自称転生者と自称元魔王の配達記録

蘇芳 ななと

自称転生者と自称元魔王の配達記録

 それは仕事終わりの呑兵衛達が賑やかに酒場へと繰り出す頃だった。

 「アンタみたいな陰気な奴、あたしが本気で相手にする訳ないでしょう!? ちょっと優しくしたら調子に乗ってくれちゃって! まぁ? アクセサリーやドレスを買ってくれたから少しはあたしの役に立ったけど。でも! それだけだから! 付き合ってもないし、アンタとキスなんてゼッタイ無理!! 死んでも無理!!」

 バッチーンッと張り手の良い音が辺りに響く。

 通行人が何事だと視線を遣ると、上等なワンピースを着た女性が目の前の男性を睨み付けていた。

 頬を叩かれた男性は俯いていて表情はわからない。しかし、小刻みに震える肩を見て通行人のおじさんは同情の眼差しを男性に送った。

 「いい!? 金輪際あたしの前に顔を出さないでよ!」

 吐き捨てるように言い、女性が去っていく。

 未だに俯いて留まる男性に周りの人々も同情や物珍しさから眺めていたが、やがてその関心も薄れ各々の目的へと歩み出す。

 流れていく景色の中、男性だけが取り残される。

 そんな彼の背中を優しく叩く者がいた。

 「今回もダメだったね、ユリウス」

 ユリウスと呼ばれた男性は顔を上げて背後を見た。

 「……ミハイル」

 ユリウスを慰めたのは同じ仕事仲間のミハイルだった。

 ミハイルはユリウスに彼女が出来て、その彼女に振られる度にこうして慰めてくれる。

 周りから見れば彼は良い人なのだが、その甘いマスクの口元は笑みを描いてユリウスにしかその本心はわからないようになっていた。

 「俺がまた振られて嬉しいかよ」

 ユリウスがじとりと睨み付けると、困った表情をしてミハイルは否定した。

 「まさか。でもこれで十回目。こうも振られ続けると憐れみを通り越して面白く感じるよね」

 「テメーッ! ちっくしょう! くそー……ミハイルは良いよな。ちょっと微笑むだけで女の子が寄って来るんだから」

 「僕としては迷惑なんだけどねぇ」

 柔らかな金髪を後ろで括り、常に穏やかな笑みを浮かべ、やや垂れ目の奥からは青藍の瞳が煌めいている。髭も綺麗に剃られ眉も整えられ、頬に吹き出物一つなく美意識が高いのが一目でわかる。

 おまけに細身でありながらも、ふとした時に見られる筋肉はしっかり付いていて、同僚である女性や街のお嬢様方からは王子様と呼ばれる程だった。

 まさにモテ男である。

 対してユリウスは無造作に刈られた茶髪をそのままに、鋭く吊り上がった碧色の瞳が印象的である。眉を整え、肌も綺麗だが、他人と比べやや彫りが深く、筋肉質な体型は年頃の女性には刺さらなかった。

 何より彼は口元を長いマフラーを使って常に隠しているのである。

 かつての恋人達が顔を見せてと頼んでも、頑なに拒否し続けた彼だ。顔の下半分が見えない状態で彼を好きになるのは彼女達にとって難しいことだった。

 ユリウスの顔を知っているのは本人と同僚の男性職員ぐらいである。

 ユリウスは自分の顔をワイルド系イケメンだと評価しているが、素顔を晒さないのには訳があった。

 「女の子が好きな癖にまだ触れるのが怖いのかい? 普通に接すれば君の良さなんてすぐにわかってもらえるのに。まったく、女性を相手にするとすぐポンコツになるんだから」

 「うるせぇー……王子様にわかるかよ、前世で初めて出来た彼女と寝た時に、散々下手くそって罵られて別れて、今生では初恋の幼馴染に告白したら、歯抜けの不細工は無理と拒絶された、俺の気持ちがよーッ! あん時はまだ子供で生え替わりの時期だったんだよ!」

 「それで口元隠してるんだっけ? 歯だってもう生えてるんだし、いい加減隠すのやめたら? 不審者だよ」

 「ばっきゃろー! それが出来たら苦労はしねぇんだよぉ!」

 おいおいと泣くユリウスにミハイルは背中を摩って宥めた。

 「はいはい。ユリウスの前世も今も女運が無いってことはよくわかったから。大丈夫、僕だって前は魔王で何もしてないのに殺されて今は天涯孤独の身だけど、仲間がいるからね。彼女の一人や二人居なくたって、僕やギルドの皆がいるから寂しくないでしょう?」

 「……俺のこと信じてないな? 何度も言うけど前世の記憶があるのは本当だからな?」

 「僕の前世魔王ネタだって本当だよ?」

 「いや、ネタって言っちゃってるじゃん。大体、魔王の転生とかってもっとこう……見た目は人間と同じでも牙があったりとか目が赤いとかだろ。お前の見た目、完全に王子じゃん」

 これで平民とか、生まれる場所間違えてるだろと零すユリウスに、ミハイルは緩く首を振った。

 「……もー、いいから。さっさと呑みに行こう。十回目の振られた記念に僕が奢ってあげるよ」

 「あっ、てめ! またそんなこと言って! こうなったら高い酒しこたま呑んでやっかんな! 覚悟しろよ!」

 「その前に潰れるでしょう?」

 「ああん? 言ったな?」

 先程の振られたショックなど何処かへ行き、ユリウスとミハイルは行きつけの酒場へと足を運んだ。

 

 木製の古い扉を開けると外とは違う賑やかな声が出迎えてくる。

 「よお、ユリウスにミハイルじゃねーか! 久しぶりだな! いっぱい呑んでいけよ!」

 「元気そうだな、おやっさん! んじゃ、いつもの貰おうかな!」

 「僕も」

 「あいよ! 待ってな!」

 店主の前にある席に二人が座ると、隅に座って既に一杯始めていた中年男性が二人の姿を見て声を掛けてきた。

 「おお……? その制服、配達ギルドの人かい?」

 「ああ、そうだぜ」

 二人の格好は紺色の隊服に裾が金糸で縁取られたケープコートを羽織っていた。この格好だけでは何処かの軍隊に所属する者かと勘違いされるが、ミハイルの被っている帽子には手紙のマークが刺繍されている。

 これが軍人と配達員を見分けるポイントの一つである。

 他には大きな鞄を肩に掛けていたり、帯刀していなかったりと幾つかあるのだが、帽子のマークが一番わかりやすい為、従業員からダサいと言われても彼等の上司が被るよう命令したのだ。しかし、ユリウスのように上司の目のないところでは被らない配達員もいる。

 今回、男性はミハイルの帽子を見て判断したようだった。

 男性は酒で顔を赤くさせながら、二人に頼み込んだ。

 「王都へ嫁ぎに行った娘に手紙を送りたいんだが、届けてくれないか。もちろん、金は払う」

 そう言って男性は懐からよれた手紙を出してみせた。店主から酒の入ったグラスを受け取り、ミハイルは申し訳なさそうに眉を垂らして答える。

 「ご主人、申し訳ないが、受付を通してからでないと。僕達が勝手に配達することは出来ないんだ」

 断った瞬間、男性は更に顔を赤くして怒りを露わにした。

 「ちゃんと金を払うと言ってるんだぞ! それとも平民の俺じゃ、配達出来ないってことか!? クソッタレ、何が配達ギルドだ! 中立国家だか何だか知らないが自分達が上だと思うなよ!!」

 そう叫ぶと男性は一気に酒を呷り、力強くグラスをテーブルに戻す。

 他の客の事もあり、店主が諌めようとするとミハイルが静かに片手を上げて止めた。

 「ご主人、確かに配達ギルドは一国家として成り立っています。ですがそれは僕達従業員を守る為です。決して誰かの上に立つ為にある訳じゃない」

 「そうだぜ、旦那。受付を通してくれっていうのも、旦那の手紙を確かに預かりました、きちんと届けますっていう記録と約束の為にしてくれってだけだ。身分なんて関係ねぇよ」

 「昔の配達は料金も高く、利用者は貴族が主でしたが、配達員の中には不正に追加料金を貰ったり、配達で預かった荷物を盗んだり途中で捨てたりする者もいたんです。なので、今の配達ギルドは不正行為が出来ないよう規律が厳しくなったんです。これもお客様の荷物を確実に届ける為、どうかご理解ください」

 少し騒いで困らせれば場を収める為に手紙を受け取るだろうと思っていた男性は、二人の毅然とした態度に呆気に取られ、そして不機嫌そうに黙り込んでしまった。

 見兼ねた店主が二人につまみを出しながら言った。

 「悪いな、二人共。コイツも悪気があった訳じゃない。ただ、喧嘩別れした娘にたった一通の手紙を出すのに半年ぐらい躊躇っていてな。今日、お前さん達が来たから勇気を出してお願いしたが、断られてしまって引くに引けなくなったんだよ」

 「馬鹿ッ! 言うなよ!」

 「良いじゃないか、マルコ。もう腹を括って出せよ。料金は俺達平民でも払える額だし、なんたって配達ギルドに届けられない地域はない。どんな秘境でも届けてくれるんだぜ。遠い王都なんて彼等からしたら近所だろうよ、な!」

 店主に振られた二人は頷いてみせた。

 「ああ! 任せてくれ!」

 「でも、ちゃんと受付で出してくださいね」

 ユリウスはグッと親指を立て、頷いた。ミハイルもまた釘は刺すがその表情は優しく微笑んでいる。

 マルコと呼ばれた男性はバツが悪そうに店主に酒を注文した。

 「麦酒一つ……それからそこの兄ちゃん達にも麦酒をあげてくれ。その、悪かったな。迷惑料だと思って受けとってくれ」

 「いいのか?」

 ユリウスが驚いて確認すると、マルコはやや疲れた様子で頷いた。

 「いいんだ。最近、苛ついていて当たっちまった。大人気ないよな」

 店主から麦酒を貰い、二人は一気に呷る。

 喉と胃の焼ける感覚と独特の苦味を味わい楽しんだユリウスは、これも縁だとマルコの話を聞くことにした。

 「何かあったのかい? 仕事のこと?」

 「いいや。知らないのか? 最近、森の奥で魔物が現れて、そのまま町まで来て人を襲うんだよ。ここはまだ魔物は来ていないが、隣町は魔物と生きる屍まで出たらしい。警備隊がすぐに対処したが、何人かはやられてしまったってよ」

 二杯目を呑んでいたミハイルがマルコの話を聞き、首を傾げた。

 「生きる屍はともかく、魔物って確か遥か昔に勇者が倒して全滅したって話ですけど、それ、本当に魔物なんですか?」

 「ああ、本当だ。隣町に住む知り合いが人の背丈よりも大きい狼が、鋭い牙と爪で襲ってきたってよ。魔物と言えば魔王の手下だ。勇者に倒された魔王が復活したんだって町の連中は噂して怯えてるし、役人連中は帝国の仕業でこの国を攻め落とすつもりだと騒いでる。どれが本当かわかりゃしないし、森の近くを通る時には襲われるんじゃないかと気が気でない。もう、疲れたんだよ」

 深い溜息を吐いたマルコは少しずつ酒を呑んだ。

 

 魔王と言えばかつてこの世界を混沌へと導き、何もかもを荒らした悪い奴である。

 人々が疲弊し、魔物に命を刈り取られる中、一人の若者が剣を掲げ名乗りを上げる。

 カリヴァンダル王国の勇者。

 後にそう語られる若者はたった一振りの剣で魔物を蹴散らし、魔族を斬り伏せ、ついに魔王を倒した。そうして世界に平和が訪れ、もう二度と魔王が蘇ることはないだろうと、後世に語り継がれている。


 そして、カリヴァンダル王国こそ、現在、彼等がいる国だった。

 勇者誕生の地で魔物騒ぎが出れば国も黙っていない。

 ユリウスはそれでと続きを促した。

 「国王様は何もしないのか?」

 「王は教会の聖職者達に魔物を鎮めるよう言っただけだ。今の魔物はかつての死んだ魔物が蘇っているから荒ぶる魂を鎮めれば、魔物も消えるだろうと。疑う訳じゃないが、そんなので本当に解決するのかと考えちまうよ。特にここは国の中でも端の方だ。在っても無くてもいい町に、貴族連中は金をかけてまで教会の人間を寄越しはしないだろうよ。ああ、いっそ、魔法を使える連中を集めて魔物と戦った方が早いんじゃないかって思っちまう」

 店主から出されたつまみを食べながら、ユリウスは明るく励ました。

 「大丈夫! 国が動いてるんなら次期に魔物もいなくなるだろ! それにもしかしたら勇者が再び現れるかもしれないぜ!」

 ニッと笑ってみせるユリウスにマルコはふと笑みを零した。

 「……そうだな」

 「うんうん、よっしゃ! おやっさん、この店にある一番高い酒をくれぇ! 今日はコイツの奢りなんだ!」

 「……てっきり忘れてると思ってたけど、覚えてたんだね。まぁ、約束したから良いけど」

 ミハイルは小さく笑うと自分も一杯くれと店主に声を掛けた。一通り酒を楽しみ、談笑した後、二人は店を後にする事にした。勿論、ミハイルの奢りである。

 寂しくなった財布を見て内心泣きながらもミハイルの足取りは軽かった。

 腹は満たされ、身体も温まり満足である。隣のユリウスも同様に軽い足取りで夜空を眺めては、むふぅと満足気に息を吐いていた。

 二人とも飲酒後とは思えないしっかりとした歩みで木々の間を縫って行く。

 月よりも遥かに暗い星明かりを頼りに、小川を飛び越え、眠る野生動物を避けてたまに夜空を眺めては歩みを進める。

 やがて辿り着いた先には赤い壁が特徴的な大きな塀が見えた。

 配達ギルドの本拠地であり、従業員の居住区、そして世界各地から荷物が届き、宛先へと送り出す店舗でもある。

 塀の門番に証を見せて中へと入る。

 夜故に建物の灯りは消えて、人の活気もない状態だが、見慣れた風景に安堵を覚えたユリウスはううーっと唸りながら上半身を伸ばした。

 「よっし! ミハイル、今日はありがとな!」

 ユリウスは振り返って後ろにいたミハイルに礼を伝えた。ミハイルは十回目の振られた記念に酒を奢ると揶揄っていたが、それが本心ではないとユリウスも長年の付き合いからわかっていた。

 ミハイルはユリウスに対して遠慮のない男だが時には気遣いだって出来る良い奴なのだ。

 そんなミハイルは女性がうっとりする程の王子様スマイルで気にしないでと言った。

 「僕が勝手にしたことだからね。それよりユリウス、ちゃんと歯を磨いて寝るんだよ」

 「お前は俺の母ちゃんか」

 「お腹を出して寝てはいけないよ」

 「母ちゃんじゃねぇか」

 「朝起きたら顔を洗って、時間ないからってご飯抜いちゃ駄目だよ」

 「わかってるから! 母ちゃんはもういいわ! 寝るからな! おやすみ!」

 「おやすみ」

 この遣り取りも恒例と化してきている。去っていくユリウスの姿を見えなくなるまで見届けて、ミハイルは自身の住む家へと帰った。

 

