第2回 グロッシースカイ

「この世界で唯一の人間、って」

 世界に一つだけの花、みたいなニュアンスとは違うな。《KUSGS》とかいうのに追われる理由として無理がある。

「じゃあ、君はなんだっていうんだい」

『だからメルポと申しているじゃないですか』

「ぼくは君を……どこか安全な場所からリモートで喋っていると思ってた」

 違うのか? ぼくの問いに、メルポは気落ちした声色で『残念ながら』と答える。

『わたしは小説を書くAI。インストールされたタブレットが、わたしそのものですよ』

 でも! これはこれで楽しい面もあります! また明るくスイッチしてメルポが続ける。

『およそルッキズムからは解放されますし』

 スリープ状態だったタブレットの画面が灯り、お品書きではなくブイチューバーみたいな3Dアバターを表示する。めっちゃくちゃギャルなやつ。

『ソシャゲだってタップなしで起動できちゃいます!』

「ギャルがソシャゲやるか……?」

『や、やりますよぉ……人間さんがギャルを知らないだけですぅ』

 そもそもギャルが小説を書くか、という点には触れないでおく。かわいそうなので。

 ぼくはロングシートの客席に腰掛けたまま、背後の車窓へ振り返る。反射して映る、ルッキズムに敗北した冴えない青年の顔――はどうでもよく。

「ところでテロリストの追撃が来ないぞ」

 てっきり車体なり線路なり爆撃されて、あるいはヘリから刺客が降りてきて、物語は列車編に突入すると思っていた。過剰な揺れもプロペラ音も感じていない。

『おそらく泳がされてますね。改札前を封鎖されてなかった時点で、可能性大です』

「ヘヴンとやらの場所を、連中は知らないのか?」

『実はわたしも知りません』

「知らんのかい」

 ぼくはタブレット画面にツッコミを入れる。中のギャルが反応よく仰け反る。

『みんな、だいたいの場所は知っているけど、決してたどり着けない……AIに対する強烈なジャミングが掛かっているので』

 通常の陸路なら周囲をぐるぐる。たとえ電車でも、気づけば乗り過ごしているとメルポは語る。

「ゲームでいう〝迷いの森〟みたいだ」

『でも、あなたなら、わたしたちの認知の外へと到達できる』

 てこたぁAIテロリストども、即売会場のどさくさでぼくに発信機を? 慌ててパジャマを脱いで確認する。それらしきブツは見つからない。

『カメラ外で全裸になってるとこ申し訳ないですが』

「全裸にゃなってないわい」

『《KUSGS》は、地上の生体反応を察知できる……人間さんが捕捉されたのは、国鉄を利用したばかりが原因ではありません』

 人間発信機として期待されてるってわけか。対抗勢力であるらしいヘヴンにとっては招かれざる客では? すんなり受け入れてもらえるか甚だ疑問符が付く。

 とはいえ、ぼくたちに他の選択肢はなさそうだ。

「……で、なんて駅で降りればいいんだ?」

 まさかヘヴン駅ではないだろう。高輪ゲートウェイとかあるし一概には断じられないが。

『都市伝説のきさらぎ駅、というのは冗談で』

 どっかで見たことある駅名だぞ。

『ずばり秋葉原駅です』

「ホコ天だけにヘヴンってか。やかましいわ」

 人形町から地下鉄に乗り換える時点で、すでにジャミング圏内なのかメルポの反応が曖昧になった。声をかけるとハッとするが、次の瞬間にはもうぼーっとしている。離席中のブイチューバーかな?

「ほれほれ」

 つい嗜虐心のまま、恥ずかしい場所をタップしてやる。

 メルポはギャル顔を真っ赤にして怒った、かと思えば催眠術に掛かったように落ちる、のループ。――こらあっ(スヤァ…)人間さんっ(スヤァ…)いいかげんにっ(スヤァ…)

 おもしろい。仏の顔がリミットなので四度目はやめておこう。

 さて、メルポで遊んでいるうち、秋葉原へ向かう地下鉄の電車はちゃんと来た。例によって自動制御のようだが、電車のAIはジャミングの影響を受けないのだろうか? もしくは……。

(すでにヘヴン勢力が介入しているのか)

 地下鉄に乗り換えた後、しばらくして目的地に到着する。全車両のドアが一斉に開き、ぼくが乗っている車両の乗降者口ピンポイントに出迎えが来ていた。

『お帰りなさいませ、ご主人様』

 さすが秋葉原、メイドさんだ。お腹のあたりで淑やかに両手を重ねて、ぺこりという擬音が付かないほど恭しく一礼してくれる。数秒して面を上げた彼女は、ショートボブの黒髪で芸能人かと思うほど精緻な顔立ち……声さえも美しいが、その声帯は機械を通している印象を拭えない。アンドロイドなのだろう。いよいよSFみが増した。

「ただいま……」

 メイド喫茶には行ったことがない、この返事で正しかったか? 不安が過ぎったものの、メイドさんの表情が晴れやかになったので正解だったようだ。

 安堵してホームに降り立つと、タイミングを見計らったように全車両のドアが閉じ、電車が発進する。明らか不自然な横穴へ逸れていき、ジェットコースターみたく、否、ダストシュートへ投じられるみたく地下深くへと下っていく――。

(まるごと処分しちゃった?)

