魔王に献ずる終焉の一皿

名瀬口にぼし

最後の赤竜の卵の餡かけ

 魔王ソヴァロは、大陸の北に広がる火山地帯を治める王である。

 自国の民には愛され、隣国の民には憎まれるソヴァロは、大国の王としてすべてを思うままにできる権力を持っている。

 だから支配者であると同時に美食家でもあるソヴァロは、見知らぬ食材を食すことを好み、新しい土地を征服しては珍味を献上させていた。

 地底に築かれた都にある、壮麗な黒い水晶の石片に覆われた王城の大広間で、ソヴァロは魔王らしく日々食べたいものを食べるのだ。


 ◆


 西の海を越えた孤島に生息する赤竜は、つがいを作ることなく生殖し、数十年に一度だけ卵を産んで育てる竜の種族である。

 赤竜の頭数は近年著しく減っており、最後に残っていた一頭はソヴァロが差し向けた狩猟隊によって仕留められた。

 その死体は孵化前の卵とともに鮮度を保つ魔法をかけられ、ソヴァロのいる王城に送られた。


 城の庭に巨大な赤竜の体が横たわり、その隣に岩のように大きな竜の卵が置かれたとき、ソヴァロはその光景を自室の窓から見下ろした。

 今日はその赤竜の卵を使った料理が、食事に出される日であった。

 そのためソヴァロは、いつもよりもわくわくした気分で黒衣を羽織り、食卓の席に着いていた。


「やはりあの赤竜の卵は、料理にしてみても大きいのだな」


 食前酒の入った小さな杯を空にして、ソヴァロは侍従が運んできた銀の覆いが被さった巨大な白磁の皿をまじまじと見る。

 半球の形をした銀の覆いは天井に吊るされたシャンデリアの光を反射して輝き、青白い肌に緋色の瞳を光らせたソヴァロの面長の顔を映していた。


 清潔な白い前掛けを身に着けて給仕をする侍従は、うやうやしくソヴァロに頷いた。


「はい。これを焼くためには鉄板を新調し、この城の料理人が何人も集まる必要がありました」


 そして侍従は手を上げて呪文を唱え、皿と同様に巨大な銀の覆いを魔法を使って静かに外す。


 すると覆いの下からは、ほんのりと焼き目のついた黄色が綺麗な巨大な丸い厚焼きの卵が、ほかほかと湯気をあげて姿を現した。

 それは魔王であるソヴァロの命令によって滅ぼされた赤竜の卵を使った、今日が最初で最後の特別な卵料理であった。


「もはや料理というよりは、寝具のような大きさだ」


 自分が普段寝ているベッドよりも大きな卵料理に、ソヴァロは思わず息を呑んだ。いつもならテリーヌやパイなどの様々な品が用意されている広めの天板の円卓は、今日は竜の卵の料理が大きすぎるために一皿しか載っていない。

 この厚焼きの卵の上で寝たらどんな気分なのだろうかと、ソヴァロは半ば実行を考えつつ想像した。


 そうしてソヴァロが驚いているうちに、侍従がワゴンを運んできた。ワゴンの上には、香草をすりつぶしたペーストや果汁のようなものなどがそれぞれ入った、小さな壺が並んでいた。


「テーブルに置く場所がありませんでしたので、こちらに別添えでいくつかソースをご用意しました。お好きなものを卵にかけてお使いください」


 侍従は円卓の隣にワゴンを止めると、ソヴァロに簡単に壺の中身の用途を説明した。


「うむ。わかった」


 侍従の説明を聞き、ソヴァロはまずは透き通った琥珀色のとろみのあるソースの入った壺の取っ手を掴む。


(卵の量が多いから、飽きないようにいろいろな味を用意してくれたのだろうな)


 ワゴンに載っているソースの種類の多さに、ソヴァロは料理人の気遣いを感じた。


 そして焼けた卵の甘い匂いのする湯気を思い切り吸い込んで、ソヴァロは手元の一画にソースをかけた。ソースは上質な蜂蜜のように、卵の上を流れた。

 そのソースに覆われた卵の美しい輝きを見ながら、ソヴァロはナイフとフォークを手に取る。


 煮ても焼いても炒めても、卵料理はソヴァロの好物だった。


「では、いただこうか」


 ソヴァロには食前に祈る神もいないので、食べ方がわかれば食べ始めるのは早かった。


 竜の卵は壁のような分厚さで焼かれていたが、ナイフを入れればやわらかく切れる。


(今日の卵料理はたくさんあるから、一口をもったいぶらずに食べることができるな)


