騎士に非ず

森本 有樹

騎士に非ず

 

 拝啓、 私の最後の騎士様

 お元気にしておりますか。私の方は頗る元気で最近はよくこの山荘のふもとの湖畔によく釣りに出かけております。

 さて、ようやく「スパルタクス」誌に連載していた私の連載が最終章を向かえ、無事単行本の出版にこぎつけることが出来たことをここにご報告します。

これはあの世界大戦を駆け抜けたエースの歴史の切れ端であり、物語を愛する全ての人々への贈り物です。第一版が完成し次第一部送付させていただきますのでご乞うご期待あれ。


 さて、急に身の上話となりますが、小さい頃から私は父が話す高貴な騎士様のお話を聞くのが好きでした。

 強きを挫き、弱きを守る。そんな話を聞いて私はいつか立派な騎士様の様になりたい。そんな夢を抱いて軍に入り、戦闘機パイロットになった私は自分もあの様な騎士の様になるのだと思っていました。

 成れると思っていました。

 あの秋の終わりの日にあなたに撃ち落とされるまでは。


 あの日の任務は、正にあなたの部隊が襲っていた地区の防衛でした。そう、あの列車。

 私は列車が襲われるや否や騎士道精神が沸き立ちました。無抵抗の列車を襲う敵を撃つのだ、と。

 撃ち落とされた衝撃はまだ覚えています。私は大地に降りながら燃える貨車の前にて、守れなかったことを悔やみました。

 着地してに周囲が見えてきました。貨車から逃げてきた人々は空から降ってきた私を見て、最初は理解できずに取り囲んだものの、モノの数秒で悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らしたように散り散りになっていきました。それを追い立てる国家親衛軍、私は自分が敵のパイロットだと理解されたのだと思い、親衛軍の大佐に話しかけられるまで、余計な動揺を与えないために動かずにその様子を見ていました。

「彼等は?」

一通りの挨拶が終わった後、私は大佐に話しかけました。

「不適格民族だ。」

「我等の神聖なDNAプールを汚す劣等人種を排除せよ。執政官殿はそう仰ったのは知っておろう。」

「……それは、国籍離脱を通じての緩やかなものだと……。」

「どうして皆、そう言うのだ?」大佐は苛立ちながら叫びました。

「劣悪種を温存して良いことはない。いかに効率よく絶滅させるか、解るか?」

「そんな、そんな恥ずべきことは止めるべきです!」

 反射と言ってもいい速度で私の騎士道精神が叫びました。

「我々は騎士の末裔だ。馬鹿げている!何から何まで……。」

 なるほど、と言った顔で大佐はこちらを睨みつけてきました。

「ならば、まずは君からだ。全てを否定すべきだ。」

 大佐の声は少しだけ熱がこもっていました。まるで復讐心に駆られたような表情をした大佐は語り続けます。

「この国はそのために動いていた。農民や労働者の苦しみを余所に、暴虐と搾取の限りを尽くしていた劣悪種を許せと言うのか!」

「悪には悪の事情がある」

「悪魔は皆、そういうのだ。」私に一歩踏み出した大佐はそう言い放ちました。「だが一度たりとも悪が止むに止まれず罪を犯した弱者だった事はあるか?無い!」

 彼はつづけました。彼らは実際はただ乱暴で卑怯で、恥知らずの癖に知恵と金を振り回しては強く出、己が一転虐げる立場だという事が明白になると、弱い被害者だと訴えて批判自体を悪とする。そして、思うが儘搾取と暴虐を繰り返すのだ。と、それから、少しだけ悲しみに暮れた表情をして、こう続けました。

「それに、例え違うとしても、私の兄が殺されたことに代わりはない!残された血塗れの借用書と出勤表を見たことがあるか!」

 それでも、と立ち直った私は食い下がりました。やっていい事と悪い事がある。と。

「ならばいい、」何かを思いついたのか、大佐はさっきまでの怒りが嘘のように上機嫌な表情で……もしかしたら、うわべだけ取り繕っていたのかもしれません……こう言いました。「空軍の燃料割り当てを変更するよう上奏しよう。」

 唐突に繋がらない単語。私は彼に「それは、どういう意味だ?」と尋ねました。彼の口の奥底の闇から這い上がって来たのは、問い。知らんのか、という侮蔑。

「あいつらの最後はどうなるか。」

 強制労働と言う意味、ですか?と尋ねました。半分は正解だ。という答えをしたのち、大佐は私に10年前のニュースの話をしました。石油生成菌の培養成功。そんな科学ニュース。