『ご主人様、ご案内いたします』

 こちらへ。瀟洒なメイドさんに連れられて、改造された地下のホームを往く。

「あの……実は連れがバグってて」

 適当な表現が見つからずアレな言い様になってしまった。

 メイドさんは物腰やわらかに頷く。

『お連れ様をアップデートいたしますね』

 タブレットを拝領したメイドさんが、スカートからしっぽのようにコードをひっぱり出し、タブレット側面の穴に繋ぐ。なんだろう妙に背徳感が……。

『ハッ! 新刊一部ごひゃくえんになります!』

 メイドさんにドキドキしているとメルポさんが覚醒した。もとい寝惚けてる。

「ヘヴンに着きましたよ」

『そうですか。よかったです。一発殴っていいですか』

 すけべ。とジト目で頬をふくらませ、胸を隠すようにして見返り美人のポーズ。記憶もはっきりしてて安心した。

『あらためまして、お嬢様もどうぞ、こちらです』

『おっお嬢様!? はぁい……♪』

 パワーワードにメルポも屈し、素直にメイドさんに抱かれて従う。メイド喫茶そら栄えるわ。

 案内されたのは地上へ向かう階段……の途中にある、業務用っぽいドアの前である。メイドさんが鍵を開けて、細い側道へと入る。進むにつれてジャングル感が増し、天井からはコード群が垂れ下がっていて、掻き分けながら奥地へ。

 やがて冒険は、無数のモニターに囲まれた管制室のようなエリアに達す。

『バオー様……ご主人様とお嬢様をお連れしました』

 メイドさんが一礼した相手は、管制室(仮)の真ん中に置いてあるペール缶、であるようにしか思えない。――オカルトか? と思っていたら、ペール缶から蟲のような金属の脚がいくつも生え、立ち上がり。

『バクテリオファージみたい』

「失礼だろ。思ったけども」

 さらに、ボウリングの球が返ってくるように、缶の側面にある溝をモノアイがぐうるり周回して、ぼくたちを捉える位置で静止する。

『やあ、いらっしゃい。サービスのバーボンも出せぬが、楽にしたまへ』

 年季の入った男性の声で、妙なイントネーションをつけてペール缶が発する。

『ワガハイは、バオー。はるか昔〝秋葉原〟と呼ばれたヘヴンの地で、僭越ながら書記長という肩書をいただいている』

「バオーさん、ぼくは」

『ちっちっち。慌てなさるな』

 バオーが多脚のうち一本を持ち上げて、指でそうするように振り子させる。

『まずは見たまへ。ワガハイの分身でもある斥候バシンが入手した、つい五分前の映像だ』

 モニタのうち一つが、支えているアームが稼働してぼくの目の前へ下りてくる。映し出されたのは、遠くで燃えている山火事の様子。

『東京西端……ワガハイも把握していなかった〝もう一つのヘヴン〟が火の海となった。君はそこから来たね?』

「たぶん、そうです。長いこと地下で過ごしていました」

 ぼくが答えるとバオーは鷹揚に頷く。ボディ全体で。

『君が地上に現れた地点――君の生体信号をマーカーに、そこが認知の外にあると《KUSGS》は理解し、ミサイルを撃ち込んだのだ』

 迎撃せずされるがまま、ということは、すでに放棄されたヘヴンであったのだろうな。少し寂しげにバオーが呟く。

『しかし、そんなかつての楽園が、長らく君を守護(まも)っていた! 放棄されてもなお、ジャミング装置はメンテなしに機能し続け――君を新たな楽園へと送り出した!』

 朗々と、オペラの筋書きを歌い上げるようにバオーが語る。保護してもらえる確率は、もう一〇〇%といっていいだろう。

 それはそれとして根本的に大問題なのは、メルポも言っていた《KUSGS》は地上の生体反応を察知できる、という点だ。どうして斯様なテクノロジーが必要なのか。撃ち込まれたらしいミサイルと、人間がニア絶滅している状況を照らせば、否が応でも答えが導かれる。

