第10話


         ※


 俺は自分が着ていた衣服(誰かが洗濯してくれていたようだ)に着替え、エミに連れられて病院から出た。そして、唖然とした。

 何故なら、そこに広がっていたのは俺のよく知る日本の都市の姿だったからだ。


 建ち並ぶ高層ビル、入り組んだ交差点、電車の走る高架橋。

 俺が住んでいたのは田舎だったが、東京や大阪といった大都市の映像は見慣れている。

 これが異世界? 現実世界に帰って来たんじゃないのか。いや、強制送還されたというべきか。


 俺がぼんやりしていると、ぐいっと腕を引かれた。


「トウヤさん、信号が変わります! 早く渡りましょう!」

「え? ああ」


 道路上を走っているのも、やや古いが紛れもなく自動車だ。ぱっと見でそう判断できる。違和感があるとすれば、それが左側通行ではなく右側通行であることくらいか。


 街行く人々の服装も、武闘家種族に比べればずっとバリエーション豊富だった。それらも一昔前のような、半ばダサいものであったが。でもきっと、今の俺の服装の方が目立ってしょうがないんだろうな。何となく視線を感じるし。


 しばらく俺は、エミに手を引かれるようにして歩みを進めた。当然ながらこちらも季節は真夏。ビルの陰に入って、できる限り身体が熱を帯びないようにする。


「どうぞ、トウヤさん」

「おう、サンキュ」


 エミが手渡してくれたのは、ペットボトルの水だった。自動販売機まで設置されているとは、ますます既視感が強くなる。というか、エミも含めて皆の立ち振る舞いに違和感を覚えない。


 ああ、そうか。彼らは機甲化種族などと呼ばれているが、工業力の発展した人種なのだ。現世界だろうが異世界だろうが、文明の行きつく先は似たり寄ったりということか。


 しかし、強いて違和感を上げるとすれば――。


「なあエミ」

「はい? なんでも訊いてください」

「どうしてあちこちに兵士が立ってるんだ?」


 そう尋ねた時の俺の顔は、やや引き攣っていたんじゃないかと思う。

 なまじ街の風景が見慣れたものであるがゆえに、自衛隊に似た迷彩服の人々がそこら中に立っているのが気にかかるのだ。

 

「自動小銃まで提げてるし……」


 そう小声で付け加えると、エミはぱちん、と両の掌を合わせ、こちらに振り向いた。


「ああ、それはですね――」


 と、まさにその時。彼女がベルトに差していた小さな箱状の機械が、喧しい音を立て始めた。蜂の羽音を連想させる、危機感を煽るような音だ。


「うわっ! なな、何だ?」


 見渡せば、街中の兵士たちが皆その機械を取り出し、耳元に当てている。そうか、これは小型の無線機だったのだ。


「こちらエミ・コウムラ。何事ですか?」


 素早く対応するエミ。するとエミはさっと顔つきを変え、鋭い目で上空を見上げた。


「エミ、一体何が――」

「こっちへ」


 再び俺の腕を掴み、駆け出すエミ。何だ? 何が起こってるんだ? 気づいた時には、エミはホルスターから拳銃を抜いていた。

 ずっと迷彩服を着ていたのは、街中でも戦闘事態が発生する恐れがあったかららしい。だが、敵は何者だ?


