某国で行われていたときのこと。それが東京上空に現れたことで、いろいろの事象に対する喜怒哀楽=感情は、もう、瞬く間に、どこかへと放り出されてしまった。

 巨人だった。巨人の姿形をしたなにかだった。全長一〇〇〇m。シルエットは人間のそれに近いが、身体は機械らしく、さまざまな時計や歯車などで構築をされているらしかった。質量もなく実態もなく半透明の状態で。生命か機械かはわからないが地面と平行になるようにして、ぽつんと、そこにいる。漂っている、というか、映し出されている、というか。そのような感じで。それはいた。そこにあった。「機械仕掛けの傍観者」と呼ばれた。

 突然現れたものだから、世の中は釘付けになった。ただでさえ世の中にはいろいろのものが蔓延り、さまざまな感情があったのに、そこへ神の如き、神聖なようで奇妙で不気味な巨大不明視認可能物が現れた、のだから、大変、では済まない。SNSでは傍観者の写真や動画がたくさん出回り、トレンド一位になり、瞬く間に世界中でそれに関する特集が組まれた。議論が交わされた。平和の祭典も戦争も、一旦、ご破算になった。なにもかもが様子見になって、それがなんなのかを知ること、調べることが優先された。これを好機とみて、機械仕掛けの傍観者へとミサイル攻撃を試みたアジア某国もあった。が、傍観者には効かず、ミサイルは意味もなく海に没した。

 ぼくの日常は変わらず、某スーパーの清掃者だった。決まった時間内で、決まった事柄をする。傍観者とは無関係の、生きるための仕事だった。仕事先からそれがみえたが、ぼくには関係なかった。

 ウイルスも変わらず蔓延した。ぼくと同じに、傍観者がどうこうだとかそういう事柄に関係なく、人々を移り歩いた。「あの傍観者が現れたためにパンデミックは収束した」「あの傍観者が現れたために世の中はさらに混沌とした」などいろいろの言説が生えた。どれも間違っていたし、どれも正しかった。



     二



 あれはいったいなんなのか。なぜ突然にあらわれたのか。なぜ突然に現れて日本上空に浮かんでいるのか。半透明なのか。なにもしないのか。見えているのか―――などの疑問が各国で生じ、「正体を突き止めよう」と、さまざまの国が考えた。

 その感情や思惑を日本政府は観光事業へと活用し、傍観者の閲覧料でなかなかの額の儲けを出した。ほかにも傍観者まんじゅうだとか傍観者プリントTシャツだとか、ゆるキャラだとかアニメだとか特撮だとか宗教だとか、さまざまなあやかりものが産まれ、災禍で冷え切った日本は多少なり温もった。

 が、結局、ブームはブーム。各国の、厳正なる調査の結果、傍観者が、「ほんとうに、ただほんとうにそこに浮かぶ、肉眼で視認可能な干渉不能ななんらか。正体不明のなんらかで。害はなく、実用も不可。観賞以外に活用法のない、ただ、みえるもの」―――と、確定してから、機械仕掛けの傍観者は「つまらない」ものの一員となった。

 ブームは去り、価値はなくなり、たしかにそこにそれは居るのに、「居ないもの」になっていった。が、宗教だけは冷めず、「いつかあの機械仕掛けの神が、世界に鉄槌を下すであろう」などと、終末理論を唱え続けた。考えの正しさはわからないが、終末がくるならそれはそれだな、などと思った。



     三



 ぼくの父の親(つまりは祖父母)は、あれの出現により改宗をして、熱心な機械仕掛けの傍観者学会員となった。息子であるわたしの父は、まったくそれに興味がなかった。親子でこうも違うのか、などと思ったが、ぼくと父でも違うのだから、そんなのは当たり前だった。とはいえ、父も父で、夕暮れ時になると傍観者をぼうっと眺めてなんらかをぶつぶつ呟いていたから、思うことはあるのだろう。

