第6話 シークレットストーリー

 これは雨の日に急に話し相手の居なくなった美女とバーテンダーとの閑話である。


 夕刻からさざめき始めた空模様から落ちてきた水は、世界の色を変えさせる。

 外はまるっきり寒さで支配され、気温が下がるのを誰も止められないみたいだった。


 しかし、不思議と雪は降らない。

 今日も雨だ。


 騷騷。騷騷。

 と、今日もまた街が泣いているような印象を持つ。


 街行く人々の衣擦れや足音ではない。

 地面を叩く雨音が店内にも、漏れて来ているのだ。


 先程のカウンターの男性客は、急遽用事が入ったようで、出ていってしまったきり、客足は遠退いたままである。

 カウンターには半ば常連になりつつある、自称雨女がモスコミュールの次に頼むものを選んでいた。


「お兄さん、今日はまだ居れそうだから、強いのくださーい。」


「のみすぎないでくださいね。どんなのがいいです?」


「えーと、お兄さんのおすすめで。」


「かしこまりました。それでは一つ、私から提案をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」


「なんですか?」


「『このバーはバーテンが気さくだが、酒が悪い』と知り合いに吹聴して欲しいのです。」


 自称雨女は変な顔をして、美人が崩れた。

 怪訝に眉をひそめ頭を傾げると、謐謐と尋ねるのである。


 その声色に私は喜びや恍惚を感じていた。

 奇妙奇天烈で頓珍漢なバーテンダーだと、きっと、思われているに違いない。


 何せ、『自分の酒が悪い』と言う悪評を振り撒いて欲しいと言うのだから。


「え、…と。どう言ったことで、また?」


「分かりませんか?こんなに雨の日には、客足が遠い店が、なぜ経営が出来ているのか。」


「晴れの日にはきっとお客さんがいっぱい来ているから…という訳ではなさそうですね。」


 話し途中で何かを察したように自称雨女は、言葉を詰まらせるような仕草を見せる。

 その上で、不思議がる表情を見せる自称雨女は、私をまじまじと見ていた。


「いえ、それも一つの経営の助けですが、『酒が悪い』と言っておくとあまり目立たなくて都合がいいのです。」


「目立ってはいけない…事がある…と。」


 美人の表情がガラリと変わる。

 私は終始表情を変える事はせず話していたが、会話一つでこうも表情を変えさせられるのは、なかなか面白さを感じずにはいられなかった。


 確かに私は目立ちたがり屋ではないが、それと店が目立つのとは訳が違う。

 と言うのも・・・


「お酒が美味しいと悪いとでは意味が違いますね。あなたも先程からグラスが進んでいるのを、ご自身で自覚なされた方がよろしいかと存じます。」


「すみません。お会計お願いします。さっき頼んだのも込みでいいんで。急に用事を思い出しました。」


 美人は既に顔が凍りついているのが、分かった。

 急ぐように財布をカバンから取り出し、席を立とうとした時───。


 私はカウンターに出来たての新しいカクテルをそっと置く。


「こちらブロンクスです。カクテル言葉は『まやかし』といいます。お話にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。」


 私は一礼をするとにっこりと微笑み、会話上での嘘を暴露するのであった。

 美人は安心したのか、またカウンター席に座り直して、安堵のため息を一つこぼすのである。


「やめてください。びっくりしました。」


「いえ、少しその綺麗なお顔を崩してみたくなりまして、一つ、芝居を打ってしまいました。失礼致しました。楽しんで頂けたでしょうか?」


 グラスに注ぐものが決してお酒だけでは無い事を、私は知っている。

 故に、バーテンダーと言う職種は面白いのだ。


「ここのバーテンさんが気さくと言う話は、みんなに吹聴しておく事にしますね。ちょっと次飲む前にお水くれますか?どっと酔いが回ってきた気分です。」


「かしこまりました。今日は多分、そこまでお客さんは入らないと思うんでゆっくりして行ってください。」


 私はグラスに、水と一緒に軽く愉悦感を注ぐ。

 チェイサーをカウンターに差し出した時に、入口の扉が開いた。


 そこには新品の傘を持つ青年が立っていたのだった。


 それからはカウンターでのやり取りを聞くに、どうやら、しがないバーテンの話よりも、自称雨女には傘を持つ青年の話の方が楽しいのが少し悔しくはある。

 その話もおちおちと何やら雲行きが怪しくなり、傘を受け取った美人は店を後にするのだった。


 一人残った青年がうなだれながら、カウンター酒を飲み干し、次を注文する。

 青年が飲んでいるのは空虚なのだと、私はグラスに空っぽを注いだ。


 幾分か経って、私の休憩の合図が出されると、私は「外の空気吸って来ます。」とタバコのスラングで裏口を出た。


 雨天の漆黒に路地裏は黒い艶を発しているコンクリートぐらいしか分からず、手探りで表通りの光を頼りにインスタントライターに火を点ける。

 辺りが明るくなったと思ったら、足元に何やらふわりと柔らかい感触を感じた。


 そして、暖かい。

 ここら界隈で有名な猫だった。


 私が勝手に呼んでいる名前は『ペコロス』。

 小さい玉ねぎみたいだし、言葉の可愛い響きが気に入っている。


 たまに、『ペコロニアン』だとか『ペコロヌスキー』だとかに変わるのは、気分である。

 タバコに火を点けると、今日は『ペコロンヌ』を抱きかかえて、表通りの少し明るいところまで歩いた。


 そこには先程自称雨女が持っていた傘が、開いたまま置いてあった。

 拾い上げるとおもむろにさしながら、街を見渡す。


 街は静かだが、まだ眠らない。

 半覚半睡のように少し人が行き交っては、ネオンがそれを見つめている。


 それぞれの想いを抱え、濡れた街は輝いていた。

 微睡むようなタバコの煙を街に吹き出すと、『オレンジペコ』がひとつ鳴いた。


「にゃー。」


 この街では様々な人がいるが、誰にも悟られてはいけない秘密が実はある。

 私が雨女の末裔と言う事だ。

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掌編小説〜冬の雨〜 お白湯 @paitan

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