 俺とエミが街中を駆けていると、これまた騒々しいサイレンが鳴り始めた。ヴーーーーーン、という警戒音の合間に、こんなアナウンスが流れてくる。


《現在、暗黒種族接近警報が発令されました。市民の皆さんは、最寄りのシェルターに速やかに非難してください。繰り返します――》


 んん? 何だって? 『暗黒種族』? 聞いたことがない。


「な、なあエミ……」

「質問は後で! 今はあなたを機甲化種族の司令部まで護衛します。急いで!」


 周囲を見回す。民間人はパニックに陥ることなく、しかしながら不安を隠し切れない様子で、足早にどこかへ向かっていた。規律正しく、ぞろぞろと。

 きっとアナウンスにあったシェルターにでも行くのだろう。


 そんな彼らの頭上から、太陽が消えた。

 正確には、太陽光を一瞬で遮るほどの暗黒の雲が上空に広がった。

 するとあちこちで悲鳴が上がった。兵士たちが一斉に自動小銃を掲げ、セーフティを解除し銃撃態勢に入る。狙うはやはり上空だ。


 しかしそれも一瞬のこと。ビュウッ、と音がしたかと思うと、雲はまるで自らの意志を有しているかのように、さあっと晴れ渡った。


 あちこちから溜息が漏れる。どうやら危険は去ったらしい。まるで街中が、安堵に胸を撫で下ろしたかのようだ。


「ふう」


 エミもまた一つ息をついて、拳銃のセーフティをかけてホルスターに戻した。

 よほど緊張していたのか、俺から手を離してそっと両手を胸元に当てる。

 俺は慌てて目を逸らした。拳銃をホルスターに戻しただけでこんなに揺れる胸って、どうなってるんだ? などと場違い極まりないことを考えてしまった。


「暗黒種族もすぐに攻めてはこないようですね。さあ、司令部へ参りましょう」


 俺は黙って頷いた。


         ※


 俺がエミにいざなわれたのは、高層ビルに囲まれたやや低めのビルだった。

 目立たない外観だが、きっと地下に主要施設が広がっているのだろう。


「エミ隊長! トウヤ殿! ご無事で!」

「ええ、出迎えご苦労様です、大佐」

「いえ」


 ザッ、と敬礼する大佐。ああ、どこかで見たことがあると思ったら、ジャングルで土亀を倒した際、サンと言葉を交わしていた男性だ。


「市街地の警備にあたっている兵士たち以外には招集をかけてあります。早速ご報告を」

「分かりました。第一会議室ですね?」

「はッ」

「了解しました。さあ、トウヤさん。ついて来てください」

「お、おう」


 俺は大佐と呼ばれた男性のわきを通り、エミについて行く。


「ん?」

「どうかされましたか、トウヤ殿?」

「い、いえ」


 ここで言えるわけがないだろう。お前、今舌打ちしただろ! だなんて。

『何となく』ではある。だが、問題なのは舌打ちの相手が俺ではなくエミであるような気がすることだ。

 エミよりもだいぶ年嵩の大佐だが、何か思うところがあるのだろうか? だったら、腹を割って話してしまった方がいい気がするんだがなあ。

 まあ、俺の勘違いだったのかもしれないし、気にしないでおくか。


 俺とエミ、それに大佐の三人は、エレベーターに乗り込んだ。武闘家種族の連中からしたら想像もできない移動手段だろうな。そもそもあいつら、ビルなんて建てなさそうだし。


 案の定エレベーターは降下していき、しばらくしてガタン、と音を立てて停止した。


「こっちです、トウヤさん」


 エミに手招きされるままに、俺は蛍光灯の灯された廊下を歩いていく。

 あるドアの前でエミは足を止め、ノブを捻って踏み込んだ。するとザザッ、と軍靴を揃える音がして、俺は思わず立ち止まった。


 ゆっくり顔を覗かせると、長テーブルにパイプ椅子の並んだ白っぽい部屋が目に入った。そこに集まっていた全員が立ち上がり、一糸乱れぬ敬礼の姿勢を取っている。

 エミが演台に上がり、敬礼を返し、手を下ろす。すると皆も手を下ろし、再び軍靴の音を立てて着席した。


「皆さん、ご苦労様です。先ほどの警報に関して、負傷した方はいらっしゃいませんね?」

「民間人の被害を確認するのが先かと存じますが、隊長」

「えっ、ああ、そうですね、市街地に暗黒種族が降下した形跡はありますか? 被害報告をお願いします」

「報告指示は一つずつお願いします」

「す、すみません、大佐……」

「いえ」


 口を真一文字に引き結ぶ大佐。機甲化種族の連中がこの会議で何を望んでいるかは分からないが、何もそんな毒づくような言い方をしないでもよかろうに。それも皆の前で。


 大差も周囲から一目置かれている存在なのか、皆が挙手するまでにしばらく時間がかかった。


「では、自分から……」


 挙手したのは若い男性の兵士だった。


「現在のところ、負傷者の報告は民間人にも当局関係者にもありません」

「被害は建造物にもなし。暗黒種族は降下して来なかったようです」


 隣に座っていた初老の兵士が続ける。

 また出てきたな、『暗黒種族』という言葉。一体何者だ?


「あ、あの~……」


 聞くは一時の恥と思い、俺は口を開いた。


「何でしょう、トウヤ殿?」

「ああ、すいません大佐。暗黒種族ってのは?」


 すると、大佐は片眉を上げた。厳つい風貌が滑稽なそれに変わる。


「ご存じなかったのですか、トウヤ殿?」

「ついさっき聞いたばっかりで」

「エミ隊長、彼に説明していなかったのですか?」

「は、はい、武闘家種族の下で聞かされていたものと思っていて……」


 大佐の言葉にはやはり棘がある。この人、もしかしてエミに不満でもあるのか?

 大佐はこちらに向き直り、唇を湿らせてから説明を始めた。


「暗黒種族というのは、武闘家、機甲化、魔術師のどの種族にも属さない、人外の謎の生命体です」

「な、謎の生命体……?」


 ゆっくりと頷く大佐。

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