眠らない夜

山本Q太郎@LaLaLabooks

眠らない夜

 私はしばらく、幽霊と暮らしていたことがある。

 幽霊の名前は橘さんといった。


 当時つきあっていた恋人にフラれ体も心も生活もすさんでいた。相手は友人とたまたま入ったお店の店員で二歳年上のマサシといった。きっかけは向こうから声をかけてきたのだが、そんなことは初めてで舞い上がってしまった。後日電話があり、何度か会っているうちに付き合うようになったが、男の人との経験に乏しくどうにもうまい距離を見つけられずにいた。

 マサシの気持ちが離れていってるのはなんとなく感じていた。直接別れを告げられた時にはついに来たと思った。強く引き止めたりはできなかった。

 「覚悟ができていたのか、それとも、泣きじゃくってすがるほどには真剣に好きではなかったのか」頭の中は冷静で気がつくとそんなことばかり考えている。しかし、どこか理屈と関係のないところで、マサシのいない寂しさに涙が止まらなくなる。

 家に帰ると自然に涙があふれた。

 マサシはもうここにはこないと考えただけで涙が出てきてしまう。家のことで忙しくすれば気も紛れるかと考えた。けれど、マサシが生活の隅まで染み込んでいたらしく、何をしていても彼がいないことを考えてしまう。洗濯物を片付けていると、タンスの引き出しの隅に大きいティシャツとトランクスが畳んで押し込まれている。内緒でアップルパイを作って驚かそうと思って買った耐熱パイ皿は一度も使われることなく食器棚に並んでいる。T字の使い捨てカミソリが洗面所に置きっぱなしだ。見かけるたびに処分しようと思うけど忘れる。仕事を終え部屋に帰り夕飯の支度をしていて食べてくれるマサシがいないことを思い出し涙が流れ出す。


 そのうち食事を作る気力もなくなり、めそめそと鼻をすすりながら部屋着に着替えてお酒を飲んで泣くようになった。

 お酒が飲みたいわけではないけれど、落ち着かない気持ちを持て余してしまい失恋した時にやるであろうことをやってみた。

 しゃれたお店でほどほどの値段の赤ワインを買った。アルコールは全く受け付けない体質なので、ちょっと舐めただけで顔が真っ赤になり体中が熱くなる。口の中も痺れ味も全くわからないから何を飲んでも一緒だった。そのボトルは何日経っても減らなかった。それでも毎晩、ワインを小さな皿にとりひと舐めしては酔いつぶれていた。家に帰り着替えもせずに皿を舐め酔ってテーブルに突っ伏したまま、シンクに溜まった洗い物や二週間に一回しかない資源ごみのことを頭の端で気にしながら何もできない。自堕落な生活に沈んでいた。


 ある夜に部屋で一人、酒を舐めクダを巻いていた時に肩を叩かれた。振り返ると気の毒そうな顔をしたおじさんが立っていた。突然現れたので吃驚してテーブルをひっくり返してしまった。見るとしょぼくれた感じの中年男性だ。その冴えない表情を見た瞬間に、驚かされた事に対する怒りと溜まりに溜まっていたイライラが全て爆発した。考えるより先に誰とも知れないおじさんを怒鳴りつけていた。おじさんは「はぁ」と言ったきり顔を伏せて黙ってしまった。それがまたイライラを煽る。

 その人は明らかに幽霊だった。顔に精気がないし何より向こう側が透けて見える。けれど、たまたまの勢いだったが上に立つことができたので怖くはなかった。それにその幽霊は人をイラつかせる雰囲気を持っており、もっとしっかりしなさいと言いたくなる。私はワインボトルを突きつけ無理矢理に酒を勧めた。それでも気のない返事をするだけだ。イライラしてつい「なによ」と声を荒らげ怒鳴りつけてしまった。おじさん幽霊は「はぁ」と返事ともため息ともとれる音を出してじっとしている。台所からグラスを持ってきてワインを注ぎおじさん幽霊の前においた。おじさん幽霊はのろのろとその場に腰を下ろしうなだれた。

