第8話 小悪魔は頑張る

 教室に入り、自分の隣の席を見ると谷口の姿が目に入る。どうやら今日は私よりも早く登校していたようだ。

 

「た……たにゅぐち、おはよう!」

「え……? あ、ああおはよう。川瀬」

 

 谷口が少し驚いた顔で挨拶を返してくる。うう……。これから言うことを考えると無性に緊張してくる。そのせいで思わず噛んじゃったじゃん。

 

「た……谷口! あのさ!」

「あーごめん。川瀬。今ちょっと忙しくてさ、出来れば後にしてもらえると助かる」

 

 見ると谷口は数学の問題集とノートを机に広げ問題を解いていた。課題だな。

 

「数学の課題?」

「ああ、やるの忘れててさ」

 

 これだ! 私は自身の脳内アンテナに従い、いつもの小悪魔ムーブで谷口に言う。

 

「数学の課題、手伝おっかー? ……ただし、私の言うこと、なんでも聞いてくれるなら、だけどね?」

 

 私は悪戯っぽく舌なめずりをする。よし、これならいいだろう!

 

「……いや、いいわ。何要求されるかわかったもんじゃねぇ」

「……え?」

 

 予想に反して谷口に一蹴される。あれ? なんで? 絶対いけると思ったのに! 動揺する私に見向きもせず、谷口は黙々と問題を解いていく。 くぅ~! なんでそんな淡々としてるの! 私の内心はめちゃくちゃ荒れているというのに。そんなお門違いな感想を抱きつつ、私はしばらく谷口が課題をやる様子を眺めていた。

 

「えーっ……とここは……うーん……」

「……」

 

 ……まあ、そこの問題は難しいよね。

 

「えっと、ここは因数分解するの」

「え?」

 

 谷口は驚きの表情を浮かべるが、私は気にせずに続ける。すぐに谷口も真剣な表情になり私の解説を聞く。

 

「——ということなの。どう、わかった?」

「あ、ああ。ありがとう。すげぇ分かりやすかったよ」

「そう、良かった」

 

 私は満足感を覚える。思ってた展開とは違ったけど、感謝されるのは素直に嬉しい。

 

「……あ、あのさ。さっきなんか言いかけてただろ?……あれって……なんだったんだ?」

「え……」

 

 唐突に谷口に聞かれ答えに詰まる。どうしよ、いざとなると頭が真っ白に……えと、その……!

 

「はーい。席につけよー」

「な、なんでもない!」

 

 先生の声にはっとし、私は咄嗟に誤魔化し、自分の席に着く。あーもう、私のバカ! 折角のチャンスだったのに。自分のヘタレ具合と怪訝そうな谷口の視線を感じながら自責の念に囚われるのであった。

 

「た、谷口……次は現文の授業であってるっけ?」

「えーと……今日は天気がいいよね!」

「谷口……今日も谷口は谷口だね!」

 

 ——ダメだー。私は自席で頭を抱えて項垂れていた。あれから私は何度となく谷口を誘おうとしたが、全て空振りに終わっていた。惨敗。いや、私がヘタレなだけなんだけどね? 

 

「陽太ー。ゴールデンウィークのことなんだけどー」

「ん? どうした武瑠」

 

 私はひたすら懸命に考える。というか精神統一! 落ち着け。とりあえずは周りの声など気にしないくらいに集中せよ。

 

「あー……そういうことね。華凛のやつ……ちゃんと伝えろや」

「ん? どうかしたか?」

「いや、なんでもない」

「? まあそれならいいが」

「お、二人とも何話してんだー?」

「ん? 正樹、義樹お前ら英表の課題やったの?」

「え、いやそれは……その……」

「どーせやってないんだろ。ほら、教えてやるから。やるぞ」

「ひぇ……! ご勘弁、ご勘弁を! 武瑠様ー!」

「ヘルプ! ヘルプアス! 陽太ー!」

「何やってんだあいつら……」


 よし! もう大丈夫! いける! そして意を決し私は谷口に言う。

 

「た、谷口!」

「ん、どした川瀬?」

「ご、ゴールデンウィークに……に……」

「ゴールデンウィークがどうした?」

「——ゴールデンウィークになんか予定とかあるの?」

「別にないけど……」

「そ、そう……」

「……」

「……」

 

 ……………………私のバカー!!!!!!!! なんでよ! 今のチャンスでしょ!

 

「……もうやだ……」

 

 私は机に突っ伏してぼそりと呟く。そして時間はあっという間に過ぎ、気付けば帰りのホームルームの時間になっていた。そして先生の連絡事項が終わり、クラスメイトは各々部活へ行こうとしたりそのまま帰宅しようと行動を起こしていた。無論、帰宅部の谷口も帰ろうとしていた。どうしよう。早くしないと帰ってしまう。そんな私の焦る気持ちを知りもせず、谷口はカバンを背負う。

 

 ……でもいいよね。もしこれで私が言えなかったとしても華凛が代わりに誘ってくれる。そうよ。たかだか遊びに誘うだけ。別に二人っきりで遊ぶ訳でもないもの。だから……いいよね。

 

「…………」


 ……いいわけ、ない! なんで頼ろうとしてるの!? そうやって自分のことなのに人に頼って! それに嫌だ! 谷口にはもっと、もっと——私を見てほしいの!

 

「……川瀬?」

 

 気が付くと私は谷口の袖を掴んでいた。途端に頭が真っ白になる。

 

「え、いや……これは……その……ね?」

 

 私は羞恥に顔を真っ赤にしながら言う。ええい。ここで逃げてどうする! もう、どうにでもなれ!

 

「た、谷口!」

「は、はい!」

 

 思わず少し大きな声が出てしまう。それに谷口はびくりとし、背筋を伸ばして返事をする。ちょっぴり申し訳ない気分になるけど、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 

「あ、あのさ……」

「う、うん……」


 心臓がバクバクしている。ただ誘うだけでこれなのにもし告白する時にはどうなってしまうのだろう?

 

「その……ゴールデンウィーク……みんなで遊びに行かない?」

「え?」

 

 谷口は意を突かれたような顔をするが、私は構うことなく続ける。

 

「ゴールデンウィーク遊びに行こ……ダメ?」

「いや……別にいいけど」

 

 その言葉を聞き、私は嬉しさに胸をいっぱいにする。

 

「言質、取ったからね! じゃあ、詳しいことはまた連絡するからじゃあね! 谷口、また明日!」

「あ、おい! ……なんだったんだよ。あいつ……」

 

 私は鼻歌交じりにきょうしつからでていく。なんだ、簡単なこと……ではなかったけど、よかった。何よりも谷口を自分で誘えたという事実がものすごく嬉しかった。

 

「ゴールデンウィーク……か。楽しみ♪」

 

 高鳴る期待を胸に私は軽やかなステップで部活へ向かうのだった。

 


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