第34話 好きです


「いやあ! 凄かったね! あの爆発シーン!」


 映画館を出た後。

 草壁は最初の緊張は何のその、大興奮しまくって両の拳を握ってしきりに叫んでいた。


「そうだな。レンジャー達がみんな爆発に巻き込まれた時は、俺もどうなるかはらはらしたよ」

「そうだよね! テレビの中でも割と爆発はあるんだけど、流石は映画だよ! みんなを巻き込んで、もう駄目だと思った瞬間! 敵がこれで終わったと高笑いをした瞬間! その大規模爆発の中から、……もうもうと上がる煙の中から! ぼろぼろながらもゆっくりと姿を現すその姿! まさしくヒーロー! だったよ!」

「そうだな。……俺は、レンジャー同士の友情も感動したな。大喧嘩おおげんかしてすれ違ってたのに、相手の危機だと知ったら、迷いなく駆け付けてくるそのカッコ良さ。『当たり前だろ! 親友なんだからな!』って、躊躇ためらいなく手を差し出してくるシーンとか。……リアルだったら結構恥ずかしい台詞せりふなのに、かなりじーんときた」

「ああ! あれはね、最高だったよね! いやあ。ヒーローものは恋愛も家族愛も友情も全部描かれるから良いよね。テレビだと、他にもライバルがいるし、敵対しているけど互いに認め合っている人とかもいてね」

「へえ。それは面白そうだな。……俺も、日曜日に見てみようかなあ」

「本当かい⁉ だったら、録画をしているから、今までの回を全部、――」


 言いかけて、草壁が中途半端に口を閉じる。我に返ったのだろう。今は二人とも微妙な関係が続いていると。

 映画でいつもの草壁が戻ってきていたが、やはり思い出すとどうして良いか分からない様だ。


 春人も、このもどかしい状態を終わらせたい。


 彼女の好きなものに触れたのは、彼女のことがもっと知りたかったからだ。いつもの彼女に戻って欲しいと願ったからだ。

 そして。



 ヒーローものを見たら、もっと勇気がもらえると思ったのだ。



 実際、感動するシーンはいっぱいあった。勇気を振り絞って敵に立ち向かったり、すれ違っていても手を取り合うシーンは春人の胸を震えさせた。

 例え、何かがキッカケですれ違っても、傷付いても、どん底まで落ちても、自分達の行動一つで取り戻せることもたくさんある。



〝当たり前だろ! 親友なんだからな!〟



 真っ直ぐに、はっきりと笑顔で手を伸ばしていたあの二人のシーンには、そう教えられた気がしたのだ。



 再び沈黙してしまった草壁を連れて、春人は更に先へ進む。

 向かったのは公園だ。今の時間帯は、日も暮れ始めている。もう小さな子供達も親に連れられて帰っている頃合いだ。

 足を踏み入れた公園は、綺麗な夕焼けに染まって黄金色に輝いている。

 そこに人影は見当たらない。まるで絵画の一枚絵を切り抜いた様な鮮やかな光景は、春人の目に焼き付いて心を温かく染め上げていった。


「……草壁さん」


 静かに彼女の名前を呼ぶ。

 彼女がこちらを向く気配がする。

 だが、春人はえてそちらに向き合わなかった。これからする話は、過去のものだからだ。


「俺さ。ずっと、最初に付き合った恋人のことを引きずって生きてきたんだ」


 何と女々しい告白だろうか。

 彼女が呆れるかもしれないと思ったが、春人のこの始まりはそこからだ。――そして、草壁の最初の告白の結果にもつながることである。


「俺って、見てくれだけは良いみたいだからな。だから、それなりにモテたんだ」

「……そうだね。須藤君はカッコ良いから」

「ははっ、ありがとう。……でも、中二の時まで、俺は告白全部断ってたんだ」

「え……そうなのかい?」

「ああ。ラブラブな両親を見てたってのもあってさ。やっぱり付き合うなら、お互いに気持ちが無いと駄目だって思って」


 だからこそ断り続けていたのに、最初の彼女の時には何故変わったのか。


「……『友達感覚でも良い』から、付き合って欲しい」

「――」

「それが、最初の恋人の告白の仕方だった。一度断ったけど、……お互いのことを知らない内に断らないで欲しい。友達からの付き合いでも、好きになることもあるかもしれないから、って」

「……、……それで、付き合ったのかい?」

「ああ。……実際、俺は好きになっていったよ。彼女とどこへ行くか考えるのは嫌いじゃなかった。どうしたら喜んでもらえるだろうって、考える様になった。……当時は自分の気持ちに気付いていないことも多かったけど、最近振り返って、あの時は、この時は、そういうことだったのかもって。……まあ、結局別れたんだけどさ」


