今からでも双子たちと合流しようかと考えたが、どこへ向かったのか分からない。ひとまず天文台を出た俺は、ロロの店へやってきた。


「どうも。セレーネについて、なにか情報あった?」


 扉を開けつついきなり訊く。ロロは店のカウンターで、木枠とガラスでなにか作っていた。口にキセルを咥えていた彼は、俺を見るなり、それをカウンターに置く。


「とある闇市の商人が、半月ほど前に西の外れを歩くセレーネらしき人を見たそうだ。ちょうど失踪したくらいの頃だね」


「お、それらしい人がいたのか」


「定かじゃないけどね。それに商人も、見かけたというだけで彼女のその後の足取りまでは分かってない。セレーネがそちらの方角になにか用事があったのか、今それを調べているところだ」


 ロロの店は今日も客がいない。埃っぽい商品に、入れ替わっている様子は殆どない。

 ロロは手を止めずに話し続けた。


「セレーネは変わり者だ、理由も宛もなくふらふらと散歩をする人だった。行き先になりそうな場所があれば少しは足取りを掴みやすいけれど、この目撃談もなんの理由もなくそこにいただけで、すぐに正反対の方向に移動した可能性もある」


「セレーネってすごく変な人だよな……」


 会ったことのない人だが、周囲の証言からその動きの読めなさばかりが伝わってくる。ロロはちらりと目を上げた。


「その変なところが、彼女の魅力でもある。行動に規則性がなく、なにを仕掛けてくるか分からない。分からないということは、知りたくなるということだ。少なくとも、僕にとっては」


 俺からすればロロも相当変な奴だが、多分本人も自覚しているだろうので黙っておいた。

 こうして話していると、ロロがセレーネに一目置いているのが分かる。シオン曰く、「ロロはセレーネ様の言うことだけは、まともに聞く」。セレーネは誰の目から見ても変人だが、クオンとシオンから慕われ、フレイから信頼され、ロロからも懐かれている。変人ではあったが、愛される人でもあるのだ。


 俺はロロが作業するカウンターに寄りかかった。


「ロロとセレーネって、どういう友達なんだ? なんで知り合ったの?」


「学生時代の同窓生だよ」


「学生時代……!?」


 小学生くらいの子供から飛び出すには衝撃の大きな台詞である。ロロは木枠を弄りながら話した。


「言わなかったかな、僕は二年前、九歳のときにウィルヘルムにある国立大学を卒業していて、セレーネはその頃の学友だよ」


「聞いてないし、九歳で大学卒業ってどういうこと……?」


「僕は人より好奇心が旺盛なんだ。知りたいと思ったら調べないと気が済まない。そうしているうちに、飛び級で大学に入学して飛び級で卒業した。自慢じゃないよ、事実だ」


 ロロが並の子供ではないのは分かっていたが、想像を絶するかわいげのなさだった。アルカディアナに義務教育はないようだし、学びたいと思えば、何歳だろうとどこまででも勉強できるのかもしれない。


