第4話 巨象と蟻

 ゴールデンウィーク明け、五月晴れの中、都心から新幹線で1時間のU駅近郊の大メーカーに向かう。

 糸島は35歳、従業員二百人ほどのベンチャーの部長である。

 見積額は据え置き、追加の機能アップの要望に応えた見積書を持参している。今日こそ受注したい。

 相手は、数ヶ月前に他の事業部から異動してきた課長で、前任者から紹介されていた。


 大メーカーの課長は言った。

「追加機能分をオマケしてくれたんだ。有難う。それでさ、相談なんだけど、発注単位が50万セットから10万セット減るんだけど、同じ価格でいい?来週その見積書を持って来てよ」


 翌週、糸島は要望に沿った見積書を持参した。社内調整も大変だった。U駅まで来ると1日潰れる、この数ヶ月は毎週呼び出されている。今日こそ決めてほしい。


 課長は言った。

「あのさ~、おたくのライバルのA社が安くしてきてね。おたくに発注したいけど、値段が高いとね〜。来週、値下げした見積書持ってきてくれる」


 翌週も1日潰し、U駅に赴き、糸島は値下げした見積書を課長に手渡しながら言った。

「ここまで頑張らせて頂きました。どうか、来週金曜日までにお返事をお願いします。開発リソースも部材調達も抑えてますが、もうゴーを掛けないと納期に間に合いません。大きな案件で会社も期待しています。何卒宜しくお願いします」

「おたく発注するかは分からないよ〜。それに納期間に合わすのが糸島さんの仕事でしょ」


 翌週金曜日までに課長からの連絡はなかった。


 5月も末日を迎えた。糸島は課長に電話をしたが、のらりくらりと返事は貰えなかった。その後も何度か電話をしたが同じだった。


 6月第二週、糸島の携帯に課長からの着信があった。

「あ〜私だけど、おたくに決めたよ」

「すみません、開発リソースがなくて、部材調達も厳しくて、お仕事をお受けできないんですよ」

「え〜そうなの〜、なんとかしてよ。今後の付き合いもあるしさ。うちとの付き合いがないとおたくも困るでしょ。お願いしたよ」と電話が切れた。


 翌日、また課長から電話が掛かってきた。

「糸島さん、どう?目処は立った?」

「すみません、もう少し早くご連絡を頂いていれば何とかできたのですが…」

「え!なんとかしてよ!うちとの付き合い全体に影響がでると困るのはおたくだよ」


 それから、毎日、糸島と糸島の上司にも、頻繁に課長からの電話があったが、糸島の会社がその仕事を引き受けることはかった。


 秋の人事異動で、課長は北海道の工場勤務になった。降格人事だった。

 課長が新製品に必要なモジュールを調達できず、生産計画や事業計画に大きな穴を開けたのが理由だった。


 糸島が扱っていたのは特殊な技術が必要なモジュールで、他にはライバルA社しか作れないものだった。


 糸島は、6月初めのA社部長からの電話を思い出した。

「糸島さん、あの課長は酷いよね。うちと糸島さんの会社を競わせるのは分かるけど、やり方が大メーカー然としてて腹が立つよ。うちは断ろうと思ってる。糸島さんは?」

「通常対応だと納期が間に合わないですよね。早くする方策はあるけど、あの課長のために骨を折るのは御免ですね」


 その大メーカーへの売上が落ちるのは痛いが、糸島はそれに見合う新規開拓していた。


 A社にも糸島の会社にも断られた課長は、慌てて取引き先各社に問い合わせをしたが、受託してくれるところは見つからなかった。


 取引き会社間の噂話では、課長が飛ばされて良かったという声ばかり聞こえてきた。


 五十の齢を迎えた頃、ふと、糸島はその大メーカーの件を思い出した。飛ばされた課長本人には悪いと思わないが、奥さんや子供たちにはどんな影響があったのだろうか…若気の至りだったかなと思案した。


 下請法が施行されたばかりの時代、巨象の爪先と蟻の小さな小さなエピソード。

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