 ぼくはというと、自分のことで精いっぱいだった。余裕がなくなると映画をみたり、小説を読んだりすることができなくなるのと同じに、ただ、どうしようもない言説などが載っているネットのサイトなどを、横になって目撃していた。そういうものしか読めなかった。読む、というより依存だった。一時期はそうしたサイトでもさまざま、機械仕掛けの傍観者に対する考察などが生じていたが、もう、現在では、だれもそれへは興味がなかった。ネタにすらならない代物だった。

 ので、ぼくも同じように、「そういうものなんだ」と思って、同じように無関心で、ただ、毎日を過ごした。世の中の危機的状況は、あの後解決、などをせず、どんどんと、互いを殺しあう方向へ向かった。明日も世界が、同じ形をしているかどうか―――そんな状況が続いていた。ぼくはなにも変わらなかった。が、ある日、親戚が死んだ。死因は自殺だった。



     四



 ぼくの従兄―――親戚が自殺を決意したのは、世の中の変化に耐えられなくなったことと、仕事先の重圧に耐えかね、精神を病んだためだった。自分の仕事と、家族とを、ずうっと支えてゆけるかわからず、だれにも相談せず、遺書を残し、謝りながら死んでいった。会社で首を括った。棺桶の中に眠る彼は死に化粧がよかったからか、とても穏やかな顔をしていた。ぼくは久しぶりに仕舞ってあったスーツを着た。お腹がキツかった。

 火葬場へ向かうバスの中で、ぼくはただ、ぼんやりとしていた。なぜぼくなんかよりうまく世を生きていた彼が死ぬのだろうと、どうにもわからなかった。残された彼の奥さんと、弟と、彼の父母が項垂れるのを、ぼくは傍観するしかなかった。

 そうした、ぼくの態度を、機械仕掛けの傍観者は、ずうっと、空から見ていた。そんなにぼくらをみていたなら、せめて彼を救ってくれればよかったじゃないか、など思った。が、それは起こらない。あれはぼくと同じ、傍観者でしかないのだから。

 焼けた骨はまっしろだった。立派だった。歯が、きれいに残った。ぼくは歯をひとつつまんで、つぼの中へと入れ込んだ。骨にも意識はあるのだろうかと、無意味なことを思った。その次の日、ぼくは傍観者学会員になった。学会の集会に参加して、三日で辞めた。



     五



 興味の無いものに救いを見いだすという結論の光景ばかりを求めて、中心の、身の部分を、まったく考えていなかった。ぼくのせいだった。結果を求めたせいだった。救いだけがほしかった。が、都合のよいものはない。救いとは、造るものだ。どこへ所属するとか、どこに救いを見出すとか、思想を軸とするとか、そういうことに関係なく、己が己のことを救い出す必要があった。そう悟った。だからぼくは決意をして、もうひとつぼくを造ることにした。ぼくの中にぼくを造って、それを救おうと考えた。神になるのだ。



     六



 ぼくという身体の中にぼくのための世界空間それ、自体を建設する。そこにはこの、現在のぼくがいる世界とおなじ、もの、形があり、人があり、親があり、仕事が、社会が、娯楽がある。ぼく、を世界の基礎として、そこ、にそれらを産み出す。それしかなかった。

 精神の集中と、過度の睡眠が鍵だった。ぼくはまず睡眠中に明晰夢をみられるようにした。そしてその、夢の長さを、どんどんとすさまじく伸ばしていった。それによりぼくは布団の中で一六時間眠ることで、ぼくの中に、一三八億年を生成した。生成し過ごせるようになった。ただこれは過ごす、のではなく、ぼく自身が世界として存在をするということだから、実際には、ぼく自身は、その世界にいるわけではない。あくまでもぼくは神として、いや、ただの枠組みとして、ぼくはただ、あるだけなのだ。あとはそこに、ぼくが生まれるのを待って、そのぼくを、ぼくが救ってやればいいのだ。

