俺の血を召し上がれ

右中桂示

第1話

 ――ぐううぅぅぅ~。


 午後九時過ぎ。マンションの一室を訪ねた俺を、大きなお腹の音が出迎えた。夜の静かな廊下によく響く。

 その主は俺の恋人。色白で身長の割に幼い印象の顔つきが、今は恥ずかしさで紅潮していた。


 俺としてはいつもの事なので自然に笑って対応する。


「相変わらずで安心したよ」

「ちょっとー。会って一言目がそれ?」

「ごめんごめん。すぐご飯作るから許して」

「また人を食べ物の事しか考えてないみたいにー」

「でも食べるでしょ?」


 不満げだった彼女だが、俺が言うと躊躇いがちにこくんと頷いた。


 彼女の手料理はいいものだが、主に料理するのは俺の担当だ。

 料理は昔から好きで、今ではレストランで修行したプロの料理人になった。自分の店を持つにはまだまだ実力不足だが、それなりの貯蓄が出来るだけの稼ぎはある。

 彼女は食べる事が好き。俺は食べてもらう事が好き。自分で言うのもなんだが、似合いのカップルだろう。


「あはは……えっと、ごめんね。スープは出来てて、残りは仕上げだけだから」

「分かった。じゃあ後は……」


 遅くなった時は彼女にある程度料理してもらう事も多い。

 ただし、ある程度止まり。彼女も料理が下手ではないが、仕上げには俺がどうしても必要になる。理由は料理の腕だけではない。


 材料が材料だから、だ。


「俺の血、だね」


 俺の言葉に彼女は八重歯、いや牙を見せて申し訳なさそうに笑う。


 彼女は人間社会に隠れて生きる人ならざる存在――ヴァンパイアだった。




 出会いは学生時代。

 ひょんな事から正体を知り、仲良くなり血を提供するようになって、「ご飯に血をかけて食べてみたい」と言われのをきっかけに血を材料に料理するようになって、付き合うようになって、それからもう何年も経つ。

 レパートリーは多い。ブラッドソーセージや血豆腐など、本来は豚などの血を使った料理を参考にして増やしてきた。大人になってからはアルコールと混ぜてカクテルにしてもいる。

 ヴァンパイア絡みでかなりの苦労も、それこそ命の危機すら経験したが、慣れきった今ではいい思い出。全て青春の一ページというやつだ。


「じゃあ、いくか」


 最早使い慣れた彼女の部屋の台所。赤い液体入りの計量カップを前に、俺は気分を切り換える。


 赤い液体は勿論、彼女が注射器を使って抜いた俺の血だ。

 直接牙を突き立てると眷属にしてしまうらしく、いつもそうして血を抜いている。それに止血や後の掃除や保管にも便利。ヴァンパイアには欠かせない道具らしかった。


 初めは血抜きにビクビクしていた覚えがあるが、すぐに慣れた。というより、慣れ過ぎて試作の為に自分で抜き過ぎて常に貧血だった時期すらある。が、今はもうやらない。一度彼女に「そこまでされても嬉しくないよ!」と泣きながらお説教されて以来、俺が注射器を使うのは禁止されているのだ。

 だから血を抜く間の俺は大人しく脳内で彼女にナース服を着せながら待つだけである。勿論本人には言わない。


 それはともかく、これからは俺の仕事だ。

 今日のメニューはオムライス。

 鶏肉、玉葱、人参。それぞれ具材を切って、多めのバターを溶かしたフライパンで炒める。

 そして炊飯器から出しておいたご飯も加え、塩胡椒で味付け。

 味見し、満足のいく出来を確認して半分皿に盛り付ける。


 そしてここからが特別。

 フライパンに残るもう半分に、計量カップから俺の血を投入するのだ。


「……」


 じゅうと音がし、直後に思わず顔をしかめる

 熱された血の匂いは正直悪臭だ。これは未だに慣れない。この異臭を外に出すのが躊躇われ、換気扇も回せない。


 だが隣で調理を見ていた彼女は違う。


「いいにおーい」


 ヴァンパイア特有の嗅覚にとっては魅惑の香りらしい。食欲が刺激され、またお腹が鳴って照れた。

 彼女が喜んでくれるのだから文句は言わない。


 ここからはスピード勝負。

 あまり加熱する必要は無い。血が固まる前に素早く全体に馴染ませていく。

 そうした結果、濃い赤色が米と具材に行き渡る。

 見た目だけならチキンライスに見えなくもない。ただやっぱり、色合いには違和感がある。実際鶏肉を使っている以上そう呼べなくもないのだが、正確な名前はブラッドライスになるだろうか。


 料理人の端くれとしては味見もしないで他人に食べさせたくないのだが、こればっかりは仕方ない。


「味見任せた」

「喜んで!」


 彼女は熱いので口をハフハフと開閉しながら試食。じっくりと時間をかけてから飲み込み、そして目を輝かせて大きく頷いた。


「うん、バッチリ! 具材とよく馴染んでて、噛む度に血の味が口いっぱいに広がってくるよ! バターも濃いけど、血と喧嘩しないで引き立て合ってる!」


 まるで食欲の湧かないコメントだが、上手く出来たらしい。


 安心したところで皿に移す。今度は空いたフライパンで溶き卵を焼いていく。

 手早く半熟のトロトロに仕上げ、ブラッドライスに乗せる。

 それにたっぷりとかけるのが、本格的な赤っぽいデミグラスソースもどき。赤いのは勿論血が入っているからだ。時間がある時大量に作り、小分けに冷凍保存しておいた物である。

