真相

 セレーネと合流してから、いろんなことがあっという間に過ぎていった。

 セレーネの信書が国王に渡り、ニフェ議長が司っていた元老院と対をなす代議院にも伝わった。元老院の政治は、厳しく糾弾されている。

 新聞社がこれを報じると、その日のうちに大騒ぎになった。今では議会の前で政権批判のデモが行われ、人々がシュプレヒコールを叫んでいる。

 というのを、新聞で知った。


 と、下の階からドンドンと戸を叩く音が響いてきた。


「おい! 開けろ」


「あっ、フレイが来た」


 クオンがぴんと耳を立て、セレーネから身を離す。彼女はシオンの手を取り、セレーネの膝から降ろした。


「お見舞いに来たのかな。シオン、お出迎えに行こ!」


「うん!」


 双子が駆け出し、部屋を出ていく。残された俺とセレーネは、しばし、沈黙した。

 外は明るい。窓の外には、淡いブルーの晴天に、うっすらと白ぼけた月が見える。

 セレーネが丸めていた新聞を広げている。


「いやあ、これだけはっきり情報が出ればマイト・フォージャーの国家侮辱罪も帳消しだね。言ってることが本当だったんだから。正しくは、『言ってもいない』んだけどさ」


「あっ、そうだマイト!」


 名前を耳にして、ハッとした。彼はあらぬ罪を着せられて、荒野に放り出されていたのだった。セレーネが新聞から顔を上げる。


「燻し銀でしょ? かわいそうにねえ」


「やっぱりマイト、悪いことしてないんだよね?」


「でしょうね。あの子が議会の月影読み拉致計画を知ってるわけないんだし」


 セレーネはしれっと言い切った。


「さしずめ私とパッチを捜していた兵士が、民間にうっかり拉致の件を洩らして、噂が広がっちゃったんでしょ。議会にとって都合が悪いから、オークションで売れ残ってた子に嘘つきのレッテルを貼って、外へ捨てた」


「マイトかわいそう……元老院、本当に最低だな」


 元老院は上層階級で構成されてる機関であり、どれだけ批判されようとも解散はしないらしい。それを聞いて俺は、中身が変わらない政治にもやもやしていた。


「こういう奴らじゃ、月影読み拉致の問題も揉み消すんだろうな」


「かもねえ。騎士団に責任押し付けて、トカゲの尻尾みたいに切り捨てるだけで終わらせるかもしれないね」


 セレーネは悔しそうでも悲しそうでもない、どこか諦観めいたあっさりした声で言った。俺はやはり受け入れられそうもない。月の都も大地の国も、なにも変わらないのだろうか。

 パンを持って俯く俺を一瞥し、セレーネは少し言い淀んでから、他人事のように言った。


「だから、政治を変えたいなら、トップの首を取るんだろうね」


 ニフェ議長が月の都を制圧しようと考えたのは、他でもない、月の雫が原因だ。

 悪用さえしなければ月の民の大切な生活資源だが、月の都と大地の国が全面戦争になったとき、月の都は月の雫を武器にできる。その脅威を鎮めるために、月の雫の生産を止めたかった。

 言ってみればセレーネは、毒物を生産していたわけだ。大地の国の王国議会が止めたがるのも、無理もないかもしれない。

 俺はひと口、パンを齧った。


「月の雫が大地の民にとって毒になるの、月の民たちは知ってるの?」


「ううん。月の民も大地の民も、殆どが知らない。最近の研究で明らかになったばかりだから、世間には発表されてないんだよ。知ってるのは、研究していた私とロロと、それを報告した王国議会だけ」


 それを聞いて、少しほっとした。


「じゃあ過去の眠りの病は、月の民がわざと、大地の民に月の雫を飲ませたんじゃないんだね」


「そうだよ。まあ、この事実が明るみになったら、もしかしたら……」


 セレーネはそこまで言って、最後まで言わなかった。月の民は、大地の民に日々虐げられている人も多い。大地の民への報復手段を知ったら、手を染めてしまう月の民も現れるかもしれない。そう思うと、怖くもある。

