第2話 桜




「桜が好きか」と問われれば、多分、「それほどでも」と答えるだろう。嫌いではもちろんないけれど、一、二を争うほどでもない。そうは言いつつ咲き始める頃になるとつい気になって、結果、散るまで毎日のように見に行ってしまう、それが私にとっての桜だ。全くもって厄介な花だとしか言いようがない。

 花見に限らず、あんまりひとが多いとそれだけでうんざりする。それほど好きではないと言いながら見に行く人間にとって、花を見ているんだかひとを見ているんだか分からなくなるようなのはまっぴらだ。

 そういう訳で、ひとりでこっそりと見に行く。平日夕方、日が落ちる少し前。人気がなくなる頃合いを見計らって。

 この時、忘れてはならないのが、大きめのエコバッグ。

 なぜか。

 桜の花を拾うためである。


 あれはどういう訳だか知らないのだが、カラスのいたずらだか遊びだか、とにかく小さいブーケほどの大きさの花付き枝が折られていて、夕方に行くと必ず、かなりの数が落ちているのだった。それを拾ってエコバッグの中にぽいぽいと投げ入れていく。花泥棒は罪にならないなどと言うが、桜はきっと別だろう。手折ったと思われたら困る、手早くしまうに越したことはない。

 だからといって、拾ってすぐに帰る訳ではない。一通り回った後は、お気に入りの場所で寝そべって頭上に広がる桜を眺めていくことに決めている。そこはひとり寝そべっていても邪魔が入らないのだった。たまにひとが通ることもないではないが、立ち止まられたり声をかけられたりしたことは今までに一度もない。気づかれないのか、見て見ぬふりをしてくれるのか、はたまた危ないひと認定でもされているのか、その辺りのことは斟酌しない。好きにとってくれて結構、とりあえず黙って桜を眺めていられるならばそれで十分である。

 頭上の桜はどのタイミングでも美しい。咲き始めは空が広い。咲き誇ると淡い色が空に透ける。満開を過ぎて覆いかぶさるように伸びた枝からはらはらと散る花びらは音もなく私に降り注ぐ。ねぐらに帰る前のカラスの黒は夕方の桜に映える。

 寝転がって見る桜が好きだ。流星群の時はアスファルトの上に寝転がって探すから、ただ単に寝転がって何かを見るのが好きなだけかもしれない。首が悪いせいかもしれない。

 以前、医者に診てもらったら、頚椎が年寄り並に傷んでいると言われた。何かやっていましたか? と問われて、何かとは何ですか? と問い返したら、一瞬黙考した後、「バレーボールとか、ラグビーとか、」凝視しながら言われた。苦笑するよりなかった。もちろんどちらの経験もない。

 ともかく寝転がって桜を見ているとなんだか浮世離れした心地になるのだった。それでいてどれだけ疲れている時でも不思議と眠くはならない。桜の花のことを『夢見草』とも言うのだそうだ。木の花なのに草とはこれ如何にと思わなくもないが、『夢見』というのは何とも絶妙な気もする。ひとり楽しむ花見は、起きてはいるが心は危うい狭間にいる。私が桜を見て過ごす時間も時間で、逢魔が刻なのも関係あるかもしれない、ないかもしれない。分からない。

 気が済むまで見て、そうして家に帰る。帰って、拾ってきた花を片口に活ける。前日に拾った花の大半は散ってしまっていて、全取り替えに近い。桜は花期の短い花だと改めて思う。


 先日、長男が終電をかなり過ぎた時間に帰宅した。こういう場合、乗り遅れて歩いて帰ってきているのが常なのだが、それにしてもいつもよりかなり遅かった。気になって翌日、尋ねたところ、 

「歩いて帰ってくるついでに桜を見てきた。昼間はひとが多すぎる」

 何のことはない、同じようなことを考えて同じような行動をとる人間が至近距離にいただけの話だった。丑三つ刻に花見はさすがにどうかとも思ったけれど、そこはまあ個人の好みだから何も言わないでおく。

 花の写真を撮ってきたと言って、ちらりと見せてもくれた。多分、私より上手いのだろう。下手くそな私も同じような写真を飽きることなく取り続けている。それも毎年。おかげで桜の写真は私のグーグルフォトの中に静かに静かにけれどもうず高く堆積していっている。どれだけ同じような写真を撮ろうとも、それらの写真を私が削除することはない。この先もきっとしないだろう。特に理由はない。あるとしたら、それが桜だから、としか言いようがない。全く厄介な花である。

 今年の桜も終わりだ。これでまた心穏やかな夕方が戻ってくる。そう思うと、それはそれで嬉しいような嬉しくないような、何とも微妙な気持ちになる。桜を見なくて済むようになったら、今度こそ走る日を増やさなくては、そう思いながら寝転んだままこの前の週末、桜を見た。桜吹雪も終わり。薄青色した空が高く見えた。

 桜が散ると途端に気付く。世界を覆うベールが紗から緑に変わり始めていることに。



 ✻




 桜って出会いと別れの象徴みたいなところがありますね。どんなお別れであっても私は別れることが苦手なヘタレでして、それでもお別れしなきゃならないひとがいるのなら、せめて幸せに向けて旅立ってほしいといつも思っています。

 そうして、新しい出会いにはいつもどきどきしています。どきどきし過ぎて変なこと口走っていたらごめんなさい。笑って許して頂けたらありがたいです。

 そうそう、相変わらずお菓子が好きです。花よりも団子派でしょうか。桜餅も道明寺も、でも、今年は食べてないのが我ながら不思議です。あ、でも、ぼたもちは食べました。季節限定、桜のエクレアも食べました。桜のケーキも。桜のジェラートは一口だけ。美味しかったからまた来年も食べたいな。ってそんなこと今から言ってたら鬼に笑われるかな。笑われてもいいや。幸せならば。

 幸せでありますように。



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