第31話 壁外の戦闘1

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 鉄の階段を上る、もしくは下る音が、上からも下からも響いてくる。

 どちらもけたたましく、余裕があるとは思えない音だ。

 追われているのか、追っているのか。

 足音だけでは判断が出来ない程には切羽詰まっている音に聞こえる。

「ちょ、ちょっと、貴方たち、待ちなさい〜……」

 だが、声があれば違う。

 下から追ってくるのは、例の女だろう。

 どうやら、ガムテープの拘束を解いて追ってきているようだ。なかなか根性がある。

 だが、根性はあっても、体力が無いのか、階段の下から追ってくる気配が一向にない。これが寄る年波には勝てないという奴なのだろうか。

「明日斗くん、何か失礼なこと考えていない?」

「いや、大した事は考えてない」

 一方のイブリースは、汗ひとつかくことなく、ペースを落とさずに俺のスピードについてきている。

 この辺が悪魔としての実力ということなのだろう。

 しかし、追ってくる女は分かるが、上から迫ってくる足音は何なんだ。誰か、追われているのか。それとも、追っ掛けているのだろうか。分からないな。

「それで、明日斗くんにちょっと聞きたいんだけど」

 そんな足音に気付いているのかいないのか。

 いつもと変わらぬ口調で、イブリースが俺の背中越しに声を掛けてくる。

「明日斗くんって、時折、記憶が混乱したりとか喪失したりとかしてない?」

「お前は占い師か、超能力者か? それとも悪魔だから俺の頭の中身も覗けるのか?」

 記憶の問題は、身に覚えのあり過ぎるものだったので、俺は思わずまともに返す。

 別に嘘をついても良かったのだが、色々とイブリースには俺の裏の顔も見せてしまっているので、今更取り繕うのもどうかという心理が働いたのかもしれない。

 まぁ、イブリースの方も俺に秘密を打ち明けてくれているし、今更、隠し事なんて――という気持ちがあったのは確かだ。

「あぁ、やっぱりね。後は、時折、人格が変わったりは? 自分の考えとは全く関係なしに凶暴になったりとか、急に怯えたりとか」

「それは別に無いな」

 急に凶暴な気持ちになったりする事はあるが、あれは人格が変わるというよりも、俺の中に潜む殺しを渇望する心が表面化するだけで人格が変わっているわけではないだろう。

 いや、傍から見れば、それは人格が変わったように見えるのだろうか?

 だとしたら、答えはイエスになる。なかなか、難しい質問だ。

「「うーん」」

 俺とイブリースが同時に唸る。

 俺は質問の意図を考えて。

 イブリースは俺の答えに疑念があるようだ。

 やがて、イブリースは結論を出したのか、確認するかのように俺と並走する。

 余裕があるとは思っていたが、本気で走っていなかったのか。なかなかの体力自慢だな。

「でも、手の甲に傷があるでしょ? って、無い!」

 俺の手を握って確認。

 女の子にいきなり手を握られるというシチェーションにドキリとする男は多いと思うが、俺はむしろ殺したくなって動悸が高まってしまうので気を付けないといけない。

 これが、人格が変わるということだろうか?

 人格というか、本音が出るといった感じだが。

「え、あれ? 見間違い? でも、確かに……」

「そんなに火傷の傷が重要か?」

「火傷の傷? という事は、見間違いだったの? え、そんなことってある?」

 矯めつ眇めつ俺の手の甲を確認するイブリース。ここまで入念に確認されると、結構珍しい傷だったのだから取っておけば良かったかという謎の気持ちが働くほどだ。

 大きな怪我の痕とか、俺の場合は残らないから、そういうのは子供の時分は憧れた記憶が……。何故、子供の時分はあんなに骨折とかギプスを自慢したがったりするのだろう。謎だ。

「もういいか?」

「あ、うん。ゴメン」

 イブリースの手から逃れ、視線を上に向ける。

 壁に記載された数字が35Fである事を確認すると同時に、手摺りの隙間から人影が降りてくるのが見えた。

 あれが上階から降りてきた足音の主だろうか,

 降りてきたのは、スーツ姿の小太りの男性だ。髪はフサフサだが年季の入った顔の皺は隠しようがない。年齢はパッと見た感じ四十代後半といったところか。下手をすれば、五十にまで届いているかもしれない。

「見つけた……」

 男はそれだけを呟くと、階段を駆け下りる勢いを利用しながら、俺に向かって思い切り拳を叩き付ける。肉を打つ鈍い音が、階段の踊り場に木霊し、俺は鈍い痛みに顔を顰めた。

「明日斗くん!」

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