〝キスだって、いっつも私からねだるし! 手をつないでくれた時は嬉しかったのに……、時間になったら、あっさり別れるし!〟


 前に草壁をゴーたんショップに誘うという話になって気が付いた。春人は、今まで全く恋人を自分から何かに誘う機会が無かったということに。

 春人は春人なりに最初の彼女のことを大事にしてきたつもりだったし、穏やかに時間を積み重ねていたつもりだった。



 けれど、実のところは全く相手を大事にはしていなかった。



 己の気持ちを言葉に表すことも、行動で示すこともなかった。それは相手もれるし諦めてしまうだろう。

 例え、どれだけ春人が好きになっていたとしても、伝えなければ何も意味がない。


「最初の彼女は……あの彼女だけは。俺のこと、ちゃんと好きになってくれたんだと思う。キッカケは俺の顔とか剣道とかでも、……付き合っていく内に、だんだん強く求めてくれる様になったみたいだ」

「……、そうかい。それは、……須藤君にとっては、大事な恋だったんだね」

「ああ。……でも、俺は、好きだったけど、彼女ほどの熱量がまだ無くて。だからこそ……あの彼女が、あれほどまでに俺を――誰かを求める姿を見て、凄いなって。……羨ましいなって。そう、思ったんだ」


 それすらも最近気づいたことだ。

 何故、春人は友人や先輩に止められても、告白された最初の人と付き合うことを止めなかったのか。

 知りたかった。春人でも、あれほどまでに強く深く誰かを求める様な恋が出来るのか。



 最初の彼女のことを凄い、眩しいと思ったからこそ、――自分を諦められてしまって傷付いたからこそ、その穴を埋めたくて誰かを求めた。



 それは結局自分が傷付くだけだし、相手を傷付けるだけだったのに。

 断られる理由もひどく悲しかった。

 可愛いものが好きなのが悪い、家族愛が強すぎる、カッコ良いから付き合ったけど何か違う、顔は良いけど物足りない、顔だけ。

 そうやって自分を一つずつ否定されていって、どんどん自棄やけになって、不誠実になって、自分をおとしめるだけになっていったけれど。

 それら全てがもし、今この時のためだったと言うのならば、最低でも必要な経験だったのだと信じる。


「草壁さん。最初の告白の時、俺が適当に答えたの、分かっていたんだよな?」

「……」

「だから、怒った。俺が、今までと同じく軽い感じで考えて、OKして。草壁さんは、勇気を振り絞って告白してくれたかもしれないのに、俺の返事はすっごく不誠実だった。……嫌な男だったな」

「須藤君……」

「ごめんなさい。……俺は、草壁さんを最初からずっと傷付けてたんだな」


 もう一度ごめんなさい、と謝って春人は頭を下げる。

 草壁は何も言わない。ただ、何となく震える様な気配に触れた気がした。

 春人は今、心臓が痛くて、苦しくて、ばくばくしている。軽く握り締めた手は震えているし、地面を踏みしめる足も気を抜いたらみっともなくがくがく震えそうだ。



 嫌われるかもしれない。

 断られたらどうしよう。

 そもそも冗談扱いされたら立ち直れないかもしれない。



 きっとみんな、――本当に春人を好きになってくれた人は、これほどまでに不安を抱えて、口から心臓が出るほどに緊張して、ほんの少しの期待と大きな痛みを抱えて告白してきてくれたのだ。


 清水の時もそうだった。春人は散々に彼女を傷付けてしまった。

 だというのに、いざ春人の番になると、本当に情けない。今から告げることから逃げ出したくてたまらなかった。

 けれど。



 ――言葉にしなかったら、何も伝わらない。



 そのせいで、傷付けてしまった人達がいる。

 だからこそ、もう二度と同じ過ちは繰り返さない。

 そう決めて、今、春人は彼女の前に立っている。


「俺、最初は草壁さんのこと、疲れる人だなーって思ってたよ」

「……おうっ。それは、……なかなかに辛辣しんらつだね」

「勝手に振ったことにされるし、みんなからのやっかみは酷くなるし、何故かスカートの中身を見たいとか決め付けられるし、たくみに登下校の約束取り付けられるし、意味分からないことばかり言うし、俺の意見とか結局草壁さんの思う様に脳内変換されるし」

「さ、散々な言われよう……!」


 ぐはっと胸に手を当てて、草壁がる。春人自身散々な言いざまなのは自覚しているが、言わないと伝わらないのでえてはっきり口にした。

 だから。



「……でも、……登下校の時とか、ぐったり疲れたけど。……誰かと一緒に帰るの、久々だったから。疲れたけど、どこかで楽しんでたよ」

「……え」



〝実を言うとね、お前は疲れている様には見えるんだけど。同時に、少しだけ楽しそうにも見えたよ〟



 父に言われたことを思い出す。

 父は春人に言っていた。最近いつもより疲れた様に見えるけど、どこかで楽しんでいる様にも映ると。

 実際、春人も今なら分かる。

 登下校の言質げんちを取られて、くだらないやり取りをして、あざらしのおにぎりを否定しながら叫んで。

 その小さな一つ一つの積み重ねが、いつの間にか春人の心の中に大切に蓄積していって。



 いつしか、大きな宝物となっていた。



「モッスンバーガーで俺の話を聞いてくれた時。肯定してくれて、祖母の形見のことを大切だって受け入れてくれて、嬉しかった。それだけじゃなくて、バーガーを一緒に食べたりとか、ゴーたんのキーホルダーをお揃いで持つこととか、……些細ささいなことだけど、くだらない話とかする時間も楽しかった」

