電子の海にコーヒーを

劣白

隣の席の彼女は吸血鬼だった

 私は人間、いや正確には生物ですらない。人の手によって作られた俗に言うロボットという存在だ。

 偉大な博士によって作られた人間型ロボットで、見た目や生活は一般的な人間と大差ない。

 早朝に欠伸をしながら起き、歯を磨いて顔を洗い、博士と共に朝食を摂る。それから学校へと出向いて勉強に励み、下校途中スーパーに寄って買い物をし、晩御飯を食べ、お風呂に入って、ふかふかのベッドで就寝だ。

 至って普通の生活だろう。そこにロボットらしい要素は全くない……筈である。


「うぇひひ、ゆゆねさんって良い匂いだね……」


「え、えっと……三日月さん? ど、どうしたんですか? その、どうして馬乗りに? あっ、もしかして体調が悪かったり……」


「うぇへへへ……」


「酔っ払いみたいになってます」


 ロボットこと私、緋色ひいろゆゆねは放課後の黄昏た教室で、隣の席の三日月紅霞さんに押し倒されていた。

 周りには誰もおらず、二人っきりで、三日月さんは恍惚そうな表情で身を捩らせている。



 どうしてこんな事になったのだろう?



 今年、何の変哲もない普通の高校へと進学した私は平凡な毎日を送っていた。休み時間は静かに小説を読んだり、自習や宿題をして時間潰し。授業だって真面目にノートを写している。

 しかし、友達ができない。私自身、クラスの中で大人しくて静かな女性と通っていると自覚しているが、それ故かクラスメイト止まりの関係が多いのだ。悪い言い方をすればクラスの中で浮いているのだろう。

 だけど、ぼっちの私にも気になるクラスメイトがいて、それは隣の席の三日月みかづき紅霞こうむさんだ。

 彼女は誰にでも優しくて、周囲に笑顔を振りまき、クラスでも人気があった。正に太陽のような人だろう。彼女が陽の存在なら私は陰に違いない。

 そもそも三日月さんに惹かれたきっかけは授業中のことだった。

 ふと隣の席を一瞥すると彼女はいつも寝ているか、窓の外を見てはどこか儚げにしているのだ。店先のショーケースの中で埃を積もらせている人形ドールのようで、普段明るい人が見せる意外な一面。ギャップというのだろう。

 すっかり虜になってしまった私は漸次、三日月さんという人物に興味が湧いた。尤も、内気な私は隣にいる彼女にすら話しかけることは出来ずに、ただ授業中に眺めるしかなかったが……


(それにしてもこの状況はなんだろう……三日月さんと話せるきっかけにはなったけど……この状況はなに……?)


 忘れ物をした私は教室へと戻った。そこで遭遇したのは私の机ですやすやと寝息をたてる三日月さん。

 彼女の席は一番の後ろの窓際。私の席はその隣で、普通は間違えない。間違えたとしたら体調不良か、ただぼんやりしていただけ、か……

 兎に角、ひっそりと机の中の忘れ物を回収して帰ることも出来たが、時間が時間なので放置できない。三日月さんを起こそうと肩を揺すった。

 刹那、私は彼女に床へと押し倒されて現在に至る。幸いにも咄嗟に手を使ったので怪我はしていない。


「み、三日月さん? あの……いつまでそこに? あっ! 別に三日月さんが重いとかじゃなくてですね! その……っ……」


 私の上に馬乗りなった三日月さんはゆっくりと顔を近づけて、まじまじと見つめてくる。互いに息が掛かるほどに近い。


(あれ? 目が赤い?)