 ソヴァロはやや大きめに切った厚焼きの卵をフォークで運び、思いっきり頬張った。


(ん、美味い)


 鶏卵よりも濃厚な卵の味が、ソヴァロの口の中に広がる。卵は半熟のとろみを残しつつもふんわりと焼けていて、なめらかに舌からのどへと流れていった。

 それは今焼けたばかりのように熱々だったが、ソヴァロは火山地帯を治める魔王であるので舌を火傷することはなかった。


「なかなか、良い焼き加減だな」


「食感を完璧な状態にするために、良質な大豆油を大量に使ったと聞いております」


 ソヴァロは一口目を飲み込むと、顔を上げて侍従に感想を伝えた。


 すると侍従はソヴァロがより料理を美味しく食べることができるように、ありがたい話を教えてくれる。


(良質な大豆油か。確かに、油が多く使われていそうなわりには、しつこくはない)


 ソヴァロは美味しさの理由を考えながら、二口目を食べた。


 卵の厚焼きには茸と筍と葱、そして赤竜のほぐし身が具として生地に混ざっていた。

 硬い甲殻をむいてほぐした赤竜の身は味は濃密でほど良い弾力があり、火を通すと白くなりエビやカニに似た塩気のある旨味を楽しめた。

 細かく刻まれて入った野菜も彩りがよく、それぞれの歯応えと香りを添えている。

 またほのかに酸味のある琥珀色のソースも、卵の甘みを引き立てていた。


(料理人の腕も確かだが、やはり素材の味が良い)


 ソヴァロは手を止めることなく、口いっぱいに卵を含んで食べ続ける。ゆっくり味わわなくても味が十分に堪能できるほどに、料理の量は多かった。


(この果てしなさこそが、『最後の赤竜の卵の餡かけ』の食べ応えなのだな)


 少し食べたくらいではまったく減らない巨大な丸い卵料理を見ながら、ソヴァロは自分が差し向けた狩猟隊に仕留められて運ばれ、城の庭に横たわっていた巨大な赤竜の死体の姿を思い出した。

 魔法で鮮度が保たれていた赤竜は羽を優美な形にたたんでいて、まるで生きているかのように赤い鱗が輝いていた。

 しかしその丸めた背には銀製の太い槍が深々と刺さり、金色の大きな瞳は虚ろでその命は間違いなく絶えていた。


(赤竜はあれで滅亡した。だからこの先はもう誰もこの卵も身も食べられないのだと思うと、この料理も余計に美味しい気がしてくる)


 ソヴァロは赤竜の卵の濃い風味に舌鼓を打ち、その味に暗い喜びと恍惚を覚えて微笑んだ。

 赤龍はあの一頭の他には生きてはいないから、一つだけ残された卵を食べることはその未来を永遠に奪うことでもあった。


 単純な好奇心と独占欲。

 そして一つの種族を絶滅させた後ろめたさが、目の前の料理をより味わい深いものにする。

 自分だけしか知らない味を増やしたいと、ソヴァロはいつも思っていた。だからこうして願いが叶ったときには、ソヴァロは自分が権力のある魔王で本当に良かったと実感していた。


「赤竜の卵の味は、いかがですか?」


「ああ、かなり美味いぞ」


 侍従がソヴァロに感想を尋ねたので、ソヴァロは答えた。


 ソヴァロは自分の食事を誰にも譲る気はなかったし、侍従もそれはわかっていた。


「ちなみにそのソースは、赤竜の甲殻から出汁をとっているそうですよ」


 侍従はまたもう一つ、料理人の工夫を教えてくれる。


「なるほど。無駄がないな」


 もう手に入ることのない食材を隅々まで活用する料理人の技量に感心して、ソヴァロはソースだけを舐めてみた。

 言われてみるとその琥珀色の餡には、ほぐし身と調和するしっかりとしたコクの深さがある気がした。


(じゃあ今度は、こちらのソースを使ってみるか)


 一つ目のソースを十分に堪能したソヴァロは、また別のソースの入った壺に手を伸ばした。

 卵の厚焼きはまだほんの一画が欠けただけで、ソースもまだ多く種類が残っている。


 ソヴァロは大食いな方ではあったが、正直に言うと今日の料理の量は食べきれるかどうか自信がない。

 しかし自分の命令によって絶滅した生物を使った献立なのだから、頑張って最後まで美味しく食べようとソヴァロは思った。

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