第18話 帰宅


「タエちゃん携帯電話って前の状態のままだよね?」


「え? えっと……これか、な?」


 長閑はスカートのポケットに入れていた携帯電話を取り出して久慈に向ける。


「そうそうそれ。その携帯電話のケース、僕がタエちゃんの誕生日にあげたケースなんだよ」


(そうなのか)


 長閑はピンク色のケースに包まれた携帯電話を見ながらふと思う。


(久慈さんもしかしてあのビシッとした姿でこのケースを買いに行ったのかな? どこで買ったのか知らないけど、違和感ある買い物客だったろうな)


 長閑は少し苦笑しながらそんなことを考えていた。


「選んだのは凛ちゃんだけどね」


(あ、なぁるほど!)


 そうしているうちに閑静な住宅街で清潔感溢れる街並みを久慈の車が走っているのに気がついた。


 本当ならば選ばれし人間が住める街なのだろう。長閑のような平民、凡人が暮らせるような所ではないはずだが、彼は今ここに居る。違う姿であるが女子として生きていくことになったのだ。


 久慈のオンボロ車が停車したのは、いつもの車庫前ではなく、立派な門扉がそびえる正門だった。長閑はあらためて豪邸を目の当たりにして思う。


(一体、どんな仕事したらこんなデカい家を建てれるんだ)


「お足元に気をつけて下さいね」


 いつも通りの敬語が混ざった言葉で、オンボロ車のドアを開く久慈。


「あ、タエちゃん。携帯電話なんだけど、困った時や何でも良いので電話、もしくはメールでもメッセージで良いので送ってきてね」


「わかりました。いつもありがとう久慈さん」


 言いながら運転席の方へ歩いて行く久慈に長閑は笑顔で礼を言った。


 そして運転席の久慈が笑顔で手を振り、オンボロ車をガタつかせてその場を後にした。

 タエは遠ざかる久慈の車を白い息を吐きながらしばらく見ていた。


 マリとの約束が待っている。別人としての新しい暮らしが待っている。そして……瑠璃が待っている。



 家の鍵は指紋認証だと言っていた。

 長閑は大きな門を潜った後、綺麗に整備された庭に敷かれた石の絨毯を渡って、これまた大きな木の扉にたどり着いた。


「えっと……ここかな?」


 扉の取っ手の横にある小さな窪みに親指を滑らせた。

 ピッピッピと、昼間に聴いたことのある機械音と共にガチャっと家の扉は開錠された。


 中に入ると人の気配は無いが、落ち着きのある優しい間接照明が玄関からリビングなどを照らしていた。

 誰も居ない吹き抜けの広いリビングの気温は誰も居ないのにもかかわらず、程よい温度で暖かかった。


「暖房……自動調整のエアコンなのか。俺の部屋なんか慌ててストーブつけないと春なのに凍死するんだぞ」


 長閑はリビングの隅に置かれている大きなソファにもたれ込んだ。

 照明を見ていた長閑はいつの間にか夢の中に落ちていた。



ーーーーーーー


「ここは? ん? あれはタエ、ちゃん?」


 夢の中、長閑の姿は男のままの姿で、目の前にタエらしい少女を確認した。


「……私、今は戻りたくない……いくらあなたがそう望んでも……仕方がないんです」


「え? いや、で、でも……そ、それは困る」


 目の前のタエの表情は真っ暗でわからない。しかしその言葉のトーンは以前、夢に現れたものとは異なり、明らかに覇気が失われていた。


「俺、戻らなきゃいけないんだよタエちゃん。そのためにこっちでやらなければいけないこともある……。しばらく君の体で生きていくから。家族……上手くやれるかわかんないけどさ……でも」


「そんなの! どうでも……いいから」


 そしてタエの姿が暗闇に吸い込まれるように無くなっていく。



ーーーーーーー

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