第27話 俺は遊び人じゃない


 放課後。

 最近はようやく楽しみになってきていた時間が、今日はどんよりと空が落ちる如く気持ちが重い。

 原因は分かっている。裏庭での件だ。

 草壁は、「また後で! マイスイート!」とか素晴らしく爽やかに言い捨ててクラスを出て行ったが、用件は気付いているだろう。いっそ乱入してくれないかと馬鹿な願いさえ抱く。

 けれど。



 ――俺が、片を付けることだ。



 今から気が重いが、向き合わなければならない。春人はもう、いい加減な気持ちで誰かと付き合うことはしないと決めた。


「あ、須藤君!」


 校舎の角を曲がって裏庭に一歩踏み出せば、目ざとく発見してきた女子が手を振っていた。当然無口な女子も一緒である。

 この裏庭は高いフェンスに囲まれて、外にはグラウンドが広がっている。春人達がいる場所は木が生い茂っていてあまり外からは見えないが、向こう側の校舎の角を曲がったら野球やサッカーをしている部活の者達がいるのだ。現に、威勢の良い掛け声がひっきりなしに遠くで飛び交っている。


「ありがとう、来てくれて。あたしは溝口」

「溝口さん、こんにちは。……それで、俺に用事って何かな」

「この子がね。……ほら。須藤君、来てくれたよ」


 背中を叩いて、よくしゃべる方がもう一方の背中を叩く。

 泡を食った様に背筋を伸ばし、またうつむき、そのまま両の指を絡めてもじもじしていた子は、数分ほど沈黙していた。

 だが、その間にようやく決心が付いたのか。顔を上げて春人の目を見て、けれどまた俯きながら口を開いた。



「わ、わ、……わたし、……二つ隣のクラスの野沢奈々子ってい、言います」

「うん。……初めまして」

「そ、そ、その、……す、須藤、くん、……好き、です……! ど、ど、どうか、つ、つ、……付き合って下さ……い!」



 ぎゅうっとスカートを握って深く頭を下げられる。野沢と名乗った女の子は、かなり勇気を振り絞っているのだと知れた。緊張が春人にまで伝染して落ち着かなくなる。

 こんな風に告白するのは、どれだけ大変なことなのだろうか。

 春人は、今までどれだけの人を傷付けてきただろう。

 隣で「よく言った!」と笑顔で溝口が言うのに、野沢が小さく何度も頷くのを見ながら、これから断らなければならない事実に余計息苦しくなった。


「……。……ありがとう。俺のこと好きになってくれて」

「……、そ、そ、そん、な。勝手に、わ、わたし、が好きになった、だけで」

「でも、嬉しいよ。ありがとう。……すごく、勇気を振り絞って言ってくれたことも嬉しかった。ありがとう」


 ぱあっと、彼女の顔が輝く。あまり目を合わせてくれないが、その表情は希望を見出した光を宿していた。

 切り出し方を間違ったと後悔したが、それでも春人は頭を下げた。



「でも、ごめんなさい」

「――、え」

「俺、貴方とは付き合えません。……ごめんなさい」



 深く頭を下げて、春人は謝罪する。息が止まった様にショックを受ける空気が伝わってきて、春人自身も胸が痛くなった。

 だが、それでも譲れない。

 清水のことを経て、草壁と毎日過ごして、ようやく己の過ちと向き合えた。過去の自分の気持ちとも向き合えたのだ。

 そうして色々なことに気付いた今、春人はいい加減な気持ちで答えるわけにはいかない。

 震えて固まる野沢の代わりに、溝口という女子の方が踏み込む様に口を出す。


「ど、……どうしてっ。だって、あなた、まだ誰とも付き合っていないんだよね?」

「うん。今は、誰とも」

「なのに、なんで……」

「……外から見て、急に変わったとか、気まぐれすぎるとか言われても仕方ないとは分かっているけど。それでも言うね。……俺、今度からは、ちゃんと好きになった人としか付き合わないって決めたんだ。だから、……貴方とは付き合えません。ごめんなさい」


