手紙

 翌朝、俺はクオンとシオンとともに、役場を訪れていた。机に向かって闇商人に関する調書を書いている大男が、ギロリと睨みを利かせる。


「クオン。分かってるだろうな?」


「ご、ごめんなさい」


 クオンが肩を強張らせて謝る。


 あのあと、眠る双子と取り残された俺の元へ、フレイがやってきた。彼は役人としてルミナを荒らせない分、街の裏通りで闇市の商人を捕まえ、調べていた。それを馬車に突っ込んで大地の国の司法へ送ったあと、ルミナの様子を見に、噴水広場に立ち寄ってくれたのだ。

 俺はこの救いの手に縋り付き、フレイがクオンを、俺がシオンを抱っこして、天文台へ連れ帰った。

 帰り道で諸々事情を聞かれたが、筋力がなくて虫の息だった俺はろくに答えられず、フレイから、「翌朝詳しく聞くから役場に来い」と指示されたのだった。

 クオンとシオンは天文台でひと晩眠って、翌朝目を覚ましたときに月の雫を飲み、今は普段どおりに戻っている。


 大人しく謝った直後、クオンがばっと顔を上げた。


「でも、こんなことしたのにも理由があるの! 聞いてよフレイ、ルミナにはお母さんがいるの! 私、お母さんに会いたくて……」


「分かってる分かってる。シオンから聞いてるよ」


 クオンの主張を遮って、フレイは訊ねた。


「それで、サリアには会えたのか?」


「会えなかった。馬車がたくさんあって、その中のどれかに乗ってたはずなの。だから私、いくつかの馬車を引っ掻き回しながらお母さんを捜した」


 クオンが言うと、シオンも頷いた。


「そうなの。だけど、見張りがたくさんいる馬車には近づけなかった。きっとあそこに役者が乗ってたんだよ」


 どうやらクオンとシオンは、縦横無尽に暴れているように見せてカレンに近づく機会を窺っていたようだ。


 フレイは調書を一枚仕上げ、羽ペンを置いた。鋭い目を、今度は俺に向ける。


「ルミナの正体は掴んだか?」


「本隊に突っ込んだのに、スカウトされた人ひとり逃がせなかった」


 俺はマイトとの会話を思い起こした。あの暗闇の中で接触に成功したのに、彼を考え直させるには至らなかった。まだ後悔している。あれでよかったのか。あの会話が最善だったのか。彼の夢を後押しして、それで俺は間違っていなかったのか。


 考えてももう戻れない。俺はふうとため息をついて、クオンとシオンの頭を撫でた。ひとまず、クオンとシオンが無事だっただけ、よかった。あのままだったら、この子たちまでルミナに連れ去られてしまうところだった。


 シオンがしょんぼりと下を向く。


「お母さんと話したかった……。せめて、元気だよって伝えたかった……」


「それなんだけど」


 俺は三人を見渡し、そっと切り出した。


「俺、カレンと会話できた」


「ええ!?」


「え?」


「あ!?」


 三人の視線が俺に集中する。質問の嵐になる前に、俺は早口に先手を打った。


「でも、カレンは自分をサリアさんだとは認めなかった。子供はいないって言ってたし、別人なんじゃないか」


「そんなわけないよ、お母さんだよ!」


 クオンが俺の腕をぶんぶん振り回す。


「私とシオンが間違えるはずないじゃない!」


「俺も君たちを信じたいよ。でも本人がああ言ってるし、それになんか変な感じだった。俺のこと見えてないみたいに『リリナちゃん』って名前を呼びはじめたり、一方的に劇団について誇らしげに話したり。かと思えばいきなり俺を突き放して、『眠りの病』だとか言い出して。意味が全然分からな……」


 ここまで口にしてから、俺はハッとなった。

 ひょっとして、あの人はわざとあんなペースを作っていたのではないか。

 話している相手が俺であると周囲の団員に悟られないよう、「新人のリリナと話している」という空間を演出していた。俺がいるのが見つかったら、団員に回収されて会話ができなくなるから。


 そうであれば、あの不可解な言動にも納得がいく。

 冷静になってやっとそこまで発想が追いついた。言葉を切ったきり喋らなくなった俺に、フレイが恐る恐る訊ねてくる。


「お、お前……眠りの病だったのか……?」


 そんな彼を黙殺し、俺はポケットに手を入れた。カレンから渡された、小さなメモが入っている。舞台の台本をちぎって、裏面に文字を書いたものだ。


 広げると、クオンとシオンが覗き込んできた。シオンがぽつりと、その走り書きに向かって呟く。


「お母さんの字だ」


 そしてクオンが、文字を音読する。


「『娘の声が聞こえた。あなたは誰?』」


「娘って、私たち?」


 やっぱり。やはりカレンは、あの場で俺になにかメッセージを託そうとしていたのだ。


『もしかしてあなた、文字が読めないの?』


 カレンは、俺には筆談ができないと気づいた。そこで彼女は、俺の胸ポケットにもう二枚、別の紙を忍ばせた。

 俺は持たされた紙を取り出し、その折り目を開いていく。こちらは走り書きではない、丁寧な手書き文字の羅列が並ぶ。


 クオンが俺の手から、紙を奪い取る。一枚目の最初の行をじっくり見つめているクオンに、シオンがそっと促す。


「クオン、読んで」


「……うん」


 クオンの上ずった声が、その文章を読み上げる。


 “この手紙を受け取った、月の都に住むあなたへ。

 この手紙を、月の都のどこかに住む、ラグネルという男性、またはクオンとシオンという双子の姉妹に渡してください。分からなければ、役場へ届けて。そこにいるフレイという役人に預けてください。”


