私が抱えるちょっとした憂鬱

創つむじ

此れ見よがしに鳴り響く

 我が家の深夜はちょっとうるさい。

 具体的に言えば、隣りの部屋から聞こえてくる行為の音が、やたらと耳に障るのだ。

 どうやら一般的に言う攻めと受けの立場が、あの人たちは逆らしい。

 時々漏れ出す黄色い声と息遣いに比べて、もう一人は切ない程に呼吸を堪えている。

 ベッドがきしむ音と揺れは、私たちの部屋までしっかり伝わってくる。

 眠れない。いや、気になって眠りづらい。

 

 五年程前、まだ十歳になったばかりだった私は、こっそり隣りの部屋を覗いていた。

 枕元の照明が逆光となり、イマイチよく見えなかったので、何度か覗き見た。


 母が覆い被さっている。

 しかも服を着ている様子が無い。

 動作は異様に荒々しい。

 私は一体何を見ているのだろう……


 気になって仕方が無かった当時の自分。

 意を決して、ありのままを母に尋ねた。

 

「ブック〇フに売ってきなさい」

 

 返されたひと言で全てを察してしまった私は、保健の教科書と共に、記憶の一部分を黒く塗り潰した。


 それからも相変わらず、隣りの部屋での営みは続いている。

 そして父とはなんとなく目を合わせにくい。

 まぁ私が気にしても仕方無いのだが。

 

 隣り合っているのは両親の寝室と、私たち姉妹の寝室。

 所謂いわゆる子ども部屋と言うやつだ。

 勉強する為の部屋は別に設けられているが、子供たちが寝る部屋は一括りにされている。

 それと言うのも、四人それぞれに割り当てるほど部屋数が無いからだ。

 

 いつも入眠したら梃子てこでも動かない姉が、その日は珍しく深夜に目を覚ました。

 

「ん〜……なんか音がする……」

 

 寝惚け声で呟きながら、まだ重たい体を起こそうとする姉。

 私は大きなあくびを零しつつ、真相については触れないように応えた。

 

「気にしなくていいよお姉ちゃん。お母さん、時々夢見が悪いんだって」

「うなされてるの〜? 可哀想にねぇ……」

 

 私はこんなに感情の篭っていない哀れみの言葉を、今まで耳にしたことが無い。

 だがそれ以上に、すぐに再開された寝息を聞いて、心底ホッとしていた。

 ちなみに六歳下の双子の妹たちは、いつだってぐっすりイビキを立てている。


 正直羨ましい。

 同じ空間にいながら、何故こうまで眠りの深さに差があるのだろうか。

 気付いてしまった私が悪いのか。

 気にしてしまう時点で負けなのか。

 姉妹たちのイビキの共鳴も、割とうるさい。

 

 高校生を目前に控えた今、いくつか得た知識がある。

 親とは言え、大人には大人の事情がある。

 大人同士の情事がある。

 更に言えば、年齢が増す毎にそういった欲求が増えるのは、どうやら女性の方らしい。

 逆に男性側は減っていくそうだ。

 それにしても、うちの両親はたぶん元気な部類に入るのだろう。

 有り余るエネルギーをどうこうしろと言う気は無いが、私もそろそろ睡眠に集中したい。

 それとなく母に伝えることにした。

 

「ねぇ、お母さん。私さ、勉強部屋か客間を使って寝たいんだけど」

「あら、どうしたの急に? お姉ちゃんとケンカでもしたの?」

 

 ケロッと投げ返された疑問に対し、軽くイラッときた。

 だがそんな時こそ笑顔を作り易いのは、この能天気な母親の血なのだろう。

 

「そうじゃなくてね、うちってさ……壁が薄いのかなぁと思って」

 

 その瞬間、母は口が半開きのまま硬直した。

 だいぶオブラートに包んだつもりだったけど、これでも直接的だっただろうか。

 若干の罪悪感を抱く私とは裏腹に、返答はあまりにも頓狂とんきょうであった。

 

「男の子が欲しいのよねぇ……」

 

 母の発言が理解出来ず、私は思わず——は? と声を漏らしたのだが、続けられた説明にさえ頭を悩ませた。

 

「ほら、うちの子は女の子ばっかりじゃない。みんな嫁いじゃったら寂しいし、一人くらい男の子も産みたいなぁ〜って」

「……お母さんの希望は分かったけど、今だって部屋足りてないよね」

「広さは十分でしょ? 二段ベッドふたつ置いても余裕あるし、仕切りでも作れば——」

「いやいや、仕切りじゃ壁の薄さはカバー出来ないんだってば」

 

 口をへの字にする母に呆けてしまう私。

 恐らく目一杯間抜けな顔をしていただろう。

 それでも母は全くめげなかった。

 

