ネクベトの食祭

マルヤ六世

ネクベトの食祭


 学校の購買には臨時の販売員さんがいる。

 彼女の髪は白髪でところどころが黄色っぽい。肌は日に焼けて赤みがかった茶色。皺が深く刻まれた皮膚は迷路ができそうなくらいうねうねとしている。鼻は高くて唇はかさかさ。歯は隙間だらけで、歯茎は紫の斑点。腰が曲がっていて、笑うと瞼で瞳が隠れる。しゃがれた声が温かく、彼女のお弁当はなぜだか懐かしくておいしい。

 誰もが想像する「おばあちゃん」というイメージにぴったりの人だね、とみんなが言う。私もそう思う。おばあちゃんの出身は外国らしい。その「ネクベト」という名前から、彼女はネッちゃんと呼ばれていた。

 ネッちゃんの作る食事はとびきりおいしい。もちろん口に合わない人もいたが、私はネッちゃんの料理の大ファンだった。そんなご飯が作れる彼女自体も大好きだ。ネッちゃんが来る日は絶対に購買でお弁当を買っうと決めていた。一度食べたら他の食事では満足できなくなる。今の私は、それだけを楽しみに生きてるってくらいだ。


「ネッちゃんって、料理に拘りとかある? ネッちゃんのごはんが一番おいしいの」

「あら、嬉しいこと言ってくれるねえ。そうね、なんでも手作業することよ。手間暇を惜しまないで。ハムパンのソースも自家製なの」

「へえ、いいなあ。料理クラブではそこまで本格的にしないもの。私食べるの大好きだから、本格的に学校とかに通おうかなって」

「そう。よかったら牧場を見に来るかい? 晩餐に招待するよ。お手伝いも大歓迎。あんまり大勢だと困っちゃうから、内緒だよ」


 ネッちゃんが住んでいるのは山奥の施設だった。道中虫が多くて困ったけど、草原が広がってどこまでも青く、空気がおいしい。飼育している動物も多いみたいで、遠くでうわんうわんと泣き声が聞こえる。まずはキッチンに通されて、ハンバーグのタネを混ぜさせてもらえることになった。

 キッチンは薄暗く、私は不安になる。


「待たせてごめんねえ」


 お婆さんは、何でもない事みたいに子供の手を持って現れた。剥き出しの骨と、ぐずぐずの指、爪は剥がれかかっていて、腐っていそうだった。彼女はそれを泡だて器のようにして、ひき肉を混ぜ始める。吐き気がして、嗚咽が競りあがってくる。信じられない。こんな風に作られたものを、私はおいしいと思って今まで食べていたなんて。


「……ネッちゃん。なにしてるの」

「手作業でするって言っただろう?」


 ウインクしながら彼女は返事をした。ああ、やっぱり爪が剥がれてハンバーグに混入している。頭が痛くなってくる。

 包丁を結び付けた子供の手がぶらぶらと指を垂らして揺れている光景は悍ましい。それを器用に握って、ネッちゃんは付け合わせのきゅうりを刻んでいた。一緒に、ゾンビみたいに青紫色をした子供の小指も刻んでしまっている。発狂するかと思った。止めに入りたい。でも、そんなことをしたら、と躊躇してしまう自分もいる。私はその場から動けないで、黙りこんでしまった。

 注意深く周囲を見渡せば、いくつかある頭蓋骨のプランターは顎をめいいっぱい開いて水を注がれている。そこからはみずみずしい葉野菜が生えていていた。

 ヒトの胴体を開いて、そこに小麦をまるめて内臓みたいに並べてあるのもあった。血液らしきものに漬けられたゆで卵や、臓物が輪切りにされたものにチーズを詰め込まれたものがゼリーの中で冷えている。ひときわ目立つのは天井から宙づりになった太ももだ。多分、これがハムパンのハムになるんだろう。バカでかい包丁が、肉がこびりついたままでおかれている。どうして、平気でこんなことができるんだろう。