 ぼくは、ぼくの中で、いろいろのものごとの流転をみた。宇宙が産まれ、星がうまれ、生命が誕生するのをみた。誕生をし、進化をし、その中で滅ぶものどもをみた。ぼくは漂っていた。そして更に時が行き過ぎ、とうとう人類の誕生をみた。人類はいろいろの場所へゆき、道具を使い、ものを食べ、どんどんと数を増やしてゆき、文明をつくりだしはじめた。戦い、人を殺し、ほうぼうへ国を広げた。国を滅ぼした。ぼくはまだどこにもいなかった。

 ぼくはぼくのなかの崩壊、再生、誕生の流転をただ、眺めていた。介入などをすることもなく、ただ、見続けていた。漂っていた。漂い続けたため、漂っていることも忘れた。そして自分が、どこで、なんのために、この世界を造りだしたかそれすらも忘れかけたころ、突然、世界の人々の視線が、ぼくに集まる瞬間をみた。驚きをみた。恐怖をみた。熱狂を、興味を、落胆をみた。そして気付いた。いま、ぼくはちょうどあの、ぼくらの世界の上空に、ただ、存在をする、意味もなくただ、浮かんでいる、あの、機械仕掛けの傍観者と、おなじ渦中にあるのだと。あれはぼく、だったのだと。ぼくは悟った。



     七



 悟ったが、どう、すればいいのだろう。悟ったところで、それ以外にはなにもなかった。自分がいま、その、ぼくらの頭上にあらわれたなにかとおなじなんらかだったとわかったところで、なにが変わるのだろう。事象と事象が接続をして、なんらかの視点が見いだせた、ような気もしたが、これはあくまで、ぼくの中の空想に過ぎず。ぼくの世界の事柄であって、ぼくの世界のことではない。あのたくさんの考察のように、ことを勝手に関連付けて、語って、それを広めて、もしそれがまったくの無関係、などであったら、いったいその脳内思考は、思考に対する発生責務は、どこのぼくがとるのだろう。物体か。それとも脳か。脳にそれを錯誤させた物体と物体の並び自体か。わからない。わからない。

 あの巨人、機械仕掛けの傍観者、いや―――空に浮かぶぼくは、もしかすると同じ気持ちでずうっと悩んでいたのかもしれない。けれど、あれがぼくと同じ、自分の中に世界をつくりだした存在、だったとすると、なぜ、彼はそのまま、眺めるだけでいたのだろう。干渉をしないのだろう。―――ぼくは悩むが、わからなかった。

 ふと気付くと、ぼくがいた。ぼくの中のぼくがいた。そのぼくは、挫折をして、ただ、ただ、生き続けていた。この世界の神であるぼくが、その、生き続けるぼくをみたのは、ちょうどあの、自分の従兄が、自殺をした前日だった。

 これは、ぼくの世界だ。ぼくを救うための世界だ。だから、ぼくというのは、ぼくにしか干渉ができない。ぼくしか動かすことができない。だから、だからぼくは、それを思い出してしまったから、「いますぐ従兄のところへ行って、従兄と、従兄の家族のところへいって、仕事先へいって、強引にでも、従兄を家へ連れ帰れ。精神科へ連れて行け。会社へ絶対に向かわせるな」―――などと伝えた。伝えた、というか、そう動くように仕向けた。だから、仕向けられたぼくは、ほんとうにその通りに動いた。だから従兄は、次の日、死んでしまうことはなかった。そのままずうっと生き続けた。奥さんととても仲良く暮らした。だれも悲しむことはなかった。ぼくは変わらず惰性だった。それでよかった。よかったが、戦争が起きて、世界は滅びた。「皆殺し装置」が発動をして、なにもかも消し去った。



     八



「じりりりり」―――目が覚めた。一三八億年ぶりの朝だった。ぼくは何事もなかったように、いつも通り仕事へ出かけた。ぼくは久しぶりに、機械仕掛けの傍観者をみた。青空を流れる雲に紛れて、傍観者はただ、そこにいた。顔はないが、なんだか笑っているような気がした。

 

 

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機械仕掛けの傍観者 宮古遠 @miyako_oti

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