証明写真が写すもの

 その男は、証明写真を撮る機械の前をうろうろしていた。あの、大き目の箱のような小屋の中に入るか入らないか、迷っているように。大学生ぐらいだろうか、少し小柄で明るい感じの子だ。

「どうしました? 使い方でもわからないんですか?」

 僕は普通、困っている人に優しく声をかけたりするタイプではない。でも、その時はそうした方がいいと思った。多分、野生の勘。

「ああ、大丈夫。そういうわけじゃないんだ。こういったのって嫌なイメージがあって。履歴書の写真を撮らないとといけないんだけどなあ」

「嫌なイメージ? なんだか写りが悪くなるとか、そういう?」

 個人的に証明写真だとなぜか悪人顔に写るのは、ちょっとした謎だと思う。

「いや、そういうわけじゃないんだけどね」

 男は少し笑った。なにか、苦い思い出がよみがえった、といった感じの笑みだ。

「何かおもしろい理由だったら聞かせて欲しいんですけど。もしそれが怖い話だったら特に。ああ、僕は動画の投稿やっていて……」

「いいですよ、名前を伏せてくれるなら」

 そう言うと、彼は語り始めた。


 俺が散歩を終えて、家に帰ろうとしていた時だよ。

 大通りに、長い行列がそうように並んでいた。

「何か、安売りでもやってるんですか?」

 僕は思わず最後尾の男に声をかけた

 先頭の方向には、スーパーがあることは知っていたからね。

「いや、違うよ。みんな写真を撮りに来てるのさ」

「写真を?」

「ほら、証明写真だよ」

 そう言われて、俺は改めて行列の先頭を見た。

 確かに列はスーパーの方に伸びているけど、店の入り口ではなく、その横にある証明写真のボックスに続いている。

 そう言われてみれば、並んでいる人は主婦っぽい人の外にも、男の人や学生っぽい人もいる。だが、子供はいない。

「なんであんなに人気なんですか? とってもきれいに撮れるとか」

僕の言葉に、男は苦笑した。

「いや、そういうわけじゃないよ。あの撮影ボックスで履歴書用の写真を撮ると、採用される会社を教えてくれるんだ。もちろん全員ってわけじゃなくて、運がいい人だけだけどね」

「ええ?」

 例えば、目鼻の位置を測定して人相を占う機械、とかならゲームセンターありそうだけれど、そういうものではないようだ。

「おお!」

 先頭の方で驚きの声が上がった。並んでいない者の特権で、俺は行列の横を早歩きで歩いて行く。

 見えてきた証明写真機は、どこからどう見てもその辺にあるのと同じだった。

 その横で、若い男の人が証明写真を両手でつかんで歓声をあげていた。

「おおお!」

「どうしたんですか」

 俺が聞くと、その男は興奮気味に写真を見せてきた。

「ほら、見てくれよ、これ!」

(これは……)

 気味の悪い写真だった。

 履歴書用と書かれているシートに、上下四枚ずつ枠が並んでいる。本来なら当然、そこにすべて同じ写真が並んでいるはずだ。

だが、その男が持っているのは違った。右上の写真は少し硬い表情の男のものだったが、左上から右下、そして左下に進むにつれ、その目も、鼻も口も、形がゆがみ、流れ落ちていく。輪郭までも下へ垂れ、まるでロウ人形が溶けていく様子を順に撮影したようだ。

 そして少しずつ画面に白い霧がかかり、もはやただの肌色の人型となった上にかぶさっていく。その霧は、一番左下の写真では頭と首もとにかかり、まるで帽子と襟のある服を着ているように見えた。

「なんだか帽子をかぶった制服姿のように見えますが」

「電車、電車の運転士ですよ!」

 男ははしゃいでいた。

「僕は、この写真を履歴書に貼って鉄道会社に応募しようと思ってるんです! この写真が撮れたと言う事は、採用間違いなしです! 運転を任せてもらうには、数年かかるでしょうけど!」