 俺は、眠りの病に臥せる感覚を想像してみた。眠ったまま、起きなくなって、朝が来ない。


「死に方が優しいから、自殺用にも使われそうだよな」


 俺が言うと、セレーネは一瞬、ぎょっと驚いた顔をした。でもすぐに、それまでの落ち着いた表情に戻る。


「そうだね。それもあって、公表に慎重になってた」


 そこで、部屋の扉が無遠慮にバンッと開いた。


「おい! いつまで寝てやがる!」


 入ってきたのはバスケットを持ったフレイと、後ろについてきたクオンとシオンである。


「イチヤくん、フレイがお見舞いに差し入れをいっぱい持ってきてくれたよ! キッチンに置いてきたら、調理場がすごく狭くなった」


「すごいの。あんなにたくさん食材あったら、毎日パーティだよ」


「そんなに持ってきたのかよ。ありがとう」


 俺はパンの残りのひと切れを、口に突っ込んだ。フレイは持ってきた差し入れのうちひとつだけ、バスケットを部屋に持ち込んできている。


「余計な心配かけさせんな。ったく、だらしねえな。そうやってパサパサのパンばっか食ってるから治癒が遅いんだよ。肉を食え、肉を」


「全くだ。だからゲラゲラ鳥を食えと勧めてるんだ」


 セレーネが椅子から立ってフレイに加勢しだす。瞬間、フレイはセレーネの肩をがしっと掴まえた。


「お前もだ、セレーネ!」


「うわっ、びっくりした。私は肉、食べてるぞ」


「そっちじゃねえよ。てめえがふらふら行方を眩ませたせいで、どれほど周りが迷惑したと思ってやがる!」


「あっははは! 悪かった悪かった。心配してくれてありがとな」


 ものすごい剣幕で捲し立てるフレイを、セレーネは笑い飛ばした。


「あんたにも迷惑かけたね。誰もいなくなった天文台、守っててくれたんだもんな」


「バカ野郎。それが仕事だ」


 フレイはセレーネを突き飛ばすと、俺に歩み寄り、寝台のサイドテーブルにバスケットを置いた。


「お前もなにが『赤い首輪』だよ。くだらねえことに命張ってんじゃねえよ」


「すみませんでした」


「容疑がかかってるクオンとシオンを置き去りにするなんて、とんでもねえ」


「すみませんでしたって、謝ってんじゃん」


 サイドテーブルのバスケットには、フルーツや野菜の他に、酒や肉まで詰まっている。フレイは言い方は荒いが、言っていることは案外正論だし、世話好きで心配性だ。

 フレイが腕を組んだ。


「クオンとシオンから聞いたが、ツヴァイエル商会も相当黒いみたいだな」


 その名前を聞いて、どきりとする。優しげな笑顔を思い出しては、今も傷ついた。


「うん。奴隷商やってたって、認めたよ」


 自分は騙されていたのだと、もう分かっている。ツヴァイエル商会は奴隷商だ。その上ツヴァイエル卿は、セレーネがどんな目的でどこに攫われていたのか、全て知っていながら俺に隠していた。決して味方ではなかった。

 だけれど俺は、最初に声をかけてもらったときの安心感、「協力したい」と言ってくれた優しい声も、まだ忘れられずにいる。今も心のどこかで、こんな結末はなにかの間違いだったのではないかと思っている。

 フレイが大きなため息をついた。


「あのクソ野郎。しばき倒してやる」


「でもさ、山賊として村から恐れられてたセレーネとか、闇市と繋がってるロロも大概じゃない?」


 俺は咄嗟に、ツヴァイエル卿を庇ってしまった。セレーネが眉を寄せる。


「私は孤児の子供を本人合意のもと連れ去ったくらいで、悪いことはしてないぞ。馬車は借りただけだし。ロロだって、まあ見えないところでなんか悪いことしてそうだけど、今のところ根拠はない。ただ闇市と取引があるだけのただの商人だ」


「なんかグレーゾーンなんだよなあ」


 俺はぱたんと、布団に倒れた。

 ツヴァイエル卿も、現時点ではグレーゾーンだ。本人が自白したのは俺の前でだけで、証拠が残っているわけでもなんでもない。極端にいえば、あれはルミナの団長に乗せられた冗談だった、とも言い逃れできる。

 俺は布団に横たわって、敷布団の皺を見つめた。


「あの人は、証拠を残さず柔軟に渡り歩きそうだからなあ……」


「ずる賢いんだよな。今まで騙されてた自分に腹が立つ」


 フレイが憤りを見せる。横目に眺めていたセレーネが、バシッと彼の背中を叩いた。


「よっしゃ、出番だ役人。ツヴァイエル商会の月の都拠点に抜き打ち調査に入るよ。名目上はこれまでみたいに労働環境の視察。そっから切り込んで奴隷商関係の証拠を徹底的に探せ」


 おもちゃでも見つけたように、ニッと口角を上げる。


「どんな微細なネタでもいい。言い掛かりでもこじつけでもいい。なにかしら理由つけてしょっぴいて、そっからザブザブ洗ってやろう」


「任せろ」


 フレイも乗り気だ。このふたりに追い詰められるとなると、 ツヴァイエル商会もボロを出すかもしれない。俺はほっとするような物悲しいような、複雑な心境だった。


「じゃ、早速書類の支度でもするか。お前らは早く完治しろよ」


 フレイがやたらといきいきしながら部屋を出ていった。セレーネがよし、と切り替えた。


「さて、飴ちゃんの怪我もだいぶいいみたいだし、ちょっと外の空気でも吸いにいこう」


 有無を言わさないセレーネは、俺の返事を待たない。フレイが開け放った、扉の向こうへ消えていく。


「えっ、どこ行くの?」


 廊下に向かって問いかけると、セレーネの声だけが返ってきた。


「ロロのとこ!」

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