 ユリウスが十回目の振られた日から数週間が経った。

 ユリウスとミハイルは配達員として日々業務をこなし、各地を飛び回っている。彼等は行く先々で魔物出現の話を耳にした。

 大抵は噂話の域に過ぎないが、ある時、配達先の国で騎士団が魔物の死骸を運んでいるのをユリウスは見た。

 大きさは成人男性の三倍はあるだろうか。遺体の損傷は激しく、元の姿形はわからないがあれだけ大きいのだ。普通の動物にそれ程の大きさのものはいない。

 魔物とみて間違いないだろう。

 魔物との戦闘は過酷だったようで、騎士団はボロボロ、中には片腕を失っている者もいた。マルコの話を半ば本気で聞いていなかったユリウスは内心マルコに謝り、己の認識を改める事にした。


 魔物は確かにいる。

 

 かつて滅びたとされる脅威が蘇ったのだ。

 ユリウスは早々に荷物を届け、本拠地へと戻って部屋に引き篭もった。

 食事を摂る事も忘れて朝を迎えた頃、ユリウスの部屋の戸を叩く者がいた。

 「ユリウス、起きてるかい? 僕だけど」

 ミハイルである。

 「今流行りの僕僕詐欺だな? 生憎だったな! 俺はその手には引っ掛かりませんー!」

 ドア越しにユリウスがそう言うと、向こうから大きな溜息が聞こえてきた。

 「そうか。引っ掛かってくれないか。じゃあ、仕方ない」

 諦めて帰るのかと思いきや、数秒後には大きな破壊音を響かせてドアが吹き飛んだ。

 パラパラと破片と埃が舞う中、片足を上げたミハイルが素晴らしい笑顔でユリウスを出迎えた。

 「さ、ドアも開いたし、行こうか。ギルド長が僕達をお呼びだよ」

 飛んでくるドアをギリギリで回避したユリウスはうるさい心臓を宥めながら叫んだ。

 「テメーッ! ご近所さんから俺ん家見えちゃうだろうが! 隠せよ! 後で絶対隠せよ!」

 ドアを破壊された事よりも家の中を気にしていた。

 

 素直に出て来ない奴が悪い等と一悶着あったものの、ユリウスは仕事着に着替え、ミハイルに連れられてギルド長の執務室へと来ていた。

 室内へと入ると木目調のシックなデザインが特徴的な机の前に一人の美女が立っていた。

 燃えるような真紅の髪、白い柔肌に映えるドレスは深い紅が時折煌めき、上等な物だとわかる。薄く開いた真っ赤な唇は潤いに満ちて、猫の様に悪戯に微笑む瞳は夕焼けの如く美しい。

 十人中十人が美しいと答える程、彼女は印象的でその赤は記憶に残った。

 しかし、そう答えるのは彼女を知らない人だけで、従業員である二人にとってはただの厳しい上司である。

 女性では厳しいと言われてもなお己の力だけで運命を切り拓いた女傑。

 配達ギルドを立ち上げ、一国の主にまで上り詰めたギルド長アルマ・カーティスであった。


 アルマは二人の入室を確認するとミハイルに部屋の鍵を掛けるように指示を出した。言われるがままミハイルはドアの内側に付いてある鍵を掛けた。

 すると、部屋の奥にある本棚の影から一人の男性が姿を現した。銀の長髪を緩く編んだ若い男だ。

 男の服装は配達員とは異なる真白の衣服で、明らかに外部の人間と察知し、二人は不審そうに視線を向けた。

 「これこれ、気になるかもしれんが今は客人だ。不躾な真似はよさぬか」

 手を振って二人を止めたのはアルマだった。上司に止められては仕方ないと二人とも視線をアルマに移す。ミハイルは何故だか嫌な予感がして引っ掛かった言葉を口にした。

 「今は、とは?」

 「言葉通りの意味よ。さて、二人に来てもらったのには理由がある。ユリウス・ヴァイス。ミハイル・セルト。二人にはこれから荷を運んでもらう。場所は魔王の統べる地、フェルカイル。依頼人はアストリア教会。荷はそこに居る男だ」

 あまりの出来事にユリウスもミハイルも数秒は時が止まっていた。先に動き出したのはユリウスだった。

 「は、はぁー!? 何言ってんだよ、社長! 荷物が人間って、しかもフェルカイルって海渡らないと行けないんだぜ!? 社長、知ってる!? あそこ、潮の流れが尋常じゃないほど速くてほぼ渡航なんて無理な大陸なんだよ! 無理ゲーじゃん! 本気!? 本気なの!?」

 「黙れユリウス。相変わらず煩い男だな」

 捲し立てるユリウスに、アルマは顰めっ面をして耳を塞いだ。

 一方、ミハイルはアルマの言葉を反芻しつつ、今起きている状況を判断していた。

 「依頼人がアストリア教会ということは、そちらの男性は教会関係者……それも上位の聖職者の方ですね。目的は魔王、或いは魔物の討伐といったところでしょうか。しかし、それならうちではなく傭兵ギルドや王国騎士団の方達に頼んだ方が良いのでは? うちは戦闘能力に特化していませんよ」

 ミハイルの優秀さにアルマは流石だなと誉めた。

 「ミハイルの言う通りだが、フェルカイルに向かうまでは幾つかの国を横断しなくてはならない。彼はカリヴァンダル王国に所属するアストリア教会の聖職者だ。しかも一番偉い大司教。通常であれば先触れを出して入国出来るようするのだが、どうも急いでいるようでね。そんな時間は無いんだとさ。けれど無断で入れば国際問題になる。そこで苦肉の策で考え出したのは、彼を人ではなく荷として運んでもらう……何とも愚かしいが、うちに頼むのは正解だね。何たって配達の連中以外にフェルカイルまでの道を知っている人間はいないんだから」

 アルマは一区切り入れると長く息を吐いた。

 そして自身の後ろにいる男を嘲笑うと睨め付けた。

 「配達ギルドは一国にして何処にも肩入れしない中立国家。ならば、国の重要人物を荷と偽って送り込んでも問題あるまい……なんて、随分とうちも馬鹿にされたもんだね。言っておくが、配達ギルドは職務を全うするのみ。配達先であるフェルカイルに着けば配達員は即刻こちらへと戻ることになる。正しく荷が届けられた後は此方が関与することは一切無い。届けた荷がどうなろうとな」

 この依頼はアルマとしては不本意だったようで、最後は凄むように男に言い放った。突き刺さる怒りを肌で感じ、思わずユリウスとミハイルは息を止めた。

 従業員でさえこの有様である。

 しかし、その怒りを直接ぶつけられている男はにこりと微笑んで一礼した。

 「この度は私共の無茶な依頼をお受けくださり、誠に感謝しています。改めまして、私はコンラート・ツェッタ。カリヴァンダル王国、アストリア教会の大司教を勤めています。今、各地で民を襲っている魔物を鎮める為、そしてこの世界に何が起こっているのか確かめる為に、魔王が生まれたとされるフェルカイルの地へと望みました」

 頭を上げた時にふとユリウスと視線が合う。思わず固まるユリウスに対して、コンラートはふにゃりと眉を下げて微笑んだ。

 顔立ちからいって恐らくユリウス達よりも歳下だろう。喋りこそハキハキと話すが、纏う空気はおっとりやふんわりがよく似合う、癒し系なイケメンであった。


 ミハイルとはまた違ったタイプの王子様だな。


 そんな事をユリウスは思った。

 もう一人の王子様であるミハイルは今後の事を心配しているようでアルマと何やら話し合っている。食費や宿屋等の単語が聞こえてくるのでコンラートに関わる金銭面や面倒を確認しているのだろう。

 ユリウスは何やら面倒な事になったなと思う一方、異世界転生して初めてファンタジー要素を体験出来るかもとわくわくしていた。

 

 ユリウスの転生したこの世界、魔法という心躍る要素があるのだが、ユリウス自身は魔法が使えない魔力無しの人間だったのだ。

 これにはユリウスも絶望した。

 ユリウスの出身地の村長チヨ婆の話では魔力無しの人間は珍しい事ではなく、血筋も関係ないと言う。貴族の中にも魔力無しの者は居るから嘆く事はないと、村の幼馴染が手から水を出しているのを眺めながら慰められた覚えがある。


 ファンタジー要素なんて自分には関係無いと思っていたが、今回もしかしたら魔王をこの目で見る事が出来るかもしれないのだ。

 勿論、人々を苦しめる魔物や魔王は許せないが元ゲーマーとしてはやはり気になる。


 ありがとう、社長! 俺をメンバーに入れてくれて!


 そうしてアルマの命を受けた二人はコンラートを連れて建物から出た。

朝の活気づいた中にイケメンが二人もいれば中々の騒ぎになる。特にコンラートの服は純白なので目立っていた。ユリウスとミハイルはとりあえず古着屋から適当に見繕い、やや薄汚れているローブを買ってコンラートに与えた。

 「ああ、ありがとうございます」

 コンラートも自分の服が目立っていると気付いたらしく、素直に受け取った。

 「お代を払いましょう。幾らでしょうか」

 「必要経費だ。気にしなくていいぜ」

 手を振るユリウスにコンラートは申し訳なさそうに眉を下げた。

 「ありがとうございます」

 「それを羽織ったのなら、すぐに出よう。ここに居たらいつもの娘達に囲まれて出られなくなってしまう」

 「おー、そうだな。お前のファンの子って過激な子が多いもんな。行こ行こ」

 何やら恐ろしい単語を聞いたコンラートは急いでローブを羽織り、ユリウスとミハイルに連れられて赤い塀の門を潜り抜けた。塀さえ抜ければ早々に追い掛けられる事はない。

 ミハイルを先頭に三人は森の中を突っ切って進む。

 いつもであればミハイルと他愛無い話をしながら目的地へ行くのだが、今回はコンラートがいる。幾ら荷物といえ無視する事は元日本人のユリウスには難しかった。

 「あ〜……コンラート君って若いよね、幾つなの……って、教会の偉い人だったね! ごめん、馴れ馴れしく呼んじゃって。大司教様って呼んだらいい?」

 「いえ、私のことはコンラートとお呼びください。敬称も必要ありません。それに私は教会では史上最年少で大司教となったと言われていますが、それは教会内でのことで、恐らく、今この場にいる三人の中では私が一番年上かと」

 「え?」

 コンラートの発言にユリウスは目を瞬かせた。そんな彼の姿を見て、コンラートは苦笑した。

 「私、今年で二十九歳になります」

 「嘘でしょ!? 俺達より三歳も上!?」

 あまりの衝撃にユリウスどころかミハイルでさえ驚いてコンラートの顔を凝視した。

 「童顔すぎでしょ……俺、十代後半だと思ってたよ」

 「それならば尚のこと、僕達は貴方のことを敬わなければなりませんね」

 コンラートへの認識を改めて、ミハイルがそう言うと彼は緩く首を振って否定した。

 「いいえ、先程も言いましたが、必要ありません。その……この仕事中だけで良いのです。私のことは聖職者ではなく、歳の近い一人の人間として扱ってもらえるだけで、私はそれで満足なのです」

 長い睫毛を伏せて願い出るコンラートを見て、ユリウスは色々と察した。


 なるほど、教会は確か序列の厳しい所だったな。

 そんな所に史上最年少でトップになってしまえば周りは当然おっさんや爺さんばかり。同期や同じ年代の奴と気軽に話をしようにも出来なくて寂しいということなんだな?

 なるほど、なるほど!

 

 「いいよいいよぉ! わかんないことがあれば何でも聞いてくれ、コンラート!」

 ガッとコンラートの肩を組んで、任せろと豪語するユリウスにミハイルは苦言を呈した。

 「ちょっと、ユリウス。今後のことも考えて行動してよね」

 「わかってるって」

 「本当か? まったく……」

 溜息を吐くミハイルは拉致が開かないとさっさと先に進んだ。小さくなっていく背を見失わない様にユリウスもコンラートも慌てて続いた。

 ふとコンラートが振り返ってユリウスを見てくる。

 前を見てないと危ないぞとユリウスが注意しようとするより先に、コンラートがふにゃりと笑った。

 「ありがとうございます、ユリウスさん」

 自分より歳上と言われても可愛いものは可愛い。例え相手が男だったとしても。

 単純なユリウスは若干頬を赤らめて、マフラーで隠している鼻の下を擦った。

 「いいってことよ。それと、俺達も敬称はいらないぜ」

 「……そうか、ユリウス。これからよろしく頼むよ。ミハイルも」

 呼び掛けられたミハイルは視線だけをコンラートに向け、「ええ」と素気なく返した。

 怒ったアルマ相手に動じなかった彼は冷たいミハイルの態度もまた気にする事なく笑顔だった。

 「……ところで、頼んだ私が今更言うのも何ですが、野宿とか食糧とかはどうするのですか? その、貴方達の持ち物でとても野営が出来るとは思えないのですが」

 前を歩くミハイルと後ろにいるユリウスの姿をチラチラと交互に見て、コンラートが不安そうに尋ねる。二人の服装は仕事服に肩掛けの大きな鞄を一つずつ提げているだけだ。

 コンラートがいつも見かける配達員と変わらない装いである。

 鞄の中に何が入っているのかわからないが、恐らく寝袋なんて一つも入っていないだろう。

 そんな彼の不安を知ったユリウスは声を出して笑い飛ばした。

 「心配ないさ。寝袋はないが寝る時に俺のケープを貸すし、虫除けの香も焚く。火も熾すから獣が来ることはないぜ。食糧は保存食と調味料、乾燥させた香草が幾つかあるが……まあ、基本的に自分達で狩るか店で買うかだな。大丈夫だって、そんな絶望するなよ! 俺もミハイルも料理は得意なんだ。肉を焼くだけのシンプルなのも美味いが、ちゃんと温かいスープも付けて野菜も入れるから」

 「野菜……あるんですか?」

 「食卓に出てくる野菜とは若干違うかもだけど、大丈夫、食える」

 「えっ……」

 最後の最後でユリウスの表情が口は笑っているけど目は笑っていないという恐ろしいものを見てコンラートは青褪めた。

 二人のやり取りを聞いていたミハイルは足元に注意するよう呼び掛け、ちらりとコンラートを一瞥した。

 「コンラート、貴方は大事な荷物なので届けるまではきちんと僕達が守ります。それは健康の面においてもです。ただ、万が一のことがある。貴方を連れての人混みの移動は出来ないので、店での飲食、買い物は勿論、宿泊も不可能だと思って」

 それはこの先、野宿をして食糧は自分達で確保しなければならない事だった。

 「そんな……わかっていましたが、これほど過酷なものとは」

 コンラートはがっくりと項垂れた。

 「ええ、過酷ですよ。慣れていない人にとってはね。特に貴方は他国の者に知られてはいけない故に関所や関門は通れない。なので、今回は僕達配達員しか知らないルートを使う……ほら、そこの岩から少しだけ顔を出して覗いてごらん」

