パズルの答え

 あれから二ヶ月ほどが過ぎ、三日月さんとは以前の関係でなくなっていた。尤も、それは良い意味で、仲は良くなっていると断言できる。

 漸く、私と三日月さんの間に生じていた溝はなくなったのだ。しかし、その所為でより一層三日月さんのストーカー行為が激しくなっているのが釈然としない。まあ心の中では不思議と嫌でない自分もいるが……


(ほんとにどうにかしないとなぁ……このままじゃいずれロボットだとバレちゃう……)


 屋上のベンチで三日月さんと二人きり……空を仰いだ私は真剣に考える。これは真面目に、早急に解決しなければならない問題だ。


(もう、何もかも打ち明けようかな? ……いや、でも、それは……)


 少しだけ、ほんの少しだけ全てを曝け出して楽になりたい自分が居たが、プライドの高い自分も存在している。が、混沌とする心の大半を占めているのは臆病な恐怖心である。

 何故なら、三日月さんは私の“血を求めている”。そう、血だ。ロボットである私には縁がない生物としての証。

 それを、もし、三日月さんが知ってしまったら?

 私の首筋に牙を突き立て、そこから漏れたのは不味いオイルだったら?

 三日月さんは心底残念に思うに違いない。追い続けていたモノが偽物だったら、誰だって落ち込むだろう。

 彼女からしたら捕らぬ狸の皮算用だが、期待を掛けられ、求められている私は堪ったもんじゃない。必死で欺いている私の努力を知って欲しい。


「ゆゆねちゃんどうしたの? なんだか上の空だけど……」


「あ、いえ、何でもないです。それより……はい、三日月さんのお弁当です」


 私は予め用意していた大きめの弁当を三日月さんに渡した。

 あの日、彼女の不健康な食生活を目の当たりにしてから私はできるだけ手料理を振る舞うようにしており、お弁当を渡すのはもはや日常と化していた。


「わぁ! ありがとう! ……ねぇ、もう霞ちゃんって呼んでくれないの?」


「三日月さん呼びで慣れてしまって……それに私はこっちの方が好きですよ?」


「うーん……ならいいのかな?」


 彼女は首を傾げながら、弁当の蓋を開けた。


「今日も美味しそうだね! いただきます! むぐっ……うん! やっぱり美味しいよ」


 私が腕に縒りを掛けて作ったお弁当だ。きちんと栄養バランスを、食欲が湧くように彩も整えている。


「んー……やっぱり腕を上げたんじゃない?」


「褒めても味噌汁くらいしか出ませんよ?」


「あ、ありがとう。一応何かは出るんだね」


 魔法瓶からコップへ味噌汁を注いで、三日月さんの隣へと置いておく。

 彼女の言う通り、私の料理スキルは上達したのだろう。家族以外に弁当を作るとなると出来の悪い料理は出したくない。それも相手が三日月さんなら猶更である。

 その気持ち一心で、私は無意識のうちに料理の技術を学び、知識は元よりあったお陰で以前よりも効率よく、美味しい物を作れるようになった。

 三日月さんだけでなく、博士も喜んでいたので良かっただろう。必死になった甲斐があったというものだが、エンゲル係数が上がって、下準備に時間を割かれているが気にしたら負けだと思う。


