第12話 その顔も、実に好みだ


「しかし、なかなか惜しいことをしたんじゃないかい、須藤君」


 屋上で改めて清水と向き合い、友人達の謝罪も受け取った後。

 そのまま流れる様に草壁と帰る羽目に陥った。今日は街中に繰り出そうと言われて、なし崩しに歩いている道中、春人はそんなことを聞かれる。


「……君、俺のこと好きなんじゃなかったっけ?」

「そうだよ! 好きだよ、須藤君! 結婚しよう!」

「ついでみたいに言うな」

「はっはっは。……が、それでもね。私が言うのもなんだけど、清水さんは本当に良い子だと思うよ。それに、色々と先を越されてしまったしね」

「先?」

「もちろん! お姫様抱っこだよ!」


 胸を叩いて自信満々に叫ぶ彼女に、春人は意外に思う。いつも王子様の立ち位置にいてもそういうのに憧れるのかと。

 だが。



「私が、いつかアイラブユー! な須藤君をいの一番にお姫様抱っこする予定だったのに! 彼女に先を越されてしまって、今、私のハートはブロークンだよ……」



 絶対嫌だ。



 憧れは憧れでも逆かよ、と春人は目が死ぬ。彼女にお姫様抱っこされる自分など想像したくない。


「……。いや。普通逆だよな」

「何を言うんだい? 今や性別など関係ないさ! 好きな人をお姫様抱っこするのが夢なのは、万国共通の認識であり夢だよ! 見たまえ! 周りを!」

「……誰もお姫様抱っこはしていないよな」

「そうさ! 普段は頭の中だけでね! 妄想という輝かしき理想に留めておくものさ!」

「それに、草壁さんの力じゃ俺を抱き上げるとか出来ないんじゃ……」

「心配はいらないよ! ダンベルで毎日鍛えているし、世の中には人を吊り下げるための道具がたらふくあるのさ!」


 つまり、文明の利器を使うということか。


 変なところで現実的だなと呆れるやら感心するやら。彼女の頭の中は異次元である。


「まあ、お姫様抱っこは須藤君とラブラブ夫婦になった時の抱負に取っておくとして」

「いや、するな」

「清水さんの言葉、君は嬉しそうだったからね。一瞬付き合うんじゃないかと本気で思ったくらいだよ」


 草壁の言葉に、春人はしかしすぐに首を振る。


「無いな」

「即答だね」

「惜しいな、とは思うよ。もし、あのまま付き合っていたら……もしかしたら今度こそ、本当にいつか大切な人になっていたかもしれないって」


 少なくとも、彼女は春人の中身の一端に触れて好きになってくれた。その事実が泣きたくなるほど嬉しかったし、見てくれたということに歓喜に震えた。

 けれど。


「だからこそ、……友達とも思っていなかった曖昧な関係で、繋がりたくなかったんだ。……彼女が真剣だったから、なおさら断らなきゃって思った」

「おや。それなら、私にもそろそろちゃんとした答えが欲しいね! 私はいつだって真剣に君が好きだよ!」


 にこにこと天に右手を突き上げながら、草壁が臆面もなくのたまう。本当に挨拶のノリで告白をされる様になった。春人は思わずジト目になってしまう。


「はいはい。顔が好きなんだよな?」

「そうだよ! 君の顔は最高さ! 特に、告白をしてからというもの、色んな君の顔が見れて嬉しいね!」

「はあ。例えば?」

「そう! その顔! 呆れた様な白い目で、私を胡散うさん臭げに見るその冷たい眼差し! さいっこうにカッコ良いよ!」



 胡散臭げに見られて喜ぶ女性には初めて会った。



 実は草壁はマゾなのか、と少し身を引いてしまう。

 しかし、それすらも楽しいのか、はっはっはと草壁は豪快に胸を張って笑った。


「本当に楽しいのさ。何しろ、君に告白した後なんか、目を白黒させていたしね。あの目を白黒させて戸惑う君の真正面の顔もカッコ良かったよ」

「はあ……」

「その後、理不尽だ! って言わんばかりの怒りたい様な感じの顔なんか、鮮やかな夕日を背負っていたのも相まって、極上の一枚絵だったよ。カッコ良かったね。あの日の光景は、いつだって私の胸にシャッターチャンスとして焼き付いているのさ」

「は、はあ」

「最後に私が去る時の、混乱し過ぎて何を言って良いか分からない、と全顔で語っていたあの時の君の表情! いつものカッコ良さに色気のある憂いと困惑の色が綺麗に混ざり合っていて、この上ないくらいカッコ良かったよ……」

「は、はあ、……、……………………」


 よく見ているな、この人。


 そんな感想が思わず漏れ出てしまうくらいには、春人は混乱しながら感心した。取り敢えず、彼女が春人の表情の変化をよく見ていることは分かった。

 つまり、彼女は己の言葉に対する春人の反応を、きちんと理解しているということだ。その上でここまで堂々と己を貫き通せる彼女は、ある意味最強である。


「最近は、ぐったりと疲れて伏し目がちになる君の横顔とかをときめきながら見ているよ。カッコ良すぎだね」

「……、え」

「もうツッコミ疲れたな、って遠い目をする君のある意味悟った様な顔なんか、もう天から舞い降りた光の祝福が見えるくらいにカッコ良いよね。私の目が眩しさでいつもカッコ良さに焼かれているよ」

