怪塵使い

 その時、ニャーン・アクラタカは信じられないものを見た。十五歳程度の黒髪の少年がこんな森の奥深くに突然現れたかと思うと、彼女を襲っていた獣に有無を言わさず蹴りを叩き込んだのだ。裸足で。

 途端、狂暴化した獣は大量の赤い塵と化し拡散した。怪塵ユビダスを大量に吸って狂った生物の成れの果てである。

 似た光景は過去にも見た。だがしかし普通の少年に一人で怪塵狂いを倒せるわけもない。彼女は直後、相手の風貌と青い瞳を見て察する。


「ま、まさか……アイム・ユニティ?」

「おう、そういうことじゃ」


 少年は鷹揚に頷き、空中に舞った塵を忌々し気に手で払った。




 桜色の髪と瞳、白い肌。赤毛や茶髪、そして褐色の肌が多い第四大陸では珍しい特徴を持つニャーン。それもそのはず彼女は第六大陸出身。そしてかの大陸に本拠を置く光の神を信仰する宗派の尼でもある。家が貧しく、幼い頃に口減らしのため修道院へと預けられ、そのまま僧籍に入った。

「一年前までは、なんの問題も無く暮らしていました」

 森の中、倒木を椅子にして腰かけ、立ったままのアイムに事情を説明する彼女。普通は立場が逆だと思うのだが、アイム本人が「お主だけ座れ」と言うので仕方がない。

「ですが修道院の裏にある薬草畑で作業をしていた時、先程と同じように怪塵狂いの獣に襲われまして……」

 そんな時のため院には警備兵が常駐している。けれど不運なことに相手は稀に見る大型の熊だった。ある程度の傷は負わせたものの仕留めるには到らず、兵達を薙ぎ倒した狂獣は彼等を助けようと飛び出してしまったニャーンへ襲いかかった。

「その時です、私にこんな力があると知ったのは……」

 彼女は狂獣の傷口から放出されていた赤い塵を吸い寄せ、盾を作り出した。それで自分と兵士達を守り、さらには檻を形成して敵を中に閉じ込めた。

 怪塵狂いの獣は傷を付けられるとそこから怪塵を放出し続け、やがて形を保てなくなり崩壊する。ニャーンの力はそれを早め、ものの一分と経たぬうちに狂暴化した熊を倒してしまったのである。


 だから逃げ出した。


「このような呪われた力を持つ身で、光の神にお仕えすることはできません」

「……」

 彼女の言う「光の神」がそんなことをいちいち気にかける性格でないと知るアイムは唇を曲げた。だが、人が何を信仰しようとそれぞれの勝手。余計なことは言うまいと配慮し口を噤む。

 ちなみに彼は彼女達の教会に嫌われている。昔、光の神の悪口を言ってしまったからだ。以来、英雄アイム・ユニティは光の神の信奉者にだけは侮蔑され続けている。神を畏れぬ愚か者。信仰を持たず、それゆえ道徳も知らない邪悪な輩として。

「ああ、流れ流れて第四大陸……人里を避けて旅するうち迷い込んだこの森で、獣に襲われ、もう駄目かと思っていた……そんな私を助けて下さった貴方には感謝しています。けれど、よりにもよって背教者ユニティだったなんて……」

「相変わらず嫌われておるのう」

 困ったものだ、こちらは別に彼女達を嫌ってなどいないのに。教会という組織には色々思うところがあると言えど。

「ところでお主、ニャーンとか言ったか?」

「ニャーン・アクラタカです」

「その力、突然覚醒したことはわかった。それでだな、具体的には何ができる?」

 アイムの問いかけに、今年で齢十八だという少女は首を傾げる。

「何が、とは?」

「さっき自分の周囲に膜を作って身を守っておったじゃろう。昔の話では盾やら檻やらを作ったとも言ってたな。たしか噂によると翼を作って空を飛んだとも聞いたぞ」

「え、ええ……毎日拝んでいた光の女神様の御姿を脳裏に思い浮かべたら私の背中からも赤い翼が。おそらく神が私に救いの手を差し伸べてくださったのでしょう」

「さっき自分で呪われた力とか言うておらんかったか?」

「呪われた力を正しく使えるよう、神が私に天啓を授け導いて下さったのです!」

 なるほど、そう解釈したか。頭が固いのか柔らかいのかよくわからん娘だ。

「うーむ、それならあれだ、塵の怪物と戦ったりはせんかったか?」

「そ、そんな恐ろしいものに出会っていたら、とっくの昔に死んでいます!」

「そうかあ?」

 赤い塵を集めて自在に操れるなら、あの怪物達ともそれなりに戦えそうなものだ。

(いや……)