「周りに同年代の人、いた?」


「いないよ。僕だけ小さかったから、周りから好奇の目で見られたさ。て、僕の思い出話なんてどうでもいいだろう? もっと有意義な話題があるんじゃないか」


 ロロが途中で話を止める。ロロにとってどうでもよくても、俺は気になって仕方ない。


「俺だって不思議なものは知りたくなるんだよ。セレーネとはどんな間柄だったんだ?」


「年少であることをからかわれたが、それ以外扱いは対等だったから、僕の方も彼女を認めた。それだけ。この話はもういいじゃないか」


 強制的に話題を切り上げたロロは、話したくないというよりは、過去の話には興味がない、といった雰囲気だった。

 聞けば聞くほど、セレーネは不思議な人物だ。謎めいていて変な人だが、周囲から浮いていたロロを他と対等に扱い、彼の心を開かせた。ますます会ってみたくなる。


「そんな話をしに来たの?」


 ロロが面倒くさそうに俺を一瞥した。言われて、訪ねてきた目的を思い出す。


「さっき眠りの病について教えてもらったよ。ロロ、体は大丈夫なのか?」


 ロロは俺の知る限りひとりだけの、大地の民の子供だ。眠りの病の恐れがある彼が月の都にいるのは、心配だった。ロロは素っ気なく答えた。


「大丈夫だよ。自分の体の管理くらい、自分でできる」


「俺が言っても聞かないでしょうけど言うわ。体を壊す前に、月の都を出た方がいいんじゃないか。都を出ても、都の近くの街に住めば、クオンもシオンもいつでも会いに行けるだろ」


「僕がそうしないのにも理由がある。と話しても、納得しないだろうね」


 トントントンと、ロロが木枠に釘を打つ。


「僕はわざと、眠りの病に罹りうる環境に身を置いてるんだよ」


 ロロは一旦、手を止めた。それから横にはけてあったキセルを手に取り、こちらに掲げる。


「これ、眠りの病を予防する薬」


「……へ?」


 びっくりして、間抜けな声が出た。ロロがまたキセルを隅に置き、釘を打つ作業を再開する。


「セレーネは月影読みとして、眠りの病の対策を考案している。僕は年齢的にちょうどいいから、彼女の研究の実験台になっている」


「えっ、マジで……マジでこれ薬だったの?」


 置かれたキセルを見て目を丸くする。最初に見たときから、ロロから薬だと言われていたが、その場を取り繕ういい加減な嘘だと思っていた。ロロはしれっと返した。


「眠りの病の予防効果が期待できる薬草を数種類、セレーネが独自に編み出した分量で調合したものをこのキセルに詰めてある。これに火を炊いて煙を吸う」


「それ、クオンやシオンも知ってる?」


「いや。実験自体、セレーネとしか共有していなかった。誰からも聞かれないから。かといって隠してもいないから、今、君に話したまでだよ」


 ロロの言葉を聞いて、絶句するばかりだった。

 セレーネの言うことは聞く、というのは、こういう事情だったのか。セレーネはロロを月の都から追い出さないし、彼が出ていきたくなったら止めはしない。それもこの、お互いに承諾の上での人体実験があるから。


「体壊すかもしれないのに……。命を預けるほど、セレーネを信頼してるのか」


「大袈裟だな。薬が効いているから心配要らないよ。それと、セレーネに身を委ねているというより、僕自身が眠りの病に興味があるから、協力してるんだ」


 ロロがふっと笑う。


「最近は新しく知りたいものもないし、実験で命を落とすならば、それはそういう実験結果に結びついたと受け入れる。……とはいえ、僕とて進んで死にたいわけではない。薬の研究は進めていきたいから、セレーネには早く帰ってきてもらわないとね」


 体は幼い子供なのに、発言は俺より大人のように感じる。俺ごときがなにを言っても、どう思おうとも、この少年の意志は変わりそうもない。


「なんでロロは、そんなに大人びてるんだ?」


 俺はロロの小さな手を見つめ、呟いた。


「大人びてるというか、大人のふりをしてるというか、なんか危うい感じがする。ちゃんと知っておかないと、扱い方を間違える気がする」


 そこまで言うと、ロロはぴたっと手を止めた。そして俺をちらりとだけ見上げ、ため息混じりに言った。


「分かった。扱いを間違えられて不快な思いをするのは僕だからね。君を建設的会話ができる相手と見込んで話そうかな。聞いてくれる?」


 そうして、ロロは手元の作業を再開した。


「僕も幼児期には夢見がちだった時期があってね、月影読みになりたかったんだ」


 それは多分、ちびっこの将来の夢といったものだろう。ロロは淡々と語る。


「幼児にはありがちな夢だよ。僕もそのありふれた子供のひとりで、大賢者と認められるほど学力をつければ、なれるものだと思っていた」


「でも、月影読みってロッド家の血筋じゃないと就任できないんだよな?」


「そう。その事実に気づいて諦めるのが一般論なんだけど、何分僕は強情でね。そのために教養を積んできたんだから、今までの努力を放棄するのが癪だった」


 ロロは眉間に皺を刻み、目を瞑った。


「僕は、自分は月影読みになれないと理屈では理解していながら、それまでの執念を無下にする潔さもない。セレーネに近づきたかった。そのままズルズル勉学に打ち込んでしまって、この有様だよ」