「そういえば三日月さんの好きな物ってなんですか?」


 私は味噌汁を嗜みながら、隣に居る三日月さんに聞こえるように呟いた。


「好きな物? 勿論ゆゆねちゃんだよ」


「あっいえ、そういうわけではなくて好きな食べ物ですよ。今後、弁当を作る時に参考にしたいので……」


「だからゆゆねちゃんだって」


「……私たちが過ごしている日常は、実は奇跡の連続なのかもしれません」


「だ、か、ら、ゆゆねちゃんだってば!」


 どうやら空耳や白昼夢でもなく、本当に私が好きな食べ物らしく、三日月さんが睨んでくる。

 単純に好いていてくれるのはハッキリ言って嬉しい。しかし、その意味にカニバリズム的な感性が絡んでいるとしたら勘弁だ。


「どうして私なんですか? 私は不味いですよ」


「いや、絶対美味しいよ! 私にはゆゆねちゃんが空腹の時に出されたステーキのように見えるもん!」


「空腹時に脂っこいものって気持ち悪くなりませんか?」


「例え話だよ。それほど美味しそうってこと!」


 飢えた獣のように舌舐めずりした彼女の瞳に光が差し込み、ギラギラと赤く光っていた。

 これは襲ってくる前兆だと、私の経験則が訴えかけている。


「三日月さん、もし襲ってきたら明日から弁当無しですよ?」


「うぐっ……そ、そんなことしないよ」


 不味いと思ったのか、三日月さんは顔色を変えて口笛で恍けているが、上手く吹けていないのでただ息を吐いているだけで滑稽だ。

 ……それにしても、こうして彼女の胃袋を掴んだのは好都合だろう。お陰で引き合いに出せば有利に事が進められる。まあ不意打ちはされるので意味ないのだが、抑止力にはなるので本当に良かった。


「ふぅ……ごちそうさまでした」


 私が考えに耽っていると、三日月さんは食べ終えたようで手を合わせた。

 しかし、大量のクレープと鍋のカレーを平らげた彼女である。このくらいでは満腹ならないようで物欲しそうに私の弁当を見つめてくる。


「あの……私はお腹いっぱいなので食べてもらってもいいですか?」


「え? “今日”もいいの? ……嬉しいような、嬉しくないような……」


 私は小食なので大丈夫だろう。半分以上残っていた弁当を彼女に渡した。

 もう慣れてしまったが、やはり吸血鬼である三日月さんは人並み以上に食べ、私が作ってきた弁当だけでは満足できないらしい。

 それなら単純に弁当の量を増やせ、と思うかもしれないが時間や費用の問題があって現実的ではない。見たところ彼女は十人前くらいを余裕で食べてしまうのだ。

 足をばたつかせてご機嫌そうに弁当を食べる三日月さんを横目に、私はポケットからクロスワードパズルを取り出した。


「あれ? それってまさか……」


「あの時のクロスワードパズルですよ。漸く、全ての問題が解けました」


 あのバスで勝負を挑まれた時からコツコツと解き明かして、ついに、今、全て解き終えた。

 横のカギ3『私の好きな物はなんでしょう?』の答えはラムネではなく、当初の予想通り私自身だったのだ。

 胸を張ってパズルを突き出すと、三日月さんは忘れていたのか、それともまさか解いてくるとは思っていなかったのか、目を丸くして驚いている。


「驚いてますね。二ヶ月くらい、ゆっくりと解いた甲斐がありました」


「……答えはなんだった?」


「答えは“あまやど”でした。これは……雨宿り、の事ですか?」


 その言葉の意味を、どうして答えにした訳を、知らない私は質問を質問で返すしかなかった。


「んー……そうだね。答えは雨宿あまやどりだよ」


「何だか含みのある言い方ですね」


 三日月さんは冴えない表情を浮かべ、箸を止めてしまう。


「その答えを知って、ゆゆねちゃんはどう思った?」


「どうって……分かりませんよ。単純に雨宿りのことじゃないんですか? 教えてください」


「嫌だ」


「ど、どうして……」


 無理ではなくはっきり嫌と言われた。いつものような朗らかな雰囲気じゃなく、冷めた瞳でそう言い放ったのだ。

 それだけで少しだけ心がズキッと痛んだが、何とか平静を装って理由を尋ねた。

 すると彼女はまた弁当を食べ始め、考えが纏まったのか、飲み込んでから笑顔で宣戦布告――


「これも勝負の内だよ。ゆゆねちゃんが自分で気づかないと、私の勝ちだから」


「えぇ……」


 まさかの延長戦からの延長戦。

 一体、いつになったら決着が着くのだろうか?

 正直、うんざりしていたが真剣で凛々しい三日月さんを見つめていると言い出せない。


「ならせめてヒントをくれませんか?」


「自分の胸に手を当てて聴いてみれば? ほら、こういう風に、ね」


「さり気なく私の胸を触るのは止めてください」


 有利に進めるために思考を振り絞ったにも関わらず、彼女の流れるかのようなセクハラで、私の知恵は無慈悲にも打ち捨てられた。

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