言伝

 たとえルミナが黒い商売をしていても、故郷に戻ってこられなくとも、マイトの信念は揺るがない。彼にも、それなりの覚悟と強い想いがある。

 外から団長の声がする。


「荷物はもう整理しなくていい、とにかく詰め込んで! 次の公演予定に間に合わなくなるわ。予定では、明日の昼までに中間地点の都市カランコエを越えないと、開催日までにウィルヘルムに着けないのよ」


 俺はそっと、テントを抜け出した。馬車の付近を確かめると、小道具がより散らかっているし馬車の荷台は一部破損していた。クオンとシオンはまだ飛び回っているけれど、もう誰もふたりを捕まえようとしていない。ふたりが散らかした物を集めて、淡々と馬車に積み直している。


 しんどい作業を繰り返していた若い女性団員が、団長に泣き言を吐く。


「なんでそんなにスケジュールがカツカツなんですか?」


「なんでもなにも、もともとやるつもりがなかった月の都での公演を無理にねじ込んだからに決まってるじゃない。ここでの公演は、スポンサー企業の希望なんだから文句言わないの」


「うう、なら仕方ない……けど、いつまで経っても片付かないですよ」


 団員が嘆く。団長も頭を抱えていた。


「双子ちゃん、いい加減になさい! 保護者はどこ行ったのかしら、全く……」


 テントが片付けられていく。手馴れた団員たちが素早く回収していき、既に大方の片付けは終わりかけていた。

 落ち着いて情報を集めよう。テントを降りた元団員についての資料が見つかるかもしれないし、団員の会話からなにか聞き出せる可能性もある。足止めすれば、フレイと警備団が闇市の商人からさらに話を引き出すかもしれない。


 俺はそっと、荷物を積んだ幌馬車を覗き込んだ。馬車の荷台に入り込み、積まれた他の荷物の中身を、こっそり調べる。全部は到底見られないが、テントを降りた人の行き先が分かるものや、なにか悪事の証拠になるものがあればと探る。


 時間を稼ぐためにクオンとシオンに倣って場を荒すか、とも考えたが、無鉄砲な動きはやめるべきだ。ルミナは公演の開催地を金で買っている。莫大な資金を持つルミナに作戦もなく突っ込めば、まず間違いなく事実を揉み消される。

 慎重に進めよう。暴けるものは暴いて、助けられる人は助ける。そのためには、少しずつ証拠を集めなくてはならない。


 調べた馬車は、衣装や小道具ばかりで怪しいものは見つからなかった。馬車を下りて、物陰に隠れる。別の馬車の荷台に忍び込もうと、タイミングを見計らった。

 大物の舞台装置を片付けていた人たちが、作業を終えてクオンとシオンの捕獲へと仕事をシフトしていく。あちこちをさまよっていたカンテラが馬車の方へと集中していき、そこだけが明るくなった。