 俺は呆然と、言葉を出せずにいた。常に冷めた態度のロロが、なにかになりたいだとか、そういう熱意を抱えていたとは、思わなかった。


「尚、僕は今でも月影読みになりたいと思っている。なれなくても、近い存在くらいにはなれると心のどこかで思ってしまっている。ここまで来ても諦めきれない僕は、誰よりも幼稚だ」


 ロロが自嘲的に苦笑する。


「だから正直、君が月影読み代理なのは納得がいかない」


 そういえばロロは、俺が現れたとき、妙に興味を持っていた。セレーネが月影読みの代理として召喚したのが、自分ではなく、名前も知らない俺だった。気に入らなくて当然だ。

 彼が子供なのは分かっている。分かっているけれど、彼は子供として扱うには賢すぎる。こうして事情を話す姿も、幼い頃の過ちを話す大人のように見えるのだ。


「もちろんセレーネにも嫉妬した。彼女は生まれながらにして月影読みの素質を持ってる。当時の僕は今より思考か幼かったから、セレーネに八つ当たりして彼女と大喧嘩になったんだよ」


「セレーネも、子供相手に本気の喧嘩をしたのか……」


 とはいえ、俺にもセレーネの気持ちが分かる気がした。ロロは子供扱いしたくなる反面、自分と同じくらいの大人と認めたくもある。ロロが生意気を言えば、全力で言い返さないとこちらが押し負ける気がするのだ。


「結局、そんな喧嘩をしたおかげで僕は本音をぶちまけて、セレーネはそれを聞いて理解してくれた。ありがちな話だけれど、雨降って地固まる式に僕らはお互いを認め合ったんだ」


 ロロは俺の反応を面白そうに観察した。


「ただの背伸びした子供に過ぎなくてすまないね。君の期待を裏切ってしまったのなら謹んで謝罪しよう」


「いや……むしろロロらしいかも。『天才』じゃなくて、『秀才』ってところが」


 素直に感想を述べたら、ロロはふふっと笑った。


「セレーネもそう言った。後に月影読みになった彼女は、僕の幼稚な期待に応えてくれたよ」


 彼の視線が、キセルに動く。


「眠りの病の研究。月影読みの職務であるその手伝いを、セレーネは僕に振ってくれた。ならば喜んで協力するまでさ」


 彼の手元では、手のひらサイズの額縁のようなものができかけていた。


「さっきから、なに作ってるんだ?」


「先日君に見せてもらった、カレンの絵があったでしょ。あれ、いいなと思って」


 ロロの返事を聞いても、一瞬なんの話か分からなかった。俺が見せたカレンの絵、というキーワードから、少し記憶を遡る。ひとつ、心当たりが引っかかった。


「ひょっとして、これ?」


 俺はポケットから携帯を取り出した。シオンにカレンの写真を撮らせ、その画面を再生してロロに見せた記憶がある。ロロはぱっと顔を上げた。


「それ。その、小さな箱に絵を埋め込んでガラスで蓋をしているの、素晴らしいと思ったんだ。飾るにもよさそうだし、長期保存にも向いていそうだ。……あれ、真っ黒じゃないか」