 ミハイルは立ち止まると斜め前にある大きな岩を指差した。

 コンラートはいつの間にか上がっていた息を整えて、ゆっくりと岩の前まで進んだ。

 そして言われるがままそっと顔を出して覗き込む。

 すると、森の中だと思っていた景色は無くなっていて、代わりに少し離れた場所に赤煉瓦の建物が幾つか建っていた。

 「ここは……!」

 コンラートは食い入るようにその景色を観察した。

 やや廃れた様子ではあるが人が歩いている。その人物は褐色の肌に真っ黒な髪が特徴的な女性だった。

 「肌が焦げ、闇色の髪を持つとされるユンランナ民族……ここはサムリー国なのか? さっきまで配達ギルドの領地に居たのに、こんなに早く、しかも関所を通ることなく入国なんて」

 信じられないと慄くコンラートに対して、ユリウスとミハイルはその姿を懐かしみ頷いた。


 新人の頃に先輩にこの道を教えてもらった時、俺もミハイルも今のコンラートと同じ反応だったなー。


 今では懐かしい記憶である。

 未だ震えるコンラートを引き戻してミハイルは再び歩みを進めた。ユリウスに背中を押されるままコンラートもその後をついて行く。

 「幾ら関所を設けていても人が造る以上、何処かに漏れは生じるんだ。今回はその隙を突くルートだ」

 「そうそう。もしこの道の存在を誰かに言ったら悪用される可能性大! だから、他言無用で頼むぜ」

 ユリウスに念押しされたコンラートは何度も頷いた。

 「も、勿論です。それに例え誰かに言おうとしても、先ほどまでの道のりなんて覚えていませんよ……木々ばかりで目印になるような物なんてありませんでしたし、足元も悪いですから殆ど下を向いていましたし」

 そう言ってコンラートは暫く黙り込んだと思うと微かに震えながら再び話し出した。

 「しかし、本当に驚きました。こんな短時間で誰にも知られることなく他国に入ることが出来るなんて……こんな抜け道があったなんて! もしこれが国の中枢、特に軍事に特化した人間に知られれば、戦争になった時に利用されてしまいますね。奇襲を仕掛けて簡単に蹂躙することが出来るでしょう……このことを知れば全ての国が配達ギルドの人間を欲しがります」

 ユリウスはコンラートの言葉に頷いた。

 「ああ。だからこそ社長は俺達を守る為に、国を相手する為に、組織を国として成り立たせ、一切の政には関与しない中立の立場を宣言した。社長がここまでしてくれてるんだ。俺達も社長を裏切る訳にはいかねぇ」

 「……強い絆ですね」

 「へへっ」

 笑みを零す二人を見て、ミハイルは目を細めてやや険を滲ませた。

 「戦争、ねぇ…………ん?」

 そして振り返った姿勢のまま、足を止める。

 ミハイルの剣呑さは益々強まり、ユリウスも漸くその異常さに気付いた。

 「……何匹だ」

 ユリウスの問い掛けにコンラートは意味がわからず首を傾げた。代わりにミハイルが息を潜めて答えた。

 「五匹、いや六匹だね。しかも大きい」

 辺りは静寂だと言うのに何かが蠢き、肌を刺すような空気が身体を纏う。

 流石のコンラートも二人の様子を見て周りに何か良くないものがいるのだと察知した。

 ザリザリという地面を踏む音と荒い息遣いが徐々に大きくなって聞こえてくる。

 するとミハイルは静かに右手を上げた。風が不自然に凪いで、ミハイルの右手に集まっていく。腕を中心に回る風はやがて小さな煌めきを振り撒き始めた。

 その間にもユリウス達の前に何かの気配が近付いて来る。


 茂みを挟んだその向こうに、いる。


 グッと地面を踏み締める音をユリウスは聞いた。

 「今だ!」

 その瞬間、茂みから巨大な狼が数匹、飛び出してきた。

 ミハイルはその姿を捉えると同時に右手を狼に向けて突き出す。すると、渦巻いていた風の煌めきが広がり、轟々と燃え盛る焔へと変わった。

 焔はまるで生きているように駆けると狼達をあっという間に飲み込んでしまった。

 「ギャオオオオオオッ!!」

 焔に絡め取られた狼達は苦痛と熱さにもがき苦しむ。それでも焔の勢いは止まらなかった。

 「ヴヴヴッ」

 燃える狼達の後ろから残りの狼達が飛び出してくる。

 不意を突かれたミハイルは咄嗟に蹲み込んだ。すると彼の背後から風を切って何かが飛んでくる。

 「ギャンッ!」

 狼の眉間に見事刺さったそれはユリウスが打ったものだった。鋭く尖った刃に持ち手がついて、そこに指が通せるようになった飛び道具。

 それはユリウスの前世で言うところの苦無だった。

 次々に打たれる苦無は全て急所に当たり、狼達は短い悲鳴を上げながら倒れた。

 まさに一瞬の出来事で、呆気に取られていたコンラートはハッと息を呑んで我に返った。

 「二人共、怪我は!?」

 「大丈夫だ」

 「これくらい何とも」

 そう言った二人の言葉は本当のようで、肩を回してストレッチしながら死んだ狼達を見ていた。

 「……大きいな」

 「ああ、僕達の何倍もの大きさだ。これに襲われれば身を守る術のない住民は確実に死ぬだろうね」

 「仕事先で魔物の死骸を見たが、同じような感じだったな。とにかく大きかった」

 「それは……」

 ミハイルが続きの言葉を掛けようとした時だった。

 コンラートが興奮した様子でユリウスに駆け寄ってきた。

 「凄いですね! ミハイルの無詠唱魔法も素晴らしいですが、特にユリウス! 貴方のその武器は何ですか? 見たことがありません!」

 無邪気に見せてくれとせがむコンラートに対し、ユリウスは困った様子で危ないからと宥めていた。

 「これは俺のぜん……故郷に伝わる古い武器なんだ。もう古すぎて俺以外誰も使ってないかもな」

 コンラートに前世の事を言っても上手く伝わらないと判断したユリウスは、故郷の武器として誤魔化す事にした。

 狼に突き刺さった苦無を回収して、さっさと懐へとしまっていく。

 ユリウスは少し前に仕事先で魔物の死骸を見てからずっと己を守る為の武器を用意していたのだ。


 やはり武器は慣れ親しんだ物が良い。


 苦無を見ていたコンラートは「投げナイフに似ていますね。しかし、威力が……」と独り言をぶつぶつ呟いている。

 そうかと思えば、急にローブの下から古めかしい本を取り出して死んだ狼達のもとへと向かった。

 「我が神、アストリア神に希う。聖樹の果実を分け与えし片割れの……」

 コンラートは膝をつき、分厚い本を開き、つらつらと呪文の様に言葉を紡いでいく。

 その様子をユリウスはミハイルの傍に近付いてこっそり尋ねた。

 「なぁ、あれ何やってるんだ?」

 「弔いだよ。荒ぶる魂を鎮める為の鎮魂の祈りを捧げているんだ。本来は戦死者や不慮の事故で死んだ者の為の祈りだけど……教会は魔物の魂を鎮めているという話だから魔物相手に祈りを捧げているんだろう」

 「ふーん」

 訊いておきながらユリウスの反応は薄いものだった。

 転生して前世の記憶がある身だがユリウス自身は神とやらに会った事も見た事もなく、荒ぶる魂という感覚も体験していない。そんな知りもしない神に本気で縋ろうとしている国と教会に、自称無神論者の元日本人は何処か冷めた感情を抱いたのだ。

 ユリウスとミハイルが静かにコンラートの様子を見守っていると、やがて祈り終えたコンラートが二人のもとへとやってきた。

 「お待たせしました」

 古い本をしまい、コンラートが先へ行こうと促した。

 埋葬する道具が無い為に魔物の死骸は放置したままだ。いずれは血の匂いに引き寄せられて大型の野生動物が寄ってくるだろう。

 そうなれば再び身の危険に晒される。

 それは回避したいと思っていたユリウス達は断る理由も無く、すぐに歩き出した。


 歩き出してどれの程の時が経っただろうか。ミハイルは木の葉の隙間から覗く太陽を仰ぎ見て背後を振り返った。

 「あと数時間後には陽が沈む。今日はこの辺りで野宿をしよう」

 「そうだな。今日だけでも大分距離を稼げたし、コンラートも慣れない道で疲れただろう。休もうか」

 「そう言っていただけると有難い。実はもう足がプルプルで……」

 面目無いと笑うコンラートの顔には疲労の色が滲んでいた。

 配達員と大司教では運動量が圧倒的に違う為、コンラートはユリウス達について行くので精一杯だったのだ。

 ユリウス達は野宿に適した場所を見つけるとコンラートを一先ず休ませ、ミハイルが食糧調達に、ユリウスがコンラートの為の寝床を作った。その後、火を熾し、鞄から小鍋を取り出して保存食や調味料を出していく。

 細々とした作業をユリウスは一人こなしていた。

 「本当はここに泊まっていた痕跡を残すのは良くないんだがなー」

 そんな事をぼやきながらユリウスは虫除けの香を焚き、集めた落ち葉の上に自身の上着を敷いてコンラートをそこに座らせた。

 多少の違和感はあるものの、ゴツゴツした地面に座るよりかは遥かにマシである。そのまま横になれば簡易ベッドとしても使え、コンラートはユリウスに感謝した。

 「私の為に……ありがとうございます。それとごめんなさい。私がもっと野宿に慣れていれば気を遣わせることも無かったのですが……」

 ユリウスのぼやきが聞こえていたらしい。

 それに気付いたユリウスは慌てて否定した。

 「違う違う! コンラートが悪い訳じゃないんだ。今回は特例だから社長も許してくれるだろうし、出立する時に可能な限り痕跡は消すから気にする必要ないんだよ」

 「しかし……」

 それでも痕跡の消し方なんて知らないコンラートはユリウス達を頼る事になるだろう。そうなればやはりユリウス達の負担は増える訳だ。

 コンラートは申し訳ないと益々萎んでしまった。

 シュンとするイケメンに対してどうフォローしようか。

 ユリウスが迷っていると食糧調達に出ていたミハイルが帰ってきた。

 「二人して何してんの」

 「ミハイル!」

 気配りの出来る男、ミハイルの登場にユリウスは助けの眼差しを送った。しかし当人は冷めた一瞥を寄越すだけで、脇に抱えていた獲物と木の実や野草、水の入った皮袋を置いて無視した。

 ミハイルの気配りは時と場合に寄るのである。

 ミハイルは鍋に水と保存食の幾つかを入れて火にかけた。そして本日のメインである野兎を手早く解体していく。

 ミハイルに無視される事に慣れているユリウスはさっさと気持ちを切り替えて彼の作業を手伝った。休んでいたコンラートも興味津々といった様子で二人の後ろから手元を覗き込んでいる。

 「ハロハロの兎か。よく捕まえられたな」

 「運良く巣穴を見付けてね。今日はご馳走だよ」

 「やったぜ! 美味いんだよなー!」

 「ハロハロの……兎と言うのですか。普通の兎ではなくて……?」

 「あ、コンラートは知らない? 兎の中でも黄金の瞳と首と脚に輪っかのような模様のある兎はハロハロの兎って呼んで、食べると他の兎肉より断然こっちの方が美味いんだ」

 「ハロハロというのは古い言葉で輪という意味だね。猟師や地方に住むご老人がよく使うけど……王都の若者には馴染みのない言葉ではあるから、知らなくてもおかしくないよ」

 「おい、ミハイル。その説明じゃ俺達が爺みたいじゃねぇか」

 「心は爺みたいなもんじゃないか……ま、僕達は色々な場所へ配達するからね。その時に現地の人と話したりして、そういった知識を得るんだよ」

 「そうなのですね……」

 感心した様子でコンラートは頷いた。

 教会にいる事の多かったコンラートには外の世界の話は魅力的で、ユリウス達が経験した話を時折質問しながら楽しそうに聞いていた。

 ユリウスとミハイルは口を動かしつつ手も動かす。一口大に切った肉が煮えれば透明な瓶に入った赤い液体をドバドバと入れ、軽く洗った野草も細かく千切ってかき混ぜる。持ってきていた調味料で味を調えて一煮立ちさせると、良い匂いが漂ってくる。

 ミハイルは三つの小さな椀に中身をよそってそれぞれに渡した。

 「牛の乳で煮るともっと美味いんだが、これはこれで美味いぜ。食べてみな」

 ユリウスからスプーンを渡されたコンラートは喉を鳴らして椀の中身を覗き込んだ。

 赤いスープの中に豆や木の実、柔らかそうな肉が沢山入って、野草の緑が鮮やかに彩る。

 掬って一口食べてみると仄かな酸味と塩味が肉汁と共に口内に広がり、疲れ切った身体に沁み渡った。

 「美味しい……! こんなに美味しいスープは初めてです!」

 そう言ってコンラートは無心になってスープを飲んだ。

 椀の中身が無くなればすぐにおかわりを求める姿に、ユリウスもミハイルも安堵した様子で沢山食べるよう勧めた。これ程の距離を歩くとなると大抵の人はあまりの疲労から食欲が失せ、先に休息を求めるのだ。

 休息も大事ではあるが食事も大事である。

 これだけ食べられれば明日の移動も大丈夫だろうと、ユリウスも口元のマフラーを下げてスープを一口飲んだ。

 「うん、美味い」

 時折聞こえる梟の鳴き声を聞きながら、食事を終え荷を片付けた三人は火を囲むようにして寝る体勢へと入った。

 寝ると言ってもユリウスとミハイルに寝袋は無く、どちらか一方は交代の時間が来るまで寝ずの番である。

 申し訳なさそうにしていたコンラートだったが、横になった途端すぐに寝息を立ててしまった。

 目を閉じると益々幼く見える顔に、童顔の恐ろしさと罪深さを改めて感じる。

 ユリウスがぷるぷると震えているとミハイルにさっさと寝ろと文句を言われてしまった。

 「時間になったら起こしてくれ」

 「ああ、ゆっくり休みなよ。おやすみ」

 「おやすみぃ」

 二人分の寝息と遠くから聞こえる獣の鳴き声を聞きながら、ミハイルは火に薪を焼べた。

 「…………」

 ちらりと横を一瞥すると同僚の穏やかな寝顔が見える。そして視線を反対に滑らすと丸まって眠る大司教の背中が。

 コンラートの背中を見詰めながら、ミハイルは今日の出来事を振り返っていた。


 教会が魔物の魂を鎮める……ねぇ。


 夜空に向けて、ふぅと細く息を吐き出したミハイルは月が傾くのを静かに待つのだった。


◆ ◇ ◆


 その後、夜中にユリウスと見張りを交代した以外、何事もなく朝を迎える事が出来た。

 三人は陽が顔を出す前に保存食を少し食べてすぐに出立した。

 昨晩、ゆっくり休んだコンラートはすっかり元気になっている。

 昨日とは違い、森の中から出た三人は狭いが整備されている道を歩いていた。

 「こんなに人目のある道を歩いていいのですか?」

 不思議に思ったコンラートが尋ねると、ユリウスが良いんだよと笑って答えた。

 「暫く関所は無いからな。ここは田舎だから人通りも少ないし、コンラートだって獣道を歩くのはしんどいだろう?」

 「ええ。そうですね」

 例え平坦な道が長く続いても上り下りの激しい獣道に比べたらマシである。

 そんな会話をしていた時である。

 何かを破壊する大きな音と男達の怒鳴り声が聞こえてくる。

 嫌な予感がしたユリウスとミハイルは、目配せするとコンラートの腕を引っ張り、音のする方へと急いだ。

 突然の事にコンラートは混乱するも、走った先に見える光景に、すぐに自分の意思で前を走る。

 三人の走る先には小さな馬車が横転し、その周りを囲むように三人の男達が刃物を持って立っていた。

 よく見れば男達の格好はボロボロで赤茶けた顔は日焼けなのか垢なのかわからない程だ。

 男達の前には一人の老人が蹲るように倒れ、馬車の影になる所には身なりの良い少女が頭を抱えながら震えていた。

 コンラートはひと目見ただけで理解出来た。


 外に出る事の少ない自分でもわかる。


 少女と老人は馬車の所有者で、男達は彼女等を襲撃した盗賊である。

 男達は厭らしい笑みを浮かべながら抵抗する少女を連れ出そうとしていた。



 「いやぁ! やめて!!」

 「うるせー! さっさと来い! お前はこれから変態貴族の玩具になるんだよ!」

 「いやっいやぁああ!!」

 田舎で、しかも人通りの少ない道に少女を助ける者などいない。

 焦らずともゆっくり引き摺り出せばいいし、何だったら貴族に売る前に味見をしてもいい。幼いが子分達も久しぶりの女に興奮している。


 ああ、想像すると堪らない。

 やはり早く引き摺り出して楽しもう。


 盗賊の首領がそんな事を考えて少女に手を伸ばした時だった。男の側頭部に何かが当たり、強い力で地面に押し倒されてしまう。一転する景色と頭の割れるような痛み、後からやってくる全身を打ち付けた鈍い痛みが男を襲った。

