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 ホームレスに対する暴行が仙台警察署に通報される少し前、遠藤は『とくべつ課』フロアの自身のデスクで書類仕事に追われていた。大抵は昨日までの遠藤の受け持った案件の報告書だ。

 遠藤が大きくため息をつき顔を上げると、フロアに設置された、仙台市内のマップが映し出された大型モニターが目に映る。

 モニターには仙台市内の通報の情報がリアルタイムで表示されている。市警とは別所にある、仙台駅前に設置された通報管制コールセンターに自身の課に該当する通報が入ると、画面内でハイライトされる仕組みだ。

 モニターが指す現在時刻、19時過ぎの現時点で『とくべつ課』が対応すべき通報はない。というよりも事件があっても通報されない、という方が正しいだろう。


 民営化以後、通報時の警察の対応は明らかに即応性がなくなった。警官の質の低下もあるが、人員不足と就業規則の徹底により、夜間の対応が難しくなり、通報をしても警察の対応は翌日以降になることもざらにあった。

 これだけなら街が犯罪組織の温床になりそうなものだが、そうはなっていない。海外を参考にした、市民の手による犯罪組織に対する通報と逮捕による褒賞金制度によって組織的な犯罪は街から完全になりを潜めた。

 それとは反対に、警察官の給与は年々下がっていった。それに加え、未解決の案件を抱えると給与査定がどんどん下がる制度のため、誰も多く事件を抱えたがらなくなった。

 遠藤はそういった案件にも首を突っ込んだ。自分の給料より、街の安全や市民の安心のほうが優先されるべきと考えていたからだった。定時を過ぎても帰らない遠藤に対し、聞こえるように陰口を叩きながら退勤する同僚がいても、遠藤が気にすることはなかった。


「いや、パイセン。私めっちゃ気になるんで帰るっすよ」


 荒谷の声で遠藤は顔を上げる。てっきり彼女は帰ったものかと思っていたので、驚いた表情を見せてしまった。


「うわ、ショック。帰ったと思われてたっすね」


 パソコンのモニター越しに、荒谷が幻滅したように口を歪ませているのが見える。


「あーいや、悪い、すまん。今日はもう大丈夫だ。お疲れ様」


 凝った肩を自分でもみほぐしながら、後輩を帰そうとする。自分は何をいくら言われても構わない。だが小生意気だが自分に素直に従ってくれている後輩が、同僚から邪険に扱われるのは遠藤の本意ではなかった。


「しっかり休んでくれ。明日も例の『のっぺらぼう』の調査だからな」

「しっかり休むのはパイセンもっすよ」


 荒谷は帰宅準備をしながら遠藤を心配そうに見た。


「パイセンがデカとして真面目なの、結構リスペクトしてますけど、それでパイセンが身も心も壊れたらしゃあないっすから」

「ありがとう、でもこちとらそんなヤワじゃないよ」


 荒谷は返事を聞くと「素直じゃないっすねー」と呆れながら、ほかの刑事にも挨拶をし『とくべつ課』のフロアからそそくさと立ち去る。

 素直じゃないのはどっちだ、と遠藤は言いかけたが同時に反省もした。


(あいつに気を使われるとはな……相当キてるな)


 最近、遠藤は常に思い悩んでいた。仙台管轄の刑事として勤務し数年経つが、理想と現実、自身の仕事の至らなさに、遠藤の精神は酷く摩耗していた。

 仙台市警の状況を改善はしたい。だが目の前の事件は放っておけない。案件を抱え込めば出世からは遠くなり、組織内部からの変革は難しくなる。ジレンマの鎖で、遠藤は身動きできなくなっていた。


「おい、遠藤。残業するなら俺の報告書も頼むわ」


 通りすがりにやってきた、遠藤より年上の先輩の刑事が、ゴミでも捨てるように自身の受け持ちの事件の報告書をデスクへ置いていく。


「途中からやっても、意味不明な報告書になりますよ」


 遠藤は思わず苦言を呈す。だが、先輩刑事はあっけらかんとしていた。


「誰も見てねぇから問題ねぇって。というか、それ、通報が途中で終わってんのよな」


 先輩刑事の言葉に遠藤はひっかかりを覚える。自然と報告書に手が伸びた。


「途中で終わってる?」

「おう、強盗に襲われてキャッシュカードなり、定期なり入った財布盗られたって通報だったんだが、少ししたらもういいって切られてな。現場にも行ったが、特になんもなくてよ」


 生活困窮者による強盗事件なら、今の仙台ならよくある事件だ。しかし、いくら警察の対応が悪いとはいえ、自身の生活もかかっているようなものを奪われて、なおかつ通報までしたのに途中までとりやめることがあるだろうか。


