呼び声

 その中学校は、文化祭の真っ最中だった。

 校庭には、フランクフルトや焼きそばなどの屋台並び、いい匂いをさせている。この日ばかりは校門も解放されていて、さまざまな年代の人が文化祭を楽しんでいた。生徒の親族や近所の人だろう。おかげで、この中学校に知り合いがいない僕が紛れ込んでも、大しておかしく思われない。

 来客がいちいちスリッパにはき替えなくてもいいよう、グリーンのシートが敷かれた廊下を、僕はあてもなく歩いていた。

 学校外の人もいるので、廊下はにぎやかで少し狭いくらいだった。友達同士なのだろう、ここの制服の女の子と、違う学校の制服の女の子が何やら歓声をあげている。

 廊下の壁には、あちこちに手作りのポスターが貼ってあった。大抵は、人気のアニメキャラの絵と共に『A‐3の教室にてフリーマーケット!』とか『手芸部作品展示はC‐4へ』といったお知らせが書かれた感じの物だ。

 各教室の入り口も、段ボール製の看板が置かれていたり、薄紙で作られた花が貼られていたり、華やかに飾られている。

 その中に、何も飾り付けのないドアがあった。周りがにぎやかな分、かえって目立つ。

 興味を惹かれて扉を開けてみる。そこは、通常の教室とは違い、だいぶ狭く、物置として使われている場所のようだった。壁のほとんどは棚でふさがれ、地球儀やら木箱やら、マネキンの胴なんかが置かれている。床に置かれた段ボール箱から、丸められた模造紙が何本も生えている。

 一人の女子生徒がやる気なくイスに座り、お行儀悪く大き目の机に足をのせていた。

 足の隣には、演劇部のものらしい衣装や小道具が山盛りになっていた。

「ああ、悪いですねー この教室では、なんもやっていないんです~ 演劇部の控室なんで」

 彼女はあわてて足をおろしながら言った。

「ああ、そうなんですか」

 僕の顔を見ると、興味津津(きょうみしんしん)といった目を向けてくる。

「え、妹さんにでも会いにきたんですか? 誰のお兄さん?」

「あ、いえ、そういうわけじゃないんだけど。実は僕、動画配信をやっていてね。何かネタになる話がないか、探しに来たんです。もし、怖い話を知っていたら教えて欲しいんですが」

「怖い話……」

 女の子は、寒さを感じたように自分の両肩をさすった。

「じゃあ、とっておきのを話してあげるね。私が体験したことだから、本当のこと」


 去年の事なんですけどね、ちょうど文化祭の準備をしてたころの話。

 その日も、放課後遅くなるまで劇の練習をしてたんすよ。ちなみに、演目はロミオとジュリエット。ベッタベタでしょう?

 本当は体育館で練習できればいいんだけど、そうそう都合よく使えないからねえ。教室の机を全部片側に寄せて、空いたスペースで練習してたんだ。ロミオとロレンス神父と三人でね。ちなみに私はジュリエットよ。すごいでしょ。

 気がついたら、もう七時ぐらいになっていて、さすがに終わりにしようってことになったんだ。

 ロレンス神父役のクニヒコが言ったの。「早く帰らないと、ユウ君に襲われるぞ」って。

 ユウ君ていうのはね、うちの学校に伝わる怪談話。


 あるところに、仲の良い姉弟(きょうだい)がいたの。

 ある日、姉が急に行方不明になってしまった。家族全員で探したけど、見つからなかった。特に、姉のことが大好きだった弟はとっても悲しんだってさ。

 それで、夜中に姉の中学校に忍び込んで、彼女のことを探すことにした。

 もちろん、そんなことがバレたら怒られる。だから、外から見つからないように、電気をつけないで、懐中電灯の明かりだけで捜しまわったの。

でも、それがいけなかったんでしょうね~ 階段で足を滑らせて、頭を打って死んじゃったの。

 ていうか、よくニ時間ドラマで、神社とか歩道橋の階段から突き飛ばされて……てあるじゃない? あれ、前は「反射的に頭をかばうから、そんなにホイホイ死なないでしょ」って思ってたけど、本当に起こることなのかなあ?

 ま、そんなのはどうでもいいかぁ。

 とにかく、それから夜遅い時間に女子生徒が校内に残っていると、ユウ君が寄ってくるんですって。そして姉と間違えて連れて行っちゃうんだって。


「ミヤコが一番やばいんじゃないか? この中で、女はミヤコだけだから」

てクニヒコがちゃかした。

 ああ、ミヤコっていうのは私の名前ね。

「それはただの噂話ですよ」

 ロミオ役のハルキはそう言っていた。

「死んでも探し続けているほど姉のことが好きなのに、アカの他人と間違えるなんて相当うっかりさんの幽霊ってことになるじゃないですか。そんな噂話を本気にするとは、賢明なクニヒコさんとは思えませんね」って。

 あはは、そんな顔しないでよ。ハルキはお調子者で、ほんとにそんな話し方をするの。

「ま、なんにせよ、ジュリエット役がいなくなったら劇にならないからな。早く帰ろうぜ」ってクニヒコが言った。

 帰り仕度を始めた時、教卓に置いてあった、衣装の髪飾りが落ちた。髪飾りは床を滑って教卓の下に入っちゃった。

 拾おうとして、私はいったん教卓の中に入る形になった。で、拾って、立ち上がってみたら、教室に誰もいないの。

 クニヒコも、ハルキも。嘘みたいでしょ?