 「ア、アニキィイイ!!」

 男を呼ぶ声が聞こえる。

 「テメェ等、配達ギルドの人間だろう! オレ達のアニキに飛び蹴りかますなんて死にてぇようだな!?」

 「中立掲げる奴が邪魔すんじゃねーよ!!」

 男は子分達の怒鳴り声から自分が配達ギルドの人間に飛び蹴りされたのだと理解した。

 痛む身体に鞭打って男は立ち上がる。

 視線の先、男の前にはやたら見目の良い配達員と口元を布で隠した不審者のような配達員、そしてギルドの服を着ていないフードで顔を隠している人物がいた。そのうちの二人の配達員が冷めた眼差しでこちらを見てきた。

 「俺達が中立なのは国相手だ。何処の国にも属さない盗賊相手に中立なんて立場あるかよ」

 「それ以前に女の子が襲われそうになってるのに助けないなんて、人間のすることじゃないしね。国とかギルドとか関係なく助けるさ。僕もそこまで鬼じゃないよ」

 「嘘つけ。俺がオカマ達に襲われそうになった時、助けてくれなかったくせに」

 「君は自力でどうにか出来るだろう」

 「ああん!? 俺のケツが狙われたんだぞ!?」

 「知らないよ、そんなこと」

 話が脱線してギャイギャイと騒ぐ二人に盗賊達は激怒した。相手は丸腰の配達員で、此方は刃物を持っている。

 この状況において有利なのは此方である。

 それなのに目の前の二人は自分達そっちのけでくだらない事で言い争っているのだ。侮辱されているも同然。

 ついにキレた子分の一人が刃物を振り翳して配達員を襲った。


 狙うは顔の良い男だ。


 まずはその顔をズタズタに引き裂いて街中に放り出すのだ。その甘いマスクで良い思いをしてきたのだろうが、血塗れの裂けた顔を見れば女共は悲鳴をあげ、その醜さに顔を顰めるだろう。


 ざまぁみやがれ! オレ達の邪魔をするからだ!


 避ける気配はない。あと寸でで切っ先が突き刺さるという間際だった。

 「……!?」

 力を入れても刃物が動かない。腕を引こうにも身体が動かない。

 

 後少しで男の顔に刃が届くのに、何故だ。

 何故、男は笑っているんだ。

 

 「獣の方がまだ賢いな」

 ミハイルは酷薄な笑みを浮かべて、自身の魔力を男の持つ刃に集めた。

 密集した魔力は互いにぶつかり合い熱が生まれる。やがてその熱は刃の中に留まる事が出来ず、鉄を溶かして内側から爆発した。

 「アッ、アチィッ!!」

 溶けた鉄が男の顔にかかり、嫌な匂いと音を発する。

 男は顔の焼け爛れる熱さと痛み、そしてそんな自分を見て顔色一つ変えない目の前の配達員に恐怖した。

 痛みと恐怖から逃れたくて、男は悲鳴を上げながら転がるように逃げていく。

 その様子を見ていたもう一人の男も恐怖に震えて逃げようとしたが、彼の親分でもある男に叱られて踏み留まった。

 「テメェ、よくも俺の子分をやってくれたな! テメェだけは楽に死なせてやらねぇ! 嬲り殺してやる!」

 そう叫んで刃物を腰の位置に固定するとミハイルに突っ込んでいく。

 しかし、男の視界の端に紺の服がチラリと見えた。それに気を取られて、一瞬、動きが鈍ってしまった。

 それがいけなかった。

 気付いた時には既に男の横にもう一人の配達員が木の棒を持って迫ってきていた。

 口元を布で隠した不審者のような配達員、ユリウスである。

 ユリウスは上半身を低くした状態で素早く男に近付き、男の脇腹目掛けて棒を突っ込んだ。しかし、当たる寸前で躱されてしまう。

 ユリウスは、ならばと棒をそのまま男に向けて、横に一閃した。

 初手を躱して油断していた男は大きく振られたそれに反応する事が出来なかった。

 今度こそ、ユリウスの持つ棒に鈍い感触が伝わる。そのまま棒が折れんばかりに力を込めて薙ぎ払った。

 男は内臓を圧迫され、息を詰まらせながら地面へと放り出された。全身を再び打ちつけ、視界が一瞬白く染まる。側頭部だけでなく今度は腹までも痛く、男は何が何だか混乱していた。


 相手はただの配達員じゃないのか。

 何故、自分がこんな目に遭わなければならないのか。


 しかし、そんな事を考える暇は男に与えられなかった。冷たい感触が男の首筋を撫でる。

 その輝きと硬質は男のよく知っている物だった。

 「首を斬られたくなければ二度と人を襲うんじゃねぇ」

 殴られた時に落としてしまった刃物をユリウスが拾ったのだ。

 「アニキッ! テメェ!!」

 子分が助けようと走ってくる。

 「ダメだ! 来るな!」

 男が止めようとするが既に遅く。ユリウスは掴もうとしてきた子分の手を躱して、屈めていた上半身を思い切り伸ばした。

 そのままユリウスと子分の顔が近付く。

 後少しで触れそうと子分が場違いな事を考えた時、子分の鳩尾に強烈な痛みが襲った。息の詰まる感覚と霞む視界の中で見えたユリウスの腕に、自分が腹を殴られたのだと理解した。

 理解はしたがどうする事も出来ない。

 子分は意識の遠退きに抗えず、そのまま気を失ってしまった。

 残るは親玉一人である。

 ユリウスはヤンキー宜しく男の前に座ると刃物をくるくる回しながら子分を指して言った。

 「さっさと仲間回収して失せろ。じゃねぇと……」

 男の顔のすぐ横にきらりとした物が掠っていく。男は唇を震わせてユリウスを見た。

 「今度こそ斬っちまうかもなぁ?」

 男は呼吸もままならない状態で、這うように子分の元へ行くと、襟を引っ掴んで引き摺りながら逃げて行った。

 呆気ない終わりにユリウスが若干不満そうにしていると、ミハイルが横に並んで一緒に逃げていく男達の背中を見送った。

 「今の台詞は完全に賊側の言葉だったよ。野蛮すぎるでしょ」

 「いや、俺よりも溶かした鉄ぶっかけたお前の方が野蛮だと思うぜ。彼奴等は自分より弱い奴を襲う小心者だ。小刀の扱いにも慣れてないようだったし、脅せば少しは大人しくなるだろ」

 「ユリウスは温いね。変に恩情をかけると付け上がって今度はもっとタチの悪い悪戯をする。これは躾だよ」

 「……俺、たまにお前のこと怖いと思うわ」

 「元魔王だからね」

 「魔王じゃなくても怖いわ」

 ユリウスとミハイルがひと段落していると馬車の方からコンラートの祈りの声が聞こえてきた。

 見るとあの古ぼけた本を片手に怪我をした老人に祈りの言葉を捧げている。

 本はコンラートの祈りに反応して淡い金色の光を発している。すると、老人の怪我していた腕は徐々に傷口が塞がっていく。

 「あれが聖職者の持つ光魔法か」

 「ああ。癒しの魔法、神の与えた特別な力……なんて色々言われているけど、要は肉体の成長を早めて傷を塞いでいるだけだ。だから受けたダメージによっては後遺症も残るし、病を取り除くことは出来ない」

 「なるほど。傷部分の細胞分裂を高速でおこなってるってことか……細胞分裂なんて久々に言ったぞ、俺」

 そんな事を言っている間に治療の終わった老人と少女がコンラートに礼を言い、ユリウス達の前へやってきた。

 「あ、あの、助けていただきありがとうございました!」

 「ああ。気にしないで、当然の事だから」

 「そ、そそそうだぜ。べ、別に下心があってやった訳じゃな、なないんだからな!」

 少女を前にしてユリウスの様子が一変した。

 あれ程、堂々としていた男が年端もいかない少女相手に吃っている。心なしか目も泳いでいるように見えるではないか。

 あまりの変わりようにコンラートはミハイルを見た。

 あれはどういうことだと、コンラートの視線がユリウスとミハイルの間を交互に移動する。

 ミハイルはコンラートに静かに近付くと、当人に気付かれないように耳打ちした。

 「ユリウスは色々と拗らせていてね。異性に対してポンコツになるんだ。そっと見守ってあげてくれないか」

 気の毒そうなミハイルの表情から何かを察したコンラートは残念そうな生温い視線をユリウスに向けた。

 同性二人から憐れみの視線を貰う当のユリウスは気付かず、少女に迫られていた。

 「盗賊相手に恐れずに立ち向かう姿、とても勇ましく、格好良かったです! 是非、私の家へ泊まって行ってください! 助けてくれたお礼をしたいのです!」

 「とまっ、泊まりっ? もももちろん!」

 「駄目だよ、ユリウス。僕達は今仕事中だろう」

 異性相手だと簡単に頷く同僚にミハイルは頭を抱えた。


 配達ギルドには掟で基本的に宿や民家を借りての宿泊を禁止されている。

 それは配達物の盗難や配達員しか知らない情報を盗まれる可能性があるからだ。

 故に配達員は基本は野宿という過酷な労働なのだが、ポンコツになってしまったユリウスはそんな事も忘れて早々に掟を破ろうとしている。

 一方、少女はそんな配達員の掟を知らないので、尚も言い募った。

 「せめて夕食だけでも。街に行くには私の村を通らないと行けませんし、村から街までは半日以上かかります……やはり、私の家に泊まっていきませんか?」

 頷きそうになるユリウスの頭を押さえて、ミハイルは断りを入れようとした。しかし、そこに新たな刺客が出てきた。

 「一泊ぐらいなら許されるのではないでしょうか」

 「コンラート……君ねぇ」

 一番、人目についてはいけない人物が泊まりたいと駄々を捏ねてきたのだった。

 コンラートも己の立場をわかってはいるが、野宿の辛さもわかってしまった以上、ベッドでの睡眠を酷く渇望していた。

 ちょっとだけ、ちょっとだけだからと、何がちょっとなのかわかないがコンラートは少女と老人について行こうと訴えた。

 ユリウスは未だポンコツを発揮して使い物にならない。

 結局折れてしまったミハイルは幾つかの条件を出して少女のもてなしを受ける事にした。

 きっとアルマに知られたら烈火の如く怒るだろう。もしバレたら荷物が今まで例に無い故に特例という事にして、何とか怒られないよう交渉しようとミハイルは決めた。

 それでも駄目ならポンコツ同僚を差し出すまでである。


 馬車は壊れ、馬も逃げてしまったが、現在地から少女の村までは徒歩で行ける距離で、ユリウス達は互いに軽く自己紹介をした後、少女の村の事を聞きながら歩いた。

 因みにコンラートの事はどの教会にも属さぬ流浪の聖職者という事になった。怪しさ満点だが少女も老人も疑う事はしなかった。


 少女、アシュリーは嬉しそうに語った。


 「私は村長の娘なのですが、一度も村から出たことがなくて。親戚に会う為に爺やに連れられて、一昨日が初めての外出で、今日村に帰る予定だったのです。街というのはあんなにも人が多くキラキラしているのですね。配達をしていると色んな街に行くのでしょう? 是非、私に皆さんの見てきた街の様子を教えてくれませんか?」

 純粋無垢な瞳がユリウスには眩しく見える。

 「ああ、いいぜ。何でも訊いてくれ」

 そんな事を話していると柵とその奥にぽつぽつと家が建っている景色が見えてきた。

 アシュリーの村だ。

 「さぁさ、どうぞ。何もない村ですが、皆、優しく、穏やかなところです」

 アシュリーを先頭にゾロゾロと一行が続いて行く。農作業をしている男性を見ながら、ユリウスはふと違和感を感じた。

 村というのだから人口が少ないのはわかる。しかし、あまりにも少なすぎではないだろうか。

 ユリウスはそっと視線だけを動かして辺りを見渡した。


 そうだ。

 家の数に対して見かける人数が少ないんだ。

 今は季節が穏やかな春先、今時期であれば種蒔きや狩り等で若い衆が外に出て作業をする筈だ。


 ユリウスが訝しんでいると、ふと村の隅の木陰の地面に小さな山が幾つも出来ている事に気が付いた。よく見ればその山の真ん中に棒が突き刺さっている。


 ……あれは墓標だ。


 山だと思っていたそれは墓だった。

 あそこはこの村の墓地なのだ。

 それにしてもと、ユリウスは埋められた土を見た。盛られた土は明らかに周りの土と色が違い、最近誰かが亡くなったのだとわかる。

 しかしそれは一つだけではない。見える範囲だけでも十はいくだろうか。

 異様な数にユリウスは思わず立ち止まってしまった。

 アシュリーはついて来ないユリウスに気付いて、彼の視線を追い、納得した様子で墓地を眺めた。

 「数年ほど前、病が流行り村の半数近くが亡くなりました。今は治療薬が行き渡り、病が流行ることは無くなったのですが、今度は魔物が現れて狩りに出ていた男衆が何人も殺されてしまいました……ああ、安心してください! 夜は常に火を焚いて、魔物が簡単に村に入って来られないようにしていますので!」

 アシュリーはにっこりと笑ってみせた。魔物の被害が出ているのに国が動かないのは恐らくアシュリーの村が都市部からかなり離れ、おまけに流行り病で人口が減ってしまったからだろう。