「女性側が満たされると、男の子ができ易いって言うんだけどねぇ……。お父さんとの相性は良いはずなのに、なんでなのかしら?」

「何言ってんのかさっぱりだけど、娘の前で生々しい発言は控えて欲しいもんだよ……」

「でもほら、ダイエットにもなるのよ?」

「それ、思春期の娘に言うセリフかなぁ」

 

 別に責めるつもりは無かったはず。

 だけどこうもツッコミ役に専念させられると、自然と文句を垂れている気分になった。

 だからすぐにやめた。

 きっと母には、安眠妨害をしている自覚がほとんど無い。

 ついでに恥じらいも足りない。


 私はその日の夜までにある決心をした。

 そして姉を協力者として選んだ。

 

「お姉ちゃん、私が高校生になったらさ、二人でルームシェアしない?」

「どしたのさ? なんかあったわけ?」

「だってさ、この家じゃ自分の部屋も持てなくて窮屈でしょ? 友達とも遊びにくいし」

 

 よく外に遊びに行く姉にとって、そういった不満は少なからずあると思った。

 でもどうやら私の見立ては甘かったらしい。

 

「あたしはこのままでいいや。バイト代が生活費に回ったら、きっと課金も出来ないし」

「そっか……うん。単なる私の思い付きだから、あんまり気にしなくていいよ」

「あんたに彼氏でもできたってんなら、ちょっと考えても良かったんだけどねぇ〜」

「ごめん、私にはしばらく縁が無いと思う」

 

 スマホ画面を見ながら、他人事みたいに軽い返事をする姉。

 本当に夜の状況を知らないようで、逆に感心してしまった。

 

 もうこれまでだ。諦めるしか無い。

 高校生で一人暮らしは、リスクが大きい。

 とりあえず私一人が無心になれば、誰も不幸にはならない。


 これまで通り妥協する道を選んで数日後、私に対して思わぬ救いの手が差し伸べられる。

 舵を切ったのは父だった。

 

「一番奥の物置になってた部屋、明日あそこを片付ける。少し狭いけど、今度からそこも寝室として使ってくれて構わないからな」

 

 そう告げられた私は、胸が躍るという表現の的確さを、今まさに体感している。

 両親の寝室は二階の手前側。

 一階にある客間を除けば、一番遠い部屋が現在の物置部屋である。

 その場所が私の寝室になる。

 週に二度は訪れる苦行の晩から、ようやく解き放たれる。


 せっかくなら自分好みの部屋にしてしまおうと、片付けや掃除に率先して取り組んだ。

 そんな折、双子の妹たちが揃ってやって来た。

 何やら不安そうな表情を浮かべている。

 私は掃除を中断して、声を掛けた。

 

「どうして二人ともそんな顔してるの?」

「お姉ちゃん、私たちと寝るのやだった?」

「そんなことないよ。部屋が空くなら、使わせてもらおうと思っただけ」

 

 苦し紛れの言い訳であったが、素直な小学生たちにはそのまま受け取られた。

 そして純粋な提案まで出されてしまう。

 

「じゃあさ、私も一緒にここで寝ていい?」

「あー、私もそうしたい!」

 

 妹たちに懇願され、戸惑うばかりの私。

 双子というだけあって、普段から二人は仲が良い。

 だけど私はそこまで懐かれた覚えが無い。

 理由が不明だった。

 

「なんでこっちで寝たいの?」

「だって子ども部屋のベッド、時々揺れるんだもん」

「なんか変な声が聞こえたりして怖いもん」

「……いいよ。ここで一緒に寝よっか」

 

 思えば私が気付いた頃も、この子たちと大差無い年齢だった。

 真実を知って、同じ悩みを抱かせる必要は無い。

 知らぬが仏。言わぬが花。

 触らぬ神に祟りなし。

 いずれ彼女らも、事の真相を知る時が来る。

 今はまだ時期ではない。

 

 新しい寝室は、布団を三枚敷くだけでほとんど埋め尽くされた。

 本当に寝る為だけの部屋となった。

 憧れの自分だけの部屋にはならなかったけど、きっとこれでいい。

 姉妹三人にとって、これが一番平和的だ。

 そう思っていた矢先、長女が覗き込んだ。

 

「あら、あんたらここで寝んの?」

「うん。なんか成り行きでそうなったよ」

「そっかー。じゃああの広い部屋は、今日からあたしだけの憩いの場だ! これが一番上の特権ってやつかぁ〜。ありがたやー」

 

 ご機嫌そうに去っていく姉の後ろ姿に、私は思わず溜め息が漏れた。

 あの図太さとお気楽さが、私にも備わっていれば……


 これぞまさしく知らぬが仏。

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