「え!」

 みんな、私を置いて先に出て行っちゃったんだと思った。よく考えれば、ドアの開け閉めする音がしなかったのはおかしいと気づきそうなもんだけど。

 ムカつきながら廊下に出ようとしたとき……

ピン、ピン、と音を立てて、教室の蛍光灯がいっせいに点滅した。ホラー映画の鉄板だよね。

 で、いっぺんに明かりが消えて、窓からの薄い光だけになっちゃった。怖かったなぁ。

 戸口のあたりで、固まって動けなくなってると、聞こえてきたんだよ。廊下からぺたぺた裸足の足音が。

「おねえちゃああああん……」

って、か細い男の子の涙声も。

 本当に、ユウ君がやって来ちゃったの!

 廊下がわの窓から教室をのぞかれたら、いるのがばれちゃう。とっさにその場にしゃがみこんだ。

 でさあ、何のためかわからないけど、教室って、廊下側の壁の一番下に、横に細長い窓があるじゃない? 開けっ放しのそこから、裸足の足が見えた。

 ユウ君、階段から落ちた時に靴が脱げたんだろうね。スネに一筋、血が流れてたよ。

「おねえちゃああああん……」

 返事はしませんでしたよ、もちろん。

 ガラガラと教室の引き戸が開いたと思ったら、青白いというか、灰色じみた肌をして、頭と膝から血を流している男の子が入ってきた。Tシャツと短パン姿の。

 私は、その子が入ってきたのと反対側の戸口から、廊下に飛び出した。

 幽霊でもつまずくんだね、ユウ君は私を追ってくると、崩れ落ちたみたいに倒れこんだ。で、死にかけの虫みたいにペタペタはって来た。

 学校の外に逃げようと思ったんだけど、考えなおしたんだ。ここは三階で、玄関に出るには階段を下りないといけない。ユウ君が死んだ場所になんて、怖くて通りたくなかったもの。