 ユリウスは似たような状況である自身の村を思い出していた。


 ユリウスの出身地、ルルエラの村は常に貧しくて領主も国王も手を差し伸べてはくれなかった。

 村の問題は全て村人達で。

 それは国に属していながらも認知されないという事。


 国はこの村を見捨てたんだ。俺の村と同じように。


 ユリウスの墓地を見詰める瞳には憐れみの色が浮かんだ。

 一方、同じように墓地を見ていたコンラートは胸に手を当て、一歩前に出た。

 「よろしければ、彼等に祈りを捧げても?」

 「ええ、是非。きっと皆も喜びます」

 コンラートとアシュリー、老人は墓地の前まで行く。コンラートが膝をつき、古びた本を開いて祈りを捧げ始めた。

 アシュリーと老人も同じようにコンラートの後ろで膝をついて、死んでいった村人達が安らかに眠れるよう祈りを捧げた。

 神などいないと自論するユリウスは神に祈りこそ捧げないが、死者を悼む気持ちは同じ故に苦しんだ彼等が穏やかであるよう願った。隣ではミハイルも黙祷を捧げている。

 暫くすると祈りが終わったのか、コンラートは懐から小瓶を出して中の液体を地面へと撒いた。

 「清めの水です。これで彼等も安らかに眠ることが出来るでしょう」

 「ありがとうございます」

 アシュリーと老人は深々と頭を下げた。そうして、ユリウス達は村の中心部にあるアシュリーの家へと着いた。

 村長の家という事もあり、他と比べてもしっかりとした造りである。

 老人が扉を開け、恭しく頭を垂れた。

 「ようこそ、私の家へ! 長時間歩いて疲れましたでしょう? ゆっくりしていってください」

 振り返ったアシュリーは満面の笑みでそう言うと中へ入るよう促した。家の中は物が幾つかあるが比較的綺麗に整えられている。

 老人、アシュリーの家に仕えるバドラに促されるまま、ユリウス達は客室へと通った。

 その間にアシュリーが客人をもてなす為、手ずから茶を淹れる。ふわりと香る良い匂いが漂ってくる。

 そこへ、大勢の気配と帰ってきた娘の声を聞いて、アシュリーの両親は慌てて飛び込んできた。

 「アシュリー! 帰ってきたの!?」

 「あ、お母さん、お父さん、ただいま」

 娘の無事の姿を確認した両親は見慣れない客人に気が付いて一瞬時が止まった。しかしそこは村を纏める頭である。すぐに気を取り直して、アシュリーとバドラから事情を聞くのであった。


 事の顛末を聞いた両親は深々と頭を下げ、二人の無事に感謝した。そして娘と同じように今宵は泊まり、ゆっくりしていってくれと言った。

 そうして三人が暫くのんびりとしていると遅めの昼食兼夕食が運ばれてきた。

 家で飼っている鳥の丸焼きに野菜たっぷりのスープ、少々固いがこんがりと焼き色の入ったパン。

 村の状況から見ても相当無理をしての豪華な食事だった。それだけ今回の事を感謝しているのだろう。

 料理を作ったアシュリーと母親は是非にと食事を勧めた。

 しかし、ミハイルからの条件のうちの一つでユリウスとミハイルは食事は一切摂らなかった。先程の茶も貰いはしたが口はつけていない。

 アシュリーも承知しているが、やはり恩人の彼等に出さないという事はしたく無かった。

 料理もまた同じ理由で多めに作ったが、ミハイルは気持ちだけでと笑顔で断った。ユリウスは自分の為に少女と美人の母親が作ってくれた事に感動して言葉を無くしていた。

 食べる訳ではないが、勿体無いと鳥の丸焼きを隈無く眺めては脳内に記憶するという気持ち悪さを発揮していた。やはり女性が関わるとポンコツになる男である。

 両親もミハイルの出した条件を娘から聞いていたので特に何も言わなかった。バドラが控える中、親子三人とコンラートが食事を摂る。

 わかってはいるが、自分達だけ食べるのは居心地が悪いと感じたアシュリーはそうだと、近頃聞いた噂を口にした。

 「そう言えば、ここから北の村に生きる屍が出たという噂があるんですよ」

 生きる屍といえば酒場で出会ったマルコも噂でだが出たと言っていたのをユリウスは思い出した。

 「北の村は離れているので真偽の程は定かではなんですが……生きる屍といえば、埋葬した死体が意思なく動き出して生者を襲うんですよね? 普通に殺しても死ななくて、聖職者に浄化してもらうか、頭を潰さないとずっと襲ってくるという」

 アシュリーの確認にミハイルは頷いた。

 「そうだね。陽の光に当たっても浄化されることはない。厄介な部類ではあるね」

 「魔物の被害も出ていますし、これからどうなってしまうのかしら」

 「そうだな……」

 村に実害が出ているアシュリーの両親は不安で表情を曇らせていた。

 「使者様、どうか神の導きを」

 あまりの不安にアシュリーの母親がコンラートに救いを求める。コンラートは食べていた手を止め、簡易であるが祈りの姿勢をとった。

 「神は常に我々を見て、救いの手を差し伸べています。恐れる必要は無いのです」

 神を信じぬユリウス達にとっては薄っぺらい言葉でも、目の前の夫婦には安堵するに値する言葉であった。


 食事も終わり、お休みと少女と別れたその晩、外の騒めきと女性の悲鳴が響き渡った。就寝前であった三人は慌てて飛び出した。


 外が先程から騒がしい。


 妙な胸騒ぎに、ユリウスは家の外へと出て、その光景に絶句した。

 眼球の無い、身体の腐敗した屍が不気味な声を出しながら村人達を襲っているではないか。

 村人は恐怖に引き攣り、碌な抵抗も出来ないまま噛み付かれ、生きたまま肉を喰われていた。

 「何だこれ……どういうことだ」

 状況整理が追い付かないユリウスにミハイルは険しい表情で「生きる屍だ」と呟いた。

 「騎士団を待っていては遅すぎる。ここは一気に跡形も無く燃やしてしまおう」

 「私も手伝います。浄化なら出来ますので!」

 コンラートは本を開いて祈りの言葉を捧げていく。ミハイルが魔力を集めて焔の塊を集めていた時だ。

 「待ってください! 彼等はこの村の人達です! 死者と言えど皆大事な家族だったのです! 何も残らず燃やすなんて……」

 寝巻き姿のアシュリーが待ったをかけようとミハイルに近寄るが背後から現れた屍に顔を覆われてしまう。

 襲ってくる屍と対峙していたユリウスが気付いた時にはアシュリーの身体は幾つもの屍に覆われていた。

 「アシュリー!」

 ユリウスの叫びでミハイルもまたアシュリーの存在に気付いた。

 死臭漂う集団の中から、細く幼い腕が見える。ミハイルが急いで屍を燃やしたが、可愛かったアシュリーの姿は無惨にも喰い漁られていた。


 何故、優しく清らかな少女が見るに耐えない姿で死ななければならないのか。


 カッと全身が熱くなったユリウスは、懐から出した鎖のついた鉄の錘を投げて、片っ端から屍の頭を潰していった。

 しかしそれでも屍は減らない。

 遂にはアシュリーの両親までも襲われてしまった。視界の端に映る惨劇にミハイルは似た様な光景を思い出していた。


 暗闇の燃え盛る焔の中、血肉を踏む音、助けを乞う悲鳴、腐敗した嫌な臭い、母を呼ぶ子の声、頬を撫でる生温い風。


 嗤いながら同胞を殺した憎い瞳。


 ミハイルには全てが鬱陶しく、全てが受け入れ難かった。

 「このままでは本当に全滅だ! ユリウス、村人の避難を!」

 瞠目したミハイルは指示を飛ばす。

 「わかってる! コンラートも手伝え!」

 ユリウスは屍の腕を躱しながら心得た様子で散り散りになる村人を上手く誘導した。コンラートも泣き噦る幼子の手を引いて、途中、腰の抜けた少年を見つけて抱えながら村の隅へと避難した。

 その間にミハイルは詠唱を呟いていた。

 言葉が紡がれる度、ふわりふわりと彼の髪やケープが風に揺れる。村人の避難が完了すると同時にミハイルの詠唱も終わる。すると一気に空気の温度が高くなり熱を感じた。

 瞬間、頭上から数多の焔の塊が降り注ぎ、屍達を押し潰していく。視界が緋色に包まれる中、焔は屍達が燃えて無くなるまで降り注いだ。

 「すげー……」

 あまりの光景にそれを見ていた少年は口をあんぐりと開けた。コンラートはそうだねと子供に同意して、その光景を無表情で眺めていた。

 尋常じゃない魔力量もそうだが、これ程の魔法を扱える者はこの世界にはいない。

 もし出来たのならばそれは人ならざる者である。


 それこそ、魔王のような……。


 馬鹿な事とコンラートは緩く首を振ると、少年の手を引いた。生きる屍は塵も残らず燃えて無くなった。

 脅威は去ったのだ。


 生き残った村人達は僅かだった。十人も満たない数だ。

 村長であったアシュリーの両親も亡くなり、残された彼等は途方に暮れた。

 そんな彼等にコンラートは神を信じなさいと教えを説く。その様を見詰めながらユリウスは未だに少女を救えなかった自分に腹を立てていた。ミハイルも同様に己の無力さを感じながら、それでも別の事を考えていた。

 思い返されるのはこの村で眠っていた死者達、生きる屍の事だった。

 「とりあえず、ワシ等は街に行って騎士団に保護を求めようと思う」

 その言葉にユリウスもミハイルも我に返る。村人達はどうやら国に助けを求めるようだ。

 その判断にユリウスは内心、否定した。


 既に村に見切りをつけている国が今更その村人を保護するなんて事、有り得ない。斬り捨てられるか、無償労働という名の奴隷或いは娼館送りか。

 何方にせよ、彼等に明るい未来は無い。


 助けようにも国が絡むのであれば中立の立場でいなくてはならない故、ユリウスは何も出来なかった。

 ならばせめてと、ユリウスは離れる前に彼等に伝えた。

 「街へ行く前に『ササヤの木の枝』を希え。運が良ければ縁が繋がれ自然と導いてアンタ達を助けてくれる」

 ポカンとする村人達を放って、ユリウスはコンラートを連れて先を急いだ。後ろからミハイルがついてくる。

 聞き慣れない単語にコンラートは首を傾げた。

 「ササヤの木の枝、とは何ですか?」

 その問いにユリウスは悪戯っぽく笑った。

 「秘密」

 後ろのミハイルを見ると知っていそうだが、教えてくれそうにはない。

 仕方なくコンラートは前を見据えて歩いたのだった。


 その後、誰ともすれ違う事なく歩き続けて、時には森の中、時には湿地、時には山賊の寝ぐらの横を通り、数日かけて大陸の端である港へと来ていた。

 この頃になれば野宿があれ程嫌だったコンラートも慣れた様子で手伝ってくれる。

 逞しくなったものだとユリウスが密かに感動していると、煌めく波を見ながらコンラートが尋ねた。

 「ここからはどうやって行くのですか?」

 「ん? 船だけど?」

 「しかし、フェルカイルの海は波が高く、嵐もよく発生して船が壊されてしまうと聞きます」

 その言葉にユリウスはちっちっちと舌を鳴らして不敵な笑みを浮かべた。

 「その心配は無用! 今からここのもんに安全な航路を聞いてくるから!」

 コンラートは益々首を傾げた。

 「安全な航路など知っている人がいるのですか? それなら誰かしらフェルカイルに渡っていても可笑しくないのですが」

 魔王の統べる地、フェルカイルはかつての勇者が渡って以降、その地を踏んだ者はいないとされる。幾度となく冒険者や国の調査団が渡航しようとしたが、どのルートでも全て嵐に巻き込まれて転覆したのだ。

 それをユリウスは安全な航路を聞いてくるとあっさりと言った。

 そんな馬鹿なとコンラートが思う中、ユリウスは停めてある船の近くに寄って、海に向かって口笛を吹いた。

 普通の口笛とは違う、高音の中に雑音が混じる様な不思議な音が長く、時に短くテンポ良く鳴る。

 口笛が止み、暫く見守っていると波が不自然に揺らぎ、それは徐々にユリウスの方へと近寄ってきた。

 キューイ!

 高い鳴き声と共に姿を表したのはつるりとした体躯の生き物だった。

 「あれは……魔物!?」

 見た事のない生物にコンラートが驚く。隣で見ていたミハイルはすぐに否定した。

 「いいえ、あれは『海を知るもの』の縁者。港に住む者なら誰でも知っています。ユリウスは確か『イルカ』とか言っていましたが」

 「いるか……」

 見た事のない生物にコンラートは呆然と見詰める。

 複数いるようで、海から顔を出したイルカ達はつるんとした頭を人間と同じようにうんうんと上下に振って、何やら鳴いている。

 僅かに空いた口からは小さな歯が幾つも見えて恐ろしくも感じるが、その円らな黒い瞳は何とも言えない愛くるしさがあった。

 暫くイルカ達相手に鳴いて返事をしていたユリウスは去っていく彼等に別れを告げてコンラート達の元へ戻ってきた。

 「わかったぜ、航路。後でミハイルに教えるから運転よろしく!」

 「わかった」

 「え、今のがもしや安全な航路を知るものですか!?」

 「そうだけど?」

 「え……その、え? ユリウスはさっきの動物の鳴き声が何と言っているのか、わかっているのですか?」

 「わかるぜ。ま、全部の動物じゃないけどな」

 動物が何と言って鳴いているのか、わかる人なんてこの世にはいない。勿論、コンラートもわからない。しかし、ユリウスはしれっと言うではないか。

 未だ信じられないコンラートにミハイルは説明してあげた。

 「ユリウスには特定の動物の鳴き声が何と言ってるかわかる能力があるんだよ。同じように鳴いて会話することも出来る。言っておくけど、これはユリウス個人の能力で、配達員だから出来るとかじゃないからね」

 「そのような能力が……」

 「小さい頃から山行って動物相手に遊んでたから何となく何言ってるかわかるだけだって。俺が特別なんじゃなくて、皆も動物と触れ合えば何言ってるかわかるようになるさ。普通だよ」

 「いや、それが出来ないから特別なんだって、何度言えばわかるんだ。まあ、いい。既に必要な物は揃ってるんだ。船に乗って行こう」

 ミハイルがさっさと乗り込み碇を上げる。乗り遅れまいと慌ててコンラートが乗り込み、ユリウスも飛び込んだ。

 三人しか居ないが嵐や高波の事を考えて、船はやや大きめの物をギルド御用達の店から調達した。大きめと言っても小型船より一回り大きいぐらいだ。それでも丈夫な物を選んだつもりである。

