新月

「いやあ、うちの子たちが失礼したね。ごめんごめん」


 洞穴の中に俺たちを招き入れ、ボスと呼ばれる女はあっけらかんと笑った。


「なんか片方びしょ濡れだし。風邪引くぞ?」


 この女のひと声で、俺にかけられた縄は解かれ、濡れた体にタオル代わりの毛皮を被せられた。マイトも今は解放されて、未だびくびくと俺に張り付いている。

 眼帯の男が洞穴の中に焚き火を灯す。


「ボス、どこに行ってたんです? 俺とジャムがどれほどあなたを捜したと」


「大袈裟だな。ほんの数時間、散歩してただけじゃんか」


「朝から晩までいないのは『ほんの数時間』とは言いません。野生生物に襲われたんじゃないかと心配したんですよ」


 毛皮を脱いだボスは、驚くほど華奢な女性だった。毛皮の頭の威圧感が物凄かっただけに屈強そうに見えたのだが、二十代くらいの若い人で、身長は俺よりやや小柄なくらいだ。白に近い鳥の子色の長い髪をポニーテールにして、その根元に赤い紐を蝶々結びにしていた。短パンから伸びる脚を組んで、胡座をかいている。


 洞穴の中には、外から見えたよりも人が潜んでいた。無心で薬草をすり潰している中年の女、刃物を研ぐ初老の男、果ては四、五歳ほどの幼い女の子までいる。月の民も大地の民も、半々ずつくらいいる。全部で十人、年齢も性別も人種もバラバラだ。


「よーし、解体完了。お前ら、今日の飯はボスが捕ってきた肉だぞー!」


 クマ男が外で肉を解体し、串刺しの肉塊にして運んできた。彼の呼びかけを合図に、各自自由に行動していた仲間たちが集まってくる。ボスはパンッと小気味のいい音を立てて手を叩いた。


