青白い輝く裸体は冷たい涙を流した。

ジョン・グレイディー

第1話 青白い輝く裸体は冷たい涙を流した。

 反抗を貫いた深い信仰心。平戸のガスペルの墓に聳える十字架、ザビエル記念教会の天守の十字架。


 隠れキリシタンの無念の魂、信仰を愛し、不遇の時代に抗った怒り

 

 その象徴として、哀しい青い空を突き立ている。


 俺は其れ等十字架に覚悟の死を感じ取った。


 その俺の頑なな覚悟に対し、今まで聞こえなかった憐れみの声が、一つ、微風の中に聞こえた。


「もうこれ以上苦しまないで…」と風は言った。


 俺が奮い立てば立つほど、哀愁の念を知らしめ、俺の自虐的で無謀な行為を危惧する何かが存在する。


 それは何か!


 俺は、今の惨めな俺を高みから嘲笑う、昔の恋人、エリートの妻となった裏切りの女、そう、「高貴の微笑み」と決めつけ、その運命を創造した神の悪戯と疑う。


 神はこうも俺に言った。


「全ての過去が明らかになる。」と


 俺の過去の暗闇。


 そう、何故、「高貴の微笑み」が俺の元を去ったのか。


 その暗闇に灯が灯る。


 俺はその日から、来る日も来る日も「高貴の微笑み」がやって来るのを待ち望んだ。


 しかし、待てば待つほど、返って現れない。


 そういうものだ…


 いつしか、俺の「高貴の微笑み」の再訪への羨望感は、次第に薄らいで行った。


 俺は分かっていた。


「彼女はいつも俺のことを見ている。俺の念を感じている。来るべき時に必ず現れる。」と


 俺は感じていた。


「俺が彼女の鏡なんだ。俺の心が幻影を映写する。過去のトラウマとして彼女をピアックアップして、俺を煽っている。」と


 俺は悟っていた。


「俺の心が弱った時、俺の心は彼女を利用する。


 俺の心の邪心が暗闇の中に「高貴の微笑み」と化した恋人とその恋敵を「黒い影」として映し出す。」と


 分かっていたんだよ…


 全て俺の心のキャパシティの中で、俺の心が猿芝居を演出していたことを。


 弱った俺の心は、「死」へ期待を膨らまして、「鬱」を招聘し、「過去」を展開する。


 そして、悍ましいとしていた「過去」のトラウマを誇大演出し、俺の「怒り」のエネルギーを爆発的に燃焼させ、「死」へ突入させようと仕向ける。


 全てお見通しさ。


「高貴の微笑み」と「黒い影」との激しく淫靡な性行為。


 俺がこの上なく激怒すると思ってやがる。


 俺の嫉妬心を激しく掻き立てようとしやがる。


 おい!


 よく聞け!


 俺の弱い心よ!


 これから俺と彼女の過去が明らかにされる。


 その結果に決して狼狽えるな!


 分かったか?俺の弱い心!


 死ぬのは簡単だ。


 お前の気持ちも分かる。


「こんな差異のある運命。こんな格差のある社会。谷と山、過去と現実のみの人生。早く楽になりたい。安楽したい。死にたい…」


 こんなお前の気持ち、もっともだ。


 だが、少しだけ待ってくれ!


 彼女の件、これだけは明らかにしておきたい。


 俺は巧みに二度目の釘を心に打った。


 俺の心が少なからず、「高貴の微笑み」の現出に一枚絡んでいることから、上手く諭しておく必要があった。


 やがて、その再訪の日がやって来た。

 