「最近、そんなのばっかでよ。ったく忙しいんだから悪戯通報なんかするなっての」


 遠藤は勢いよく立ち上がる。遠藤に自身の職務怠慢を指摘されるのではないかと思って、先輩刑事は身をすくめた。


「すいません、その悪戯通報の報告書。上げてないのあれば、他も自分がやってもいいですか」

「え? あ、ああ、いいぜ。どうせ誰が書いたって同じだし。助かるわぁ、流石、真面目な遠藤ちゃん」


 先輩刑事はこれ幸いにと、自身のデスクにあった報告書を遠藤に差し出す。遠藤はそれを奪い取るように受け取ると、素早く内容に目を通す。

 報告書に記載の事件は、先輩刑事の言った内容と相違なかった。だが中には、現場に警官や刑事が到着した際「もう解決した」「仲裁してくれた人がいた」「自分で盗られたものを取り返した」と通報者が証言したものが多数あった。

 場所も気がかりだった。先輩刑事から受け取った報告書の事件現場が西公園から国分町、片平付近に集中している。そこは以前よりは廃れたとはいえ、東北一の繁華街があるエリアだ。通報が多いこと自体はなんら不思議ではない。問題なのは『通報が途中で終わった案件が多い』ということだ。


 遠藤は考えを巡らせる。なぜ、同一エリアで通報が中途半端に終わるのか。


 解決はしたが、詳しく話せない何かがあるのか。


 もしくは、詳しく話せないような何かが事件を解決し、それを通報者は話せなかったのか。


 詳しく話せない、説明ができない、事件を解決するもの。


 弱い立場にあった犬を、助けるように若者たちを打ちのめした、のっぺらぼうの怪人。


 犯罪者を私刑に処す、漆黒の自警者ヴィジランテ


 遠藤が思考の雨を浴びているとき、モニターが通報を知らせるアラートを発する。


<OPより西公園付近のPCへ。西公園内でホームレスの男性が中年の男性から暴行を受けているとの通報あり、現場に迎えるPCいますか? どうぞ>


 遠藤の思考がひとつに纏まり、一つの絵図を描く。出動を渋る巡回中の警官たちを押しのけるように、遠藤はデスクの内線を通報管制のコールセンターに繋ぐ。


「OPへ、『とく課』クラスC刑事遠藤。当該通報はこちらで受け持つ案件に関連している可能性があります。その事件は『とく課』対応で願います」

<『とく課』クラスC刑事遠藤へ、OP了解。詳細住所を端末に送付します。パトカー使用を許可、出動対応願います>


 遠藤は報告書をすべてデスクに投げ捨てると、通報管制のオペレーターのガイダンスを待たず駆け出した。パトカーの駐車場まで向かう途中、署を出ようとする荒谷の後ろ姿を見つける。


「荒谷! こっちの端末で共有した案件を見ろ! お前も後追いで現場に来い!」

「ええっ、パイセンもう帰っていいって……」

「のっぺらぼうが出る! 多分、確実に!」

「どっちっすか!」


 遠藤は退勤を妨げられた後輩の恨み言には耳を貸さず走り続ける。遠藤は自身の割り当てのパトカーに辿り着くと、運転席に体を捻じ込むように乗り込む。逸る心を抑えながら、パトカーを発進させた。


 のっぺらぼうの怪人の凶行は昨晩が初めてではないのだ。恐らく市警への通報を盗聴し、市警が到着する前にそれを解決している。通報した市民も、自身が助かれば文句はない。顔の無い怪人を警察に説明して、訝しがられるよりは、通報を取り下げ沈黙を守ったほうが面倒がない。

 今回の通報は昨晩の事件とエリアも重なる。警官が行きたがらない案件だけに、犯人が現れる可能性が高いと、遠藤は考え通報を自分で受けた。


 西公園までの最短ルートを走るが、決してサイレンは鳴らさない。警察官としてはあるまじき行為だが、相手が正義の味方気取りの自警団員であれば、警察の気配を察知した瞬間、逃げられかねない。幸いにも付近を警戒中のパトカーや通報管制も何もこちらには呼びかけはしない。杜撰な仕事がたまには役に立つと、遠藤は内心苦笑した。

 西公園付近まで近づくと、遠藤はパトカーを乗り捨て駆け出す。赤信号に構わず定禅寺通りから西公園に渡る横断歩道を、クラクションを鳴らされながらも渡りきった。

 

 遠藤の視界には予想していた、しかし信じがたい光景が待っていた。薄汚いジャージ姿の男を、黒ずくめの怪人が殴りつけている。その見た目は学生たちの証言とまるで同じものだった。