「手際がいいねモジャ。さて、今夜は客人がいる。豪華にいこう!」


 ボスの紺色の瞳が俺とマイトに向けられる。モジャと呼ばれたクマ男も、テディベアのような愛嬌のある笑顔をこちらに見せた。

 俺たちは今、焚き火の前に座らされている。どうしてこうなったのかさっぱりだが、いつの間にやら俺たちは、山賊のメンバーとともに食事をいただく運びになったのだ。

 焚き火の周りに肉の串を刺し、直火で焼く。脂がてらてらして、肉の焼ける香ばしい匂いがした。

 眼帯の男とボスはまだ言い合いをしている。


「とにかくボス、出かけるときは俺にひと声かけてください。ご一緒しますので」


「面倒くさいなお前。あ、分かった。パッチ、私とふたりきりになりたいんだな?」


「本気で言ってます? 冗談にしても笑えませんよ」


「んだとコラ」


 揉めるふたりの間に、モジャが仲裁に入る。


「まあまあ。飯の時間くらいは落ち着けって」


 彼の注意で数秒落ち着いた啀み合いは、すぐに再燃した。


「ボスはもう少し慎重になってください。あなたの行動で野生生物やら人里の警備団やらにこの場所を知られたらどうするんです」


「そうなったら移動すればいいだけっしょ。今までだってそうやってきたじゃん」


 ボスと眼帯の男のやりとりを呆然と見ていたら、俺の左隣に少年が腰を下ろした。


「パッチはな、怒ってるんじゃなくて、ボスが心配なだけなんだよ」


 先程までマイトを拘束していた、あの少年だ。


「パッチって、あの眼帯のお兄さんのことな。あの人、ボスに不意打ちで喧嘩を売っておいて、逆にボスに首を押さえられたんだ。それ以来、ボスに服従してんの」


「ジャム。余計なことを喋るな」


 眼帯の男、パッチが少年をキッと睨んだ。


「ひえー、怖」


 少年はわざとらしく仰け反ってから、くるっと俺の方を向いた。


「お前ら、ふたりで旅してるのか? どれくらいそうして過ごしてる? 獣を仕留めて暮らしてた?」


「知り合いではあるけど偶然会っただけ、入山して一日、獣を仕留めた経験はありません」


 矢継ぎ早の質問に、ひとつずつ答える。俺たちをサバイバルビギナーと受け止め、少年は先輩風を吹かせた。


「ふーん。人里の外で暮らすなら、野生生物の一匹や二匹、仕留められないと生きていけないぜ。それができなきゃ、食われる側だ」


 彼は生焼けの肉を指差す。それを見ていたモジャが、ガハハと笑う。


「生意気言うぜ。ジャムだって、ひとりじゃなんにも仕留められないくせに」


「うるせー。まだ見せてないだけで、その気になればいつでも仕留められるっつうの」


 少年がバツが悪そうに言い返す。俺は個性的な面々を見渡した。


「ええと、ジャムさんにモジャさん、眼帯の人がパッチさん……」


 名前を覚えようと呟くと、ボスが俺を一瞥した。


「もちろん、本名じゃないけどね。あんたたちも名前なんて言わなくていい。こんなところにいたんだ、どうせワケアリなんでしょ?」


 肉が焼ける火で、彼女の白い頬が光って見える。


「私らもそう。名前を言えない立場の奴が多くてね。逃げ出してきた元・奴隷とか、とある貴族の家を滅ぼした元・料理人とか。指名手配中の逃亡者とか、ね」


 山賊なのだろうが、なにがなんだか分からなくなってきた。俺の困惑の表情を見て、ボスがにこっと微笑む。


「でも今は何者でもない。ただの寄せ集め」


 彼女は焼けた串刺し肉をひとつ、手に取った。


「私が旅をしていたら、孤児のチビを拾って、旅のついでに安全な場所へ届けることにした。次に行った街で別の人と出会って。そのうちいつの間にかこんなに集まったんだ」


「そうなんですか……」


「ま、道中で馬車襲ったり孤児院の子供連れ去ったりしてるから、世間様に言わせれば山賊だね」


 彼女は自ら、その形容を受け入れた。焼けた肉を頬張り、頬に手を当てる。


「よし、おいしく焼けた。あんたたちも食べな。早くしないと全部なくなっちゃうよ」


 ボスに促され、俺はマイトと顔を見合わせた。まだ恐怖心は解消されていないが、ひとまずボスの言うとおりに串をひとつ取る。


「あの、俺、こんなことしてる場合じゃないんです。はぐれた仲間がいて……」


 俺は肉越しのボスにそろりと告げた。


「月の雫が必要で、これから近くの村へ行くんです」


「ほお。村ねえ。山賊が出るせいで、警戒態勢が厳しいだろ。村に入れるか、入れても月の雫を分けてもらえるか、微妙だぞ?」


 ボスが肉にかぶりつく。俺は小さく項垂れた。


「そうですよね……」


 するとマイトが、ボスにおずおずと問いかけた。


「あの、このメンバーの中にも、月の民はいますよね。月の雫、持ってませんか?」


 問われたボスは、肉を口元に詰めたままちらりとマイトに目をやる。マイトはびくっと縮こまって、俺に隠れた。


「ごめんなさいっ。皆さんも人里に入れないんだから、月の雫が貴重なのは同じですよね。でも、俺はもう明日の分がないし、この人も、月の民の小さい子がふたり、眠ってしまってるんです」


 早口で事情を話すマイトを横目に、ボスが肉をもぐもぐ咀嚼する。飲み込んでから、彼女は改めて、マイトの顔を覗き込んだ。


「ふうん。同情するけど、あんたの言うとおり、私たちにとっても月の雫は貴重品だ。かわいそうにな、はいどうぞで分けてやれるものでもない」


 この人たちは、まさに村から警戒されている山賊本人だ。月の雫を調達するのも命懸けなのである。簡単に譲ってもらえるはずもない。

 諦めかけた俺とマイトに、ボスは条件を出した。


「だが、あんたたちがこの山賊一味に加わるのなら、私の持ってる月の雫はあんたたちにも共有される。仲間だからな」


「えっ?」


「どうせ行く宛ないんだろ? だったら私らと一緒に、居場所を探せばいいじゃんか」 


 ボスの言葉に、俺とマイトはしばし呆然としていた。山賊の仲間になる? そんな発想、全くなかった。

 ボスが肉を口に運ぶ。


「この旅の目的は、新しい居場所を探すことなんだ。皆、過去を隠してやり直したいと思ってる。私はそんなこいつらを、再スタートを切られる場所へ送り届けるお手伝いをしてるんだ」