「我々は奴らを酷使し、浪費し、それで兵器の部品を作り、「絞りつくした」のち、石油生成槽にぶち込む。」

まさか、と私は思った。

 我が国が世界で最も早く実用価格でのバイオ燃料の実用化にこぎつけたことは知っての通りです。そしてそれは戦前はバイオマスと残飯を利用した培養で国のジェット燃料を支えている。そう宣伝されていました。

 ところが実際は、「不要な人間」と彼らが断定した人間が消耗するたびに槽に投げ込む。そうして、我々は戦中の燃料を確保していたのです。

 牧羊犬が羊を追い立てるように国家親衛軍は「不適格民族」の人たちを捕えていきました。国家親衛軍は彼らを「再収穫」と読んでいました。私はその罵声の中で低い草原の草の中に膝を付け、手で枯れた草を握りしめ、ただ絶えることしかできませんでした。これまで信じていた正義や信念がガラガラと崩れ落ちる、そんな体験を経て魂は闇の奥底に落ちていきました。

 比喩ですよ。もちろん、

 そんな簡単に言い表せる者ではありませんから。

 私は握った手を震わせ、悪魔、怪物、いや大怪獣の手の一本を睨みつける事しかできませんでした。

――文学的修飾について学ぶ時間を父の騎士物語と飛ぶためのあれこれに注いできた私には、それを言い表す言葉なんて持っていません。あの時私の心の中を駆け巡った声を敢えて適切に表現するならば、こういう形をしていました。

 ――――私は、何のために今まで戦ってきたのだ。



 私は敵に投降してやろう、そんな企てを考えるようになりました。戦争はいよいよ不利になり、占領地ではパルチザンが出没し始めました。弱く虐げられたパルチザンに加わり、誤った帝国を終わらせるのだ。多分未だあの父の読んでくれた物語を未だ捨てることが出来なかったのでしょう。私は弱くも正しい者たちを守る騎士であろうと、そのために一刻も早くこの間違った行いの共犯者であることを止めにしないと。そんな甘い考えを持って私は離反のタイミングを探しました。

そして、ある日、ある南部の占領下の街で今日こそ離反してやろうと心に決めました。パルチザンの周波数がようやく判ったのです。祖国との永遠の別れとなる筈であったソーティーでは対地支援が命じられ、機体には大量の爆弾が取り付けられていました。

 そして戦場へ、決められた周波数割り当てに反応がありました。私はすぐに応答し、向こう側からの次の言葉を待ちました。しかし、そこから聞こえてきたのは指示ではありませんでした。


