第44話 ヒト殺し5

 何となく声の主が肩を竦めたような気がして、俺は苦虫を噛み潰したような気持ちになっていた。

 つまり、俺はあの金元と同じように今死にかけているのか?

 確かに、俺の体は特殊な体質をしているが、無敵なわけではない。回復速度を上回る攻撃を受けたら、当然のように死ぬし、復元不可能なレベルで破壊されたら、やはりそれも死ぬだろう。

 ――俺はグラシャラボラスからの攻撃を受け、死にかけている。

 だが、解せないのは、何故、この声が今更になって俺に話し掛けてきたのかという事だ。

『まぁ、答えに辿り着くまでには、もう少し掛かるから、続きを良いかな?』

 俺の返事を待たずに声は続ける。

 勝手な奴だ。

『金元は死ぬ間際に神の真理を使って、自分の意志を神の真理に融合させたのさ。その結果、混じり合って出来上がったのがボクだ。言うなれば、意志を持つ世界の真理とでも言おうかな。ボクは金元の最後の意志を汲んで、新たな宿主である丹生弥兵衛にひとつの呪いを掛けた』

 呪い、だと……。

『呪いというか、金元の無念が強すぎて勝手にそうなったというかね? 人を殺そうとしたり、殺したりすると強烈な不快感を宿主に覚えさせるという――ただそれだけのことさ』

 それは、殺しを生業としている者にとっては致命的なのでは?

『そうだね。弥兵衛はなまじ優秀だっただけに、自分が役立たずになってしまったことに、いち早く気付いたようだ。殺せない殺し屋なんて無価値も良い所だからね。だから、早目に血みどろの世界から身を引いた。まぁ、明治になると人斬りは悉く処断されたから、早目に行方をくらませて正解だったよ。おかげで、突発的な殺人衝動に悩まされながらも、丹生の血族は現在まで連綿と続いてきたんだからね。……神の真理が変に作用してしまったせいか、弥兵衛の殺しの技術と脅威的な身体能力まで引き継ぐ事になったのは、計算外だったけど、それでも殺そうとしたり、殺したりすると相応の報いを受けるから、丹生家は誰と争う事もなく平穏無事にここまで生き永らえてきたってわけ。でも、それも今潰えようとしている』

 …………。

『殺し、殺されの世界に首を突っ込んだんだ。その報いがコレというのも、まぁそんなものかなとボクも納得していたんだけどね。呪いのように神の真理と入り混じった金元の願いがもうひとつあってね』

 人を殺そうとすると気分が優れなくなる呪い以外に、何の妄執を残したっていうんだ。

 どうせ、ろくなものじゃないんだろう?

『彼は幕末の志士の一人だけあって、来たるべき世を憂いて、こんな願いを残していたんだ。争いのない平和な世界を望む――とね』

 ……割とまともな願いだったか。

 だが、これは金元の妄執。呪いの類なんだよな?

『そう。呪いなんだよ。そして、今呪いが発動して、ボクが此処にいるわけだ。その意味が分かるかい?』

 いや――。

『世界平和を乱すような害意ある悪魔はみなごろしにしろってことさ。けど、今のキミの状態じゃあ、それも難しいだろうから、少しだけボクが手助けしようと思ってね』

 …………。

 ……大層な呪いだな。

 俺に正義のヒーローになれと言うのか。

『そんな大仰なものじゃない。キミがやるのは、ただの悪魔ヒト殺しさ――』

 ドクンっと俺の心臓の鼓動が跳ね上がる。

 ドクン、ドクンとまるで暴れるように脈打つそれは、俺の意志とは無関係に徐々に鼓動を早めていく。それと共に、俺の体から徐々に痛みが引いていく。

 見やれば、いつの間にか出来ていた全身の水疱を突き破るようにして新しい肉が隆起し、皮膚が再生し、体が元の姿へと戻っていく。

 どうやら、あの光によってダメージを負っていたらしい体が物凄い速度で回復しているようだ。いつもの自然回復の比ではない。

『ボクは神の真理だよ。これぐらいの攻撃を無効にして、肉体を回復することだって当然のように出来る。全知全能。それが神の真理さ』

 ふむ、理屈は良く分からんが、凄い自信だというのは分かる。この意志ある神の真理が、相応の力を持っているらしいというのもな。

『ボクの偉大さが分からないなんて、可哀想な人だね。まぁ、いいさ。ボクが手を貸せば、キミは無敵というわけだ。だから――』

 ――殺せ。

 俺の胸の奥が少しざわめく。

 これは、俺が幼少の頃からずっと感じてきた感覚と同一のものだ。

 人を殺したい、相手を殺したいと、常に背をざわつかせ、胸を掻き毟りたくなる程の狂おしい殺人衝動である。

 それが俺をいつものように苛んで止まない。

 なるほどどうして……。

 夢の中以外で俺が殺したくなった相手は、イブリースだったり、グラシャラボラスだったり、その弟だったり……。

 殺したい相手は、決して人間ではなかった。

 その根源にあるものは、俺の人殺しとしての血に刻まれたものなどではなく――、

『殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ――』

 霞んでいた視界の中に薄ぼんやりとだが、人影が見えてきた。

 それと同時に、俺の中を何かがぞわりぞわりと這いずり回るような気持ちの悪い感覚。

 まるで、体の中を何千、何万もの百足が這いずり回っているかのようだ。

 先程まではこんな感覚はなかったのに、俺の体が元に戻った途端にこうなるという事は、俺の体の主導権が変わったからか。

 今は俺が体の主導権を握っているから、神の真理を違和感として捉えているのだろう。

 逆に、神の真理が俺の体の主導権を握れば、俺はただの傍観者に成り下がる。

 何とも気に喰わない仕様だ。

 俺だけが損している気がしてならない。

 とはいえ、そもそも俺と『神』に隔絶した差があるわけで、それも仕方がない事なのかもしれない。

『殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ――』

「うるせぇ……」

 もう相手は見えている。射程圏内だ。

 頭の中で響く、呪詛にも似たような声を聞きながらも、俺はグラシャラボラスの首筋にマント越しに触れる。

 グラシャラボラスは何かに気付いたようだが、もう遅い。

 何故かは分からないがマントに包まっているせいで周囲の警戒を怠ったな。

 いや、視線は上を見ていたか?

 まぁ、どうでもいい。

 この状態になればチェックメイトだ。

「――死ね」

 巨大な氷山同士がぶつかるかのように、ゆっくりと止まる事なく確実にグラシャラボラスの首が胴体からズレていく。

 実際の時間にしては、刹那にも満たなかっただろう。

 脳内の『殺せ』コールに辟易としながらも、俺は一息でグラシャラボラスの首をマントごと胴体から削ぎ落としていた。

 真っ赤な鮮血が紅い空間の中にシャワーのように飛び散り、グラシャラボラスの胴体が天空を仰ぐようにして派手に倒れていく。

 俺はそんな血の雨を浴びながら、手の中に残る生々しい感触を愉しむ。

 人だろうと、悪魔だろうと、それだけはいつもと変わらない。だから、俺は嬉しさに自然とペロリと舌を嘗めてしまっていた。

「嗚呼、やはりヒト殺しは最高だ」

 陶然と呟きながら、俺は削ぎ取ったグラシャラボラスの首をその場に放り捨ててあった弟の首の隣に並べるのであった。

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