 だから、他の教室に飛び込んだんだ。そして、掃除ロッカーの中に隠れた。ほこりっぽくて、濡れた雑巾の嫌な臭いがしたっけ。お姉ちゃんって呼ぶ声はまだ聞こえてた。

 それだけじゃなくて、「ミヤコ……ミヤコ……」って私の名前を呼ぶ声まで聞こえてきたの。

 きっと、ハルキかクニヒコが探してるんだと思った。

 返事をしようと口を開いたとき、また「ミヤコ……」って聞こえて、その時気づいたんだ。

 さっきの声は、ハルキでもクニヒコでもない。知らないおばさんのだ。

注意して聞いてみると、おじさんとおばさん、それとおじいさんとおばあさん、四人ぐらいが私の名前を呼んでる。

「ミヤコ……」

「みやこ……」

って。

 私は、あわてて口を押さえた。だって、どう考えても普通の人間に呼ばれているとは思えなかったんだもの。そんなのに返事したら、どうなるか分からないじゃない。

「おねえちゃん……」っていうユウ君の声も聞こえてくるし、もう大捜索されてるって感じ。

 また、ガラガラと戸が開いて、ユウ君が入ってくる気配がした。

ロッカーの隙間からのぞくと、床にはりついているユウ君の背中が見えた。

 ユウ君は、ゾンビみたいにゆっくり起き上がると、うろうろ教室内を歩きまわり始めたの。ユウ君にぶつかったイスが、音を立てたときは怖かったなあ。

その間も、私を呼ぶ色んな声が聞こえてきた。

「ミヤコ……ミヤコ……」

 しかも、声が増えている気がしてね。生きた心地しなかったよ。

ユウ君は、着実にロッカーのほうに近づいてきた。あまりにも近づきすぎて、視界から外れて見えなくなるくらい。ロッカーの取っ手に手がかけられる音がしたとき……

「ジュリエット!」

 って声が聞こえたの。

 いなくなった人を探すのに、役名で呼ぶなんてふざけたマネをするのは、ハルキしかいない。思わず叫ぶように返事した。

「はあい!」

って元気に。

 そのとたん、呼ぶ声がピタッと止まった。

 電気もついたみたいで、明るい光がすきまからロッカーに差し込んでくる。

恐る恐るロッカーの開けて出てみると、ハルキがキョトンとした顔をしていた。

「なんでそんなところにいるんだい、ジュリエット? イリュージョンでもしようとしてました?」

 なんだかそのキョトンとした顔と、今までの怖い体験とのギャップが面白くて、ハルキが心配しだすほど大笑いしちゃったわー もう、涙が流れるくらい。


 あとでクニヒコも合流して、二人に話を聞いてみたんだけどさ。

 廊下に出たとき、私が教室から出て来ないのに気づいて、二人で教室の中をのぞいてみたんだって。でも、私の姿はなかった。もちろん掃除ロッカーも開けてみたけど、その中にもいなかった。二人からすれば、密室殺人ならぬ密室消失ってわけ。

 本当にユウ君に連れて行かれたんじゃないかってパニックになって、ニ人で手分けして探していたらしいんだ。そう、ニ人だけでね。

 だから、私が聞いたのは、やっぱり人間の物じゃなかったの。ううん、正確に言うと、聞いた中にはハルキとクニヒコの呼び声も混ざってたんだろうけど。

 で、ハルキがふざけて役名で呼んだら返事が聞こえて、確認したはずの掃除ロッカーから私が飛び出てきたってわけ。

 私は、一人でユウ君から逃げ回っていたことを教えた。

「そういえば……前に見た時『こんなのあるんだ』と思っただけで、ちゃんと読んでなかったな」

 そう言うと、クニヒコはスマホで学校の裏サイトを立ち上げた。

 そこには掲示板だけじゃなくて、ちょっとした学校のニュースだったり、ゴシップ的なものが乗ってるページもあんのよ。もちろん学校の七不思議のことも詳しく載ってた。もちろん、ユウ君の話もね。

 私とクニヒコ達が聞いた噂話だと、ユウ君が捜しているのはただ「姉」だったけど、そのページにはちゃんと名前も書かれてた。

 それが、私と同じだったの「ミヤコ」だったの。

 たぶん、私がユウ君に目をつけられたのは、姉と同じ年ごろってだけじゃなく、同じ名前だったからじゃないかな。

それと、怪談の後日談みたいなのも載ってた。

 「ミヤコ」と弟を失って、残された家族は皆病死だったり、自殺だったり、事故だったりで亡くなっちゃったんだって。そして結局「ミヤコ」は行方不明のまま今も見つかっていない、ってね。

 掃除ロッカーの中で聞いたあの声は、いなくなった家族を探す、両親と祖父母の声だったんだよね、きっと。

 ハルキがお調子者で助かったよ。「ジュリエット」って役名で呼んでくれたから、あの世の亡霊からの呼び声じゃなく、こっちの世界のハルキの呼び声に応えられたんだから。

 もしあの時、間違った声に返事してたら……って、それを知った瞬間が、あのユウ君から逃げ回っていた時より怖かったかも知れない。


「へえ、それはおもしろい話ですね」

 僕は、満足してにっこりほほ笑んだ。

「それでね、この話にはとんでもない後日談というか、おまけがあるの」

 そういうと、彼女は少し真面目そうな顔になった。

 そして、棚から、一冊の冊子を取り出した。

「演劇部の倉庫部屋を大掃除していた時に、これをみつけて」

 それは、わら半紙を束ねて厚紙を表紙にした、簡易な台本だった。かなり古い物で、紙は茶色に変色して、虫に食われているように端が欠けているページもあった。

 タイトルは、『ある女子生徒の失踪計画』とある。

「オリジナルの台本ね。内容は、ある女子生徒が、自由に生きるために大嫌いな弟を殺し、大嫌いな両親と祖父母から逃げる計画を立てて、それを実行しようとするブラックコメディー」

「まさか」

 どこかで聞いた話だ。

 僕は、あわてて台本の最後のページをチェックした。

「分かったみたいねー。誰がその台本を書いたのか」

 探し出したページには、こう書いてあった。『脚本:MIYAKO』。

 僕は思わず呟いていた。

「失踪した姉が、殺人と失踪を計画する脚本を書いていた……」

「本当に、ユウ君が死んだのは事故だったのかなあ。失踪した姉が、なんでか知らないけど殺したいほど憎んでいた弟をこっそり呼び出して、殺した。それって、考えすぎですかねぇ?」

「だとしたら……」

 僕は少し意地悪な気持ちで言った。

「本当に、ユウ君につかまらなくてよかったですね。都市伝説にある『ユウ君に連れていかれる』という所……もしあの世に連れて行かれるにしても、『大好きな姉と間違えて』と、『自分を殺した憎い姉を』とでは、連れて行かれ方も違うかも知れません。うんと苦しめられたかも」

 そこまで考えたことはなかったのか、彼女はびっくりした顔で青ざめた。

 その顔を見て、僕はなんだか得意になった。


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