 血との相性を考えてモツも使っていてる為、かなりクセが強くかつ濃厚。数ある血食レパートリーの中でも特に彼女からの評判がいい、自信作である。


 それから俺の分の卵もさくっと焼き、初めのバターライスにケチャップをかける。これでオムライスは完成。


 そしてもう一品。

 彼女が作ってくれていたのはキャベツや玉葱、ジャガイモのシンプルな野菜スープ。味見したところ、薄目のアッサリした味だった。血を加える事、濃厚なデミグラスソースオムライスと合わせる事、を考慮しての味付けである。


 鍋から一杯分よそい、軽く塩胡椒を足しておく。

 そして鍋の残りに血を投入。瞬く間に赤色が全体に溶けていく。

 あくまで隠し味程度の量だ。逆にこちらをメインにするとしたら、自家製ブラッドソーセージを使った赤いポトフにアレンジしていただろうか。


 スープには更に彼女好みにするべく調味料を加え、こちらも味見してもらう。

 一口を舌の上で転がすように飲み、ほわあ、と息をついた。


「うん。美味しい。野菜のしっかりした優しい旨味の後に強烈な血の風味がぶつかってきて、いいアクセントになってる。これだけでも結構な満足感があるよ!」


 やはり俺には味が伝わってこないコメントだが、喜んでくれているのは十二分に伝わってきた。

 それなら俺も満足だ。抑えきれずに口がにやけてくる。


 料理は完成。

 これでようやく、彼女に待望の台詞を言える。


「お待たせ、食べようか」

「待ってました!」


 歓声をあげる彼女と二人で、完成した料理をテーブルに並べる。

 片方は普通のオムライスと野菜スープ。もう片方は見た目が赤い、ヴァンパイア専用のオムライスと野菜スープ。

 これが俺達の日常的な食卓だった。


「いただきます!」

「いただきます」


 揃って手を合わせ、同時に食べ始める。

 自画自賛になってしまうが、美味い。卵の食感、バターがよく絡んだ米と具、シンプルながらしっかりと舌を楽しませてくれる。彼女の野菜スープもいい出来で気持ちよく食べ進められた。


 だが俺の手はすぐに止まってしまう。


「……んっ……はむっ」


 子供のように顔を綻ばせ、スプーンを動かしていく彼女。

 味見の時の饒舌なコメントは何処へやら。感想もそっちのけで食事に集中しているが、その表情が何よりの感想だ。幸な笑顔が一瞬たりとも絶えない。

 一口一口を大切に。よく噛み、よく味わい、食事という行為を余す所なく堪能している様子。本当に美味しそうに食べている。


 だから見ている俺の方もつられて食欲を刺激されるのだ。唾液が口内に溢れてきてしまう。腹が、本能が、食事を求めて鳴いてしまう。


 ――ぐう。


 音に反応し、彼女が俺を見た。

 出会い頭にいじった意趣返しだろうか。その目元は勝ち誇ったようにニヤニヤしている。口元はモグモグしている癖に。

 この無邪気さには勝てない。悪かったよと手を上げ、食事を再開する。彼女の影響か、ついさっきよりも美味く感じた。


 二人だけの食卓は静か。会話は一切無い。

 これを他人は寂しいだの倦怠期だの言うが、俺達はこれでいい。会話なら満腹になってからのんびりすればいい。空腹の時には作るか食べる以外の事をする必要なんてないのだ。


 それでも愛に形を求めるのなら、ふと目が合った拍子に微笑み合う。それだけでいい。それが二人の間で思いを共有している証となる。


 幸せ。

 ただただそんな言葉だけが今のこの時間には満ちていた。


「ごちそうさま! 今日も美味しかったよ!」


 やがて皿が空っぽになり、料理人冥利に尽きる言葉と満面の笑顔が送られた。


 俺はどうもこれに弱い。

 いつも見惚れてしまうのだ。


 血を提供するようになったのも、血で料理するようになったのも、好きになったのも、全てこれが理由だ。

 更に言えば、自信を持てたのも、夢を目指して頑張れたのも、彼女の反応が後押してくれたからだ。

 俺にとっては本当にかけがえのない存在なのだ。


 だから俺は、用意していた小箱をこっそり手に取り、覚悟を改める。


 そんな俺の妙な様子に気づき、彼女は心配げな顔になる。


「どうかした?」

「……いや。ただ、やっぱり綺麗な夜景が見えるレストランよりも、これで正解だな、って思ってさ」

「え? まあ確かに。憧れはあるけど、この味はどんなお店でも食べられないし、色々気をつけなくていいし……って、これ次のデートの話?」

「そのずっと先に進んだ話だよ」

「ずっと先?」


 俺の答えに彼女は不思議そうに首をかしげるばかり。

 少し天然だから思い至らないか。いや、期待に満ちた顔をされてもプレッシャーだからこれでいいのか。


 彼女を見つめ、気合いを入れる。

 そして俺は内心ドキドキしながらも、表面だけは格好つけてこう言うのだ。俺達に相応しいこの台詞を。


 給料三ヶ月分の指輪を差し出しながら。


「俺に毎日、君の為の血液料理を作らせて下さい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の血を召し上がれ 右中桂示 @miginaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