 もう一度頭を下げて謝罪する。これで引き下がって欲しいと願った。

 けれど。



「……っ、まさか、……草壁さん……」



 たたみかけてきた溝口が、はっと愕然がくぜんとした様に表情を変える。

 清水の友人も話していた。春人は付き合っていない時を狙って、告白をする機会を狙っている者が多いと。今まで春人は、最初に告白してきた人と付き合って、断ることがなかったからだと。

 そのルールが破られた理由を、草壁にこじつけるのは当然の流れかもしれない。実際、彼女が春人に告白しているのは周知の事実だからだ。


「草壁さんが原因なの? だって、付き合ってないんだよね? しかも、振り続けてるって」

「……いや、振り続けては、……。うん。付き合っては」

「じゃあ、何で!」

「今言ったけど、俺が心を入れ替えようと思ったんだ。このままじゃ駄目だって。不誠実なことをしたくないって。……だから、別に草壁さんは関係――」

「どう考えたって、時期的にあの人のせいじゃん! ……せっかく、恋人がいない今がチャンスだってのにっ。みんな、草壁さんに遠慮してあまり告白しようとしてないから、……チャンスだったのに! 今までも邪魔が入ってきたけど、ここでも、また邪魔だなんて……!」


 興奮して悪態を吐く姿は、はっきり言って逆切れだ。

 だが、周囲は草壁に遠慮している節があったのかと初めて知る。そういう意味でも草壁に助けられていたのかと、春人は心底安堵した。

 その感情が表に出てしまったのだろう。野沢は完全に絶望し、溝口は激昂した。


「やっぱり! あんた、草壁さんが好きなんじゃん!」

「え? それは、……」

「そうやって黙る! 何さ、……何なのさ! せっかくこいつが頑張って告白したのを無駄にして!」

「いや、無駄って。そんなことはない。無駄なことなんて」

「あんな奴のどこがいいのさ! あんな、……かわいい顔してるくせにイケメンぶってるだけの人間なんてさ!」

「……え」


 まさか、彼女にまでるいが及ぶとは思わなかった。突然の事態に、春人の頭は真っ白になる。

 しかし。



「スポーツが上手いとか、頭が良いとか、優しいとか、自分を認めてくれるとか! みんな、見てくれや上辺ばっかり! いいとこ取りして、みんなの人気取りに必死になって! 人と違うことすれば注意を惹き付けられるって分かってる、ただのナルシストなだけじゃん!」

