第17話 好きだから

 そんな事があったので、その日の狩りは終わりにして街に引き返した。


 ガブリンターミネーターさんはガブリン系の仕事を専門に請け負っており、それがない時はだいたいガブリン窟に一人で籠っている。だから、ギルドで出会う事は稀らしい。


 話を聞いた限りじゃ、ゴリゴンさん級の有名人なのだろう。なんにしろ、この街を旅立つまでには、命を救って貰ったお礼をしようねと真白と誓った。


 ガブリンターミネーターさんのお陰で命も助かって、彼の陽気さのお陰で一時は俺達の間の嫌な空気も和んだけど、暫くすると、また死にかけたという事実が鉛の霧のように立ち込めて、俺達の気分を重くした。


 俺も真白もこの気持ちや空気をどうしたらいいのか分からずに、お互いに変な感じだとは理解しつつ、表面上は普段通りに振る舞った。


 二人ともガブリンの血や泥で酷い有様だったので、まずは風呂屋に行った。


 真白と別れて男湯で身体を洗いながら、俺はひたすら考えていた。こんなんじゃ駄目だ。なにもかもが駄目だ。今日の俺はゼロ点だ。でも、どうして? そして、どこで間違った?

 

 昼飯をご馳走した辺りまでは上手くいっていたはずなのだ。鉱石を掘りだしてから変な空気になってしまった。でも、その理由が分からない。どうして真白はあんな風に自分を責めるのだろう? 俺はどうして真白を泣かせてしまったのだろう?


 悔しくて、情けなくて、俺はいつもより急いで身体を洗った。上手く言葉に出来ないけれど、俺達が決定的にすれ違ってしまっている事だけは理解出来た。早くしないと、俺が身体を洗っている間に真白がどこかに行ってしまうような気がして、いてもたってもいられなかった。


 俺と真白が脱衣所から飛び出したのは、ほとんど同時だった。


 余程慌てていたのだろう、着替えた真白は、シャツが裏返しだった。ろくに拭かなかったのか、髪はぐっちょりと濡れて顔に張り付き、あちこち寝ぐせみたいにはねている。そして、スーパーでわがままを言ってお母さんに置き去りにされそうになっている子供みたいな、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


 それで、俺は少しだけホッとした。

 よく分からないけど、真白も同じような気持ちで焦っている事が分かったからだ。


「……一度、ちゃんと話そう。俺は何処にもいかないから。髪、ちゃんと拭いて来いよ」

「……刹那もね。シャツ、裏返しだし、ズボンも後ろ前だし」

「……真白もな」


 風呂屋の客に生暖かい視線を向けられながら、俺達は脱衣所に引っ込んだ。


 †


 一見すれば日本にもありそうな、大きな森林公園みたいな場所。

 ランニングコースの途中にあるような、中途半端な場所で、適当なベンチに腰掛けて、俺達は肩を寄せ合っていた。


 日も暮れかけて、人の気配はほとんどない。

 もう少し暗くなれば、魔法仕掛けの街頭に明りが灯るだろう。


「……ごめんな真白。今日の俺、変だったよな。そのせいで、あんな事になっちゃって……」

「そんな事ないよ! 変だったのは、あたしの方だし……。あたしこそごめん! 無茶して怒られたばっかりなのに、調子に乗って、無理やり二層に連れてっちゃって……。折角刹那が色々やってくれたのに、全部台無しにしちゃって、あたしのせいで危うく死んじゃうところで……」

「ストップ!」


 真白が泣き出しそうな気配を感じて、俺は言った。


「これじゃ、同じ事の繰り返しだ。俺は真白に謝りたいだけで、泣かせたくなんかないんだよ」

「ぐす……あたしだってそうだもん。刹那に謝りたいだけで、謝ってほしくなんかないんだもん」

「でも……」

「ほら! すぐでもって言う! 刹那がなんて言おうが、あたしは刹那に謝ってほしくないの! 謝るような事なんか一つもないのに、謝られたら、嫌だよ!」

「……俺もそうだよ。同じなんだよ。なのに、なんで喧嘩みたいになっちゃうんだろうな……」

「わかんないよ……。でも、苦しいの。一人で頑張ってる刹那見てると、焦っちゃうの。あたしも頑張らないと、刹那に嫌われちゃうって……」

「俺の方から告白したんだぞ! 真白の事、嫌いになるなんてあり得ないから!」

「分かんないじゃん! 初恋は上手くいかないって言うし、この世界には、あたしより綺麗で可愛くて強くておっぱいの大きいお金持ちの女の子だっていっぱいいるし。あたしなんか、幼馴染って事以外になにもないもん。刹那があたしより、そういう子達の方を好きになっちゃってもしょうがないじゃん!」

「はぁ!? そんな事、絶対にないから! 変な事言うと怒るぞ!」


 なにをバカな事を!