 並んでいる何人かが、列を離れてわざわざ写真をのぞきに来る。やっかみの視線も向けられていたはずだけど、男は気付いていないみたいだった。

「おお、すげー!」という歓声や、「おめでとう」なんて声が聞こえてくる。

「なるほど、そういうふうに、将来職につけるかどうかわかるんですね」

 ここまできたら、本当にこの写真機に未来が写るのか知りたくなった。けど、赤の他人に「採用されたかどうか、結果を教えてください」なんて言えない。

 その時だよ。

「あ、U雄!」

 聞きなれた声がした。

 行列の先頭に、友人のT子がいた。

 今まで、男の方に注目していたから、そばに知り合いがいるのに気づかなかったんだ。

「お前もここに撮りにきたのか?」

「うん、アルバイトの履歴書用!」

 そのとき順番が来て、T子は中に入っていった。

 T子だったら、アルバイトに受かったかどうか聞くのは簡単だ。

 なんというか、ちょうど良すぎて少し怖いくらいだった。

 どうせ散歩から帰るところで、その後することもない。俺はT子が出てくるまで待つことにした。

 どうやら、T子は当たりを引いたようだった。前の人のように声を上げたわけではないけれど、嬉しさを隠しきれない表情で分かる。

「どんな写真が出てきたんだ?」

「えー、こんな感じです」

 見せてもらった写真は、男の物と大体同じだった。

 最初はちゃんとした姿で写っている。だが、少しずつ形が崩れていき、それと同時に白いモヤのようなものが沸き上がる。そして、ただの人型になった顔にかかる霧。

 豚の耳と鼻。

 どんなにリアクションをすれば良いのか分からずにいる僕に、T子はちょっと恥ずかしそうな顔をした。

「私、遊園地のアルバイトを受けようと思ってたの! これで採用間違いなし! きっと着ぐるみ担当ね」

 ああ、なるほど。そういうことならこのブタ姿も納得だ。

「よかったね」

 人ごとだけどちょっと嬉しくなりながら、俺はそのまま帰ることにした。


「それで、その人は希望の場所に入れたんですか」

 一応聞いてみたが、彼の表情から答えはわかっていた。

 顔をそらし、口を硬く引き結んでいる。

「いや、結局遊園地には採用されなかったよ」

 ワントーン低い声で言う。

「代わりに、どこかの会計事務所みたいな所に採用されたって」

なんだ、結局採用される会社がわかるなんて、嘘だったんじゃないか。

 僕はがっかりした。

 やっぱり予言ではなく、あの機械が壊れているのだろう。現像、いや、今はデジタルで処理するだろうから、印刷といった方がいいのか? とにかくそれがうまくいかず、白いシミができるんだろう。

「けどまあ、思う通りの所じゃなくてアルバイトが決まったのならよかったじゃないですか」

「そうじゃ。そうじゃないんだ。いっそ、決まらないほうがよかったんだ」

 男はぽろぽろと涙を流した。

 ハンカチを持っていなかったのか、男は袖でぐいっと涙をぬぐった。

「それで、バイトも決まったしってことでT子は友達と旅行に行こうってことになったらしいんだ。自然を満喫しに、きれいな林と牧場のある北のほうにね」

「まさか」

 しばらく前に話題になったニュースが頭の上に思い浮かんだ。

 ある女の子が、ハイキングの途中にさらわれた。少しの間、別行動をしたスキを突かれたのだという。

 しばらくして、彼女の死体が見つかった。

 殺したのは牧場主の男だった。彼は、被害者をもてあそんで殺し、死体を隠滅するために――豚に食わせていたという――

 まるで海外のドラマのような猟奇的な話で、しばらくの間ニュースはこの話でもちきりだった。

 珍しい証拠隠滅の方法にも驚いたけど、個人的には豚が肉を食べることにもびっくりしたものだ。なんとなく、穀物や果物しか食べないイメージがあったから。

 あの写真機は、採用される職業を教えてくれるわけではなかった。もっとおおざっぱに、未来の自分の姿を映すんだ。

 その子は、豚に消化されることで、豚の一部となった。だからああいった姿が写ったということか。

「そう、たぶんあんたが想像している通りの事件に巻き込まれたんだ、T子は」

 男の涙は止まったが、まだ鼻をぐずぐずさせていた。

「なるほど。そういうことなら、あなたが機械で証明写真を撮りたくないのもわかりますね」

「ああ。もしも、なにか変なものが写っていたらって思ったらね」

「ちゃんとした写真屋で頼んだらどうですか? なんのかんのいって、ちゃんとしたプロの方が上手に撮ってくれるだろうし」

「それはそうなんだけど、値段がね」

 まだ迷っている男を置いて、僕は歩きだした。

もし、その機械で自分を撮ったらどうなるのだろう。

 そんなことが頭に浮かんだ。だんだんと、僕の姿が崩れ、最後には無地の背景だけとなる。白い霧が、線香の煙のようにたなびく。でなければ、最初から写らなかったら?

 そうなったら、面白い。

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