「は……」

「派手なことばっかり言ったりしてるだけで、中身なんてないじゃん! なのに、あんな……あんな男女の! どこが良いんだよ!」

「――」



 瞬間。



 ぴしっと、春人の頭の中に亀裂が入る。腹の底から湧き上がる真っ黒な炎のまま、心も真っ黒に染まっていく様な激情が渦巻いた。



 ひっと、目の前の溝口の顔が恐怖にゆがむ。隣にいた野沢も声を無くして呆然としていた。

 落ち着け、と春人は自身に言い聞かせる。

 怒って感情のままに叫んだって、相手には伝わらない。はあっと深く息を吐き出して、春人は努めて淡々と意見を述べた。



「……好き嫌いとか、合う合わないとか、そういうのは誰にでもあると思うから。そこは否定しないし、責めたりしない。俺もあるし」

「……っ」

「でも、……そうやって本人のいないところで陰口叩くの。俺は嫌いだ」

「――――――――」



 最後の口調が鋭く、強くなってしまった。平静にと思ったが、どうしても感情がぶれる。相手が今度こそ顔色を失くしたのが手に取る様に分かった。

 草壁のことを何も知らないくせに、と春人は叫びたくて仕方がなかった。

 彼女は確かに言動が酷いし、春人も散々振り回された。最初はそれにげっそりと疲れて、次の日なんて来なければと思ったこともあるくらいだ。

 けれど。


〝それは、とても大切な宝物だね。だったら、ますます胸を張って好きだと言えば良いのではないかい?〟


 春人の心を解きほぐしてくれて。


〝今度、お母様にレシピを教えて欲しいと伝えてくれないかい? 家族に宣伝したいよ!〟


 春人の好きなものを真っ直ぐに受け止めてくれて。


〝登下校時も思っていたけど、君は必ず道路側を歩くだろう? それがいつの間にか、物凄く自然にやるものだから、私も最初は気付かなくてね。いつもありがとう〟


 小さなことでも春人のしたことに気付いてお礼を言ってくれて。


〝もう二度と、彼に近付かないでくれたまえよ〟


 春人のことで、心の底から自分のことの様に怒ってくれる。


 とても優しくて、誰よりも人のことをよく見ている。凄い人だ。


「断る理由がもう一つ出来たよ。……野沢さんの意見は違うかもしれないけど。俺は少なくとも、人がいないところで本気の悪意で人を傷付けることを言う人とは付き合えない」

「……っ、そ、んな。……あ、……あ、あんた、遊び人のくせに! そんなまともなこと言うとかおかしいじゃん!」

「ちょっと、さっちゃん……っ」

「……」

「今まで散々女遊びしてきたくせに、断ったり、今更カッコつけるとか、何様さ!」

「……。それから、……確かに今更だし、はたから見ても俺は遊び人に見えたかもしれないけど」


 すうっと息を吸って、目を細める。

 そして、真っ直ぐに溝口の瞳を見つめて断言した。



「俺は、遊び人じゃない」

「――」

「確かに色んな人と付き合ってきたけど、二股とかしたことないし、付き合っている間に他の女子と遊びに行ったこともない。キスとかは……まああったけど、それ以上手は出してないよ」

「え……っ」

「だから、――その呼び名で呼ばないでくれる? 不愉快だから」

「……っ! そ、んな……! えら、っそうに……!」



 言えば言うほど逆上するタイプの様だ。

 これは本格的にまずいなと、さっさと強引に去ろうとしたその時。



 しゅっと、空気を斬る様に春人の真横を何かが駆け抜けた。



 その後、がしゃんっ! とかなりけたたましい音が後方のフェンスに当たって鳴り響く。

 とん、とん、と軽く地面に落ちたものを見るとそれは野球ボールだった。春人はもちろん、女子二人もいきなり己の隣を鋭く横切った正体に混乱を隠せない。


「あー、悪い! そっちにボール飛んでったわ!」


 校舎の角から、駆けてくる人影があった。その姿は毎日よく見ている人物で、春人は目をみはる。



「……佐藤」

「わーるいわるい。練習中にフェンス越えちまって」



 そんな軽い投げられ方ではなかった気がする。



 佐藤はピッチャーでエースだったはずだ。本気ではなくとも、彼が投げれば今の速さくらいは朝飯前だろう。

 つまり、わざとだ。

 突っ込もうか迷ったが、それよりも早く佐藤が口を開いた。


「悪い。何か取り込み中だったか?」

「いや。もう終わった。……そうだよね?」

「っ」

「も、もう行こう、さっちゃん。……須藤君。ごめんなさい」


 まだ何か言いたげな溝口のそでを引っ張って、野沢がばたばたと走り去っていく。まだ溝口が殺す様な目つきをしていたが、何故か佐藤の顔を見て青褪あおざめた。そのまま彼女も逃げる様に去って行く。

 春人の角度からは、彼女達へ振り向いた佐藤の顔は見えなかったが、一体どんな表情だったのだろうか。


「佐藤。……ありがとう。正直助かった」

「須藤」


 春人の礼には答えず、佐藤は背中を向けたまま呼びかけてくる。

 何だかいつもの「草壁さあん!」とおちゃらけた姿とは違う真剣な空気に、春人の心臓が縮んだ。

 けれど。



「お前、やっと言ったな」

「え?」

「さっき、言ってただろ。――俺は、遊び人じゃないって」

「――――――――」



 佐藤の思いも寄らない言葉に、春人は一瞬思考が綺麗にフリーズした。


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