憧憬

 北の町外れ、薄汚れた建物に構えた「万事屋」の看板。

 この店に来るのも、随分久々に感じる。


「ロロー! お薬だぞ」


 セレーネが店の扉をバンッと勢いよく開くと、扉の蝶番がパキッと割れる音がした。店の奥の少年店主が、真っ先に嫌な顔をする。


「うちの扉は何回壊されるんだ?」


「相変わらずちっちゃくてかわいいなお前。何歳になった?」


「何度も言うが十一歳だ。一年の内に何度同じ質問をしても、回答は変わらないよ」


「聞いたか飴ちゃん、こいつ、この貫禄で十一歳! あっはははは」


 セレーネが手を叩いて笑う。

 そうだった、ロロとセレーネは学生時代を共にした友人である。そしてセレーネは当時、幼かったロロをからかってロロを怒らせている。

 その関係はもうとっくに修復されたものと思っていたのだが、こうして見ると、セレーネは今も彼をからかっている。大人の対応をしているのはロロの方のようだ。


 クオンとシオンは、家事をするというので天文台に残してきた。ロロの店には俺とセレーネだけで来ている。セレーネはロロにひょいと小瓶を手渡した。


「私がいない間、薬足りた?」


「ちょっときつかった。ここ二、三日は眠たくて仕方ない。僕が眠りの病に罹患したらセレーネのせいだ」


 セレーネが持ってきたのは、ロロがキセルに詰めて摂っている眠りの病である。瓶の中には、セレーネが調合したという乾燥した薬草が詰められていた。

 薬を受け取ったロロは、カウンターに肘をついて言った。


「改めて。おかえり、セレーネ」


「ただいま。待たせてごめんな」


 セレーネがロロの頭を撫でようとすると、ロロはスパッとその手を弾いた。やり場のない手を浮かせて、セレーネが不満を垂れる。


「うわ、なんだよかわいくないな。撫でてやろうと思ったのに」


「僕はもとよりかわいくないよ。僕の分まで、クオンとシオンをたっぷり撫でてやってくれ」


 薬をキセルに詰めるロロは、仕草がもちもちしていてかわいいのに、話し方がかわいくない。

 俺はその、乾いた薬草を眺めて言った。


「そっか。眠りの病の研究、ロロと一緒にやってたんだよな」


「うん。眠りの病は大地の民でも、大人は殆ど罹らない。頭と態度はこれでも体は子供のロロは、実験台にうってつけなんだよ」


 セレーネの言い方は、少し皮肉っぽかった。実験台扱いされたロロの方も、自ら受け入れている。


「別に。月影読みが月影読み本人にはできない仕事で悩んでいるなら、喜んで協力するまでだよ」


「月の雫が原因物質の可能性があると聞いて、躊躇なく飲んだからね、こいつ」


 セレーネが呆れ顔でロロを指差す。


 好奇心の権化であり、月影読みに対抗意識を燃やすロロは、セレーネ自身の体では実験できない眠りの病の研究に、自らの体を投資した。月の雫を口にした彼は、薬なしでは生きられない体になってしまったのだろう。


「その昔、月の都に移住してきた大地の民は、味への興味なのかなんなのか、月の雫を口にした」


 ロロがキセルに火を点ける。


 大人の体であれば、ある程度の毒性は持ちこたえられるけれど、十五歳未満の完成していない体には負担が大きすぎて、病を発症する。それがセレーネとロロが出した結論だった。


 俺はキセルから漂う煙を眺めていた。


「逆に言えば、大地の民の子供でも、月の雫さえ飲まなければ共生できるんだな」


「不可能ではないね。ただ、事件や事故は起こるだろう」


 そう話すロロの手元のキセルから、草の焦げる匂いが広がる。

 元老院があれだけ月の雫を警戒するのだ。「飲まないように気をつければいい」「薬があるから大丈夫」なんて、簡単に済む話ではないのだ。


「それよりイチヤ、新聞見た? 先日ルミナの団長に禁固刑が科せられたよ」


 ロロがこちらに目を上げた。


「副団長や幹部、人攫い事業に関わっていた平団員、役者まで芋づる式に洗い出されてる」


「役者も?」


 看板女優で双子の母親で、この件を内部告発したサリアさんは、どうなるのか。ロロは俺の懸念を見透かした。


「看板女優カレンなら、このままいけば無事に無罪だよ。彼女の直筆の手紙が告発文になって、この件が明らかになったんだから」


 そうだ。ツヴァイエル卿が新聞社に売ったのは、サリアさんが夫、ラグネルに宛てた手紙だ。聞いていたセレーネが目を輝かせる。


「さっすがサリア。ただでは起きないね。劇団を抜け出すためにひとりでコツコツ努力してたみたいだし、有罪判決どころかルミナの悪事の証拠をどっさり世間に見せつけるんじゃないか。そして自分は身の潔白を証明し、堂々と娘の前へ戻ってくるんだ」


 そういえばセレーネも、サリアさんと知人同士なのだった。やけに親しげに、彼女はサリアさんを労う。


「いいぞいいぞ! このまま奴隷商を根絶やしにしていこう。次に議会に行くときには、人身売買の罪を重くするように発言してみようかな」


 するとロロが、カウンターからじろっとセレーネを睨んだ。


「僕個人としては、そんなのどうでもいいからセレーネには二度と議会に近づかないでほしい。元老院の中身は入れ替わったわけけじゃない。近づけばまた、天文台から引き離すために拘束される恐れは充分にある」


 ごちゃついた静かな店内で、ロロが落ち着いた声で理路整然と諭す。


「此度のセレーネの軽率な行動には憤懣やるかたない。君という存在が天文台を離れることで、どれだけの問題が生じると思っている?」


「怒ってるのかよ。はいはい、悪かったですよ」


 煽るような謝り方をするセレーネに、ロロは尚真面目に続けた。


「『天文台を止めろ』という要望自体は、大地の国から前から出てたんでしょ。いっそ素直に月の雫の生産をやめてしまえばよかったんだ」


 十一歳児に説教され、セレーネは決まり悪そうに言い返す。


「そう言うけどさ、月の雫がなくなったら、月の民たちが困るんだよ。元の殆ど眠ってる生活に戻ったら、本人らも不便だし、大地の民も迷惑する」


「僕にとってはセレーネがいなくなる方が問題だ」


 はっきりと言い切り、ロロは続けた。


「とにかくこれからは、出かけるときは最低限双子くらいには、どこへ行くのか伝えてから出かけてくれ」


 傍目から見ていた俺は、大体汲み取った。ロロは心の底から、セレーネを敬っている。なんならこんなに心を預けている相手は、セレーネだけなのだろう。

 セレーネは分かっているのかいないのか、しばらくカウンターに寄りかかって店の中を見渡していた。

 そしてロロを油断させ、いきなり頭を撫で回す。


「うりゃりゃ」


「わ、なにをする」


 ロロのキャスケットがカウンターに落ちても、セレーネは彼の頭をくしゃくしゃに撫でる。突然ぴたっと手を止めて、セレーネはロロに顔を近づけた。


「ごめんね。もういなくならないよ」


 ロロもしばらく固まり、やがてぺしっとセレーネの腕を払う。落ちたキャスケットを拾って、いつもより目深に被って俯いた。

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