 事務員のような服装にネクタイを締め黒縁のメガネをかけていた。 座った姿勢でうなだれるとちょうど禿げている頭頂部が目に前にくる。

 何もかもに腹が立った。その後のことはよく覚えていない。翌朝は奇跡的に会社に間に合う時間に目が覚め遅刻しないで済んだ。


 おじさんの幽霊は橘さんと言った。毎晩泣いている私を見かねて声をかけてくれたそうだ。以降、マサシのことを考えてばかりいて何も手につかず、ソファに沈み込みグラスを抱えて鼻を啜っていると橘さんも一緒に泣いてくれるようになった。いつも気がつくと橘さんはテーブルの向こうに座り「わかるよサキちゃん」と言って慰めてくれる。膝に置いた両手を握りしめ、下を向き鼻を啜っている。私がグラスを出し、ワインを注ぐと橘さんは「ありがとうサキちゃん、ありがとう」と涙を流しながら頭を下げる。頭を下げると薄くなった頭頂部に思わず目がいってしまうが、親身になってくれる人に失礼と思い気にしないようにする。

 「サキちゃんはねえ、優しくていい子だから絶対いい人と巡り会えるよ」と言いメガネを取りシャツの袖で涙を拭いた。ずいぶんいい加減な慰め方だと思ったけれど、橘さんがあまりにも真剣に同情してくれているようなので何も言えずにうなずいた。

 橘さんは裾で鼻水も拭った後「おじさんもね」と始めた。ここからが長かった。


 橘さんは、昭和十九年、雪が溶け山が緑に色づいてゆく季節。山形県庄内にある農家に六番目の子供として生まれた。兄たちとは年が離れており、年の近い兄弟は女ばかりだったので、自然に近所の男の子たちと遊ぶようになった。子供の頃は野球選手になりたかったそうだ。

 「戦争が終わったばっかりだったから、なんにもなかったんだよ。今の子供らみたいに、おもちゃとかゲームとかあんないい物はなかったんだから」ということだ。ボールやバットは売っていない。仲間がどこからか拾ってきたボールを木の枝で打って空き地を走り回っていたと懐かしそうに話した。

 「おじさんの村には、テレビなんかはまだどこにもなかった。唯一ラジオを持ってた人がいて、野球の試合があるとみんなでその人の家に行ってラジオに齧りついてたもんだ」

子供の頃は巨人軍長島選手のことが好きだったらしい。山形にいた時の話はほとんど長島選手の話で占められている。興が乗ると長島選手のバッティングフォームを解説してくれる。長島選手のモノマネもしてくれた。特徴的な話し方をする人のようで、生真面目そうな橘さんがやると滑稽だった。

 庄内の野球少年はもちろんプロの野球選手になれなかった。中学を卒業すると集団就職で東京に働きに出たそうだ。農家の末っ子で選択の余地はなかったし、そういうものだと疑問も抱かなかった。橘さんたちの世代は金の卵と言われ、地方から専用の列車に乗せられ都会に集められたそうだ。上野駅のホームは期待と不安で顔をこわばらせてる仲間でいっぱいだ。その時は、田舎から着てきた一張羅がひどくみじめなものに思えて恥ずかしかったそうだ。

 「思えばみんな田舎者なのにね」十四歳やそこらで見知らぬ土地に放り投げれた少年はどんな気持ちだっただろう。

 「東京に行けば長島選手に会えると思ったけど、そんなにあまいもんでなかった」お酒は減っていないのに橘さんは酔ったように顔を赤くして、少し嬉しそうに話す。

 東京は活気に溢れていたが、田舎から出てきたものはみな肩身が狭かったらしい。集団就職といえば聞こえはいいが丁稚奉公みたいなものらしく勝手もわからないまま働かされたそうだ。橘さんの就職した会社はいわゆる土建業で、日本は建築ラッシュだった。いくらでも仕事はあり、会社はどんどん大きくなっていった。規模が大きくなるにつれて会社はいろいろな商売を始めた。もともと素直でまじめなたちだからか、橘さんは会社から重宝がられいろいろな仕事をした。建築業から不動産業、飲食店の経営など、会社は金を使うために会社を大きくしていった。

 その頃ちょうど働き盛りの橘さんは会社の第一線で脇目もふらず一生懸命働いた。

 「奥さんもできた子供も生まれた、けど、あんまり家には帰れなかったからね」橘さんはそれ以上家族については話さない。

 橘さんは不動産を扱う子会社に責任ある立場で配属になった。あまり具体的なことは話してくれなかったが、どうやら地上げをするための会社だったようだ。

 「ああいう時は恐ろしいものでね、周りがかーっとなってるから、もう目の前のことしか見えんのですよ」 と言って苦々しい表情をする。この辺からどんどん暗い話になる。家族のためにと会社の方針に従っていたが、もともとが真面目しか取り柄のない人間である。建築現場という、はみ出し物が集まるところでさんざん揉まれてきた橘さんにとっても地上げというのは随分きつい世界だったようだ。