 よく考えたら怪塵狂いに襲われた程度で悲鳴を上げるような臆病な娘があれらと戦えるはずもない。出くわした途端に失神してしまいそうである。

(困ったのう)

 やはり判断が難しい。放置して行くわけにもいかないし、かといって──しばらく考え込んだアイムは、やがて一つの結論を下す。

「うむ、やはり連れて行こう」

「えっ?」

「このまま放っておくわけにはいかん。立て、ひとまずはゾテアーロに」

「お断りします!」

「ぬっ!?」

 怪塵が集まって来てアイムの周囲で渦を巻いた。その間に羽ばたきの音が聞こえたかと思うと、ニャーンの気配が見る間に遠ざかって行く。

「馬鹿もん!」

 カッとなって大声を出すと、それだけで赤い塵が吹き飛ぶ。だがニャーンの姿はすでに消えてしまっていた。おそらく翼を作って飛んで逃げたのだ。

「逃げ足だけは一人前か」

 今までもこうやって逃げ続けていたのだろう。道理であの体たらくでも無事にここまで来られたわけだ。

 やはり見逃すわけにはいかん。アイムは気配が遠ざかって行った方向へ走り出す。

 すると、そんな彼の後ろ姿を見つめ、彼等・・もまた動き出した。




「に、逃げなくては! 全速力で逃げなくては!」

 赤い翼で空を飛びつつ焦るニャーン。背教者ユニティの恐ろしさは子供の頃から何度も聞かされて来た。彼に捕えられたら何をされるかわかったものではない。それに、さっきゾテアーロとか言っていた。たしかこの大陸を二分する二大国の片割れ。ひょっとしたら自分の首に賞金がかかっていて、それを目当てに追いかけて来たのかもしれない。まさか、あるいはと嫌な想像ばかり脳裏に浮かぶ。

 すると、立ち並ぶ木々の少し上を飛んでいた彼女に向かって、視界の端から何かが飛来した。

「え?」

 ドスッと音を立てて翼に刺さる矢。途端、あっさりと失速する。

「あ、あわ、あわわっ!?」

 怪塵で作った翼なので痛みは無い。それでも自分の背中から生えているものが串刺しにされたことでパニックに陥った。元々ユニティのせいで慌てていたのだから当然。集中力を欠いたせいで身を守るための盾も上手く作れない。

「きゃああああああああああああああああっ!?」

 墜落した彼女は、けれども地面に激突する寸前で何かに受け止められる。

「ぐえっ!?」

「よっし、捕まえた!」

「急げ! すぐ出発するぞ!」

 木々の合間に網が張られていたのだ。どこに落ちても大丈夫なよう広い範囲に張り巡らされていたそれの一つ、ニャーンが落下した網を手早く解いて下ろした男達は、ぐるぐる巻きになった彼女を荒っぽく馬の背に括りつけ、そのまま他の馬達の背に跨って走り出す。

「な、なんなんですか貴方たち!? どうなってるんですか私!?」

「構うな走れ!」

「女には薬でも嗅がせておけ!」

「おう!」

 ニャーンを乗せた馬、それを操る男が懐から小瓶を取り出しフタを開けた。ツンと鼻をつく異臭。後ろ手で彼女の鼻先へ近付ける。

「く、くさっ!? やめっ」


 クラリ。薬の効果で意識が飛びかけた、その時──疾走する馬を小柄な影が追いかけて来てあっさり横に並ぶ。徒歩で。


「やめんか」

 走りながら指先で瓶に栓をし、男を睨みつけるアイム。謎の男達の全身から冷たい汗が噴き出す。

「も、もう追いつかれた!?」

「ワシを誰だと思っとる」

「ぎゃあっ!?」

 男の腕を捻り強引に薬を奪い取ると、中身を一気に飲み干す。空になった瓶を投げ捨て、ぷはあと臭い息を吐き出した。全く効いてる様子が無い。

「まっずい。ワシゃ葡萄酒の方が好きじゃ」

「と、虎でも気絶する薬を……」

「気絶どころか、あの量を飲んだら死ぬ……」

 戦慄した男達に問いかける彼。

「まだやるか? 万に一つも勝ち目は無いぞ」

「……降参します」

 怪塵殺しに勝てるはずもない。男達は素直に負けを認め、すぐにその場で馬を止めた。

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