「……、え、……っと」

「それから」

「も、もう良い。分かった。君が、いかに俺の顔が好きか分かった。もうやめてくれっ」

「えー。まだまだいっぱいあるのに」


 慌てて制止をかけると、草壁が不満そうに腰に手を当てる。まだまだ言い足りないと言わんばかりの不平な表情に、春人はやめてくれとげんなりした。

 しかし。



 ――どんだけ俺の顔見てんだよ、この人。



 しかも、どこがカッコ良いんだ? と言わんばかりのラインナップに、春人はそわそわと落ち着かない。

 初めて好きになった理由を打ち明けられた時、顔だと知って落胆した。春人だって彼女の見てくれしか見ていないのにと理解していながら、それでも落ち込んだのだ。

 けれど。



 これだけカッコ良いカッコ良いと面と向かって連発されたのは初めてだ。



 それだけではなく、どう考えてもカッコ良いとは思えない情けない表情までカッコ良いとか言い始めた。ぐったりした顔とか、遠い目とか、目を白黒させている顔とか、そんな顔が好きだと言う人間はあまりいない。いたとしても、わざわざそれを理由に挙げる人はいないだろう。今までの恋人なら、間違いなく「違う」と言いそうだ。

 それなのに。


「……っはは」


 ぐるぐる悩んでいると、隣から笑い声が上がった。言うまでもなく草壁である。

 何がおかしいんだと軽く睨み付けるつもりで振り向くと。



「ああ、その顔。――実に良いね」

「――」



 声色が、変わった。ぞくりと、直接耳元に落とされた様なしびれが春人の背筋を駆け抜ける。

 いつものはしゃいだ様な、弾ける様な明るさとは違って、低くて落ち着いたトーン。

 初めて告白をされた時に聞いた声と、同じだ。

 にっと見上げてきた彼女の表情は、可愛らしい造形をしているはずなのに、目が離せないほどに凛々しく、笑顔がひどく甘い。



「好きだよ、須藤君。――その顔も、実に好みだ」

「――――――――っ」



 顔の距離は離れているはずなのに、間近で耳元にささやかれた様に強く響く。がっと、顔が破裂するほど熱を持ったのが自分で分かった。

 甘くて痺れる様な快楽が、耳の中から脳に、心臓に、やがて全身に行き渡っていく。彼女の声と吐息に、髪の毛先一本まで支配された様な感覚に陥った。どくどくと、己の意思に反して心臓がやけにうるさく波打つ。

 彼女は未だ、真っ直ぐに春人を甘く、涼やかに見上げてきている。見つめ合っているだけなのに、瞳の奥にまでもぐり込む様な視線は貫く強さを持っていた。視線を絡め合っているだけで、彼女に体の内側からそっと撫でられている様な錯覚さえ起きる。


 じりじりと、彼女の視線の熱が、春人の瞳の奥を焼く。


 瞳の奥から彼女に飲み込まれる。やがて体の奥にまで熱が染み込んでいくのを感じ取って、春人は堪らず視線を逸らした。



「あ、あの、く、草壁さんはっ」

「うん?」

「……っ、ほ、本当に俺の顔が、好きだなっ」

「ああ、もちろんだよ! 今の真っ赤に染まり上がったリンゴの様な顔もね! 可愛い上にカッコ良いとか、最高だね!」

「っ! そ、そうかよ!」



 あっさり元の調子に戻った彼女に、心の底からホッとした。あのまま見つめ合っていたら、恐らく飲み込まれていただろう。危ない、と春人は脱力する。

 それなのに。


「おや、須藤君。ネクタイが曲がっているよ」

「え? あ、本当だ」

「仕方がないね! 私が直してあげよう」

「――って」


 言うが早いが、さっさと草壁が春人のネクタイに手をかけた。あまりの早業に止める間もなく、しゅるっと彼女の手でほどかれていく。

 その音がやたらと耳に付いて、服を脱がされている様な羞恥しゅうちに駆られた。


「い、いや、俺、自分で……っ」

「まあまあ、良いじゃないか! 夫婦の前祝いだよ!」

「はあっ⁉」

「あ、違ったね。夫婦の予行演習だよ! その顔も好きだね! 結婚しよう!」


 慌てふためく春人の表情さえ楽しんでいる様に、草壁は上機嫌で鼻歌まで歌い始めた。彼女は、本気で春人のどんな顔でも好きらしい。さらっと合間に挟まれる「好き」という単語に、またも春人は心臓が跳ねた。

 彼女の顔が、春人の胸元に近付いてくる。今までで一番近い距離に、春人はぐりんと凍り付いたままの顔を横に向けた。何だかほのかに花の香りまでする。甘いのに胸がくほどに爽やかで、香っているかどうかといったささやかな匂いは好ましい。


 ――って、いやいや! そんなこと考えている場合じゃない!


