死闘

 身体を捻らせて逃げ出そうと抵抗するが、相手はただの一般人ではない。三日月さんという吸血鬼だ。

 彼女は私の股を挟むように馬乗りになって、手錠を片手で押さえつける。いとも簡単に私はふかふかのベッドへ磔にされてしまった。


「これが三日月さんの趣味……SMプレイですか?」


「ふざけないで。私の趣味はゆゆねちゃんだよ」


 場を和ませようたした私の努力は顰蹙を買ってしまったようで、今までの彼女とは思えないほど昏くて赤い瞳に睨みつけられた。


「ゆゆねちゃん、最近冷たいよね。どうしてなの? 私が嫌いになっちゃった? やっぱり吸血鬼だから?」


「それは……ごめんなさい。その、自分でもよく分からなくて……ただ確実に言えるのは嫌いになった訳じゃないです」


 薄暗い部屋の中。三日月さんの綺麗な瞳は蝋燭のように揺らいでいる。


「そうなの……? なら、どうして何も訊かないの? 私、吸血鬼なんだよ?」


「逆に訊いてもいいんですか? デリケートな問題だと思ってました」


「そんな訳ないよ。吸血鬼だと明かした時、言ったでしょ? もっと仲良くなりたい、って……」


 どうしてこうも純粋な本心、それも好意をロボットである私にぶつけられるのか。

 何とかして脱出したいが、ベッドから三日月の甘い香りが鼻腔を通り抜け、胸がそれで占められるのを感じ、頭がクラクラとして思考能力が鈍ってしまう。


「何でも聞いていいよ。ほら、遠慮しないで」


「え? あ、じゃあ……血を、飲んでるんですか?」


 緊迫した雰囲気に耐えられなかった私は恐る恐る質問した。

 藪蛇を突く覚悟だったが、三日月さんは待ってましたと言わんばかりに口元を薄く緩ませた。


「ふふっ安心して。飲んでないよ。私は吸血鬼でもハーフみたいな感じでね? 日光や流水では少し気分が悪くなる程度だし、血を飲むのは抵抗があるから人間と同じ物を食べてるの。まあ変わりに食欲が凄いんだけど……」


「ああ、通りで……」


 発言から察するに血は飲めるのだろうが、三日月さんは敢えて効率の悪い人間の食事をしているようだ。その理由は実に人間らしいだろう。

 カレーやクレープの件を思い出した私は納得し……いや、少しだけ引っ掛かりを覚えた。


「前に串刺しが好きって言ってましたよね? あれは人間を串刺しにして、血を飲んでいるんじゃ……」


「そ、そんな残酷なことはしないよ。串刺しが好きっていうのは団子とか焼き鳥とか、串に通した食べ物のことだよ。手が汚れないから好きなんだ」


「へ、へぇー……そうだったんだ……」


「私って残酷な吸血鬼だと疑われていたの? 全く、勘違いも甚だしいよ」


 確かに酷い勘違いだった。

 彼女もそう思うのか眉を顰めて、如何にも心外だと言った風にジト目を向けてくる。

 しかし、今回の質問で三日月さんのことをより知れて、心の何処かでホッとしている自分がいた。

それは彼女が思ったほどに吸血鬼に染まっていないからだろうか? それとも私以外の血を口にしていないからか? ……そんな疑問を思いつく限り、両方とも正解なのだろう。


「三日月さん……」


 私は顔を上げて、彼女のルビーのような瞳を見つめる。

 やはり、私は三日月さんが好きである。それも堪らなく、独り占めしたい。誰にも取られたくないと思うほどに惹かれてしまって、身体の芯から感情が溢れだす。

 月明かりに誘われて闇夜に飛翔する蝶のように、私の目には三日月さんしか映っていない。


「私も、三日月さんと仲良くなりたいです」


 今までの私は吸血鬼だと告げられたあの日からずっと悩んでいた。彼女との距離感に悩み、戸惑うばかりで、遂には彼女の好意を拒んだ。

 その全ては私の弱さが原因だった。彼女との素性を探り合う奇妙な関係に慣れていた所為で、急にステップアップした関係になるのが怖かった。

 だが、今、漸く決心がついたのだ。

 私の本心を聴いた三日月さんは目を見開いて、次の瞬間には嬉しそうに微笑を浮かべた。


「嬉しい……じゃあ名前で呼んで? ゆゆねちゃんだけ名字呼びなんて可笑しいでしょう?」


「こ、紅霞さん……で、いいですか?」


「あー……できれば霞ちゃんって呼んで欲しいな」


「か、霞さん?」


「さんは要らないよ」


「ごほんっ……か、霞ちゃん……」


 今更呼び方を変えるのは何だか恥ずかしくて、身体が一気に火照るのを感じた。

 一方で三日月さん改め霞ちゃんは余程嬉しかったのか、顔を輝かせたが次の瞬間には切なそうにし始める。何やらもじもじとしていて、戸惑っているようにも見えた。


「ゆゆねちゃんは……私を受け入れてくれるんだよね?」


「はい。もっと親しくなる覚悟はできました」


「それならいいよね?」


 霞は物欲しそうな表情を浮かべ、ぎゅっと身体を密着させてくる。彼女の体温は暖かく、身体だけでなく私の心まで包み込んだ。

 それから彼女は擦るように身体を捩らせ、衣服が擦れて音を立てる。のぼせたように蕩けて「んっんあっ……」とくぐもった声を漏らす度に、私の胸は奥からじんわりと熱くなった。