 船の運転が出来るミハイルに舵を任せ、ユリウスはイルカ達から聞いた道を隣で教えていた。

 波に揺られ、潮風を全身に受けて、コンラートはいよいよ目的地、フェルカイルに向かうのだと実感した。

 予想ではもっと日数がかかると思っていたが、存外早かった。

 これも秘密の道を知る配達員のおかげだ。

 煌めく波を眺めて、コンラートはふと笑みを溢した。


 ああ、早く着けばいいのに。


◆ ◇ ◆


 イルカに教えてもらった道は波が穏やかで、終始天気も良かった。到達不可と言われ続けた海が嘘みたいだ。

 大陸の影は既に視界に捉えていて、もう少し進めば全土を見渡せるだろう。

 舵もこのままで問題ないと判断したミハイルは休憩がてらコンラートに話しかけた。

 「ねぇ、コンラート。君は今騒がれている魔物についてどう思っているんだい?」

 何とも漠然とした質問だがコンラートは淀みなく答えた。

 「今の魔物は、かつて殺された魔物の魂が荒ぶり、魔力を伴い肉体を得たものです。彼等は憎しみに囚われた憐れな魂……二度とこのような哀しみの連鎖が生まれぬよう、その魂を救い、安寧を与えるべき存在です」

 その答えにミハイルは鼻で笑った。

 「それは教会側の答えだろう? 君自身の答えはどうなんだい?」

 個人の答えと言われ、コンラートは思わず言葉を詰まらせた。

 その様子を見てミハイルは冷ややかな笑みを浮かべた。

 不穏な空気を感じ取ったユリウスが道具の手入れを止め、二人の様子を伺う。

 未だ答えないコンラートに、ミハイルは正解を教えてあげた。

 「今騒がれている魔物はね、魔物じゃないよ」

 「な……」

 「かつて勇者は魔王のいる地に降り立った時、そこにいた全ての魔物も魔族も全てを根絶やしにしたのさ。君達の恐れる魔を持つ者はもうこの世にはいない。死に損なった魔王を除いて」

 「おいおい、ミハイル。またいつもの冗談かよ」

 魔王という言葉にユリウスは溜息を吐く。しかし、ユリウスを捉えるミハイルの瞳は真剣そのものだった。

 冗談ではない空気にコンラートはじっとりと汗をかいた。

 「それならば、今の魔物はなんだと言うのです」

 逆にコンラートから問えば、ミハイルは淀みなく答えた。

 「元はただの動物だ。対象となる動物の身体に魔力を過剰に注入して身体を巨大化させ、暴走させている。それを魔物の知識のない人間が勘違いしたんだ。本来の魔物はもっと見た目が派手で理性があり、知能も人並みに高い」

 「魔物の知識など、何を根拠に……」

 「魔物の特徴は王都の図書館で閲覧可能だよ。平民であれば利用することがないから知らなくて当然だけど、国に仕える者なら知って当然の知識だよね。君は教会関係者で大司教という立場であるにも関わらず、森で暴走した動物に襲われた時、魔物だと言った。各地で暴れている動物を魔物ではないと否定しなかった。それは何故だい? 本当に知らなかったのならただの馬鹿。わざとであるなら魔王復活などと騒ぎ立て、世界中を巻き込んで皆を不安に陥れた罪深い行いだ」

 静かに、だが捲し立てるように話すミハイルに、コンラートは俯き、首を振った。

 「……確かに魔物の特徴を知らなかったのは我々の落ち度です。しかし、生きる屍は魔王が関わっているはずです! あんな死者を冒涜するような術は人間には出来ませんし、生命は世界の理に触れる。仮に生身の人間が死者復活なんてさせたら術者は罰を受けることになります。そんな禁忌に触れることが出来るのは魔王ぐらいしかいません」

 コンラートは握る拳を震わせて言った。

 既に大陸は見え、その土色が波に削られながらも広がっている。

 ミハイルは待ち受ける大陸を一瞥するとすぐに視線を戻した。

 「その考えはない」

 ミハイルは一蹴した。

 「術者が限定されるが、死者復活の魔法は人間でも出来る。君の言う通り生命に関することだから理に触れる為、完全なる復活ではないが、肉体或いは骨でも残っていれば光魔法の上位である治癒魔法で生き返らすことが出来る。ただし、知性や理性はない。故に生きる屍となる。死者への冒涜、理に反するから禁忌とされるその魔法は教会地下の奥に幾重にも封をかけて管理していると聞くが……大司教である君ならば閲覧は可能だろう?」

 コンラートはミハイルを睨み付けた。

 「何が言いたいんです」

 「村で起こった生きる屍の襲撃は、君が仕組んだものだろう。あの魔法は派手ではないから周りに人が居ても気付かれ難い。墓の前で祈りを捧げた時に魔法を時間差で発動するようにしたんだろう」

 船が一際大きく揺れる。

 どうやら目的の地、フェルカイルに着いたようだ。

 ユリウスは慌てて碇を下ろした。ここまでの距離なら陸に着いていなくとも飛んで降りる事が可能だ。

 ミハイルはさっさと船から降りる。コンラートとユリウスもまた同じように船から飛び降りた。


 乾いた地面に着地すれば砂埃が舞い上がる。

 そこは草木一つ無い、乾いた大地が広がるだけの何も無い場所だった。


 ユリウスが辺りを眺め回す中、コンラートは怒りで肩を震わせていた。

 「私が死者復活の魔法を使い、村を襲わせたと? 人を助け、神の言葉を届け、導く私が、神に背く行為をしたと? それは侮辱だ。もし私がやっていないと証明されたら神の審判のもと、貴方に裁きを下します!」

 コンラートは幼い顔立ちからは想像出来ない程、鋭い眼光でミハイルを見た。

 「そもそも禁忌故、秘匿される魔法を何故お前が知っているんだ。何者だ!」

 コンラートが叫ぶ中、ミハイルは呑気に強張った身体を伸ばした。

 「僕は魔王。かつて勇者と名乗る殺戮者に殺されかけ、死に損なった魔族の王だよ」

 ミハイルが自分の事を元魔王と言って冗談を言う事はあったが、この張り詰めた空気の中それを言うと洒落にならない。

 ユリウスは怒るコンラートを見て、ミハイルに慌てて言った。

 「ミハイル、冗談は今はいいから。ほら、お前の冗談でコンラートがめっちゃ怒ってんじゃん。俺も一緒に謝ってやるから、ほら、謝ろ?」

 そろっとミハイルの側に寄った時である。風とは違う空気の蠢きを感じ取ったユリウスは足を止めた。

 何かが渦を巻いて集まっていく。

 その蠢く中心を見れば、不自然な風に髪や服を靡かせながらミハイルが真っ直ぐユリウスを見ていた。

 「ミハイル……?」

 思わず名を呼べばミハイルは静かに瞼を閉じた。すると、柔らかな金髪の中から二本の太い角が生えて、押し出された帽子が地面に落ちる。

 「!?」

 ユリウスとコンラートが目を剥く中、今度は背中から黒い大きな翼が生えてバッサバッサと風を巻き起こした。

 唖然とするユリウスを他所に、コンラートは肌を刺す闇の魔力を感じて眉間に皺を寄せた。

 「魔王……」

 その呟きはミハイルにも届き、彼はコンラートを見下ろした。

 「そうだ。僕は魔王」

 「冗談じゃなかったのかよ」

 ユリウスは知らず知らずのうちに溜め込んでいた唾を飲み込んだ。嚥下する音と自分の鼓動がやけに耳に残る。

 ユリウスが逸る心臓を宥めている中、コンラートが静かに言った。

 「可笑しいと思っていたのです。無詠唱でありながら特級の魔法を難なく使用し、村では焔の星を幾つも落とした。あれほどの魔法、人の身では不可能だ。もしや、この旅で私について来て、フェルカイルに帰還し、魔素を取り込み、魔王として復活を狙っていたのか」

 その言葉にミハイルは嘲笑う。

 「旅ね……元々この配達は教会からの依頼で、配達員の人選はギルド長が独断で行ったもの。仮に復活が目的だったとして、僕は今回じゃなくてもいつでも来られたよ。勘違いも甚だしい」

 ミハイルの言う通り、彼がその気になれば安全な航路を知るユリウスに頼んでいつでもフェルカイルに来る事が出来たのだ。

 しかし、コンラートは聞く耳を持たず、否定した。

 ユリウスもまた困惑と不安の色を滲ませてミハイルを見た。そろりとユリウスの身体はコンラートの方へと避難していく。

 その姿を見てミハイルは眉を下げ、目を伏せた。

 「……僕はもう魔王の座に戻るつもりはない。過去の悲劇を繰り返す訳にはいかないんだ」

 「嘘です! 魔族はかつて我々人間と殺し合い、多くの同胞を殺した憎き敵! その王が復活しようと言うのです! ユリウス、今ここで彼を殺せば誰も死なずにすむ! やりましょう!」

 「え……あ……」

 ユリウスの返事も聞かずにコンラートは懐から古びた本を取り出すと神への祈りを捧げた。淡い輝きを放ちながら本を起点に魔法が展開され、コンラートの足元から光の鎖が幾つも飛び出る。

 それらは一直線に伸びてミハイルを捕まえようとしたが、ミハイルが腕を一振りするだけで光は霧散した。

 魔素のうねりがコンラートを襲う。

 魔力とは違い人体にとって悪影響の魔素は一浴びするだけでも身体の至る所が痛み、力を奪った。

 「くっ……!」

 片膝をついたコンラートを見て、ユリウスは慌てて声を上げた。

 「ミハイル! もうやめてくれ!」

 一瞬の視線の交差の後、ミハイルは無言のまま再び腕をコンラートに向けて振るう。苦しむコンラートは息も絶え絶えにユリウスに頼んだ。

 「魔王を封印する、特級の魔法を放つ! それまでの時間稼ぎを頼みます!」

 「わ、わかった……!」

 返事をしたものの、ユリウスはミハイルを殺す気も封印させる気も無かった。


 願うは今まで通りの平穏。

 互いに軽口を言いながら、色んな国へ行き、荷を届ける。そうして業務が終われば馴染みの酒場で一杯引っ掛けてほろ酔い気分で互いの肩を叩き合う日常。


 ミハイルが魔王の姿になっても、コンラートに危害を加えていても、ユリウスにはミハイルをどうこうしようとは思えなかった。

 ただ、せめて話し合いが出来るのであればと、ユリウスはコンラートの前に出てミハイルと対峙した。

 「ミハイル、もう一度言う。やめるんだ、今ならまだ間に合う」

 「間に合う? 後ろで僕を封印しようとしているのに?」

 「それはっ」

 ユリウスが言葉を詰まらせた時だった。ミハイルがコンラートにしたように、ユリウスに向けて魔素の塊をぶつける。

 「…………?」

 しかし、ユリウスには蠢く空気を感じるだけでコンラートのように苦しむ事も痛がる事もなかった。その様子を見てミハイルはしまったと思い出した。

 「そうか、ユリウス……君は魔力が無いから、魔素の影響を受けないのか……!」

 盲点だったと驚くミハイルに、ユリウスは生まれてからずっと気にしていた事を言われて顳顬《こめかみ》に血管を浮かせた。


 魔力が無いから。

 能無し。

 穀潰し。

 出ていけ。

 役立たず。

 水も出せないなんて、かわいそー……あははっ出来損ないはさっさと死ねって父ちゃんが言ってたよ!


 ユリウスの脳内で言葉が次から次へと再生される。それはまるで呪詛のように見えない鎖となってユリウスを縛り付ける。

 しかし、ユリウスは歯を食いしばると、伏せていた顔を上げて、キッとミハイルを睨み付けた。

 「手から水も出せない魔力無しの能無し野郎で悪かったな!」

 「いや、誰もそこまで言ってないし……」

 「俺だって異世界転生してこれから魔法バンバン打ってやるぜって楽しみにしてたのに! チヨ婆にお前は魔力無しだって言われた時の俺の絶望がわかるか!? 魔力無しだから村の奴等に散々馬鹿にされるし……こちとら魔力が無くたって戦えるように鍛えてんだぞ!」

 ユリウスには地雷だったようだ。

 彼は鞄の留め具を外し、そのまま鞄を地面に落とす。それを合図に走り出した。

 向かうはミハイルの懐である。

 ミハイルが咄嗟に腕を下から上へ振り上げて魔素の壁を作り出す。空気が纏わり付く感覚に多少の動きが鈍るも、魔素の影響を受けないユリウスには無意味な事だった。

 「……ッ!」

 一気に間合いを詰められたミハイルは後ろに下がりユリウスの手から逃れる。ミハイルの襟を掴み損ねたユリウスは一歩前に出た足を軸に振り被った腕を遠心力に変えて回し蹴りを繰り出した。

 空を切る音と共にミハイルの鼻先をユリウスの爪先が掠めていく。

 しかし、元から当たるとは思っていなかったユリウスは蹴りを繰り出すタイミングで既に次の手を打っていた。

 ほんの一瞬、ミハイルの視界から自分の懐が隠れる隙をついて、中に仕込んだ煙玉を地面に投げつけ破裂させる。

 瞬時に広がる煙に視界を奪われる中、ミハイルは空気の流れを感じてそこに腕を出した。

 パシッと掌にぶつかる感触がして受け止める。ユリウスの拳だ。

 衝撃は大した事なかったが、ミハイルは受け止めた指の先が痺れる感覚に相当な威力で放たれたのだと理解した。これが急所に当たっていればただでは済まされないだろう。

 動きを封じる為に握った拳は離さずに、ミハイルは戦いたくないと声を張り上げた。

 「ユリウス、やっぱり君と争うことは出来ない!」

 「いいえ、ユリウス! 魔王の言葉に耳を傾けては駄目です!」

 背後からコンラートの止める声が聞こえた。

 「魔王め! そうやって油断させて我々を蹂躙するつもりだろう!」

 その言葉にミハイルはサッと目の色を昏くさせた。ゆるりと解かれた掌に動きを封じられていたユリウスが解放される。

 ミハイルは酷く冷たい声でコンラートに言った。

 「蹂躙したのは僕じゃなくて君達人間の方だろう。僕はね、魔物の騒ぎさえ起きなければこんな姿になる気は無かったんだよ。ただ、紛い物を魔物だと騒ぎ立て、魔王復活などと吹聴して混沌に陥れ、世を再び戦争の時代へと戻そうとする悪人を滅する為に、この姿へと戻ったんだ」

 膝をつき、魔法を展開しているコンラートへ向けて、ミハイルは冷笑した。

 「心当たり、あるよね? 聖人の皮を被った極悪人さん。ユリウスに時間稼ぎさせて、封印する準備は出来たのかい? ほら、やってみなよ。ほらほら……出来ないよね。だって封印魔法は術式が幾つも重なり光の輪が周りを囲む派手な魔法だ。なのに、光の輪は一つも無い」

 「え……」

 ミハイルの言葉にユリウスは驚いた。

 思わず振り返ってコンラートを見た。彼は淡く光る本を開いたまま、顔を伏せていた。

 「その魔法の紡ぎ方は死者復活かな。今度はこの大陸に眠る我が同胞を蘇らせて人を襲わせるつもりか。そうなってしまえば魔王復活の噂は真実味を増し、戦争が起きるな……ああ、なるほど、お前の目的は端から魔族の復活だったのか」

 辿り着いた答えにさして驚いた風もなく、ミハイルがそう言うとコンラートは懐から小瓶を取り出して地面へと振りかけた。

 顔を上げたコンラートと視線が合う。

 にんまりと嗤った瞳がユリウスとミハイルを捉えていた。

 「正解」

 コンラートがそう言った瞬間、地響きが鳴り、彼方此方で揺れが起きる。

 足元の土が盛り上がったと思ったら所々骨の見える腕が生えてきてユリウスの足を掴んだ。

 「うわっ」

 思わず振り払い蹴飛ばすが腕が無くなっても動きは止まらない。

 地面から這い出てきたのはミハイルと同じように角と翼の生えた魔族だった。一人だけではない、地面の彼方此方から魔族の屍が這い出てくる。

 その光景にユリウスはアシュリーの村での事を思い出した。


 貧しいのに精一杯もてなそうと頑張っていた姿、両親に囲まれ笑っている姿、誰よりも村の人を大切にし、彼等の死後の安寧を願っていた優しい少女。そして、恐怖に引き攣った最期の夜。


 生きる屍に襲われる前、コンラートは墓地の前で祈りを捧げた。そして、先程と同じように清めの水と言い、小瓶の中身を振り撒いた。


 『村で起こった生きる屍の襲撃は、君が仕組んだものだろう』


 ミハイルの言葉は正しかったのだ。

 ユリウスは腹の底が熱くなるのを感じた。腹は燃え滾るように熱いのに、末端の指先は酷く冷たく感覚がわからない。身体の内を巡る感情が暴れて、止まらない。止める事など出来ない。

 ユリウスは怒号した。

 「コンラート! 何故、あの時、村を襲ったんだ! あの村はお前に何かしたか!? あの村は、アシュリーは! 優しい良い子だったじゃないか! まだまだこれから色んなことを経験して大人になっていく未来ある少女を、お前は! 何故!!」


 ミハイルは最後まで村に行く事を拒否していた。

 自分さえあの時、しっかりして断っていれば、アシュリーを、村の人達を死なせる事は無かったのに!


