プロローグ

あなたが憎いと。

あなたさえ、いなければ、と。


そうして、悪魔を呼んだ──



「お前は、自分が何をしたのか、わかっているのか」


父の硬質な声。顔も上げられず、アリシアはただ、震えることしかできなかった。


「このマクシミリアン家は由緒正しい家柄。その家系が途絶えれば、我が国がどうなるか。出来損ないのお前にとて、その程度のことは考えられるだろう」


「……そのために、どこの馬の骨かもわからないエミリーを跡継ぎにするのですか? ただ、わたくしより才があるというだけで」


「エミリーは私の子だ」


そう、父は言った。


「以前、我が屋敷に勤めていたメイドがいた。あれと私は、間違いを犯したのだ。たった一夜、たった一度の過ちを」


何度も聞いた言葉。けれど、受け入れられるはずもない。ただ一度の夜だからと言って、情を傾けたはずのメイドの名を、父は一度も口にしなかった。


「しばらくそこで、頭を冷やせ。私は、城に釈明をしに行かなければ……」


父が出ていく。重い戸が閉まる。そうして部屋に残ったのは、何もかもをなくした、アリシアだけ。


「……真っ先に出る言の葉が、あの子へのものでなく、王家へのものなのですね」


エミリー。利発な子。明るくて、優しくて。いつも、自分のことより、アリシアのことを優先させた。けれど、その全てが。


「ええ。私も、お父様と同じ。あんな子、どうだっていいわ。どうなったって……」


いっそ、同じように、見下してくれれば。そうすれば諦めがついたものを。


「エミリー、ねえ、聞こえていて? 私などを信じるから、こうなるのよ。愚かなエミリー。かわいそうに……」


部屋の隅。先ほどから、全く動かない、黒い影。それが今のエミリーだ。あの笑みも、あの小柄な姿も。見る影もなく、ちっぽけで、どうしようもなく、醜くなって。


「エミリー……」


そうなって初めて、妹への情を抱くなんて。アリシアは己のいびつさに、ただ、ほほ笑んだ。手を伸ばして、変わり果てた妹の頬に触れる。


「こうなってしまえば私と同じ。いいえ。唯一、あなたしかいなかった。お父様のお眼鏡にかなった子は」


そう。孤児院の多くいる子供たちは、みな平民の出だ。にもかかわらず、魔術を扱える。アリシアはずっと疑っているけれど、本当はそれこそ、父の子である確かな証拠になりうるものだ。出来損ないのアリシアより、よほど。


「ア……」


可憐な声も、かすれ、しゃがれていて。


「なあに、私への恨み言? いいわ、聞いてあげる」


節くれだった手に、手を重ねて。アリシアは、初めて、妹に優しい言葉をかけた。


「コれ、デ、sアws?」


「──え? なんて言ったの、よく聞こえなかったわ……」


アリシアは、エミリーを見つめた。魔に生気を吸い取られ、変わってしまった娘。もはや言葉も、満足に扱えない。それでもその顔は、確かに以前の妹と同じように、笑んだ。


「 i d i l c l c?」


人の言葉には聞こえない。その、はずなのに。アリシアには確かに、エミリーの言いたいことが、わかった気がした。いつも聞いていた、その言葉。


────わたしは、大好きよ。姉さま。


「……嘘」


アリシアは、その手を振り払って後ずさった。化け物となり果てた娘は、それに何も反応を返さず、ただ佇む。


「ねえ、待って、待ちなさい、あなた……」


妹は何も答えない。最後の言葉。人である、証。それが、拾い育てて、愛した父に向けてのものでないなんて。


わたくし、私は、あなたをこんな姿にしたのに」


明るくて、優しくて。そう。いつも、いつだって、笑っていた。アリシアがどんな嫌がらせをしても、その顔が曇ることはなかった。


──姉さま。


一度も、名を呼ばなかった。こうなるまで、妹として認めることもしなかった。この家で、どこにも居場所がないアリシアの、ただ一人の味方だったのに。


────姉さま。


もうその言葉を聞くことはない、なんて。彼女の記憶がある限り、そんなことは不可能で。


──────姉さま。


「エミリー」


答えはない。その代わり。部屋の隅にいる異形の存在が、こちらを見た。

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