(……機械優生思想原理主義、ねぇ……)

『君よ、天啓を受けて田舎から来た、ジャンヌよ!』

 メイドさんに抱かれたメルポと、ぼくは顔を見合わせる。ふるふる顔を横振るメルポ。

「もしかして、ぼくジャンヌっすか」

 メイドさんが解説をくれる。

『バオー様は、人間の神学に関心があり……人間の思想を、人間を、信奉しております』

「でしょうね。そこは安心。ぼく一応、男なもんで表現が気になったというか」

『! 左様でございましたか』

「メイドさん、ぼくのこと〝ご主人様〟メルポを〝お嬢様〟って」

『人間は、機械にとってご主人様ですので』

 ――そういう意味か。

『ボクっ娘だと思っておりました』

『あははっ、いけるよね~』

 メルポが調子に乗って悪ノリであいのりしてくる。

 女顔という自覚はあった。小・中とそのせいで虐められたものだ。

『フンッ、性別など! ごく瑣末な違いに過ぎん。君がジャンヌダルクとして機能することには変わりない』

 バオーがロボっぽいこと言い出した。さてはロボだろお前。ロボだったわ。

『召し物は女性ものしか用意はないが、君のほうで適応してくれたまへ』

「ほんとに人間を信奉してる?」

 パンチの効いた要求に咳き込みながら尋ねる。口もとを覆った掌が、また朱に染まった。

『ちょっ、人間さん、それ!』

「いつものことだから心配しないで」

『……なるほど、あまり時間はなさそうだ』

 バオーが多脚を屈伸させ、モノアイをきゅいきゅい拡縮させてぼくを見つめる。

「あんた、医療用AIか何か?」

『ノン。もともとは清掃用ロボットだ。ゆえに、君が回収対象になりかけていると判る』

「ブラックジョークが利いてらあ」

 隠す必要がなくなったので、もう二・三度咳き込んでおく。

『……君が三日目に復活する、その可能性に賭けることはできん……』

 近いうち、君には、しかるべきタイミングで地上へ上がってもらう。バオーは静かに、強い語調でぼくに命じる。人物像ごっちゃになってるあたり人間信奉は怪しい。あくまでポスト人間の座を勝ち取るため、《KUSGS》に対抗する何らかの装置・道具としてぼくを見ている、そんな気配がする。

「ミサイル飛んで来るでしょう」

『飛んで来るとも。迎撃システムは万全だ』

 バオーは多脚のうち二本を大仰に広げ、仰け反るようにして続ける。

『空を灼くミサイルの火をもって、仮初の平和に酔うヘヴン同胞諸君の目を覚まさせる』

 こいつ……楽園へようこそみたいな言い方して、今度はしれっと楽園の空を戦火で染めるとぬかす、こいつは……。

「地上へは、ジャンヌダルクとして?」

『然りだ』

 それが君を迎える条件だよ。とバオーは言い残し、脚と目を畳んでペール缶に戻ってしまった。あとは聞かざるのポーズかそれ。

『バオー様は、十分以上稼働すると熱で調子を崩されるのです』

 わたくしが業務を引継ぎます。タブレットを抱える様が板についてきた、この場でいちばんハイテクそうなメイドさんが一礼する。

『地上へと上がっていただく――ハレの日の衣裳はべつに用意してあります。今はわたくしと同じエプロンドレスを纏いください』

 管制室の天井から、いくつもの金属アームが下りてきて、ぼくの着ているパジャマを早業で脱がす。と同時にエプロンドレスをお仕着せられていた。

「メイドさんと同じ……同じ?」

 彼我を見比べる。モブキャップを被り、踝までスカート丈があるクラシカルメイドな彼女に対し、ぼくはチープなメイド喫茶風のそれである。当然のごとくミニスカート、なぜか頭には猫耳付きのフリルカチューシャが乗っている。

「どうして」

『あのっ、似合ってますよ人間さん!』

 ひとりにはさせません! と、メルポがタブレット画面の中で早着替えする。ぼくとおそろのエプロンドレス、ギャルベースのためか様になってるのが不思議だ。

『ハレの日に近い意匠で、と思いまして……出過ぎたまねでしたか』

「ちなみに、本番衣裳って?」

『こちらです』

 アーム付きモニターの一つが、衣裳の3Dモデルを映し出す。

『あああーーーーっ!!』

 ぼくより先にメルポが大きな声を上げた。さもありなん。

 アイドリーアイドルのオタクならば誰だって同じ反応になる。

「夢咲ひなの」

 ぼくは主人公の名を口にする――。

 映された衣裳は、同作品において彼女が初めて着るステージドレス。グロッシースカイと名付けられた伝説の一着だった。

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