「きゃあっ」


「団長! 捕まえました!」


 高い悲鳴と、若い男の声が重なった。ぶんと顔を向けると、数名に取り囲まれて、ついにシオンが月の民の男に取り押さえられた。


 その隣の馬車の屋根の上で、クオンが立ち止まる。


「シオン!」


 足を止めたクオンも、駆け上がってきた月の民の団員に確保される。


「うわあっ、離して!」


「こちらも捕獲しました!」


「よしよし、これで落ち着いて片付けできるわね」


 団長がパンパンと手を叩く。

 俺の焦りは、いよいよピークに達した。マイトを引き止めることはできなかったし、カレンと話すこともできていない。しかしもう時間稼ぎも限界だ。

 馬車の影で立ち尽くしていると、ふっと、後ろから口を塞がれた。


「……!?」


「騒がないで」


 心臓が止まるかと思った。

 鼓膜を擽るのは、女性の透明感のある声である。口を塞ぐ指先は、細くて柔らかかった。目だけ動かして、その顔を窺う。


 瞬間、目を見開いた。彫刻のような白い肌に、桜色の髪。長い睫毛、青い洞窟を思わせる、澄んだ露草色の瞳。

 カレンだ。女優のカレン・ミスティーナである。


 淡い茶色のワンピース姿で、ふわふわしたショールを肩に巻いている。囁く声は、舞台で聞いたあの歌声と同じだ。

 絶句する俺にふわりと微笑みかけると、彼女はぱっと手を離した。それから急に、幼い少女みたいな無邪気な笑顔を咲かせた。


「あら! あなた新人さん? よろしくね」


「へっ?」


「私はカレン! なんて、知ってるわよね」


「あっ、えっと俺……」


 もしかして、見ない顔だった俺を見て、新しく入ったマイトと混同しているのか。訂正しようかと思ったが、新人ということで勘違いされていた方が却って都合がいいのか。


 空を雲が流れている。眩しく光っていた月に、薄べったい膜が張り付く。

 迷う俺の耳に、数メートル先から団員の男の声がした。


「カレンさん、なにしてるんですか! もう馬車出ますから乗ってください」


「ごめんなさいね、待ち時間があまりに長いから、退屈して出てきてしまったわ。少し夜風に当たっていてもいいかしら」


 うふふっと悪びれなく笑って返事をしている。時間がない。この人には、聞きたいことが山ほどある。堰を切ったように、俺の口から言葉が溢れ出す。


「あ、あの、今、クオンとシオンが来てます。すぐそこに。会いに行ってあげてください」


 小声で言う俺に対し、カレンは通常の音量で返してきた。


「クオンとシオン? 誰かしら?」


 予想外の反応に、俺は耳を疑う。


「えっ、クオンとシオンですよ。あなたの娘の」


「私、娘なんていないわ。それどころか結婚もしてないわよ?」


 俺は彼女の微笑みを前に凍りついた。

 そんなばかな。この人は女優カレンであり、双子の母親サリアのはずだ。

 カレンはにっこり目を細めると、俺に小さな紙を手渡してきた。名刺かと思いきや、小さく折り畳まれたメモだった。しかし、なんて書いてあるのか読めない。俺は紙を受け取り、読めない文字とカレンの顔を交互に見比べた。


「あの、さ、サリアさんですよね?」


「ん? あなた、私を知らないの? もう一度ご挨拶するわね。私はカレン・ミスティーナ」


 サリアという名前も、認めない。聞きたいことはたくさんあるのに、早速躓いた。もしかしてこの人は、サリアさんではないのか。そっくりな別人なのか。しかし、クオンもシオンもこの人を母親だと認識したし、写真を見せたフレイだってサリアさんだと断定している。


 もはやなにから確認すればいいのか分からない。完全に言葉に詰まった俺に、カレンは柔らかに問いかけた。


「もしかしてあなた、文字が読めないの?」


 受け取ったメモを読めていないと気づいたのだろう。カレンはすっと、ショールの内側から別の紙を取り出した。今度は二枚重なっていて、ぎっしり文字が書き込まれている。彼女は俺のワイシャツの胸ポケットに、その紙を詰め込む。


「そうよね、私も月の民だから分かるわ。識字なんて、頭のいい人だけできればいいと思ってたもの。でも、これからは台本を覚えなくちゃならないからね。読み書きは私が教えてあげるわ」


「あの、俺……」


 新人ではなくて、と言い出そうとする。しかしカレンは先を言わせなかった。


「へえ、あなたリリナちゃんっていうの。かわいい名前ね。きっと素敵な女優になれるわ」


「はい?」


 なにを言っているのだろう。そんな名前は名乗っていないし、男である俺に対してわざわざ「女優」と表現されたのも分からない。なにがしたいのか全く掴めない。

 俺の返事を待たず、カレンは朗らかに話し続けた。


「次の公演はウィルヘルムよ。大地の国の首都。リリナちゃん、月の都から出た経験はある? ウィルヘルムはとっても大きな街だから、きっとびっくりしちゃうわ。それに、首都公演は国の有名人がいらっしゃるの。貴族や豪商や、王国議会の議長なんかも来るのよ」


 穏やかで柔らかな語り口だが、こちらが発言する隙は与えない。


「ウィルヘルムってすごいのよ。昔は自分の領地を持ってる貴族は領地に家を持っていたんだけど、今では国王陛下の領地であるウィルヘルムに自宅を構えるのが主流になってる。豪商もお仕事の拠点として買った土地じゃなくて、ウィルヘルムに住むのがステータスなの。とにかく大きな街よ」


「ええと、カレンさん、聞いてください」


「でもね、観客に貴賎はないわ。どんな舞台も等しく、失敗は許されない。私はこの劇団の女優カレンとして、どんなお客様でも、常に最高のパフォーマンスでお出迎えする。それが今の私の使命であり、生きる意味なの」


 口調こそ自然体だったが、俺の目をしっかり見つめる瞳には、強い意志が感じられた。

 一方的なのに、なぜか押し付けがましくない。それこそまるで、舞台を観ているようだ。カレンという女優が舞台の上から発するメッセージを、圧倒されながら受け止める感覚。

 カレンはにこっと口角を吊り上げた。


「意味、分かったかしら?」


「えっと……」


 なんだろうか。この女優は、なにを考えているのかさっぱり分からない。だというのに、この妙なペースにあっという間に呑まれてしまった。質問がたくさんあるし、クオンとシオンに会わせたいのに、思うように会話を進められない。

 狼狽しているうちに、馬車がいくつか動き出した。隣の馬車の影から、団員の男がひとり、顔を出す。


「カレンさん、リリナ。もう行くから乗ってください」


 咄嗟に、俺は顔を見られないように少し屈んで顔を伏せた。気がついたら、馬車周りに団員が誰もいなくなっている。カンテラがなくなって、灯りは夜空の半月だけだった。

 カレンがさっと自然に俺の前に出て、大仰に手を振り上げる。


「はあい、すぐに乗るわ。あれ? さっきまで大騒ぎしてた子供の声が聞こえないようだけれど」


「ああ、あの双子なら確保されてますよ」


 団員の男は、ごく自然に、あっさりと答えた。


「団長と同じ馬車に乗ってます」


「……えっ?」


 顔を伏せたまま、俺は小さく呟いた。

 クオンとシオンが、団長と同じ馬車に乗せられている?

