第22話 階段


 坂が多い街に住んでいる。

 あっちを見てもこっちを見ても坂と階段だらけだ。それでも同じような場所にあるにも関わらず、富士山が見える階段だとか、自転車で登れる坂(マイ自転車は人力のみ)だとか、それぞれに特徴があるのが通っていて面白い。


 中で、使う必要はないが、お気に入りの階段がある。階段幅は広いけれど勾配がとにかく急で、ヒールで歩くのは結構厳しい。年を取ったら天候次第ではベタ靴でも危ないんじゃないかと思う。

 その分、眺めが抜群で風の通り道になっている。何というか、一番上でなくて途中であっても風が吹いている時に両手を広げればそのまま風に乗って空を飛べそうな、そういう階段。高所恐怖症のひとには絶対にお勧めできない。


 その階段の一番上から少し下りたあたりに古い家が建っている。今時珍しい平屋建て。手前に一間程の離れらしき建物があり、それより倍ちょっとくらいの大きさの母屋が奥に並んでいる。どちらもトタン屋根。

 階段の上から見ても、下から見ても、この家はすぐに分かる。それには理由があって、階段に面した所が入り口として塀も何もない状態で広くスペースを取ってあるのだけれど、その一番手前に1本のしだれ桜が植えられているのだ。

 階段に並んで立つと少し見上げるくらいの大きさで、決して『大木』と言うほどではない。それでも手入れが行き届いているのか、きれいな枝振りで見栄えがする。現代風に言うなら『シンボルツリー』だろうか。

 このしだれ桜、春になると薄いピンクの花を滴るように咲かせる。その向こうに遠く景色が見渡せて、通らなければならない階段ではないのに、思い出してつい足が伸びてしまう。

 夏は夏で、風に枝がそよいで涼しげだ。秋から冬にかけていつの間にか葉が染まり落ち、今時期は間もなく迎える春のために裸の枝に少しずつ花芽を育てている頃合いのはずだった。


 恒例の健康診断を控えて、運動不足の自覚があった私はこの急な階段に久しぶりに足を伸ばした。階段を下り始めてすぐ、しだれ桜の家の前にトラックが一台停まっているのに気付いた。

 ベニヤ板で四方を囲んだトラックの荷台の中には、溢れんばかりに枝葉が積まれている。階段を下りてきて家の方をひょいと覗くと、若い男性がひとりで作業しているのが目に入った。


 木を切っていた。


 剪定ではない。剪定ならば枝は払っても幹は切らない。敷地北側に植えられた金柑と柚子の全ての枝がなくなっていて、残された幹にも刃が入れられていた。根元には実を付けたまま切られた枝とそして幹が重ねられて山となり、その上を小鳥が一羽──あれはメジロだろうか──、飛んでいる。

 立ち止まって見ている私の視線に気付いたのか、男性がこちらを振り返った。

「こんにちは」

 挨拶すると、「こんにちは」と返してくれた。

「凄い量ですね」

 荷台に目を向けて言う。彼は私の前まで歩いてくると、同じくトラックを見上げた。

「そうですね。でも、まだこれからです」

 その先を聞きたくない気がしたのと同時くらいに彼が続けた。

「これも切るので、」

 いつの間にか彼の目はしだれ桜に向けられていた。

 私がただ黙っているのではなく絶句していることに、彼はすぐに気付いたのだろう。聞きもしないのに言い訳めいた言葉を口にした。

「もう何年も前からこちらのお宅は誰も住んでないんです。でも庭木の手入れだけは頼まれていて。ただ、もうここに住むことはないのだそうで、それで木を切ることにしたそうです」

 前から何となく気にはなっていたのだ。家は古いけれどこざっぱりとしているし、木の手入れもしているようなのに、全体で見るとどこか閑散とした印象だったのが。彼の説明を聞いて腑に落ちた。

 そのまま黙っているのが嫌で、意味も無く問いかける。

「根はどうするんですか?」 

「根を掘り出すのは抜根ばっこんって言うんですが、それはしないです。幹を切るところまでです」

 あと4日くらいです。葉もつぼみもまだのしだれ桜を見上げながら、誰に言うともなく彼はぼそりと言った。


 それから5日後。ほぼ同じ時間に再び足を運んだ。

 トラックは停まっていなかった。

 しだれ桜は根元から無くなっていた。晒された切り口はほとんど白に近い色をしていて、そこだけ地面から浮き上がったようにぼんやりと明るく見えた。

 南側の柵沿いの金柑はまだ黄色がちらりと見えている。家から目を戻し、階段から真正面を見ると、相変わらず眺めが良くて空が高かった。

 そうして私はきびすを返した。鼻がむずむずし始めていた。木が無くなったせいかあんまり静かに風が通り過ぎていくものだからうっかりしていたのだ。もう既に花粉の季節だった。 





 と言うことで、寝て起きたら検診です!

 2月も半ばとなってしまいましたが、今年もよろしくお願いします。

 





 

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