 そして二枚あるうちの片方を、フレイに手渡す。


「こっち、お父さん宛。言葉が難しくて、読めない」


 フレイが手紙を受け取る。サリアさんが、亡くなった夫宛に書いた手紙だ。サリアさんは彼が亡くなる前に消息を絶っているから、もういないことすら知らないのだ。

 俺は彼の横から手紙を覗き込んだ。しかし字が読めない。そんな俺を見かねて、フレイはぽつぽつと音読した。


 “愛しいラグネル。元気にしていますか。

 私は今、カレンとして生きています。巡業の道程の中、急遽月の都公演が決まり、この手紙をしたためました。全ては、この手紙をあなたと、クオンとシオンに届けるため。”


 確信した。やはりカレンは、サリアだ。


 “この移動歌劇団ルミナは、巡業先で役者のたまごをスカウトしています。もちろん、役者あるいは裏方の団員として育てる目的です。

 しかしスカウトされた人材の多くは、上手く育たずに、首都ウィルヘルムの、貴族・豪商・王国議会議員を相手にとった闇オークションで、奴隷として売り飛ばされてしまいます。

 売れ残った人材は、巡業先で繋がる闇市の商人に流します。闇市に格安で売られた者は、犯罪のスケープゴートにされたり、もっと酷ければ解剖されて臓器売買に出されるのです。”


 俺はフレイの強ばった顔に目をやった。ロロの推論どおりだ。ルミナは表向きは人口に膾炙する歌劇団。その正体は、劇団員を志す人々を狙った人攫い集団だったのだ。


 “五年前、私は労働のために月の都を出た夫を見送った帰り、人攫いに拉致されました。

 その後、闇市で売られていたところをルミナに買われました。ルミナは当初、私をウィルヘルムへ連れていき、オークションで仕入れ価格より高く売るつもりだったのでしょう。

 しかし私は強く女優を志願しました。女優として舞台に立てば、いつか舞台を観に来たクオンとシオンの目に触れるというのが狙いでした。

 月の都での公演にはなかなか恵まれませんでしたが、女優として上り詰め、奴隷としてでなく女優カレンとして、ルミナに在籍することに成功しました。

 スカウトされれば必ず売り捨てられるわけではありません。役者、団員として、輝ける人材があるのもたしかなのです。

 ただし、ルミナの本当の顔を知る「サリア」でいると、命が危ぶまれます。だから私はサリアとしての記憶が消えたふりして、「カレン」として、辛うじて生きています。「カレン」でないと、生かしてもらえません。”


 カレンとの会話を思い出す。彼女は俺を新人リリナに見立て、周囲に聞こえても問題ない言葉を重ねて、俺にヒントを与えていた。

 ウィルヘルムの観客の話、「どんな舞台も失敗できない」という信念。

 あれは、後にこの手紙を読む俺に向けて、今の「カレン」としての自分の立場を訴えていたのだ。


 “優しいあなたのことだから、きっと、私を救おうと動いてくれるでしょう。でも、この劇団の悪事を知っても、どうか劇団に近づかないでください。

 今、私はこの劇団から逃げ出すために、そして新たに拉致されてきた人たちを無事に帰すために、慎重にひとつずつ動いています。

 全てを解決するためには、私が「カレン」を演じることに失敗は許されません。

 この劇団の問題は、私に任せてください。こちらは大丈夫だから、あなたには、クオンとシオンを頼みます。”


 カレンの手紙が、最後の行を結ぶ。

 俺はちらっと、クオンとシオンの方を見た。一緒に手紙を覗き込む、黒と白の後頭部が並んでいる。

 クオンが、子供向けに書かれた大きな文字を、ゆっくりと声に出した。


 “クオン、シオン。お母さんは元気です。今はまだ時期ではないけれど、いつか必ず、この劇団から逃げ出してあなたたち会いに行きます。

 早く会いたい。愛してるわ。お母さんより。”


 終わりの方は、手紙を読むクオンの声は震えていた。目に涙を溜めて、俯く。


「……お母さん……」


 俺はクオンの手の中に重なる、一枚目の走り書きを眺めていた。


『娘の声が聞こえた。あなたは誰?』


 きっとこれは、俺と話す直前に、彼女が馬車の中で書いたものだ。クオンとシオンの声が聞こえてきて、周囲の会話から、俺という、保護者の存在を悟った。カレン、いや、サリアさんは、俺と筆談をするためにこのメモを用意して馬車から抜け出したのだ。

 クオンとシオンと直接顔を合わさなかったのは、双子を危険に晒さないため。ふたりが「お母さん」なんて言おうものなら、ルミナの素顔が洩れる前に、サリアさんも双子も聞いてしまった俺も、なにかしらの対処をされる。


 そして双子が馬車に乗せられたと聞けば、それを解放するため、団長に、俺の存在に気づかせた。俺まで馬車に乗せられそうになれば、団長の方から拒否するような出任せを言って、俺に逃げ場を作ってくれた。


 今、俺がクオンとシオンを連れて、三人とも無事にここにいられるのは、サリアさんが臨機応変に助けてくれたからだったのだ。


「お母さあん……」


 クオンが膝から崩れ落ちる。床に座り込んで、わあっと大声を上げて泣いていた。

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