『止めてくれ、頼むから!』

 声は怯えていました。周りからは、罵声に次ぐ罵声。

『投降させてくれ……。もう誰も殺さないでくれ。みんな、投降したいんだ……。』

 周りの罵声は更に大きくなっていきました。私は、食い入るように無線を聞いていました。

『仕方なかったんだ、親衛軍は、俺たちは命令されてやったんだ!』

『悪魔は皆、そう言うのだ。』

 遮るような声がしました。

『お前達は俺達に仲間を売るよう仕向けた。相次ぐ徴発に次ぐ徴発。お前達は俺達にパンを焼かせて渡したものは、なんだ!』

 何かが投げられる音がしました。紙束が投げられる音。

『この紙屑の軍票を見ろ!これがお前達がしたことだ!』

 誰かが叫びました。

『徴発を繰り返した資材で飢えている娘を無視してパンを焼いた俺の気持ちがお前らに判るか!』

 そこまで言って、ほんの少し時間が空いて、次の言葉が紡がれました。

『諸君!一度たりとも悪が止むに止まれず罪を犯した弱者だった事はあるか?』

 ないぞ!無いぞ!無線の向こうから怒りに満ちた声。そして、銃声、うめき声。

『例えそうでも、俺の兄が殺されたことに変わりはない!』

 殺せ!その声と共に戦闘が始まりました。

『貴様らと付き合って分かった!弱者を踏みにじる者の醜悪さが、悲鳴を上げることさえ封じる醜さを!』

 逃げる音、走る音、その向こうから弾丸が跳ぶ音と、それに乗った殺意が聞こえてきました。

『遠慮はするな!連中に善良な人間など居るか!』

『躊躇うものは弱者を踏みにじる者の中に仕方なしの者、善良な者など居たかを問え!』

『奴は通信機を起動している。結局俺たちを騙して纏めて殺すつもりだったんだ!』

 数を減らしつつ走る一団、やがてそれは『行き止まりだ!』の声と共に鉄と硝煙の応報へと変わっていきました。

 それから少し経って、それからまた無線機越しの声。


『おい!上空、聞いているか。』

 はい、と私は答えました。安心したのか無線の主はこう言いました。

『ここに落とせ!座標を送信する!』

『ネガティブ!出来ない!』

 頼む。と聞き慣れた、はっきりとした声。

『俺たちは、袋小路だ。このままだと、全員殺される。しかもあいつら、投降した奴の死体を……』

 クソッ!あいつは武器も持たずに白旗を上げたのに。という呻き。その向こうから『法とは何だ!強者が弱者を踏みにじる時の靴である!痛みを感じないための!』という声と何かを叩いた結果生み出される鈍い音。

『あんな目に合うなら……せめて、お前に……。』

 送信された座標にターゲティングポットを向けました。倍率最大。低空からだと一段の顔が識別できます。

 私は泣いていました。でも、しなければならない。ならば、自分の意志で殺す。そうしなければならない。もう一度ポッドの画像をのぞき込みました。

 笑顔、お前に殺されてよかった。

 最悪の中から選んだ最良の選択。

 ――――ごめんなさい。

 私は騎士物語の巨大な化け物に追い詰められた姉妹をさっそうと救う騎士ではありませんでした。

 マスターアーム、対地モード、オン。

 祝福が投じられた。

 誘導レーザー、照射。レーザーコードは兄の誕生日と同じ番号でした。

 涙が自由落下していく。

 それが当たるまで私は長いこと引き金を引き続けました。

 爆炎の上がる直前に私は無線を切りました。恐らくそれを聞いてたら正気ではいられなかったでしょう。

 行く場所なんて、何処にもなかった。

 帰るべき場所も、何処にもなかった。

 どこを向いても灯火管制の町の夜間哨戒のような。深い絶望、それがあの日以降の私に残された全てでした。


 それから私の心は暗がりにいて、ただただ盲目的な戦闘を続ける生きた屍だけが敵を落とし続けました。

 逃げる所もない。守るべき大義はない。

 私は自殺しようとしました。正義が無いならばせめて、この空で死にたい。ここには、醜いものはそこには留まっては居られないから。ここから突き落とされれば私は地獄に落ちていける。そうは言っても、人と言うのは良くできています。心理的にも肉体的にも簡単には死なないようになっている。

 そんな中で私の心の中で煌めくのは、あの日の私を落としたあなたの機体の尾翼でした。あの騎士のエンブレム。

 彼とも彼女とも知らなかった私はただあなたに殺されたい。そうすれば私は罰される、見たことも会ったこともないあなたの事を思い、それが無惨に断罪される唯一の道だと、そんな幻影にとりつかれていました。

 そして、終戦の日、首都近郊のCAP任務に出た私は、地上のレーダがあのステルスの機体を捉えたと聞いたとき、私は嬉し涙を流しました。ああ、神様、私を罰する使いをだしてくれたのですね。心で印を切り、それから私はその方角へ、私の編隊がはあなたを捉える位置につきました。

 2番機がミサイルを発射、データリンクで誘導される赤外線誘導ミサイルを撃つなり、私は2番機を離脱させました。

『アウト、ヘディング090、回避しろ。』

『ラジャー』

 彼は離脱していきました。敵の一番機も離脱。暫くして、『インします。』の返答。それに私は、『ネガティブ、まただ。』と指示。

『ディラウズの指示を……』

『……アウト継続』

 『隊長!』という叫び声が聞こえました。無線の周波数を出鱈目な物に変更。未だ彼をもう援護に間に合わない位置まで誘導すると私は思い切りエンジンを回してあなためがけて突っ込みました。