 彼女の目は透き通るような青色だった筈だ。いつも眺めているので間違いない。

 しかし今の彼女の双眸は血のように黒く濁り、獲物を狙う化け物ようにぎらついていた。


「――やっぱり美味しそう……」


「……え? いまなんて……?」


「貴方の血、私にちょうだい……」


 彼女の妖艶な笑みに私は見惚れた。こうも心を揺さぶられるような、心臓をがっしりと掴まれるような笑みは今まで体験した事がなく、胸が高鳴ってしまう。


「いただきます」


 三日月さんは私の首筋に噛みつこうと顔を近づけ、後少しのところで私は我に返った。ぼんやりとする脳を必死に働かせる。


「だ、ダメです! やめてください!」


「いや我慢できないよ! 少しだけ! ちょっとだけだから!」


「それ絶対全部吸うやつですよね!?」


 私は拒絶し、彼女の肩を押して脱出を試みる。しかし、彼女も必死なのか下がってくれない。

 鍔迫り合いのように力を出し合っている時、ふと彼女の口、いや歯が異様だと気がついた。八重歯が異常に尖っているのだ。噛まれたら一溜まりもない。

 攻防の末、やがて私の力が押し負け始めた。このままでは首筋に嚙みつかれてしまうだろう。

 ああ、三日月さんの歯が首筋に触れ――


「うぇっ! そ、その十字架はダメッ! は、はやく隠して!」


「え? あ、はい……」


 突然、三日月さんは顔を青くしては背けた。言動から私が首に掛けている十字架のネックレスを恐れているようで、思わず服の中に隠してしまった。

 普段から身につけているアクセサリーのお陰で助かるとはなんたる僥倖だろう。彼女の力が抜けたことにより一命は取り留めた。が、相変わらず馬乗りは止めてくれない。

 そして、ふと思い出すのは血を吸うという発言に赤い瞳。それと鋭く尖った歯から鑑みて――


「も、もしかして三日月さんって吸血鬼なんですか?」


「なッ! ななな!? ち、違うよ!?」


 私の呟きに酷く動揺した様子だ。それではまるで自分が吸血鬼と主張しているようなものだろう。

 しかし、これは脱出のチャンスだ。

 半信半疑のまま私は腹筋に力を入れ、一気に起き上がる。不意打ちのつもりだったが、反射神経が良いのか彼女も逃がさないとばかりに力を返してくる。


「あ、案外ゆゆねさんって力が強いんだねッ……私って結構身体能力に自信があるんだけどッ!」


「み、三日月さんこそ、顔色悪いのにそこまでッ……わっ!」


「きゃっ!? ……いたたっ――え? こ、これって……!」


「どうかし……」


 青褪めた様子の三日月さん。その手には私の手首が握られていた。


「って、て、ゆゆねさんの手首が……取れて……」


「あっ! わ、私の手首返してください!」


 押しどころが悪かったのか、それとも三日月さんが変に力を入れた所為か、私の左手首は外れてしまった。文字通り、自転車のチェーンが外れるが如く、だ。

 私は咄嗟に手首を奪うと装着して、掌を開いたり閉じたりを繰り返しては神経の接続を確認する。


「あの……ゆゆねさんってロボットなの?」


 安心も束の間。三日月さんは私の上で訝しそうにしている。

 腕の内部は精密機械に溢れ、取れてしまった手首も然りだ。それを彼女に見られてしまい、私がロボットだと疑われる原因になってしまった。


「違います。私は平凡な人間です」


「嘘だよ! その手はどうなってるの!?」


「こ、これは……わ、私、手品が得意なんです! 手首が取れるのはマジックの一つなんです!」


「ま、マジシャン?」


 勢いで吐いた嘘に彼女はぬとねの見分けがつかないような間抜けな表情を晒している。

 このままだと質問責めに遭うのは確実で、私はさっさと話を戻した。


「それより三日月さんって吸血鬼なんですか?」


「うぐっ……そ、それは……」


「目は赤いですし、血を求めたり、十字架が嫌いだったり、吸血鬼の特性ですよね?」


「じょ、冗談だよ! 夢の中で自分が吸血鬼になっていたから! つい揶揄っただけで……!」


「それにしては歯が尖っていたし、力も強いですよ?」


「ち、力が強いと言えばゆゆねさんだよ! 本当はロボットなんだよね!?」


「だ、だから違います!」


 危ない。墓穴を掘りかけてしまった。

 そう、三日月さんの言う通り私はロボットと言われるモノだが、”博士以外の人には秘匿”にしている。理由として私自身、ただ平凡とした生活を送りたいのだ。それを達成するためには自分の本性は隠さないといけない。

 だから学校にもロボットという身分を隠して、普通の女子高生として通っている。バレてしまうのは言語道断なのだ。


(それにしても……)


 そっと深呼吸しつつ冷静さを意識して、目の前の三日月さんを観察してみる。

 やはり彼女は吸血鬼なのだろう。容姿もそうだが、問い詰めた時の表情は明らかに動揺していた。

 私はロボットなので凡人よりもパワーがある。具体的な力を言えば素手で釘を打てるくらいだ。それを受け止められるということは、少なくとも三日月さんは普通の女子高生ではないのは確実だろう。


(吸血鬼だったら十字架を見せたら白状しそうだけど……三日月さんが苦痛を感じるのは嫌だな……)


 少し十字架を見ただけで病を患ったように顔色を悪くするのだ。飽くまで強引な手は使わず、自分は吸血鬼だと認めさせたい。凛としている彼女の新たな一面を見たい。


「あの……」


「だ、だから私は吸血鬼じゃ――「そうじゃなくて……冗談なら退いてくれませんか?」あっご、ごめんね……」


 言われて気づいたのか三日月さんは申し訳なさそうにして私の上から退いてくれた。


「あの、本当にごめんね? あまり話したことないのに馴れ馴れしかったよね?」


「い、いえ、こちらこそ突然手品を披露してすみません……それじゃ、また明日……」


 身体に付着した塵を払い、立ち上がった私は忘れ物を彼女にさよならと手を振っては教室を後にする。

 最後に見た三日月さんは思考を巡らせているのかぼんやりとしており、その目はいつもの青眼に戻っていた。


 この日を境に私と紅霞さんのお互いに探り合う、奇妙な関係は始まったのだ。







「あっ……忘れ物を忘れました」


 帰路に就いていた私は落胆した。

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