 俺は愕然として、同時にハッとした。俺だって、全く同じ事を考えていたのだ。


「……そんな事言ったって、先の事なんかわかんないじゃん。刹那が浮気しなくても、相手の方から誘惑してくるかもしれないし。そうなったらあたし、勝つ自信ないよ……」

「真白……。お前、そんな事考えてたのかよ……」


 もう、ほとんど泣いたような状態で、真白が声を荒げる。


「仕方ないじゃん! 刹那の事、好きなんだもん! ずっと好きで、初めての彼氏なんだもん! 離れたくない、振られたくないんだもん! 刹那の事が気になって、それしか考えられないんだもん! 好かれるようにしたいのに、何も出来ないし、何かやっても上手くいかないし、こんなんじゃ刹那に嫌われちゃうよ!」


 堪らなくなって、俺は真白を抱きしめた。


「ふぁ!? せ、刹那!?」


 ギクリとして、真白の身体が強張る。


「同じだよ。俺も同じだ。本当、びっくりするくらい、同じ事、俺も考えてた。誰かに真白を取られちゃうかもって、嫌われちゃうかもって、だから頑張らなきゃって。料理とか採掘とか急に始めたのも、美味しい物食べさせたり、お金に不自由しなくなれば、真白に嫌われないで済むかもって、そんな風に思ってた」

「嫌わないよ! 嫌うわけないじゃん! あたしはちっちゃい頃からずっと、刹那の事好きだったんだから! ずっとずっと、告白してくれるの待ってたんだから!」

「……それは、初耳なんだが」


 抱擁を解いて、俺は言った。そんな夢みたいな話があるだろうか? そして、それに気づかない程俺は鈍感だったのか? なんてバカな野郎だ!


「……だって、初めて言ったし」


 真っ赤になって、真白は俯く。


 そんな真白を見て、俺は物凄く安心した。卑怯な考えかもしれないが、この様子なら、今しばらくは、真白の心が離れる事はなさそうだと思ったのだ。

 安心したら、急に目が覚めたように、いろんな事を考える余裕が出てきた。


「俺、勝手だったよ。真白の事が好きだから、とにかく俺が頑張って、なんでもかんでもどうにかしようと思っちゃって。真白の気持ちなんか全然考えてなかった。真白が俺の事好きでいてくれるんなら、そんな風にされるの、嫌だよな」

「そんな事!」


 咄嗟に否定しかけて、真白は困った顔で次の言葉を探した。


「……ないわけじゃないけど……。刹那が色々してくれて、それはすごく嬉しかったよ? ご飯作ってくれたのとか、本当にもう、最高って思ったし……。でも、それだけじゃ嫌なの。刹那は優しいから、あたしを庇ったり、手伝わなくていいって言ってくれてるんだと思うけど……。あたしにはそれが、足手まといだって言われてるみたいに聞こえちゃうの……。あたしも、刹那と一緒に頑張りたいの……」

「そうだよな。俺が真白でもそう思うよ。だから、やっぱり俺が――」


 真白の顔が怖くなるのを見て、俺は言い直した。


「俺達、どっちも悪かったんだ。お互いに好きすぎて、頑張り過ぎちゃったんだろうな。俺も真白も、付き合うの初めてだし。付き合ってまだ一ヵ月も経ってないし。それでいきなり同棲みたいな事しちゃってるし。そりゃ、おかしくもなっちゃうよな」


 それを聞いて、真白は呆けたような顔をした。


「……そっか。あたし達まだ、付き合って一ヵ月経ってないんだ……」

「そうだよ。俺達、付き合いは長いけどさ、恋人としては、駆け出しの初心者だから。こんな風に、すれ違ったり、間違っちゃう事、あるんだと思う。これからもいっぱいさ」

「……どうしたら、そうならないで済むのかな?」


 不安そうに真白が尋ねる。


「……わかんないよ。多分、そんなの無理なんじゃないかな」

「でも、やだよ……。あたし、刹那と喧嘩したくない。嫌な感じになったりしたくないよ……」

「俺もだよ。でも、なっちゃうんだよきっと。好きだから、余計になっちゃうんだと思う」

「……刹那は平気なの?」


 そんな風に見えたのだろう。不安そうに真白が聞く。


「平気じゃなかったけど、平気になった。真白が俺と同じくらい俺の事好きなんだって分かったから。喧嘩しても、嫌な感じになっても、真白は俺の事好きなんだって思えば、平気だよ」

「……それ、なんかズルくない?」

「ズルくないよ。俺も真白の事が好きだもん。それに、俺は真白の好きに甘える気はないから。真白が俺の事を嫌いにならなくたって、俺は真白に手料理を作りたいし、良い思いをさせて喜ばせたい。好きだから、やっぱり、あれもこれもしてやりたいよ」