「死んじゃった人間の魂はね、食べてあげないとまた生まれてこれないでしょ。食べてあげるとね、子供になってまた生まれてこられるの」


 独自の理論があるらしい。私は天井から釣り下がった太ももを眺める。


「……ふーん。時間がたって痛んだりしないの?」

「まだ若いねえ。腐りかけが一番おいしいものだよ」


 ぱっと見た感じでは不衛生というわけではないのだが、なんとなく汚く思えてしまう。タイル張りの床は血液が染みこんで赤黒い筋がそのままになっているし、壁にはひっかき傷のようなものもある。野菜を丸のまま飲まされてお腹がパンパンの子なんて、ぐうぐう鳴いて涎を垂らしていて。具合が悪そうに見える。


「この子、なにか病気なんじゃないの?」

「気にしすぎだよ。加熱処理すれば病気なんて関係ないから」


 私は、今度こそ本当にどうしようもなく怖くなった。加熱処理だって限界はある。そんなものを過信しているなら、一見綺麗に見えるこのキッチンだって、どれだけの細菌が蠢いているかわかったものじゃない。頭からつま先まで、この魔女のような女がなにを考えているのかまったく理解できない。


「おばあさんもなにか病気をもっていたりするの?」

「私はずうっと元気よ。それにしても肝が据わっていて安心したわ。ここに来たら叫んで、お漏らしをしちゃう子もいるのよ」

「うえ~……」

「あらあら、そんな顔して。本当に落ち着いてるんだから」


 落ち着いてなんかいない。想像すると身震いがしてくるほどだ。この老人はどうやら、私とは根本的に感覚が違うようだった。食事を作るところで排泄した人がいたなんてありえない。そんな話聞きたくなかった。

 ネッちゃんのおいしいごはんの秘密を知れると思って楽しみに来たのに、実際は衛生管理の悪い場所で作られていたことを知っただけだ。こんな状態でのお弁当販売なんて、無許可に決まってる。調理師免許だって持っていないかもしれない。


「ねえ、良かったらここを継ぐかい? 今、鷹の羽でできた髪飾りを持ってきてあげる。それが巫女の証だからね」


 背中を向けたネッちゃんを、私はかまどに突き飛ばした。


「っ……ず、ごの……っ、ガキ……がぁあああ! ああああ! 焼け、あ、だずげっ……だずげ、で、やめろやめろやめろおおお!」


 しょうがないよネッちゃん。古今東西、子供を食べる悪い魔女というのはこうなる運命なんだから。こんなおぞましい場所には一秒だっていたくない。悲鳴をあとに立ち去ろうとしたところに、こんがりとしたいい匂いが漂ってきた。これを逃すのは、さすがに惜しいかも。

 私は料理クラブで習ったばかりの、ステーキの準備にとりかかる。すぐにバターと醤油、それからレモンでソースを作り、付け合わせにじゃがいもを皮むきして、高温でかりっと揚げる。

 なにか作業をする度に手を消毒したり洗い物をしたりするのは大変だったけど、さすがは料理上手のネッちゃん。スパイスや調理器具は一通りよいものがそろっていた。


「食べられた人間の魂は食べた人から生まれてくるんだよね。ネッちゃん、私が生むときはきっと、ごはんを作る場所と食べる場所は清潔にできるように一から教えてあげるからね」


 真っ黒に焼けたおばあさんの焦げをこそぎ落し、骨に当たるまで包丁を入れる。薄くスライスしてソースにくぐらせると、脳がしびれるような控えめな油のうまみが広がる。


「やっぱり新鮮な肉が一番おいしい! 欲を言うと、もっと筋肉質で噛み応えがある方がいいけど」


 私はお腹がパンパンの子供の首輪からつながるリードをひっぱった。嫌がってるけど、ちゃんとお風呂に入ってくれるまでこの子に食欲はわかない。

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ネクベトの食祭 マルヤ六世 @maruyarokusei

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