第9話「諦める理由を数えるな。諦めない理由だけを数えろ」


 ◇ ◇ ◇


 俺の前で、扉が閉まっている。

 扉は宿屋のおっさんの弟の家。その客室のモノだ。

「フレンダ、フレンダぁっ。ライダーさんが来たわよ」

 弟の嫁さんであるおばさんが、扉を叩いて声をかける。

 だが返答は帰って来ない……居留守だな。

「ごめんなさいね。あの子、疲れてるみたい」

「良いって。暫く待ってる」

 でも……と続けるおばさんに、おっさんの弟が肩に手を置いて家から連れ出した。

 俺は一度息を吐いて、もう一度扉を叩く。

「……誰ですか」

「俺だ。ライダーさんだよ。お喋りに来た。入れてくれ」

「……ちょっと、一人にして下さい」

「泣きたいからか?」

「分かってる、ならっ。一人にして……下さいっ!」

 彼女の悲鳴にも似た懇願が、扉越しに俺の眉間を貫く。

「自由な貴方には、分かりませんっ。好き勝手生きて……っ! 人の家を壊しても、笑ってる貴方にっ!」

「……」

「何とか言ったら、どうですか……」

「流石に心苦しいぜ。泣いちゃうかも」

「……泣きたいのは、私…ですっ」

 彼女のすすり泣きが、扉から漏れ出す。

 鼻をすする声。喉から漏れる嗚咽。

 胸の痛みが耐えきれなくて、流れる涙の音だ。

 女の子の涙は居心地が悪い。俺は扉を背にして座り込んだ。

 ちょっとだけ、落ち込んできた。

 幾時経っただろう。何度も続くフレンダちゃんの俺への罵倒。

 反対に、遠くからは宴会の楽しげな声が聞こえる。

「……何で」

「ん?」

「何でっ後半年……いえ、一ヶ月でもっ早く。来て……くれなかったの?」

 フレンダちゃんの呟きは、酷く弱々しい。

 だが良い子のフリよりもよっぽど、熱が篭もっていた。

「分かってます、理不尽だって。ごめんなさい……私、卑怯だからっ、貴方がもっと速く来てくれたら……学校に行けたのに。って思っちゃうんです」

「行けば良いじゃねぇか」

「無理ですよ……入学まで、間に合いません」

 村から学府までラクダ馬車で二週間と言った所か。

 それは腕利きの商人やライダーの話だ。一般人を連れたら一ヶ月はかかる。

「間に合うなら、行くのか?」

「言ったじゃないですかっ……家にお金なんて、ないんです」

 学府に入学する金は高い。

 だがそれ以上に通い続ける維持費の高さは常軌を逸している。

 何せ数年間は何も生み出さない新米に、優秀な教育者と教育場所を与えるわ。

 飯食わせるわ、クソさせて寝床もやらないといけないからだ。

 おっさんは勿論、貯めてたんだろうが……。

 盗賊団から巻き上げられた金を考えると、宿屋を続けても難しいだろうな。

「金があったら、学府に行きたいのか? 絵の勉強したいんだろ?」

「……」

「どうなんだよ」

「……無理ですよ。私、才能無いですから」

「あん……?」

「都市部に……学府に行った時、見たんです。他の受験生の作品……私にはあんな発想無かったって、絵ばっかりだった」

「……」

「私が合格出来たのは……繰り越し入学だったんです」

「そっか」

「でも、でもっ、良いんです……夢も見れて、この村もアイツらが居なくなったから……静かに暮らせます」

 成程ね……。

「貴方との約束は、明日からに……して下さい」

「……」

 俺は立ち上がって、玄関から外に出る。

 外では弟夫婦が抱き合って、耳を傍立たせてやがった。

「おい、二つ、売って欲しいもんがある」


 ◇ ◇ ◇


 フレンダちゃんが布団に潜って、もぞもぞ動いている。

 遠くで聞こえる宴会の楽しげな声に背を向けて、部屋は静寂に包まれてた。

 体が弱くて、砂で覆われた大陸では外に出られないのだろう。

 部屋から漏れる音は……身じろぎする衣擦れ。

 そして喉から漏れる、嗚咽混じりの苦痛の声だけだった。

 だがそこに第三の音が叩き込まれる。

「オラァアンッ!」

 ガッシャァアン! 

