商人

 月の都の噴水広場から、北へ十数分。薄汚れたボロ屋が目立ち始めた中に、その店は姿を現した。建物の前は雑草が生い茂り、壁には蔦が張り付いている。

 その不気味な建物の扉を、クオンが臆することなく押し開けた。


「ロロ!」


 ギイ、と扉が軋む音と、ドアベルがカロンと控えめに揺れる音がする。

 “万事屋”――双子に連れてこられた「ロロの店」は、怪しい廃屋であった。


 扉が開いて、店の中があらわになる。薄暗い店内に、奇妙な壺や積み上がった本、なにに使うのか分からない機械など、なんの脈絡もないものが壁に沿って雑多に置かれていた。物がありすぎて高いところにも置かれているためだろう、至るところに梯子が掛けられている。壁が物で埋め尽くされているせいで、やけに閉塞的な空気が漂っていた。

 ついてきていたフレイが文句を零す。


「相変わらず汚い店だな」


「ロロー? どこ?」


 クオンが店の奥へと駆けていく。シオンも彼女を追いかけた。


「お店の奥でなにか作ってるのかな?」


 三人とも、店の中へ入っていく。俺も若干躊躇しつつ、そろりと足を踏み入れた。

 自分の背丈ほどもある木製の置物、壁にぶら下がった怪しい仮面。歩くと爪先がなにかを蹴った。わざとらしい宝箱の形をした缶の箱だ。表面の絵柄から、お菓子の箱だと分かる。蹴った音の軽さからして、中身はカラだ。こんなものまで商品にしているのか。


 この店は、「金になるものならなんでも扱う」店なのだという。

 店主のロロは、双子に言わせれば「天才」のひと言に尽きるという。彼は経営者でありながら発明家でもあり、自ら商品を作る。その発明品に加え、客から引き取った骨董品やゴミなんかも置いており、店内は混沌している。

 店自体も相当変な店だが、店主についても話に聞いただけで不安になるほど強烈な個性である。

 クオンとシオンはごちゃついた店内を慣れた足取りで踏み抜いていた。シオンが遠慮がちに言う。


「ロロ、お留守かな……」


 そのときだ。


「いらっしゃい」


 声は、真上から聞こえてきた。俺は頭上を見上げ、少し先にいたフレイは振り向いた。クオンとシオンも立ち止まり、こちらを向く。

 天井まで積み上がった本の山と、その天辺に向かって掛けられた梯子。声はそこから降ってくる。


「すまない、居眠りをしていた」


「ロロ! なんてところにいるの!」


 クオンが驚くのも無理もない。店主の顔は、高く積んだ本の上から覗いていた。そしてその顔面を見上げて、俺は口を半開きにした。


「……子供?」


 くすんだ緑のキャスケットに、大きなゴーグル。厚手のグローブ。ぶかぶかのコートの襟から覗くのは、十歳程度の少年の顔だったのだ。


 *


「いちばん上にあった書物を読みはじめてしまってね。しかしこれが存外つまらなかったものだから、うっかり眠ってしまった」


 梯子から下りてきた店主、ロロは気だるげな声で話した。

 帽子で押し付けられたココア色の前髪と、その隙間から覗く眠たそうな深い緑色の瞳。背丈はクオンとシオンとさほど変わらないくらいだった。尻尾はない。帽子の下から覗く耳も、大地の民のものだ。


「この小さい男の子が、この変な店の店主なのか? そんで、発明家?」


 びっくりしてついそんな言い方をすると、ロロは涼やかな目線を俺に向けた。


「些か不躾だね。人を見かけで判断するのは感心しない。僕はこれでも、この店を経営するのに必要な資格は全て持っているよ」


 見た目はあどけない少年なのに、子供らしさをまるで感じない淡々とした話し方をする。


「すごい、本当に店主なのか。お手伝いとかじゃなくて」


 目を丸くする俺の横では、フレイが気味悪そうに眉間に皺を刻んでいた。


「気持ち悪いことにな。こいつは大地の国の国立大に飛び級で合格をして飛び級で卒業して、欲しい資格は全部取得して、自分で手続きして店を構えた。過去に例を見ないケースだが、アルカディアナの法の定めでは一切問題ない。本人の趣味が悪いから、こんなところでこんな店なんだけどな」