 やっぱり止めようと春人は彼女に視線を戻し――口を引き結んでしまった。あらゆる言葉を飲み込んでしまう。



 彼女は、ひどく真剣に春人のネクタイを手に四苦八苦していた。



 最初に二本のネクタイをクロスさせる時点で、彼女はかなりうなりながらあーでもない、こーでもないと試行錯誤していたのだ。「確か、縫い目に合わせて……縫い目、縫い目……縫い目とはどこだい?」とぶつくさ言っている内容に、春人は噴き出すのを何とか堪える。

 ブレザーは男女共通の制服だが、男子は一応ネクタイを着けることになっていた。女子はリボンかネクタイを選べて、結構自由に生徒達は着こなしている。

 女子のリボンは、ネクタイと違ってワンタッチのボタン式で着用するだけだと聞いていたが。



 ――なるほど。草壁さんがリボンなわけだ。



 ネクタイを結ぶ最初の段階でここまで手こずるのなら、着替えるのに相当時間がかかるだろう。消去法でリボンしか選べない。

 ようやく縫い目を見つけたらしい彼女は、ここで今度は長い方を後ろから通すところで苦戦していた。

 こうか、こうかい? とぎこちない手付きで進めていく彼女の顔は真剣そのものだ。滅多にない彼女の苦戦ぶりに、春人は物珍し過ぎてまじまじと観察してしまう。

 睫毛まつげが長いな、とぼんやり思う。伏し目がちな睫毛は綺麗に揃っており、彼女の可愛い顔立ちに彩りを添えていた。鼻筋も綺麗に通っているし、ほほもつついたら柔らかくて触り心地が良さそうだ。

 ネクタイを懸命に結ぶ両手も、肌が白くて滑らかだ。指も細くて、爪の色も透き通る様な淡い桜色で、触れたらどんなに――。



 ――うん。かつてないほど変態な思考回路になってるな。



 我に返って、春人は無理矢理思考を停止した。ごほん、と小さく咳払いをしてしまう。

 だが、一度意識したら止まらない。彼女の指がシャツの上から肌をなぞるたび、がちり、と春人の顔が強張こわばる。特に首元のあたりに指が当たると、ぞくっといけないものが駆け上がってくる様な感覚に襲われた。

 これは、まずい。

 思って、春人は距離を取ろうとしたが。


「く、草壁、さん」

「よし、もうすぐ終わるよ! ラストスパートだ!」


 ネクタイを結ぶのに夢中な彼女は、まるで春人の異変には気付いていない様だ。むしろ顔を見られていなくて良かった。変態な顔は、流石にカッコ良くはないだろう。



 ――って、別にカッコ良く思われたいわけじゃないっ。



 慌ててよぎった思考を打ち消している間に、ようやく地獄のネクタイ結びは終焉を迎えた。


「よし! これで終わりだよ!」

「は、あ。……ぐ、えっ!」


 ぎゅうっと最後に結び目を強く引っ張られ、春人の首が締まった。引っ張り過ぎだ、と涙目で抗議する。


「やあやあ、すまないね! 首をやり過ぎたよ!」

「はあ、死ぬかと。……ともかく、ありがとう。……思ったよりちゃんと綺麗だな」

「当たり前だよ! 弟には100回ほど犠牲になってもらって練習したからね! 弟の顔はいつも青くなったり白くなったり紫になったりしていたなあ」


 ――どれだけ首を絞めてたんだ、この人。


 おまけに、百回も練習してこれか。草壁の不器用さは底抜けらしい。まだ見ぬ弟に同情する。

 しかし。


「……草壁さんって、努力家だよね」

「え? なんだい、急に」

「いや、……おにぎりの時とか、最初は草壁さんが不器用なことに驚いたけど」

「悪かったね! そうさ、私は何故か家事をする時はいつも思った結果とは違う方向へと着地するのさ」

「でも、……不器用で苦手なことでも、そうやって一生懸命練習するところ。カッコ良いと思うよ」

「――」


 春人は、苦手なことはけがちだ。勉強でも、勉強すること自体は嫌いではないが、得意ではない政治経済はどうしても後回しにしてしまう。

 だが、彼女の話を聞いていると、料理もネクタイ結びも、失敗してもめげずに練習し続けている様だ。バスケのシュートの時も思ったが、彼女は本当に努力家だと思う。

 そういう一面は尊敬する。春人にはない美徳だ。

 ――と。


「……っ、……そ、そ、そうかい? い、いやあ。……須藤君にカッコ良いと言われると、……照れるねえ!」

「――」


 ほんのりと。本当にささやかにだが、彼女の耳が赤くなっていた。

 笑い方はいつもと同じで豪快なのに、どこか照れが混じっていて可愛らしい。

 そうだ。可愛いのだ。



 初めて、彼女の振る舞いを可愛いと思った。



 どれだけイケメンでも、やっぱり可愛い女性なんだなと春人は変なところで感心するのだった。


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