 敵の2番機が未だ離脱の進路をを継続しているのを見ました。もう邪魔者は居ない。

 さあ、死のう。

 軽金属と炭素繊維の獣は素直に悲鳴を上げて加速しました。レーダー探知距離。有視界に既に姿がありました。間違いないと思いました。あなただと。

 射撃はまだない。さらに加速。既に機体の隅々までが眺められる距離。しかし、未だに射撃はない。

 どうした、何故撃たない!私はあなたの行動がその時理解できませんでした。早く撃って!心の中で叫びながら更に距離を詰め。そして、気付きました。

 側面の短距離ミサイルのウェポンベイは閉じたままだった。

 考えるより早く、体が動きました。訓練で習った通りのベイルアウトの手順。

 どうして………

 最後に視界一杯のあなたの機体を見たときの私の心にあった言葉の全てです、そして、衝撃、何かが押しつぶされる音。何かが等速で視界を横切る感覚。


 地面に降りたのはあなたの方がほんの少し早かった記憶があります。私は落下傘を切り離し、一歩先に立ち上がったあなたを目指し、歩き始めました。

「殺して……!」

 正確には、こうではなかったと思います。覚えているのは真夏の太陽の様にひりついたのどの痛み。それだけですので……。

「……私を殺して」

 そのとき私はあなたの顔を初めて見ました。震える、自分と同じ年齢の乙女の顔

「どうして……」その震える顔が喋りだしたときの事をしっかりと覚えています。

「どうして、撃ってくれないんですか……!!」

 私は、その瞬間頭が真っ白になってそれ以上何も考えることが出来ませんでした。遠くからやって来るサイレンの音を無視して、ただ、投げ掛けられた言葉に案山子のように立ち尽くすばかりでした。

 その後は、知っての通りです。まずは貴女が国家親衛軍に捕まり、それからその車列ごと私があなたの軍に捕まることとなりました。

そして、貴女との交流の日々が始まりました。

 獄中にあなたが私に話をしてくれた日を覚えています。なぜ撃たなかったか、貴女は言いました。本国には精密誘導爆弾による人道的な戦争が喧伝されながら、無差別戦略爆撃を続けるのに嫌気がさしたと。私はあの日、あなたに撃ち落とされた日以来初めてぐっすりと眠れました。だって、ええ、もう一人ではなかったから。

戦後、軽い戦犯の刑期を終え、祖国に帰った後も、こうして定期的にやり取りをしていただけることについて、本当に感謝しています。


 掲載中だった「スパルタクス」誌は毎度一部ずつ貰い丹念に読んで居ました。おかげで多くの人間模様を見ることが出来ました。あるとき、読者の声では失業で夫が苦しむ婦人の苦しみが投書されていました。それに対して別の読者の回答として、あなたの旦那は怠け者だ。余程の出来損ないに違いないと罵倒したのち、自分の夫が南部戦線からの復員兵でPTSDにどれ程悩まされているかという話を延々と続けていました。その次号では、それは徴兵忌避のための特別税を納めれなかった貧乏人のひがみに過ぎないと語る者が現れ、自分の苦労話とどれだけ自分たちが税に見合うだけの正統なサービスを貰っていないのかという話をしていました。

 人間とは得てしてこんなものです。他人の痛みには鈍感なのに、自分の痛みには敏感だ。倫理も宗教も哲学も法律にも、自分はいかに不幸なのかと言う言葉で公正の「抜け道」を作ってもらおうとする。

 汚いもの、醜いものは遠ざけ、美しく、偉大なものは近くに引き寄せようとする。そして他人の光で輝こうとするその濁り切った潔白性、自分は弱く、故に正しく、自分を踏みつけるものは強大ゆえに邪悪という論理式へのへの狂的な信仰。それ自体が一つの脅迫と暴力になって繰り広げられる無限連鎖。それがこの生き物の全てであり、この醜悪な存在が細胞となって形成される怪獣が民族であり、国家であり、文明であると。

 私は、あの戦争の事を当初は黙っておこうと思っていました。私はその怪獣と距離を取り、静かに暮らそうと思いました。

 雑誌の編集部からお声が掛かったのは丁度空が見えない曇りの日でした。長々と、戦後の辛い時代に英雄が必要だという赤ん坊の鳴き声を聞いた後、私はこの物語を書くことを心に決めました。