 なにも表示していない画面を見て、ロロは目をぱちぱちさせた。

 そうか、ロロには携帯電話という概念がない。彼にはこれが、手のひら大の額縁に見えていたようだ。

 大人びて生意気なロロが、俺にとっては当たり前のものを知らない。大人げない俺には、優越感が湧き上がってきた。


「あのときは絵だって教えたけど、実はこれは……」


 電源ボタンを押して、画面を明るくする。右上に表示された電池残量は、すでに二十パーセントを切っていた。

 辛うじて起動したカメラをロロに向け、カシャッとシャッターを切る。撮影した画面をロロに見せると、彼はしばらく、凍りついたみたいに固まった。


「ん? 僕……?」


 手を伸ばしてきたロロに、携帯を手渡す。俺は横から画面を操作して、またカメラモードにした。


「えっ、なにこれ。どうなってるの」


 画面に映る店の景色を見て、ロロが呟く。画面下部の丸いカメラマークをタップしてやると、カシャッという音と共に、揺れていた画面が固まった。ロロの頬がほわっと赤く色づく。


「い、イチヤ、これは? なんでこうなった? ねえ!」


 彼の反応が面白くて調子に乗った俺は、動画を撮影してみせたり、ギャラリーを開いて撮ったものを表示したりした。ロロは俺の期待を裏切らない新鮮な反応を見せてくれる。


「すごい……久々に面白いものを見た。これ、どこで手に入る?」


「俺がここに来る前にいた場所では、皆、持ってたんだよ」


「こんなものを皆持ってる? 君の出身地は一体どうなってるんだ」


 いつも余裕げなロロが早口になって、携帯に夢中になっている。椅子から垂らした足をぱたぱたさせて、携帯を掲げてみたり、裏返したりしている。つまらなそうな顔をしていた彼が、年齢相応の無邪気な反応で喜んでいて、なんだか無性に微笑ましかった。


「聞いて驚け、なんとそれは機能の一部でしかない。同じものを持ってる人と、遠くにいても話ができたり、画面を通して手紙を送り合ったりもできる。さらに、全世界の人が発信する情報を共有できるんだ」


「なんだって!?」


 ロロの瞳がより一層輝きを増す。ロロの性格を鑑みると、携帯は彼の目にはとてつもなく魅力的に映るのだろう。

 ロロがくりんと俺を見上げた。


「ねえイチヤ。これ、欲しい」


「う……それは……」


 これは、記憶を失う前の俺が大切に持っていたものだ。個人情報の塊であり、大切な生活ツールである。ここで暮らすようになってから使い道がないが、だからといって軽々しくプレゼントするものではないと知っている。俺の反応を見て、ロロは素早く付け足した。


「もちろんタダでとは言わないよ。言い値で買おう」


「そこまで欲しいか……そうだよな、でもこれはちょっと……」


 困ったことに、ロロは携帯を両手で握って離さない。


「散々自慢しておいてご無体な。じゃあせめて、一時的に貸してくれないか?」


「あ、それならいいかも。でも解体しないでくれよ?」


「なぜ? バラさないと中身が分からないじゃないか」


 交渉しているうちに、画面がふっと暗くなった。ロロがきょとんと画面と睨めっこする。


「あれ? 動かなくなった」


 俺は元々すり減っていたバッテリーを思い出し、頭を抱えた。


「電池が切れたか……」


「デンチガ?」


「ええと、なんていうか……壊れちゃった」


 こうなった携帯は、ただの板だ。せめてモバイルバッテリーでもあれば復活したかもしれないが、そんなものは持っていない。ロロは俺と携帯を何度も見比べた。


「壊れた? なんて脆弱な道具なんだ。僕が直してあげよう。そのために分解してもいい?」


「どうしてもバラしたいんだな。まあいいや、どうせ使えないし、好きにしなよ。俺の記憶が戻ったとき、返してね」


 俺は苦笑いで項垂れた。ロロは真っ暗になった携帯を大事そうに握って、ぱあっと顔を笑顔を見せた。


「やった、ありがとう!」


 最後に今日いちばんの、無邪気な表情を見た。それを見たらいろいろとどうでもよくなって、いっそ清々しかった。

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