「……それ、もっとズルいよ!」


 真っ赤になって、真白が頬を膨らませる。


「あぁ。だから、ごめんな。ズルい彼氏で」

「うぅうううう! 一人だけスッキリした顔してる! あたし一人でもやもやしてて、バカみたいじゃん! ズルいズルいズルいズルい!」


 駄々っ子みたいに真白が足をバタつかせる。

 実際俺はスッキリしていた。不安になる余地がないくらい、真白が俺に好きを伝えてくれたから。俺も、そうできたらいいんだが。


「どうしたらいい? どうしたら俺は、真白の事を安心させられる?」


 率直に、俺は尋ねた。

 もう十分、俺は自分の意見を真白に押し付けたから。

 真白がどうして欲しいかなんか考えずに、自分のやりたい事を押し付けた。それで上手くいく事もあるだろうけど、それだけじゃ駄目なんだ。


「……もう一回ギュッとして」


 俯いて、恥ずかしそうに真白は言った。


「何度でもするよ」


 俺は真白を抱きしめた。小さいけど、確かにある柔からな膨らみの向こうで、真白の心臓がバクンバクンと暴れているのを俺は感じた。


 俺の心臓も同じくらいかそれ以上に暴れていて、真白もきっとその事を感じているだろう。

 しばらく無言で抱き合って、不意に真白は言った。


「好き」

「俺も好きだよ」

「じゃあキスして」


 目を閉じる真白にドキッとして、全身が硬くなる。

 ……それは、急すぎないか?

 いや、確かにそういう流れだったけど。


 勿論俺はやぶさかじゃない。付き合って一ヵ月でキスというのは少し早いような気もするけど、毎日一緒に同じベッドで寝ている事を考えれば、今更の話だろう。ていうか、ムラムラするから考えないようにしていたけど、普通にめっちゃしたいと思っていたわけだし。


 だからまぁ、するよ?

 する事に異論はない。

 まったく、全然。


 真白が安心する為に必要だというのなら猶更だ。

 可愛い彼女を安心させるのは、出来る彼氏の義務である。


 でも、どうやって?

 そして、どこまで?


 黒木刹那、十六歳、当然童貞。

 キスなんか、今まで一度だってした事がない。


 知識ではもちろん知っている。

 キスには二種類あって、大人のキスと子供のキスだ。


 大人のキスはなんか舌を入れ合うと聞いている。

 でも、よくよく考えると詳しくは知らない。


 子供のキスは、唇が触れ合うだけ……なのか?

 こちらもよくよく考えると詳しくは知らない。


 この場合、俺はどっちのキスをすればいいんだ?

 大人か? 子供か?


 普通に考えれば大人のキスなのだろうが、恋愛において普通なんてものは当てにならない。普通なんてのは所詮はイメージで、実情を表してはいないのだ。


 ロマンチックな雰囲気だからこそ、いきなり舌なんか入れたらガッカリされそうな気がする。大体閉じてる唇にどうやって舌を入れろって言うんだ? 入れた後の舌はどうすりゃいいんだ? 保健体育の授業でそういうの教えるべきなんじゃないのか!?


 こうしている間にも貴重な時間が過ぎていく。気分はまさにQTEクイックタイムイベントだ。俺はあのシステムが嫌いだ! ゆっくりムービーに浸らせてくれ! ていうか選択肢があるなら時間を止めてゆっくり考えさせてくれ!


 大人のキスでないのなら子供のキスだけど、これだってどうすればいいのか分からない。目は閉じると聞いていたが、いつ閉じるんだ? 閉じたままじゃ、狙いをつけられそうにないんだが……。でも、ギリギリまで目を開けてるのは変な感じがするし。真白は目を閉じてるから、気にする必要はないのか?


 唇は、どれくらい押し付けたらいいのだろうか。ぎゅっと押し付けるのはおかしいだろうし、ちょんと触れ合うだけじゃビビってるみたいだ。ていうか、普通にやると鼻が邪魔じゃないか? くそ! こんな事なら接吻スキルを取っておくんだった! いや、そんなスキルはないだろうが……いや、そうとも限らないか?


 余計な事を考えるな! もうかなり不自然に時間が経ってしまった!

 とにかく、やるしかない!


 焦りまくって蛸みたいな口で突撃しようとする俺。

 気が付くと、真白は薄目を開いて、面白がるようにニヤニヤしていた。


「…………ちゅー」

「だーめ。時間切れです」


 蛸チューになった俺の頬を、真白が挟んで押し返す。


「一週間待ってください! 本当のキスをお見せしますよ!」

「ふ~ん。じゃあ、一週間後にもう一回ね?」

「いや、あの、その……」


 冗談で誤魔化そう思ったらそんな事を言われて、俺は焦る。いや、したいんだよ? ものすごくしたいよ? でも、やり方が分からないし、心の準備も必要というか……。


「冗談だよ」


 俺の唇に、真白の人差し指が触れた。


「さっきのギュッで、刹那の気持ちは伝わったから」


 ニッコリ笑って立ち上がる。


「帰ろっか。お腹空いちゃったし、疲れちゃった。沢山食べて早く寝て、明日からまた頑張らないと!」

「う、うん」


 差し出された手を掴んで、手を繋いで冒険者ギルドへと歩き出す。


 キス出来なかったのは残念だけど……。

 とは、正直そんなに思わなかった。


 こうして二人より添って、手を繋いで歩いているだけで、俺は十分幸せで、満ち足りた気分になれるのだった。

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