 街灯の少なくなった夜の仙台に溶け込むような黒衣。大の男を押さえつける怪力。そして被害者と同じ顔を持つ頭。まさに怪人という言葉が相応しい容貌だ。

 だが落ち着いて観察すれば、その黒衣は市内にあるホームセンターで売ってそうな作業着であるし、怪物の襲っている男の顔を映し出すその不気味は顔面も、何かのディスプレイに撮影した画像を表示させていることがはっきり見て取れた。顔の変わるそれが妖怪なら、遠藤の管轄範囲から外れるが、謎の装置を装着した犯罪者なら取り締まり対象だ。

 遠藤はライトと警察手帳を素早く取り出すと、ライトの光を黒衣の不審者に光を当てる。


「動くな! その男から直ちに離れろ!」


 こちらの呼びかけに、意外にもその怪人は素直に従った。右手に警棒を持ったまま両手を上げると、ゆっくりと殴りつけていた男から立ち上がって離れる。


「昨日の夜、この付近で捨て犬を虐待していた奴らを痛めつけたのもお前か」

「はい、そうです」


 マスク越しで声は聞き取りづらいが、若い男性の声で怪人はあっさりと返答する。顔も犠牲者の顔から、銀色の目鼻のないのっぺらぼうの顔に変わっていく。

 遠藤はその奇妙な姿を見て、感情が二つに引き裂かれた。

 一つは自分たち市警の体たらくで、このような怪人が出るまで街の治安を悪化させたことによる後悔。もうひとつは自分たちの隙を突いて、このような凶行に及んだ男に対する怒りだった。本来であれば、すぐに逮捕に移るべく行動すべきなのに、今朝から抱いていた整理しきれない感情が遠藤の中で爆発し、思わず目の前の怪人を問い詰める。


「楽しいか? 警察の代わりに犯罪と戦うのは。さぞ気持ちよかっただろうな、助けた人たちから感謝されるのは」

「……」


 怪人は答えない。目のない顔を遠藤に向けるだけだった。その沈黙が余計に遠藤をいらだたせる。


「なんでこんなことした、そんな凝ったコスプレをして。ヒーローにでもなりたかったか?」


 遠藤の八つ当たりも含んだ言葉に、怪人は慎重に言うべきことを選ぶように、仮面の奥から言葉を紡いだ。


「贖罪です」


 贖罪。怪人の凶行に似つかわしくない言葉に、遠藤は上手く言葉の意味を咀嚼できないでいた。


「俺のような『悪人』はこうしないと、この街にいてはいけないから。だから、やってます、こういうことを」


 怪物の声は抑揚のない声だったが、どこか哀しみを湛えたものに感じた。

 遠藤は怪人の言葉にすっかり混乱し動けなくなった。怪人が問答無用で自分に襲い掛かって来た方がまだマシだったかもしれない。遠藤が見た犯罪者を徹底的に痛めつけるのっぺらぼうの怪人は、酷く滑稽で、何かに怯えたような男だったのだ。

 遠藤の気持ちを代弁するように街に一瞬静寂が訪れたが、その静寂も長くは続かなかった。


「クソ野郎! パイセンから離れろ!」


 背後からした声に遠藤が振り向くと、遠藤と同じくライトと、手帳の代わりに拳銃を構えた荒谷の姿があった。自身の、多少なりとも尊敬をしている先輩刑事が、得体のしれない何かと対峙しているその状況を援護するための行動だった。

 普段であれば、すぐに追いついたことを遠藤は褒めるはずだが、この特殊な状況での荒谷の行動は完全に悪手だ。犯罪者と警官が緊張状態にある際に、警官側が圧倒的な武力を出した場合、犯罪者は力の限り抵抗するからだ。


「ばっ、拳銃を下ろ――」


 遠藤が最後まで言い切る前に、怪人は駆け出す。街灯に照らされていない暗闇を利用しながら、遠藤が間に入る隙もなく怪人は荒谷に肉薄する。


「なっ……!」


 荒谷が拳銃の引き金に指をかけるより早く、怪人は左手で拳銃ごと荒谷の指を掴むと、その掴んだ指を手の『外側』へ折り曲げた。指が派手に折られたことで、荒谷は拳銃を取り落とし、隙を作る。だが、怪人は荒谷に追撃を見舞うことなく荒谷を軽く突き飛ばし地面に倒れさせると、そのまま公園の闇の中へ逃げ出した。遠藤は急ぎ荒谷に近づく。


「荒谷!」

「私のことはいいすから、あのクソ野郎を追ってください!」


 荒谷は自身の指を折った怪人の逃げた方角を見て叫ぶが、もうどこにも、その怪人の姿は見当たらなかった。

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