 先日の発表会では実に多くの人々が私の元に姿を表しました。

 一人は国家親衛軍を見て見ないふりをした陸軍の将軍。彼はあの凄惨な大戦を忘れたい一心で私の称えました。もう一人は、あの南部戦線の町のまさに無線の向こう側にいたレジスタンス。彼は逆説的に自分たちが殺した人物が救いがたい悪だと証明したい一心で私の事を真の勇気を持つ人だと語っていました。もう一人は、あなたが一番よく分っている筈です。敵味方からも鬼畜と呼ばれた戦略爆撃隊の指揮官。彼の軍は、私に勲章をくれるそうです。

 三者も含んだ、私を囲む一団に無数の怪獣の咆哮が輝き出しました。写真のフィルムを通じて禍々しい化け物たちが口を開けて待っている。私に正しいと言ってくれる神をおくれ、私に勇気をくれる英雄をおくれ。

 執筆時から暗がりで囁いていた怪獣たちが姿を現しました。私は心の中で宣言しました。ならば私は、器になろう。万民が皆愛し、自分の穢れを癒す、英雄の虚像になろう。

私は群がるフラッシュの前に立ち上がり、厳しい顔で睨み付けました。さあ、褒めるがいい、称えるがいい。

 罪なき者のみ、崇めるがいい。


 あの本ではずいぶん嘘を書いてやりました。ありもしない、開戦直後に民間機を見逃して上げたなどという、当時の航空会社の資料を見れば解る嘘を書きました。真実を誰も調べようとしません。終戦翌日の偵察機迎撃など、名前を上げた同僚すら文句を言いません。 当然ですね。皆酩酊したいだけです。ワインのラベルの産地表示がすり替えられていた事を知ってどうなりますか。興が醒めるだけです。

 正しいのは、あの生涯撃墜記録、64機、あれぐらいです。

 いつか、私がばら撒いた偽りを見破り、この哀れな幻を批判してくれることを祈っております。しかし、それすら、私を信じた者をただ逆さにした、反政府や反戦という正義の下僕での安息を目指す者たちによって彼らの敵と同じことをするための道具として利用されるでしょう。

 それはきっと変わらないでしょう。古来から何も変わることはないのですから。神を祭っては異教徒を見下し、文明を起こしては野蛮を笑う。そうして、自分たちは価値のあるものだと証明した気になって、その根源の脆い偶像を崇めたてる。その繰り返し。でも悲しいとは思いません。それは私が神の言葉や蒸気機関のうめきと同じ、真理という名の供物として怪獣を鎮めるために供されるということですから。

 しかし、それでも、この痛み、苦しみに一人で耐えるというのは尋常ではなく辛く、厳しいものです。

 だから同じ痛みをひそかに共有できる貴女だけに私はこの手紙を送りたい。ここに書かれている痛み、苦しみこそが本当の私の書きたかった真実。全ての真理の威光から遠ざかった。ただ罪を問われることすらない私の罰。どうかそれを念頭に本をお読みください。帯には惑わされないでください。刷りあがった分厚い本の帯にはそれ以外に当てた言葉が刻まれていますので。

――物語を愛する、全ての人々へ。と。

敬具



追伸

 来年から左派、愛国戦線の人々と共に南部戦線の跡を巡る旅に出掛けます。我が軍が勇敢に戦った記念碑を捏造する旅になります。お日和がよければ一緒に暖かい海を見ながら一緒に語らいませんか。参加の報告をお待ちしております。

 あの街にも行くつもりです。そこで石碑を立てる仕事に一緒に参加してはくれないでしょうか。

 ええ、それが私の爆弾で死んだ袋孤児の兵士たちへの追悼になると心から信じております。私は逃げません。あの大地には、父がいない日に騎士様の本を読んでくれた兄が眠りについているのですから。

 きっと土だけが全てを覚えています。如何なる正義にも屈服しない、如何なる価値にも阿らないそれは、大地に流れた血と絶望を忘れない。如何に大地の上で人々が偽りの楽園を構築しようとその上に厚化粧をして生きようとも、きっと覚えている……私は今強くそう思っています。

 あの行き止まりには私の石碑が建つそうです。「味方の非道を許さず、命令にも従って敵を愚かな味方ごと吹き飛ばした勇者の攻撃跡」という謳い文句が付くそうです。勇者!悪魔は皆、そう言うのです。でも私は、その石碑からも逃げないつもりです。

 何にせよ、あの日、あの場所で兄を殺したことに、変わりはありませんから。


――――終戦より30年目の春。あの日兄から発せられなかった着陸の誘導の無線を待ちながら。




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