 既に長崎に来て一年と半年が過ぎていた。


 また、俺の一番嫌いな夏から秋へと移る季節であった。


 その日は、朝から異常な程、俺は苛立っていた。


 今日、何かが起こることを確信していた。


 仕事を終え、俺は丘の上の社宅に帰宅した。


 とっても疲れていた。


 早速、ウィスキーを飲み始めた。


 いつしか、ウィスキーが無くなった。


 俺はコンビニへウィスキーを買いに行こうとした。


 晩酌をしていた布団の周りは、酒のツマミの抗うつ薬、睡眠薬が散乱していた。


 そこから一旦、俺の記憶は途切れる。


 朧気にだが、真っ暗な夜道をふらつく視線、コンビニの店員の怪訝そうな表情などなど、途切れ途切れに思い浮かび、そして消える。


 記憶が戻った時、俺はまた布団の上に横になっている。


 左手にはウィスキーのボトルを握っている。


 俺は、この時間のワープ、記憶の削除に一抹の期待を抱いた。


 奴らがやって来る、いつもの状況だと確信した。


 俺の弱った心が御膳立てした、いつもの乱気極まる俺の醜態。


 こんな時に奴らは現れる。


 夜中の何時か分からない。


 部屋の中は漆黒の闇が覆っている。


 外の光も差し込まない。


 牢獄のような空間


 闇と沈黙が続く。


 俺は覚悟していた。


 直に始まる修羅場を…


やがて、冷蔵庫の音が沈黙を破った。


 すると、寝室のドアの向こうの床が「ぎゅー」と軋む音が聞こえた。


 やはり、奴が来た。


「黒い影」だ。


 寝室のドアノブがゆっくりと回り出し、ドアが空気に押されるようにそおっと開いて行った。


 俺は開いたドアの空間から此方を見ている物体を睨み付けた。


 黒い大きな塊。


 その形の輪郭はなく、どんよりと暗闇の中でも際立つ黒い物体。


 奴はゆっくりと俺の方に歩んで来た。


 俺はいつものとおり、天井を見やった。


 天井がグルグルと回り出した。


 そして、天井は回転しながら俺に近づき降りて来る。


 俺は回転する天井を凝視した。


 天井は回転を止め、その中心部に暗闇を作り、そのまた中心部に穴を開けた。


 暗闇の暗闇だ。


 その穴から蒼白い顔をした「高貴の微笑み」が姿を現し、俺を見つめた。


 俺は「高貴の微笑み」にこう言った。


「何のようだ。」と


「高貴の微笑み」は、こう答えた。


「それは、此方の台詞よ。いやらしい。私達の愛を覗き見して。本当にいやらしい。」と


 そう宣うと「高貴の微笑み」は、愛情豊かな表情をして、「黒い影」を手招いた。


 「黒い影」は、「高貴の微笑み」を抱こうとし、ゆっくりと「高貴の微笑み」に近づいて行った。


 「高貴の微笑み」は、「黒い影」を受け入れようと、身に纏ったシルクのローブをするりと脱ぎ、黒い淫靡な下着を脱ぎ始めた。


 「高貴の微笑み」の裸体は、暗闇の中で青白く輝きを放っていた。


 「黒い影」が「高貴の微笑み」を抱き寄せた。


 「高貴の微笑み」の青白い裸体の輝きの部分部分が闇に愛撫され始めた。


 「高貴の微笑み」が淫靡なよがり声を放ち始めた。


 俺はゆっくりとウィスキーボトルを握りしめた。


 「高貴の微笑み」と「黒い影」との淫靡な性行為が激しさを増し、瞬く間に「高貴の微笑み」は絶頂を迎え、「黒い影」の大きな身体の中でピクピクと痙攣した。


 そして、「高貴の微笑み」は俺を見遣り、涎を垂らしながら、俺に息絶え絶えにこう言った。


「み、み、見ないでよ…、いや、いやらしい…」と


 そう言うと「黒い影」が強烈に「高貴の微笑み」の臀部を突き立てた。


「あぁ~、す、凄い~」と


 「高貴の微笑み」は一言叫び、「黒い影」に突き立てながら、ガクガクと激しく震え、痙攣し、ガクンと失神した。


 その時を俺は待っていた。


 俺は左手に握ったウィスキーボトルを大きく振り上げ、力一杯、「黒い影」の頭部を打ちのめした!


 ガッシャンーっと物凄いガラスが破裂する爆音が部屋中に響き渡った。


 俺は「高貴の微笑み」を手放し、うつ伏せに倒れ込んだ「黒い影」の頭部らしき箇所を割れたウィスキーボトルで突き刺した!


 黒い血潮が飛び散り、失神していた「高貴の微笑み」の裸体を黒色に染めた。


 俺は構わず、「黒い影」からボトルを抜き、また、高く振り上げ、確実に突き刺した。


 グッシユと緩い手応えがあった。


 俺はボトルから手を離し、そして、布団に横になった。


 俺の眼前の空間で黒い血に染まった「高貴の微笑み」が俺を睨んでいた。


 俺は「高貴の微笑み」と俺の弱い心に聞こえるよう、こう言った。


「お前はどうして俺の元を去ったんだ?そして、こんな不細工で、こんな弱い男と、どうして引っ付いたのか?」と


「高貴の微笑み」はキッと俺を睨み、何も言わず、「黒い影」の身体を揺すったが、「黒い影」は黒い血潮の海の中で沈むように潰れていた。


 俺は叫んだ!


「俺は凶暴だ!俺を邪魔する奴は、全て殺す!」と


「高貴の微笑み」は俺を睨み返し、こう言った。


「私も殺すの?」と


 俺は言った。


「邪魔するなら殺す!」と


 彼女の目から涙が流れた。


 その涙は、彼女の綺麗な裸体を汚した黒く赤い汚れた血を流し落とした。


 おいで。


 いいの?


 いいよ、おいで。


 彼女は涙を拭きながら、俺の胸に顔を埋めるように抱きついて来た。


 俺は彼女の頭を撫でながら、優しく抱きしめた。


 闇は消え、部屋に光が差し込んだ。


 過去の熊本の、あの時の、束の間の幸福な、あの時の光が差し込んでいた。


 白いシーツの中、2人は抱き合っていた。


 俺は彼女に聞いた。


 どうして居なくなったの?


 彼女は、俺の胸に埋めた顔を更に深く埋めた。

 

 俺は言った。


 俺の事、嫌いになったから消えたのかな?


 彼女は慌てて、埋めた顔を横に振った。


 ならば、どうして?


 彼女は泣いていた。


 俺の胸に冷たい涙が流れていた。冷たい、冷たい涙が…


 暫く泣いた後、彼女は俺の胸に顔を埋めたまま、子猫のように身震いを一つし、そして、こう言った。


 貴方のために消えたの…


 俺の為に?


 貴方の為に…、貴方に幸せになって欲しくて…


 こんな不幸の塊の俺だぞ!

 お前さえ居れば、お前さえ居れば、俺は幸せだった…


 あの時は、あれが貴方にとって一番為になると、そう思ったの…


 何があったんだ?


 …、….、


 理由は何なんだ?


 …、……


わかった、理由は良いよ…

じゃぁ~、俺の事、嫌いではなかったかい?


 うん!


 俺の事、好きだったのかい?


 うん!


 そっか!


 今でも一番好き!私のこと、忘れないでね!


 わかった…



俺は目を覚ました。


 俺の胸には琥珀色のウィスキーのボトルが左手で抱かれていた。


 激しい頭痛の中、布団の周りを見渡すと、テーブルにあった皿が割れて床に飛び散り、コールタールのような血が床を覆っていた。


 激しい吐血をしたようであった。


 俺は洗面台に行き、顔を洗い、鏡を見つめ、こう呟いた。


「理由はある。


じゃないと、好きで別れるもんか!


 真実は闇の中…


仕方のないことか…」



 

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