 フレイが化け物でも見るかのような目でロロを見下ろす。


「相変わらずかわいげのない小僧だな。客商売なんだから、笑顔でハキハキと振る舞ったらどうだ」


 ロロは興味なさげにフレイを一瞥した。


「お役人さんも来てたんだ。なに。摘発?」


「いや、今日は公休日だ。……ん? 摘発されるようなことしてるってことか?」


「今のは忘れてくれ。それよりクオン、シオン。今日はなんの用かな」


 フレイの怪訝な顔から目を背け、ロロは双子に話を振った。クオンが尻尾をひゅんひゅん揺らす。


「ルミナのチケット買いに来たの! ロロなら持ってるでしょ?」


 シオンもロロの方へと前のめりになる。


「私とクオンと、あとイチヤくんの分、三枚欲しいの」


「イチヤくんというのは?」


 ロロは問いかけつつも、すでに俺に目を向けていた。俺はこの子供らしくない子供に、大人に接するような気持ちで頭を下げる。


「はい、俺です」


「セレーネ様不在の間の、月影読み代理なんだよ。役場も公認。ねっ、フレイ」


 クオンがフレイを見上げる。フレイはしぶしぶではあったが、頷いた。


「ロッド家の親戚らしい。記憶喪失だとかで、なんの役にも立たねえけど」


 ロロは不思議そうに俺を見つめる。


「ふうん。セレーネが帰ってきていない件については、僕もいい加減気にかかってはいたけど……まさか代理が現れるとはね。しかも記憶喪失。面白い」


 彼はまたクオンとシオンに視線を戻し、襟の中ではふっとため息をついた。


「さて、ルミナのチケットだけれどね。たしかに手元にあったが、ちょうど今しがた売り切れてしまった」


 クオンとシオンが同時に耳と尻尾をぴんっと伸ばす。


「えー! そんなあ!」


「次、まだ仕入れる?」


「生憎次はない。ルミナの月の都公演は一日しかなかったし、正規ルートのチケットの販売自体が遅かった。もう流れてこないよ」


 ロロは非情にもそう言い切る。クオンとシオンの耳がへにゃりと倒れ、尻尾も下を向いた。そんなやりとりを見て、俺は口を挟んだ。


「一日しかなかったのか。短いな」


 ロロの視線が俺に動く。


「今回の公演は緊急で組み込まれたらしいよ。ひとつ前の公演はここよりだいぶ西にあるモレノで、次が大地の国の首都であるウィルヘルム。このふたつの都市の間にたまたま月の都があったから、通過するついでに日程を組み込んだそうだ」


 知らない地名が出てきたが、なんとなく事情は掴めた。月の都公演は本来行う予定がなかったから、諸々余裕がないのだ。クオンとシオンは共に俯いてしまった。


「観たかったね、シオン」


「観たかった……」


 悄気げるふたりを見つめ、ロロはコートの襟に埋まった顎に手を添えた。


「ところで、歌劇団ルミナってさ、訪れた街で役者のたまごをスカウトすることがあるそうだよ」


「えっ、本当?」


 しょんぼりしていた双子の尻尾が、再び元気を取り戻す。目を輝かせるクオンの横で、シオンが頬を紅潮させる。表情豊かなふたりとは対照的に、ロロの顔は変わらない。


「それも人種・階級・教養に関係なくね。看板女優のカレン・ミスティーナも、演劇に一切の知識のない状態から、ルミナに育てられたんだそうだ」


「えー! じゃ、私たちも、劇団のテントの傍にいたらスカウトされちゃうかもしれないの? 双子で女優デビュー!? どうしようシオン!」


 クオンが勝手に妄想を膨らめる。巻き込まれたシオンは耳をぺたっとさせて戸惑っていた。


「ど、どうしよう。私、人前に出るの、ちょっと恥ずかしい」


「大丈夫、ふたり一緒なら! 今のうちにサイン考えておこう」


「まだスカウトされたわけじゃないだろ」


 俺がそう呟いたのは、横にいたフレイしか聞いていなかった。ロロが双子に語りかける。


「それにまつわる噂が……いや、やめておこう」


 なにか言おうとしたが、ロロは露骨に言葉を切った。


「ここから先は有料だ」


 さらっと出てきたその単語に、俺は思わずフレイと顔を見合わせた。


 この店は、「金になるものならなんでも扱う」店だ。商品は発明品や骨董品などの有形の物体に限らない。金になるなら、情報も売り買いする。

 店主のロロは経営者でありながら発明家でもあり、情報屋でもある。


 この店に向かっている途中、双子から話を聞いた。なんでも扱うこの店には、様々な人がやってくる。ロロはその人たちから情報を集め、信憑性を確認する。そしてその情報に値をつけ、欲しい者へ横流しする。


「えっ。なんでそんな気持ち悪いところで切るの」


 クオンが文句を言うが、ロロは徐ろにハタキを取り出して、品物に積もった埃を払いはじめた。


「ここまでは、単なる日常会話だよ。しかしこの先はルミナの権利関係に関わるし、なにより今の時点ではまだ、根拠のない噂話だ。無銭で余計なことを喋るほど、僕は愚かじゃない」


 ロロはハタキを止めて、ちらりと俺に目をやった。


「買わないならこれ以上話すことはないよ。本物の月影読みが帰ってきたら、連絡頂戴ね」


 そして彼はまた、掃除に戻る。大人しく待っていたフレイが、ついに痺れを切らした。


「おい、こんな陰気臭い店とっとと出るぞ」


「陰気臭くて悪かったね」


 冷ややかに返すロロを尻目に、フレイが双子を連れて店を出ていく。俺も一緒に外へ出た。

 日差しが眩しく感じる。薄暗い店内の圧迫感から解き放たされて、自然と大きめのため息が出た。雑草の生い茂ったボロ屋だらけの街並みだが、それでも幾分か解放感がある。


 ただ、まだ胸の中に引っかかるものがあった。俺は足を止めて、先を行く三人に向かって言った。


「ちょっと忘れ物したかも。先帰ってて」


 ひとりでロロの万事屋へ戻る。待ってと叫んでいるクオンの声がしたが、振り返らなかった。

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