 後悔と己に対する怒りでユリウスは震えていた。

 握り締めた拳が痛い。


 それがなんだ。アシュリーはもっと痛い思いをした。怖い思いをした。

 俺のせいで、未来ある少女の命を奪ってしまった。


 怒りに耐えるユリウスをコンラートは酷く詰まらなそうに眺めた。

 「貧しい村で生活しながら互いに手を取り合い、親の定めた男と結婚し、子を設ける。そんな温い未来で生きて楽しいか。刺激のない平穏な日常など、死んでいるも同じだろう。俺はな、生きたいんだ。刺激を体験したい、間近で見たい。命と命の遣り取りを、輝きを! だから起こそうと思ったのだ、戦争を。けれども魔王が倒されて以降、国々は平和を掲げていて、戦しようものなら水面下での牽制が入る。やり辛くて仕方なかったさ。だがある時、教会にあった禁忌の魔法を知り、思い付いたんだ。魔族と魔物を復活させ、強制的に戦争を起こす方法を」

 幼い表情で厭らしく嗤う様は酷く歪だった。

 ミハイルはこれ以上コンラートを喋らすまいと魔素を集める。しかし、幾ら念じても魔素も魔力も集まる事は無かった。

 「……ッ!?」

 明らかな異常に、狼狽える。ミハイルの様子を見てコンラートは笑い声を上げた。

 「俺が魔力量の多いお前を見て何も対策しないと思ったのか。死者復活の魔法と同時に魔力封印の魔法も展開させていたんだよ。魔力封印なら目立たないからな。まさか死んだはずの魔王とは思わなかったが……まぁ、魔法さえ使わなければ人間と変わらない。まずは邪魔なお前を消そうか」

 コンラートの合図に生きる屍と化した魔族達がミハイル目掛けて襲い掛かった。

 魔法の使えないミハイルはなす術なく殺される……かと、思いきや、ミハイルは振り被ってきた屍よりも早く足を振り上げて屍の頭部を力強く蹴った。

 ゴッと鈍い音と共に屍の頭部が転がり落ちる。

 ミハイルは動きを止めず、次の屍との間を詰めて腰を落とし浅く屈み込む。屍の攻撃を片手で往なしながら、もう片方の拳で相手の顎を殴り上げた。

 衝撃で浮かぶ屍は弧を描いて地面に倒れる。

 殴っただけでは首は落ちず、倒れた屍は緩慢な動作で起き上がった。

 ミハイルが反撃するとは思っていなかったコンラートは表情に驚きを滲ませていた。

 それを一瞥したミハイルは薄らと笑う。

 「魔王の強さは魔法だけだと思っていたのか。とんだ愚か者だな」

 明らかな嘲笑にコンラートは顔を真っ赤にさせた。

 「そう言っていられるのも今のうちだ。この数相手にいつまで保つかな!」

 見渡せば多くの屍がミハイルを殺そうとにじり寄ってくる。

 その数はざっと見ても五十はいくか。

 悔しいがコンラートの言う通りだ。闘いが長引けば体力が消耗され、それだけ此方が不利になる。

 そんな事を考えている間にも屍は襲ってくる。

 腕を躱して懐に入り、背負い投げしては、次の屍に蹴りを入れる。下から上に向けて、顎に掌を突き出せば脆い頭はすぐに落ちた。

 それでも屍は無くならない。

 ミハイルが前からの攻撃だけでなく、後ろからも襲われそうになった時だ。

 ふと焦げる匂いがしてきたと思ったら、突然、爆発音が響いて屍達が吹っ飛ばされた。

 何事だとコンラートが慌てて見れば、立ち込める煙の中、ユリウスが拳程の大きさの玉を幾つも抱えていて、そのうちの一つを屍の大群へと投げた。すると数拍もせずに玉は爆発して近くに居た屍の身体を散り散りにした。

 焦げる匂いは導火線の燃える匂いだ。

 この世界には無い、前世の古い歴史で使われた武器をユリウスは一気にばら撒いた。

 それは爆発すると近くにいる者の身体を吹き飛ばし、遠くにいる者には破裂した容器の破片が突き刺さる。一発で多くの屍が再起不能となってしまった。

 見た事の無い武器に、先にユリウスを消すべきだったかと後悔したが、同時に未知の武器を扱う彼をコンラートは欲しいと思った。

 「ユリウス」

 ミハイルは静かに彼の名を呼んだ。呼ばれたユリウスは怒りなど感じさせ無い静かな表情で一言、彼に謝った。

 「ミハイル、信じてやれなくて悪かった」

 屍が一斉に襲い掛かってくる。ユリウスとミハイルは互いを背に屍と戦った。ふとユリウスの背後から笑う気配がする。

 「……気にしてないさ。こうやって互いを庇いながらの戦闘も久しぶりだね」

 「……だな!」

 ユリウスもまた笑って、屍を一体沈める。屍の相手自体は大した事ないが、数が多い。このままでは己だけでなくユリウスも倒れると判断したミハイルは指示を飛ばした。

 「ユリウス! 封印系の魔法は媒介を壊せば解くことが出来る! 屍達は僕が引き受けるからコンラートの持ってる本を燃やして魔力封印を解いてくれ!」

 「わかった!」

 屍の脇を走り抜けてユリウスはコンラートの前に出る。

 コンラートは既に詠唱を始め、淡く光る足元から光の鎖がユリウスを襲った。それを飛んで躱し、袖の下から筒を取り出して軽く振る。すると、筒は伸びてユリウスの身長と同じ程の棒となった。

 魔法と言えど具現化されたものは物理が通用する。

 棒で鎖を往なし、コンラートに接近する。棒の届く距離から急所を狙って何度も突いたが、コンラートは悉くそれを避けた。攻撃を躱しながらもコンラートは詠唱を続けていて、本が未だ淡く輝いている。

 棒がコンラートの眉間を突こうとした時、コンラートはローブを外して棒を巻き込んで放り投げた。

 横からの力に抗えず持っていた棒がローブと共に地面に放られてしまう。

 「光よ、拘束しろ!」

 コンラートが最後の詠唱を終えると、ユリウスの足元から幾重もの光の鎖が飛び出す。それは雁字搦めにユリウスの身体を縛り上げた。

 「ぐっ」

 息が詰まり、身体を捩っても隙は生まれない。漸く捉える事が出来たコンラートはニヤリと嗤った。

 「これでお終いだな」

 「ユリウス!」

 遠くからミハイルの叫ぶ声が聞こえる。


 万事休すか。


 ミハイルがそう思った時、乾いた空気の笑いが聞こえた。


 クックックッ。


 それはユリウスからだった。


 「終いだと? まだ終わっちゃいねぇよ」

 ユリウスは服の下から一つの玉を落とした。

 いつの間にか導火線に火のついたそれは軽快な音と共に弾ける。先程の爆弾かと身構えたコンラートだったが、それは威力が無い代わりに大量の煙を撒いた。

 煙玉かと思えばそうでもない。

 風に流れて煙を吸ったコンラートはその刺激に思わず咳き込み涙目になった。

 「ゴホッ、ゴホッ! なんだこれ!? 目が、目が! うぅあああっ、喉が焼ける!? く、臭っ!? ……ぶえ……ぶえっくしょい!! はっくしょんッ!!」

 涙や鼻水を流しながら、目や喉や鼻が痛い、痒いとコンラートは騒ぎ立てる。

 ユリウスが落としたのは、胡椒や山椒、唐辛子に煤、虫や動物から採った強烈な匂いを放つ体液が詰まったものだ。

 それを火薬と一緒に閉じ込めて爆発させれば、吸い込んだ人間は強烈な刺激に耐えられない。ユリウスも多少は吸い込んだがマスクをしているお陰で被害はほぼ無かった。


 ミハイルはマスクを外せというが、やっぱり俺の戦い方じゃあマスク必須なんだよなぁ。


 行く先々で不審者と疑われるが、こればかりは仕方ないと、ユリウスは苦しみ悶えるコンラートを見てそう思った。

 コンラートの集中力が切れた為、ユリウスを拘束していた鎖は掻き消えてしまった。今が好機とユリウスは素早く間合いを詰め、コンラートの顔を殴った。

 骨と骨のぶつかる感覚に、もう一発と今度は鳩尾に決めた。

 ユリウスはコンラートを許しはしない。

 己のせいで死んでしまったアシュリーにせめてもの罪滅ぼしと、コンラートを殺す覚悟で殴った。


 まだだ、まだ足りない。だが、今は。


 ユリウスはコンラートを蹴飛ばし、本を奪い取った。そして急いで油の染み付いた布を本に被せて、木屑を乗せ、火打ち石で着火させる。パチパチと音を立てる小さな焔はすぐに本を呑み込んで燃え上がった。


 媒介である本が燃えた。


 封印が解かれ、魔力の流れを感じたミハイルは意識を馴染み深い魔素に融かし、大陸全体を見渡した。

 腐敗していてもわかる、懐かしい顔触れにミハイルはそっと別れを告げる。

 己の魔力と魔素を編み込んで、それをじわりじわりと全土に染み込ませる。そして、最後の別れを終えた彼は一気に魔力を爆発させた。

 彼方此方から上がる熱と焔が大陸を埋め尽くす。

 一気に燃えて息苦しさを感じたが、これでミハイルが自由に動けるとユリウスは喜んだ。

 「やったな、ミハイル!」

 そう言ってミハイルの元へ行こうとしたら、背中に鋭い衝撃がユリウスを襲った。

 一瞬、何が起こったのかわからなかったユリウスは呆然とし、徐々に襲ってくる激痛と迫り上がってくる鉄の味に肌が粟立ち、毛が逆立った。

 「ユリウス!」

 ユリウスの腹からは黒い短剣が飛び出していた。血に濡れたそれは禍々しく輝く。

 背後から感じる荒い息に、コンラートに刺されたのだと知った。


 やられた。


 血を吐いたユリウスは手足の痺れを感じ、霞む視界の中、此方に駆け寄ってくるミハイルの姿を見た。

 「ミハ……逃げ……」

 話す事もままならない。

 剣を抜かれたユリウスは指ひとつ動かせないまま地面へと倒れ伏した。

 「コンラート……貴様ぁああ!!」

 ミハイルは怒りに任せて魔素をコンラートに叩き込んだ。しかし、それは彼の持っている短剣が吸い込んでしまう。ならば魔法はどうだと焔の玉を飛ばしたがそれも魔力へと戻されて取り込まれてしまった。

 黒い、短剣。

 魔法も魔素も吸収してしまう、光に翳せば淡い紫に輝く妖しい剣。

 魔王の代ではとんと見る事の無かった代物に、ミハイルは苦々しい表情を浮かべた。

 「魔剣なんて物、どこで手に入れた!」

 「何処だっていいだろう。ああ、初めからこうしていれば良かった。俺の邪魔をしやがって」

 そう言ってコンラートはユリウスを蹴飛ばす。

 血の跡を作って転がったユリウスは既に呼吸も弱く、喉元に詰まった血が吐けないでいた。


 このままではユリウスは死ぬ。


 ミハイルは咄嗟にユリウスに遅延の魔法をかけた。これですぐには死なないが、危ない状況に変わりはない。

 彼を救う為にもと、ミハイルは跳躍した。

 一気に間合いを詰めて、飛び蹴りを仕掛ける。しかし、簡単に躱されてしまった。

 身を屈め着地すると今度はコンラートが剣を振り被ってくる。それを横に転がって避けて、視界に入った拳大の石をコンラートに向けて投げつけた。まさか石が飛んでくるとは思っていなかったコンラートは驚いたが、慌てる事なく飛んできたそれを叩き切った。

 お互い数歩で届く距離だが手を出すには隙が無い。ここは一つと、ミハイルは口を開いた。

 「流石、魔剣。固い石を斬っても刃毀れ一つ無いなんてね。ところで……魔剣は闇属性の者でなければ扱えないが……どうして光属性の君が魔剣なんて扱えるのかな」

 「ふん、わかっている癖に、俺の気を逸らそうと言うのか? まぁ、いい。答えは簡単、俺が光属性も闇属性も持った特別な人間だからだ!」

 コンラートは口元に笑みを浮かべて、興奮した様子で喋った。

 「光属性だけでも珍しいのに、俺は百年に一度現れるかどうかと言われる属性を二つも持って生まれたんだ。俺は選ばれたんだ! そう、俺が、俺こそが! この世界の王にふさわしい! 王となれば刺激を求めて隣国と開戦しても誰も文句は言えん。魔族を倒す為と嘯いて敗戦国を従属させる事も出来る! それなのに、魔族も魔物も全て燃やされてしまった……ユリウス、少し珍しい武器を持っているから生かしておこうかと思っていたが、やはり魔力無しの人間は塵だな。俺の邪魔をして、生かしておく価値もない……!」

 徐々に思い出した怒りが再びユリウスに向かう。コンラートは魔剣を握り締めるとユリウスに向かって走り出した。

 「待てッ!!」

 切先がユリウスの心臓に届く前にミハイルは何とか間に滑り込んで、その刃を握った。

 「ぐぅっ」

 皮膚と肉の斬れる痛みに口から呻きが漏れる。

 「無駄だ! そんなことをしても魔剣に力を吸い取られるだけ……」

 握っている剣がミハイルの方へと徐々に引き寄せられる。それは止まらず、何かがおかしいとコンラートは気付いた。

 普通ならば魔剣へと流れていく魔力の風が、何故かミハイルの方へと向かっている。闇の魔力が全てミハイルへと流れていく。


 ……自分の身体を巡る魔力が魔剣を通して魔王へと流れていく!