「……っ」

「弁当がキッカケで好きな食べ物の話をしたりとか、お互いの弁当の中身を食べたりとか、レシピを交換したりとかさ。好きなことを話せるのって、こんなに嬉しいことなんだって、久々に実感したよ」

「……」

「ゴーたんショップのことだって。本当は、俺が誘えってき付けられたし、実際……俺、草壁さんのこと誘おうとしてた」

「え」

「だっていうのに、草壁さんってば、さっさと誘ってくるから、俺は悔しいやら恥ずかしいやら」

「そ、それは……ごめん、よ?」

「……ショップを一緒に回ったり、一緒に物を買ったり、一緒に同じものを食べたり、……かばってくれたり。……何かもう、感極まるってこういうことだなっていうかさ。草壁さんといる時間が楽しくなって、ずっと、……ずっと。こういう日が続けば良いって、思う様になって」


 だから、彼女のことをきちんと考えたいと願った。

 放課後に野々村の告白を断った時、ちゃんとしようと思った。

 それなのに。


「それなのにさ。……草壁さんに、俺が他の人と付き合っても祝福するとか簡単に、……あっさり言われた時、俺、すっごい悲しかったっ」

「……、……それ、は」

「草壁さんにとっては、簡単じゃなかったのかもしれない。あっさりじゃなかったのかもしれない。でもっ。……俺にとっては、今までたっくさん俺のこと好きだって、俺と結婚したいって、俺と夫婦になりたいって、そういうこと言ってくれてたのに。そうやって、俺に少しでも好きな人が、付き合うかもしれない人が出来たら、あっさり引いちゃうんだって、……そう思ったら、……悲しくて苦しくて仕方がなかった」


 取りつくろっていたのだとしても、話を聞きたくなかったのだとしても、なるべく笑顔でいようと考えていたのだとしても。

 春人は、彼女に焦って欲しかった。嫌だと否定して欲しかった。自分の方が好きなんだと言って欲しかった。



 ――俺を、諦めないで欲しかった。



 何て身勝手な言い分だろうか。春人だってずっと、草壁に曖昧あいまいな態度を取り続けていたのに、そんな勇気のいることを彼女に押し付けるなんて愚か過ぎる。

 だが、それこそが春人の汚い部分で、春人の本音を引き出した。


 そうだ。春人は、彼女を失いたくない。


 諦めないで欲しいのは、諦めたくないから。焦って欲しいのは、春人だって焦るから。嫌だと否定して欲しかったのは、春人も彼女に誰か他の男の影が出来たら嫌だったから。

 自分の方が好きだと言って欲しかったのは。



 ――俺が、彼女を、好きだから。



 これからも、くだらない話をいっぱいしたい。彼女の変人過ぎる言葉を否定したり流したりして、笑い合いたい。一緒に好きなものを食べたいし、一緒にゴーたんや特撮ヒーローなど好きな話をしたい。これからも登下校を一緒にしたいし、休日には彼女と色んなところへ行ってみたい。

 彼女が春人の心を救ってくれた様に、春人も彼女が悩んだり苦しんだりしていたら、救いたい。背中を押したい。



 彼女と、もっと一緒にいたい。



 喉がからからとかわく。痛くてひりついて、声が出しにくい。心臓はばくばく外に聞こえそうなほど早鐘を打っているし、手もぎゅうっと握り締めていなければ今すぐにでも震え出しそうだ。

 足は、まだ震えていない。目の奥も、熱いけれどまだ濡れていない。

 彼女の様にカッコ良くは無理だ。あんな甘い笑顔で、背筋が震えるほどの心地良い声は出せない。

 けれど。――けれど。



〝彼女からもらった薔薇の色の意味と、本数の意味〟



 ――俺だってっ。



「草壁さん」



 真っ赤な薔薇は――『あなたを愛しています』。



「この前、綺麗で可愛い薔薇をくれて、本当にありがとう」



 ピンク色の薔薇は――『あなたに愛を誓います』。



「俺も、……あのもらった薔薇と、同じ気持ちを今、渡します」



 紫色の薔薇は――『あなたを尊敬しています』。



 そして。



 三本の薔薇の意味は――『告白します。私は、あなたを愛していると』。



 彼女がくれた薔薇の意味は。

 全部、全部。愛を伝える告白だった。



「草壁さん。好きです」



 彼女がそれだけの愛をずっと、ずっと、毎日示し続けてくれた様に。



「貴方が、好きです。――好きなんです」

「――――――――」



 ――俺だって、彼女を思う気持ちは、誰にも負けないっ。



「俺と、これからもずっと一緒にいて欲しい。君の明るい声を、変な言葉を、……そのくせ、いつだって誰かの力になるその思いちからを、ずっと、ずっと聞いていたい。……俺も、君にそんな風に思ってもらえる自分になっていきたい。君と、共に向き合って生きていきたい」

「――っ」

「だから、……だからっ。……色々とまだまだ未熟な俺だけど。どうか、俺と付き合って下さい」



 想いを告げた瞬間。

 彼女の右目から、ほろっと、一粒の雫が夕日を照り返しながら落ちていった。


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