第18話トーヤとイツ1【本編改稿版公開記念】

 朝から暑い日だった。

 街はゆだるほどの湿気と熱で、あたりの建物が蜃気楼のように揺らめいて見えた。


 九竜くりゅう十矢とうや十八歳。高校生としては平均よりやや背が高いが、ごく普通の体躯。白い半袖のポロシャツに黒のジーンズ。まだ少し幼さが残る顔はひきしまっていて、前を見すえる視線は意志の強さを感じさせた。


 彼の高校最後の夏休みは、どこへも行かず受験勉強で終わりそうだった。今朝もまた、静かな環境を求めて図書館へ向かっていた。


 通勤時なこともあって、高いビルが建ち並ぶ大通りには、行き交う人が溢れていた。車道にも仕事に向かう車が列をなしていて、時折クラクションの音が響いていた。


 十矢は少しでも早く涼しい建物内へ入りたいと、人混みを縫って足早に歩いていた。交差点の信号でしばらく足止めされたが、信号が青に変わり、人の流れに押し出されるように先に進んだ。


 だが、横断歩道を渡り切る前に、彼は突然、激しいめまいに襲われた。

「ヤバイ」と思った瞬間、体が浮き上がるような感じがして目の前が白くなった。


 もし十矢を注視していた人がいたとしたら、交差点を渡っている集団のなかから、彼だけが突然フイッと消えたことを目にしたはずだった。


 だが、誰もそれに気づくことなかった。歩行者の集団は横断歩道を渡り切り、何ごともなかったように、それぞれの行き先へ向かって行ったのだった。


 ※ ※ ※


 ううっ、と、小さい声をもらして、十矢は身じろいだ。

ぼんやりと目を開けると、白っぽく乾いた地面が見えた。


 ゆっくり身を起こして、あたりの景色が目に入ると、驚きのあまり動けなくなった。


「どこだ?」


 見渡す限り、乾燥してひび割れた荒地が広がっていた。まばらに木が生えているものの、さえぎるものが何もなく、遙か先にあるけわしい山の山脈やまなみまでもが見渡せた。


 中央通りを図書館へ向かっていたはずだと、十矢は思った。夢でも見ているのだろうか。何度あたりを確認してみても、彼の知ってる街の風景はもどってこなかった。


 横に目を移すと、教科書や参考書を入れていたリュックが放り出されていた。ひどく喉が渇いていた。

 ミネラルウォーターを入れていたことを思い出して、ペットボトルを取り出しキャップを開けた。


 ゴクゴクと飲み込んでから、思い直したように半分ほど残して飲むのをやめた。あたりを見まわしても、見えるところには水源などはありそうになかった。


 ペットボトルをもどそうとバッグ持ち上げた時、入口が傾いて中から見慣れないものが地面に転がった。


 拾ってみると、黒い革の小さなバッグだった。同じ色のベルトがついていて腰に付けられるようになっている。いわゆるウェストポーチだ。


 こんなもの持っていなかったはずだと、念のため中身を確認してみようと開けてみたら、突然目の前に半透明のボードが出現した。


「なんだ?」


 十矢が驚いてポーチを放り出したとき、あわててボードに指が触れたらしい。文庫本ほどの薄い冊子が地面に落ちた。表紙には『異世界の歩き方』と書いてあった。


「なんだよ、これは」

 パラパラと冊子に目を通して、怒りのあまり地面に叩きつけた。


 冊子には、ここはエリーネルという世界のメイリン王国で、偶然の事故により、この世界に移転させられてしまったと書いてあった。


 隣国のドアル公国で行われた禁忌、勇者召喚の儀式の失敗によって、時空の膜に複数の裂け目ができてしまい、至高神エリーネルが裂け目を閉じるために奔走していたのだが、十矢は偶然にもその裂け目に落ちてしまったらしい。


『至高神は普通、人間に干渉することはないが、計らずしも人生を狂わせてしまった詫びに、この世界で生きていくための手助けをする』


 これは自分のことを言っているのか、それとも小説なのか。現実味の無い記述に、どう考えて良いのかわからなかった。

 これはドッキリかなにかのテレビ放送で、どこかにカメラが隠れているのではないかと、あたりを見まわしてもみた。


「セットにしては、リアルすぎるか」

 十矢はため息をついた。


 ありえないことが自分の身に起こっているのだろうか、もう家に戻れないのだろうか。家族は心配しているだろう。クラスメイトは、部活の仲間は? 目指していた大学もあきらめなければならないのだろうか。


 十矢は乾いた地べたに座りこんだまま、空を見上げた。

 空は青かった。故郷の空よりも澄んで、地平に見える高い山々の向こうから、もくもくと入道雲のような巨大な雲が見えた。


 日差しは強く、頭上にあった。おそらく太陽だと思われるものは、直視できないほどにギラギラと輝いていた。


 ふと、腕に違和感を感じた。

 地面に手をついて体を支えていた手に、何かが這い上ってくるゾワリとした感覚がして、十矢は視線を移した。


 一瞬、何が起こっているのか考えが追いつかなかった。息を止めたまま体が固まった。


 手のひらほどの大きさがあろうか、芋虫のような黒い何かが数匹、半袖のポロシャツから出ている腕を這い上がってきていた。


「うわっ!」


 あわてて手を振り回して落とすと、それらは体を丸め、コロコロと地面に転がった。


「ダンゴムシか? それにしてはデカイ」


 気がつくとまわりを囲まれていた。白く乾いた地面の上に、数十匹もいるかと思われる黒いものが、ゾワゾワと十矢に這い寄って来ようとしていた。


「なんだ。これは」


 体の表面に幾つかの節を持ったそれは、はらい落とすと体を丸くして転がった。ひとしきり転がると体を解き、また近づいてきた。


 踏み潰すかと考えて、背中がゾワッと泡だった。

 これが潰れたところを想像してしまい、十矢は大きく息を吸い込んで、喉の奥からこみ上げてくるものを落ち着かせた。


 家の台所にまれに出てくるあの黒い虫も、潰すのは気持ちが悪く、大騒ぎして殺虫剤をかけるくらいなのだ。手元にあのスプレーがない今、どうやってこの黒いものを排除すればいいのか、見当もつかなかった。


 十矢はしきりに体を動かして、体に取りついて来る虫を払いながら、途方にくれていた。

 幸いにして、噛みついたり刺したりする気配はなかったが、どこからかわき出してくるのか、足もとから這い寄るように取りついてくる虫の恐怖を感じていた。


 何とかしなくてはならないと思いつつも、体が、それよりも気持ちが萎縮して、どうすれば良いのか考えがまとまらなかった。


(次話に続く)

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いつもお読みいただきまして、ありがとうございます。

当小説の本編に当たる『トワの広場でゆで小豆を売る』を加筆改稿して、新しく連載をはじめました。

 前作は61話約14万字でしたが、改稿後は85話20万字になり、設定も少し変更されています。

カクヨムコン9にも参加しておりますので、お気に召しましたら、ぜひ応援いただければ幸いです。


『トワの広場でゆで小豆を売る【改稿版】』

https://kakuyomu.jp/works/16817330658713729877


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