「居場所……?」


 マイトがボスの言葉を繰り返す。ボスは熱そうな肉にはふはふと口を動かし、マイペースに話した。


「そう。住みたい場所を見つけて離脱していった人が、もう四人いる。そうやってメンバーを入れ替えて、何日も歩いてきた」


 俺たちも、その一部として入ってもいい、というのだ。

 

「仲間になるなら、私が名前つけてやるよ。やり直すには新しい名前が必要だからな」


 ボスが言うと、聞いていたジャムが口を挟んだ。


「俺たちの名前、全部ボスがその場でいい加減につけたあだ名なんだよ。パッチは眼帯、アイパッチだから『パッチ』。肉を切ってきてくれたオッチャンは猛獣っぽいから『モジャ』!」


「ジャムは私が食べさせたジャム付きのパンに泣くほど感激してたから『ジャム』」


 ボスがジャムを一瞥する。俺も洞穴の中を見渡した。顔を隠す者、大きな傷がある者と、皆、なにかしらを抱えている雰囲気である。ここにいる人たちは、本当の名前も経歴も、お互いに、素性が全く分からない人ばかりなのだ。

 ボスがニッと口角を上げた。


「なにもかも晒し出さないと信用できないなんて、そんな小さい肝っ玉の奴はここにはいないからね。お互い知られたくないことだらけだから、これくらいでいいんだよ」


 串刺しの肉は、焚き火を囲むメンツに次々と取られていく。ボスは手に持っていた肉をひと口齧り、ニヤリとした。


「因みに私の『ボス』ってのも、あだ名みたいなもんだよ。取りまとめてるから便宜上ボスってことになってるだけで、私はボスやってるつもりはない」


 そんな彼女を、パッチが一瞥した。


「実際、皆があなたの言うこと聞くんですから、便宜上じゃなくて事実上のボスですよ」


 このボスと呼ばれる女性が、メンバーから慕われているのが、ひしひしと伝わってくる。彼女が中心になることで、老若男女、体格も性格もバラバラの人たちが統率されているのだ。

 それまで怯えていたマイトが、いつの間にか、和らいだ顔になっている。


「なんか、いいですね。そういうの素敵です」


 あれだけ怖がっていたのに、ボスの取っ付きやすい姐御肌に安心したのだろう。


「俺も、帰るべき場所に帰りたくてひとりでウィルヘルムから逃げてきたところでした。劇団の役者を目指してて、捨てられたんです」


「おっ、ルミナか?」


「そうです!」


「ルミナ出身はこれで三人目だな。全く、とんでもない劇団だ! 劇より人身売買の方が儲かってんじゃないの?」


 ボスは声を上げて笑った。劇団が人を集めて売り飛ばしているなんて笑い事ではない。だが、彼女のこの豪快な態度に、マイト本人はむしろなにかから解放されたような笑みを浮かべていた。


「はは、そうなんですよ。女優志望の美人なんかは、高く売れるって言ってました」


「その点あんたは、俳優志望らしからぬほど華がないな。売れ残ったんじゃない?」


「酷い! そのとおりですけど」


 ボスとマイトのやりとりを聞いて、周りも笑い出す。ここにいる人全員がワケアリ、どんな過去を背負った人たちなのか、計り知れない。それは、俺の隣りにいるボス自身も同じ。

 マイトはすっかり、彼らのアットホームな空気に包み込まれていた。


「俺、ボスの手下になろうかなあ……」


「いいぞ、あんたの行きたいところへ連れてってやる。なんて、格好つけても約束はできないけどね」


 ボスはまたひと口、肉を齧った。

 毛皮のタオルと焚き火のおかげで、濡れていた俺の髪や服は、少しずつ乾いてきていた。

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