 男性団員が馬車の中に引っ込む。クオンとシオンが取り押さえられたところまでは見ていた。でも、馬車に積み込まれたとまでは……。


 呆然と立ち尽くす俺の肩に、ぽんと手を置かれた。カレンの手だ。俺は彼女の顔を窺うなり、ぞっと鳥肌が立った。

 先程までの和やかな微笑みはどこへやら。凍るような瞳で俺を見据え、乱暴に俺を突き飛ばす。


「うわっ!」


 地面に尻餅をつく。大声が出ると、複数の馬車から団員たちが顔を出した。


「なんだ、誰だ!」


 再び湧き上がる喧騒の中、カレンは尻餅をつく俺を見下ろして、にこりと微笑を見せた。


「さあ、私たちは馬車に乗りましょうね、リリナちゃん」


 まるでそこに「リリナ」がいるかのように虚空に話しかけて、カレンは馬車へと消えていった。

 俺は毒気に当てられて、座り込んだままぽかんとしていた。あの人は、なんだったのだろう。立てずにいるとすぐに団員に囲まれて、真正面には団長が現れ、仁王立ちで俺を睨んだ。


「あら。あなた、双子ちゃんと一緒にいたお兄ちゃんじゃない」


「あっ……すみません……うちのクオンとシオン、見ませんでしたか?」


 まだ混乱する頭で、俺はひとまず、双子を取り戻そうと交渉に出た。しかし団長は、俺の質問には答えなかった。


「そうだわ。あなたもこれから、私たちと一緒にウィルヘルムへ行かない? もちろん、クオンちゃんとシオンちゃんも一緒よ」


 どくんと、心臓が跳ね上がる。

 なんだ。なんのつもりだ。額に妙な汗が流れたとき、馬車の中からカレンが顔を出した。


「だめよ団長。その人、『眠りの病』の症状がで出ているわ」


「なんですって?」


 団長が目を瞠る。カレンは何度も頷いた。


「瞳を見たら分かるわ。連れていっても仕方ないと思う。子供たちにも感染してる可能性があるわ」


「月の民はかからない病気なんじゃないの?」


「ご存知ない? 最近の研究では見解が変わってるのよ。感染の可能性は今まではないとされていたけど、発症している人と同じ居住空間にいれば、大地の民はもちろん、月の民でも充分うつるそうよ。しかも大地の民への感染の早さは恐ろしく早い」


「それは困るわね」


 団長は俺の体をじろじろと眺め、傍にいた団員たちに手で合図を出した。団員数名が馬車へ向かい、クオンとシオンを降ろしてくる。

 石畳に放られたクオンとシオンは、驚いたことに、電池が切れたみたいに眠っていた。


「えっ!? ふたりとも、どうした!?」


 慌てる俺に、団長はあっさり返す。


「大丈夫よ、月が陰ってきたから、眠くなっただけでしょ」

 

 言われてみれば、空の雲が厚くなって、月が隠れていた。

 双子が俺の横につく頃には、カレンは馬車に引っ込んで顔を隠してしまった。俺は、クオンとシオンをそれぞれ抱きかかえた。本当に眠っているだけのようで、心地よさそうに寝息を立てている。

 団長はそんな俺たちを置き去りにして、キビキビと団員に指示を出した。


「さあ、出発するわよ。ウィルヘルム公演に間に合うように馬を急がせて! それと念のため、マイトとリリナに眠りの病の疑いがないか確かめて」


 彼女が合図を出せば、団員たちは気持ちがいいほどの一体感で動き出す。囲んでいた団員が一斉に馬車へと吸い込まれ、最後まで残ったのは団長自身だけだった。


「おやすみなさい、双子ちゃんとお兄さん。いい夢を見てね」


 月だけが照らす暗闇の中、闇に慣れた目に団長の微笑みが映る。彼女が馬車に乗り込むと、夜の闇に馬の声が響き渡り、馬車はそれぞれ、次の街へ向かって走り出した。


 クオンとシオンを巡業に連れていく、なんておかしいし、俺まで馬車に乗せようとしたのに、なんの説明もない。

 去っていく馬車を、俺は無言で見つめていた。クオンとシオンを同時に抱えようとすると、重たくて持ち上がらない。雲に隠された月を見上げ、俺は小さく、ため息をついた。

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