琥<珀

K-enterprise

こ < はく

「おいおいはくちゃんよぉ、見せつけてくれるじゃんか」


 中身が零れそうな布製のトートバッグを抱え、部室に入って来た真島 はくは、パイプ椅子で読書中の烏丸琥太郎こたろうから憮然とした声をかけられる。


「別に見せつけてるわけじゃないけど……」


 珀は恥ずかしそうに頬を染め、リュックやバッグを机に降ろす。


「ていうかわざわざトート予備バッグなんか用意している時点で腹立たしい。どうせリュックにも満載なんだろ?」

「ああ、よく分かったね。琥太郎でも今日が何の日か、ちゃんと知ってたんだね」

「朝から教室ん中は甘い匂いでいっぱいだったぞ? そわそわしてる男子も多かったし、お情けのチョコは空を飛ぶし」


 節分の豆まきみたいに、10円チョコを取り合う阿鼻叫喚の狂乱を思い出し、読みかけの小説を振りながら、心底うんざりした顔で嘆く琥太郎。


「それで、琥太郎はいくつ貰ったの?」


 珀はリュックから水のペットボトルを取出し、湯沸しポットに水を入れながら聞く。


「あん? べべべつに何個でもいいじゃん。つーか別にチョコなんかこれっぽっちも欲しいなんて思ってないし」

「甘いの、嫌いだもんね」


 ポットのコンセントを差し込み、スイッチを入れる。


「別にチョコが嫌いだなんて言ってねーだろ? カカオ86%とか好物だし。チョコっていうか、このシステムが嫌なんだっての」

「仕方ないじゃん。お菓子メーカーだって必死なんだよ?」

「だからチョコはどうでもいいんだよ。なんで告白だのなんだのって話になるんだよ」

「バレンタインの由来? ローマ皇帝がバレンタインさんを処刑したとかの話って知らない?」

「士気が落ちるって禁止してた結婚を、バレンタインさんがこっそり執り行ってたってヤツだろ? 恋人の日とかってのはまあいい。日本のそれは、女から男への告白ついでにチョコを渡そうって設定だろ? それが気に入らない」

「最近は世話チョコ、友チョコ、自分チョコとかあるけどね」


 珀は耐熱の紙コップにドリップコーヒーをセットする。


「だからさメーカーも本性を現してきたってことじゃん? 告らせる必要なんてなかった! だからみんなチョコを買え! みたいな」

「確かにね、実際にこの日に告白しようって人も少ないのかな」


 しゅんしゅんと湯気の立ち上るポットはやがてカチンと自らの命を絶つ。


「まあ、そんな機会でもなければ告白できないって時代だったんだろ。今じゃそんな殊勝な女子も少なくなったのかもな」


 琥太郎は言いながら珀の荷物を見て黙る。

 その視線に気づいた珀が楽しそうに言う。


「琥太郎くん、どうしたのかな? 告白する人が少ないって、どこの世界の話?」

「チッ、このリア充が、つーか沸いてんぞ、はよコーヒー淹れろ」

「はいはい、しばしお待ちを」


 珀は苦笑しつつ、少量のお湯で蒸らしながら、時間をかけてコーヒーを作る。


「で、どうするんだよ」


 琥太郎は読んでもいない小説に目を落としながらぶっきらぼうに聞く。


「どう、とは?」

「何人に告られたか知らねーけど、返事はどうするんだよ」

「琥太郎こそどうするのさ、貰ったんでしょ?」

「ぐっ、お袋と妹からだぞ? 返事も何もあるかっての」


 言わせんな、と小さく呟く頬は、羞恥と屈辱に赤く染まる。


「あ、そーなんだ」

「なんでお前はそんな嬉しそうなんだよ。腹立つな」


 珀はニコニコしながら琥太郎の前にカップを置く。

 琥太郎は、香り立つコーヒーを蒸気と共に口に含む。


「……美味いな、それにずいぶん澄んだ色、まるで紅茶みたいだな」

「美味いでしょ? 今日のコーヒーは特別なんだよ」

「俺はいいけど、お前もブラック? いつもの砂糖は?」


 言ってから、中和する甘味が大量にあることに気付き、コーヒーとは違う苦味が口に広がる。


「お茶請けに甘いものがあるから、今日は苦くていいんだよ」

 

 珀はトートバッグから、リボンに包まれた箱を無造作に取出し躊躇なく開封し始める。


「いやちょっと待て、いくらなんでも悪趣味が過ぎるだろ!」

 

 琥太郎は驚きながら強く制止する声を放つ。


「悪趣味とは?」

「お前がどんな気持ちで受け取ったか知らんけど、そりゃあいくらなんでも相手に失礼だ」

「失礼とは?」

「お前を想って、それを渡してくれた相手のことを尊重しろって話だよ」

「……その相手を、僕が何とも想っていないとしても?」

「それでもだ。バレンタインの告白なんて逆に言えば、そんな機会を使わなきゃいけないほど思いつめた結果だろうが、それを無下にしちゃだめだろ!」


 琥太郎の真剣な声を聞き、腑に落ちたような珀は、一つ頷いたあと笑顔を見せる。


「なるほど……確かに」


 言いながら包装紙の開封を再開する。


「ちょ、おまっ!」


 信じられないものを見る目で唖然とする琥太郎に、珀は開封した中身を差し出す。


「はい、どうぞ」

「どうぞってお前……カカオ86%?」

「好きでしょ? 苦いチョコ」

「いや、え?」


 狼狽する琥太郎に、珀はトートバッグごと渡す。


「いやぁ、どうやって渡そうかと悩んでたんだ」

「ちょっと待て、これ、お前が貰ったんじゃないのか?」

「そんなこと一言も言ってないけどね。でも良かった。想う相手を尊重して、無下にしないんだよね? 琥太郎くん」


 珀は笑顔でそう言って、琥珀色のコーヒーを静かに飲んだ。



―― 了 ――

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