「それこそ現場で働いてる大工やなんかは職人だからあれだけど、他になんぼでもたちの悪いのはいるからね」橘さんは悪い酒を飲むようになり、家に帰ってストレスを家族に向けた。悪い酒とは橘さん用語だ。橘さん曰くいい酒と悪い酒があるらしい。家では疎まれ、職場では現場と会社に挟まれた。それほど遊びも知らないからうまく息抜きもできず、お金だけはあったから夜は酒に逃げ、家に帰ると家族に当たった。

 「今思えばどうかしてると思うんだけどね、それでもどうにもならなくて、そのうち体悪くしたのさ」仲間内ではお酒の付き合いを断るのは難しかったらしい。また、弱みを見せると仕事の相手に軽く見られる。それを橘さん個人の力量不足とするのは気の毒に思えた。話を聞いているとあまり個人が大事にされる時代ではなかったようだ。

 橘さんは不摂生が祟り動脈硬化を起こして脳梗塞で倒れる。一命は取り留めるが半身に麻痺が残り働くことができなくなってしまう。奥さんはよく面倒を見てくれたが、今までつらく当たってきたことが橘さんを苦しめた。結局、離婚を申し出て退職金と保険金を慰謝料に払った。

 「バブルがはじける直前だったからまだよかったんだ」勤めていた会社は不動産の不良債権が元で、橘さんが退職した数年後に潰れたらしい。家族に財産を残したあと、1994年の年が明けてすぐに橘さんは入院していた病院で薬を飲んで自死した。享年五十六歳。

 橘さんはいつも最後に「死んだらなんにもならないよ」という。私は死ぬ話なんかしていないが橘さんは慰めてくれているつもりなのだろう。ちょうど橘さんの話が終わる頃に空は白み始める。


 橘さんはお酒を飲んでいる時は大抵姿を現わす。そして、いつの間にか橘さんの身の上話が始まっている。

 正直に言うとあまり聞きたい話ではなかった。いつも同じだし、いったん話が始まると私が何か話しかけても無視されるから会話にはならない。話自体も冗談を言って茶化せる内容ではないし、幽霊の身の上話だから当たり前かもしれないけど終わりはいつも橘さんが死ぬ場面だ。ただ、橘さんを無視したり話を強引にやめさせるのは気が引けた。機嫌を損ねて祟られたり取り憑かれたりしたら嫌だと思ったからだ。


 そんなことが一ヶ月も続いただろうか。よくは覚えていないがカレンダーで数えてみるとそれぐらいのはずだ。

 家に帰って橘さんの話を一晩中聞くのが日課になっていた。

 だが実際はそれほど身を入れて話を聞いていた訳ではない。はじめの二、三日は緊張感もあったけれど、話が同じだとわかったとたんに集中して話を聞くことが難しくなった。

 それである時うっかり居眠りをしてしまった。よく考えれば橘さんの話を聞くようになってからは、朝が来て明るくなり橘さんの気配がなくなってから出社するまでの数時間くらいしか寝ていなかったのだ。明らかに睡眠時間は足りていないのだから仕方ないとは思う。けれど、その言い訳は橘さんにも通じるのだろうか。あまりにも馴染んでしまっているが、相手はこの世のものではないのだ。家族のために実際に何が起こったとしてもおかしくはない。むしろ今までの自分があまりにも軽率であった。どうせ減らないのだからもっといいお酒をお供えしておけばよかった。と、今更ながら恐ろしくなった。恐る恐る気づかれないように橘さんの顔を伺うと、夢中でいつもと同じ話をしている。それで一気に緊張の糸が切れてしまった。橘さんの話を聞かずに寝ていても怒ったり祟ったりはしなかったので、いつかの間にか子守唄のようになり、橘さんが話し始めるとたちまち眠ってしまうようになった。私が寝ていたことには気づいていないようだ。

 ひょっとしたら、私が話を聞いていても聞いていなくて橘さんにはどうでもよいことかもしれない。


 最後に橘さんの話を聞いたのはいつだろう。

 会社の帰りに友人といっしょにご飯を食べて帰ったときに気がついた。

 橘さんにお酒あげるのを忘れたと思った。私だけ外で飲んでしまって、橘さんに罪悪感を感じてしまった。それで、随分前に橘さんのことを気にかけなくなっていたことに気づいた。

 せめてあの世で長島選手に会えるといいと思った。



                            了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

眠らない夜 山本Q太郎@LaLaLabooks @LaLaLabooks

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