 その事実に驚愕したコンラートは慌てて剣を振り払うが、握られたそれはびくとも動かない。

 魔力を吸って、ミハイルの力は増す。

 魔王の瞳は猫のように縦に細まり、爛々と輝いた。

 「なん……なんでお前が……魔力を吸えるんだよ……」

 自然と出たコンラートの言葉は震えていた。

 痛みに顔を顰めていたミハイルはコンラートの顔を凝視した。


 ユリウスは彼の顔を幼い、童顔だと言っていたし、自分もそうだと思っていた。

 しかし、存外、そんな事はなかったな。

 よく見れば目尻に皺もあるし、唇もかさついている。

 何より歳をとって覚えてしまった異形に対する畏れと、排除しようとする瞳は、他の人間と変わらない。

 僕から見れば生きる覚悟も死ぬ覚悟も無い普通の人間だ。


 そう思うと自然と笑みが溢れた。


 ああ、馬鹿らしい。


 「……何で僕が魔剣の魔力を吸えるかって? 簡単な話さ。魔剣にだって意思があるんだから、魔剣に自分の方が上だと判らせて服従させたらいいのさ。君にも出来るよ? でも無理だろうね。生半可な力と覚悟じゃ上に立つことが出来ない」

 ミハイルは魔剣を握る手に力を込めた。

 「君の敗因はね」

 ピキッと剣に亀裂が走る。

 「僕の大事な者達を傷付けて、僕を怒らせたことだよ」

 硬質な音を立てて、刃が折れた。瞬間、ミハイルは折れた刃先をすかさず掴んでコンラートの胸へと突き立てた。

 短いが刃先はしっかりとコンラートの心臓を捉える。

 「ガッ!!」

 衝撃によろけたコンラートは刃が刺さったまま後退する。ミハイルは口元に笑みを浮かべたまま、その瞳は冷たくコンラートを射抜いた。

 「人の世では百年に一度とか言われているみたいだけど、光も闇も別に珍しいことじゃないんだよ。ただ人の身体では耐えられないから生まれてもすぐ死ぬ。だから生き残れば奇跡の子として喜ばれる」

 ミハイルの話し声とは別に何か雑音が聞こえてくる。

 耳にこびり付くようなそれにコンラートは頭を振った。

 「この百年の間に光と闇を持った子は何百人といたが、小さな身体では耐えきれず死んでいった。そう言う意味では君は幸運だね。奇跡と呼んでもいい」

 徐々に雑音が大きくなる。

 胸の痛みも忘れてコンラートは耳を塞いだ。

 「けれど、僕達魔族からしてみれば人間の光と闇の魔法はどれも中途半端なんだよ」

 塞いでも聞こえてくる雑音は一貫性を持っている。

 ミハイルの言葉と二重になって聞こえるそれが、雑音ではなく何処かの言語だと気付くのに時間が掛かった。

 「君の目指す所は世界の王様でしょう? それなら魔を統べる王である僕が、本当の闇の魔法を教えてあげよう」

 パチンッと雑音だった言葉が弾けて、鮮明に聞こえる。

 それは闇の城へと誘う解錠の古い呪文だった。

 既に呪文は紡ぎ終わり、客人であるコンラートを迎えるべく、その足元には先の見えない闇が広がっている。

 不気味な音を立てて門が開かれる。しかし、地面は闇ばかりで何も見えない。

 「嫌だ……来るな……来るなッ」

 見えない筈なのに闇の向こうから何十もの視線や息遣いを感じる。

 確かに、そこに誰かがいる。

 大量の気配が蠢いている。

 ねっとりと見えない何かがコンラートを絡めとる。

 得体の知れない恐怖にコンラートは目を見開き、引き攣った悲鳴を上げた。コンラートは自分を覆い尽くそうとする闇に気を取られて背後が疎かになっていた。

 耳元から聞こえた静かな声はやけに機嫌が良かった。

 「『闇の貴婦人』はとても陽気な方達でね。きっとお茶会やダンスにいっぱい誘われるだろうね。でも、気を付けて。貴婦人達の夫である王はとても嫉妬深い方だから」

 にっこりと笑うミハイルがコンラートの背後からアドバイスをする。コンラートは突き刺さるような空気を感じて肌が粟立った。このままではいけないと脳が警鐘を鳴らす。

 しかし、身体が反応する前にミハイルがコンラートの尻を蹴り上げた。

 「さっさと堕ちなよ」

 ミハイルの言葉に待ってましたと、闇の中から細くしなやかな黒い腕が幾つも出てくる。その幾つもの腕は倒れ込むコンラートの身体を包み込んだ。

 きゃらきゃらとまるで少女のような笑い声がコンラートの耳に木霊する。

 「やめっ、やめろぉおおおおおッ!!」

 覆い尽くす腕と笑い声に抗うも、客人を招いた門は固く閉ざされてしまった。

 用は済んだと広がっていた闇が消えると、ミハイルは慌ててユリウスの元へ駆け寄った。

 「ユリウス! しっかり!」

 倒れ伏したユリウスの身体を抱える。衣服は彼の血でぐっしょりと濡れていた。


 出血が多いな。今から傷口を塞いでも間に合わない。

 どうする?

 治癒魔法は使えないが手段がない訳ではない。しかし、ユリウスの身体が耐えられるかどうか。


 …………。


 ミハイルは青白くなったユリウスの顔を凝視する。

 「君は……怒るかな」

 小さく呟いた言葉は風に掻き消える。

 ミハイルはユリウスの頭を支えて、彼の口元の布を取り去る。そして短剣を握った時に出来た自身の傷口をわざと開いた。

 乾いていた血がパラパラと落ち、新たに赤が滲んで流れて出てくる。

 一筋となって流れたそれを一滴、ユリウスの口内へ落とした。

 すると、ユリウスは苦悶の表情を浮かべる。次第に脂汗もかいてきて、青白かった顔は赤黒く変わった。ただその様子をミハイルはじっと見詰める。


 ユリウスが急変してから数分経っただろうか。

 荒かった息が徐々に落ち着き、顔色も良くなった。魔剣に刺された傷はいつの間にか塞がっている。

 ユリウスは閉じていた瞼を震わせて、やがて目を開けた。

 「……ん」

 「良かった! ユリウス、本当に良かった!」

 「俺、刺されて……傷が……治ってる……?」

 「ああ、もう大丈夫だ」

 ぼんやりとミハイルを眺めていたユリウスは徐々に刺される直前を思い出し、飛び起きた。

 「そうだ! コンラートは!?」

 周りを見渡すもあるのは荒野が広がるのみで誰もいない。

 「いない……? ミハイル、あれからどうなった!?」

 「落ち着いて。もうコンラートはいない。終わったんだ、無事に。大丈夫、コンラートは死んでいないよ。そうだね、今頃は貴婦人と楽しくダンスしているんじゃないかな」

 にっこりと笑うミハイルに、無言の圧力を感じる。


 ……気になるが、これは聞かない方がいいな。


 長年の付き合いで察したユリウスは一言、確認だけした。

 「全て終わったんだな」

 「ああ。終わった。配達完了! 世界もそのうち平穏な日常へと戻るさ」

 座り込むユリウスを置いて、ミハイルは立ち上がった。ふとユリウスを見詰める瞳が細くなる。

 「帰りは自力で大丈夫だよね」

 「え?」

 何を言っているんだと困惑するユリウスに、ミハイルは背を向けた。黒い翼がふわりと風に靡く。

 「……僕は魔王だ。これ以上、一緒には居られない」

 その言葉にユリウスは心臓を掴まれたように動けなかった。まるで腹の中に冷たい鉛が落ちていくようだ。全身の熱を奪われて、まともに考えられなくなる。

 出てきた言葉は震えていた。

 「何、言ってんだよ……一緒に居られないって、どうする気だよ。まさかギルド抜けますなんて言わねーよな」

 ミハイルは前を向いたまま、黙っている。

 「わかってんのか! ギルド抜けたらどうなるか!」

 ユリウスは叫んだ。


 配達ギルドには発足時からの規則がある。

 それは、ギルドに入る時に一つ、長であるアルマ・カーティスの命令に従うというものだった。

 一度ギルドに入れば如何なる理由があろうと抜ける事は出来ない。

 それは内部の情報を外部に漏らさない為であり、無視して抜けようものなら罰として呪いが発動して、心臓から焼かれて骨一つ残らず肉体だけが燃えて無くなるのだ。無論、魔王だろうとそれは例外ではない。


 自分が助かってもミハイルは死ぬ。


 こんな結末は望んでいないとユリウスは頭を振った。

 「魔王が何だってんだ! お前は、世界を救っただろうが! お前が居なかったら今頃魔族の屍が世界中の人を襲ってた。それを阻止したんだぞ! 誇っていいことだろうが! 魔王だからって居なくなろうとすんなよ!」

 ミハイルの居なくなった未来を想像して、ユリウスは声を震わせた。じんわりと霞む目は熱く、湿り気を帯びてくる。

 ユリウスは拳を地面に叩き付けると、勢いよくミハイルの背中にぶつかった。そして腕を回して自分を見るようにミハイルの向きを変える。

 青藍の垂れ目はユリウスと同じで、今にも雫が溢れ落ちそうだった。

 ばちりと視線がぶつかる。

 「俺の相棒は! お前だけだろうが!!」

 ユリウスの心からの叫びに、ミハイルの涙はついに溢れた。


 人とは違う、異形だからと何もしていないのに蔑まれ、暴力を振るわれた日々。

 お互い干渉しないよう、同胞を率いて無人の大陸へ渡り、魔族だけの国を建てれば、今度は有りもしない罪を着せられた。

 その罪はやがて世界中の国を巻き込み、全ての怨念は魔族へぶつけられた。

 人間ではないから、人の心なんて無いから、気持ち悪いから、全て魔族が悪い。

 自分が魔族だから、いけない。人前に出てはいけない。


 魔王の存在を知ったユリウスを排除する事は自分には出来ない。だから、自分が消えようと思った。

 そう、考えていた。

 けれど、ユリウスは自分を望んでくれている。


 魔王である僕を、受け入れてくれている……!


 ミハイルは涙を拭うとユリウスを抱き締めた。

 「僕が相棒で、いいの? 魔王だよ?」

 「寧ろお前以外誰が居るんだよ。俺の前世の話に付き合ってくれるのお前だけだし……お前は冗談だと思ってるみたいだけどな、俺の前世では魔王は何度倒しても何度でも立ち上がる不屈の最強ボスで、ゲームや漫画によっては主人公よりも人気な格好良いキャラなんだぞ。……ま、まぁ? この世界の魔王は良い奴みたいだし? 嫌いになる要素なんてねーよ!」

 抱き締められた腕を解こうとはせず、ユリウスはただ視線を逸らした。ほんのりと色付く頬を見て、ミハイルは一瞬静止した後、吹き出した。

 「そうだね、君の前世の世界では魔王が溢れているんだったね」

 「架空だけどな」

 「じゃあ、君にとって僕が初めての本物の魔王ってわけだ」

 「ああ、そうだぜ」

 「どう? 本物の魔王を見た感想は」

 「角と翼が生えたミハイルだな」


 その答えにミハイルはついに声を上げて笑った。


 「あっはっはっ!! あー! おっかしい〜っ!!」

 「おい、人に訊いといて笑うこたぁねーだろ」

 ユリウスの目が不服そうにミハイルを睨み付ける。

 「ごめんごめん」

 「もういいから。そもそも、その角と翼、しまえないのか」

 ユリウスの一言に、盲点だったと目を瞬かせた。そして意識を集中させて人には無いそれらを引っ込める。

 「出来んじゃねーか」

 人の姿に戻った事を確認するとユリウスはそっとミハイルの腕から抜け出した。そして辺りを見渡して、落とした自分の鞄を拾い、ミハイルの帽子も拾う。

 砂埃を払って、ミハイルのもとへと戻るとその頭に帽子を被せた。

 「魔王なんて、俺が言わなければ誰にもバレないだろ。帰るぞ」

 そう言ってユリウスは踵を返す。

 ミハイルは斜めになった帽子を被り直して、その背中を追った。あっという間に距離は縮まり、ミハイルとユリウスは並んで歩く。

 「ユリウス」

 「あ?」

 「これからもよろしくね、相棒!」

 「おう」

 「あ、それと事後報告になっちゃうけど、君の傷を治すのに僕の血を一滴飲ませたから」

 「……ああ?」

 「魔王の血だからね。ちょっとだけどユリウスも闇の魔法が使えて、僕の居る位置がわかるようになるよ」

 僕もユリウスの位置がわかるからねと柔かに笑うミハイルに、ユリウスは一瞬だけ拳を握る。しかし、それはすぐに解かれた。


 勝手に他人の血を飲まされた事に対して文句を言いたいが、自分を救うのにそれしか方法が無かったのだろう。

 魔王である、ミハイルだから助ける事が出来た。


 ユリウスは一つ息を吐くと小さな声で礼を言った。

 「あんがとよ」

 ミハイルは何も言わない。ただ、嬉しそうに笑みを深めるだけだった。

 停めていた船に戻り、二人は大陸を離れた。潮風に当たりながら、その小さくなっていく大地を眺める。

 それを見てユリウスが思い出したのは、ミハイルの魔法によって燃やされた魔族の屍達だった。


 『待ってください! 彼等はこの村の人達です! 死者と言えど皆大事な家族だったのです! 何も残らず燃やすなんて……』


 村でのアシュリーの言葉が蘇る。

 燃やした魔族の中にはミハイルの身内や友人が居ただろう。

 まさか自分の焔で彼等を燃やす事になるなんて、ミハイルとしても不本意だったろう。せめて、彼等が生きていた証を残したかった筈だ。

 しかし、もうどうする事も出来ない。

 遣る瀬無い思いで大陸を見ていたユリウスに、舵を握っていたミハイルは大丈夫だよと声を掛けた。

 「ユリウスってば意外と顔に出るタイプだよね」

 「うっせぇ」

 「ふふ、大丈夫。大丈夫だよ。あれで良かったのさ。最後に懐かしい顔を見ることが出来て、僕の手で皆を弔うことが出来た」

 「ミハイル……お前……」

 ミハイルはゆっくり瞼を閉じる。

 「ユリウス」

 「なんだよ」

 「僕の昔話に付き合ってくれないかい? 大丈夫、時間はたっぷりあるからさ」

 「……おう、いいぜ」


 ユリウスがふと見上げた先には一匹の海鳥が飛んでいた。

 突き抜けるような青空の下、その鳥はフェルカイルの地へと向かって行く。

 白いその姿が見えなくなるまで、ユリウスは静かに見守った。


【終】

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自称転生者と自称元魔王の配達記録 蘇芳 ななと @nanato_s

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