「んぅ……ゆゆねちゃんってやっぱりいい匂い。美味しそうで……我慢できないよ」


「え? あの? ちょっ?」


 血のように赤い双眸に反射した私は困惑している。

 そうこうしている内にも、彼女は恍惚とした様子で三日月のように開いた口を近づけてくる。


「み、三日月さん……ま、まさかっ! は、離して!」


「ん~三日月さんじゃないでしょー?」


 動揺から思考が鈍る中、ほんの少しだけ残っていた理性を働かせた。

 それに触発されて”三日月さん”は力を込め始める。私をベッドから逃さないつもりなのだろう。狂気染みた笑顔がそう語っている。


「くっ……い、いい加減にしてくださいッ! 怒りますよ!」


「さ、流石ゆゆねちゃんだねッ! 吸血鬼のフルパワーを受け止めるなんてッ!」


「そりゃどうもッ!」


 ここまでされれば三日月さんの目的は手に取るように分かる。

 そう、吸血鬼の代名詞でもある吸血行為に耽るつもりなのだろう。襲われるのはいつものことだが、仲良くなったからと言ってロボットだと明かすつもりはない。

 しかし、この状況は非常に不味い。馬乗り+手錠、そして三日月さんの部屋という三コンボ。圧倒的に不利で、右腕を防がれている所為でスタンガンも使えない。


「うぇへへ、大人しく私に食べられてね。大丈夫、痛くしないから。少しだけ血を貰うだけだし、優しくしてあげるから。ね?」


「だ、駄目ですッ!」


「往生際が悪いなぁ。ロボットだとしても気にしないから! お願い!」


「私はロボットじゃないです!」


 否定すると同時に一気に反抗したが、呆気なく抑えつけられた。今までの三日月さんなら脱出できた筈なのに、彼女も本気だということだろう。

 状況は悪化し、私のスタミナが途切れてきた。

 それに比例して三日月さんの桃色の唇が私の首筋へと近づき、絶体絶命だ。このままではロボットだとバレてしまう。


(ど、どうすれば! こうなったら奥の手の十字架のネックレスを使って――いや、でもそれは三日月さんを苦しめてしまう……!)


 一度、十字架を目の当たりにした彼女の苦痛に満ちた表情を思い出すと、とても使おうとは思えない。


「――そ、そうだ! そういえば以前に博士が言っていた防衛システムがあった筈……!)


 さっき博士と電話したからか、私の諦めない気持ちは切り札を掴み取った。

 あれは確か――


『もし、ゆゆねがガマ口スタン君を使えないような危機的状況に陥った時、合言葉で発動する防衛システムを搭載しておいたぞ。非殺傷だから安心じゃ。合言葉はそう――』


「じぇ、ジェットストリームアタック!!!」


 刹那、時間が止まったかと錯覚するほど、空気が凍りついた。

 何かしらの効果があったのか、三日月さんは固まっている。いや、どちらかと言えば絶句に近いだろう。


 ――カシャンッ!


 合言葉に反応して動いたのは私の額だ。光学ドライブのように額から棒が伸びたのだ。そう、棒である。割り箸のような太さの望がにょきっと、植物が成長するように生えた。


――カチャカチャカチャ……バサッ!


 そして、ゼンマイを回すようなシュールな音が数回して、棒から真っ白の布が飛び出した。


「しろ……はた……?」


 三日月さんは譫言のように呟いた。

 非常に不服だが、その通りだと思った私は博士を恨んだ。

 何が防衛システムだ。ただの降伏じゃないか。しかも額から白旗なんて自分はロボットだと言っているようなものだ。


『あー、あーマイクテスト……ゆゆねよ。ジェットストリームアタックは三人で使用可能じゃ。一人では使用できんぞ』


(知らないですよ!? 第一、三人で使用ってどういうことですか!? 分身しろってことですか!?)


 脳内で再生された博士の支離滅裂な録画メッセージに、私は心が荒むのを感じた。

 しかし、皮肉にもそのお陰で一周回って冷静さを取り戻した。

 三日月さんは未だに呆然としていて、力が抜けているので今がチャンスなのだ。


「チャンスは最大限に活かします!」


「アッ! ゆゆねちゃん逃がさないよ! ってスタンガンは反則じゃ――あばばばばっ!」


 そもそも不意打ちを喰らった上に、相手が有利なフィールドでの惨事だ。ガマ口スタン君くらいで文句は筋違いだろう。こっちは一歩、いや百歩譲っているようなものだ。

 百万ボルトの電流で気を失った三日月さんは私に倒れ込んでくる。その際、彼女の胸を顔で堪能する羽目なったが、心のどこかで喜んでいる自分が居て情けない。


「はぁ……疲れました……」


 彼女のポケットに入っていた鍵で手錠を外し、私は隣で眠っている三日月さんを見つめた。

 すやすやと心地よさそうな寝息を立てていて、とてもスタンガンで気絶したようには見えないだろう。


「三日月さん……」


 そんな彼女に、無意識のうちに触れてしまう。思えばこんなに近くに三日月さんを感じることは今までなかった。

 両手で彼女を抱き枕にして、脚も密着させる。ベッドの所為か、安心できる匂いが鼻腔を通り抜け、彼女の優しい体温が包み込んでくれた。


「結局、三日月さん呼びになってるけど別にいいですよね?」


 私の中では三日月さん呼びが定着していて、もう変えられないのだろう。傍から見れば他人行儀かもしれないが、私はこれが親愛の証と思っている。

 三日月さんを抱き締め、その存在を感じる度に喜びを覚えた私の意識は、徐々に闇へと飲み込まれていった。

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