 本日三度目の、硝子が砕けて散らばる音が部屋に転がる。

 更には投げ込まれた椅子は、ぶっ壊れてバラバラに砕けたっ!

「きゃぁっ!?」

 涙で湿気濡れだった部屋に、砂漠の冷たく乾いた空気が吹き込む。

 カーテンが風で揺れて、俺は邪魔になると乱暴に引き千切った。

「よう、可愛い娘ちゃん」

 弟夫婦の協力で、椅子を室内に投げ入れると部屋に押し入る。

 部屋に踏み込むと、新雪を踏んだ心地良い感触と音がした。

 窓硝子が更に細かく砕ける音だ。

「ぇ……え、あの……」

「顔を合わせて喋らねぇとな。やっぱ」

 俺は一歩一歩、呆然とする彼女へ距離を詰める。

 フレンダちゃんが壁際のベットの上で、布団を頭に被って目を見開いている。

「もう、逃がさねぇぞ」

 ベットに片膝を付くと、フレンダちゃんの背後の壁に右手を付く。

 呆然と見上げる彼女の瞳を覗き込む。

 窓から漏れる月光が、彼女の青灰色の瞳を美しく彩った。

「約束は野盗を倒したら、だろうが」

「でも……」

「でもも、カカシもねぇっ!! 質問に答えろ!!」

 俺は布団を無理矢理剥がすと、そのまま華奢な肩を掴む。

 時間も場所も誰も関係無い。

 この女はもう、俺のモンだ。

「俺はやりてぇのか、やりたくねぇのか聞いてんだぜ」

「だから……っ!私には才能が無いんですっ!」

「……才能が無ぇのが、やらない理由になるかよ」

 フレンダの指が、俺を押し退けようと絡む。

 だが幾ら押し退けられようと、もう退く気は無い。

「才能なんて、自分で磨いて背負ってくモノだろうがっ!」

「そんなのっ、貴方みたいな才能がある人だけがっ言える事じゃ……」

「じゃ、ねぇっ!! 俺だって唯の凡人だっ!!」

「……っ!!」

 ぷつんっ。脳天の奥にある何かがキレた。

 フレンダが俺の地雷を踏み抜いて、爆発させやがった!!

「毎日他の奴よりも怪獣に乗って……真夜中まで、配達を続けただけだ」

「……」

「なのにサボって酒を飲んで、女抱いてる奴に限って。こう言いやがる」

 『お前みたいに、才能があったらなぁ……』

 沸々と、脳天まで血が上り詰めるのを感じる。

 瞳の奥まで、真っ赤に染まる錯覚がした。

「ふざけんなぁっ!! 才能が無ぇならもっとやらねぇで、どうすんだぁ!!」

 フレンダの寝間着。襟を掴んで立たせる。

 息がかかる程の零距離で、その青灰色の瞳を睨み付けた。

 その瞳の中で、俺の金瞳が燃える様に揺らぐ。

「望んで入った道で、才能を理由にする奴が嫌いだ」

 俺の手を掴んだ、彼女の手を握り返す。

 タコだらけの指だった。タコが潰れるまで酷使した指先だ。筆タコだ。

 見れば肘にも腱鞘炎ができている。

「俺が認めた奴が、腑抜けた事を言うと殺したくなる」

 ギリギリと、何かが潰れる音がする。

 俺の歯軋りだった。

 唇から血が漏れるが、気にもならない。

「好きな事で熱くなって馬鹿じゃねぇかって言われる度に、腹が煮えくりかえんだ」

 フレンダの瞳を、真っ直ぐに睨む。

 女の匂いよりも強い。インクの匂いが染みた香りがする。

 毎日、毎日。そればっかり考えてきた匂いだ。

「好きな事に本気にもなれねぇで、違う何かならなれると思ってる。腐ったメスガキみてぇな奴らだ」

「そんなの……私の知った事じゃ、無い……」

「もうお前は、俺のだろっ!!」

「……~~だからっ」

「だから命令だ」

 顔を俯かせてるフレンダの頬に手をやって、無理矢理上を向かせた。

「諦める理由を数えんな……諦めない理由だけを数えろ」

 月光が雲で遮られて、部屋がインクで濡れた様に黒く染め上がった。

「世界の何処へでも運んでやる。金もやるよ……絵を描く理由もだ」

「私……」

「後は何が要る? 何個あれば良い?」

「私は……」

「言えよ描きたいなら言え。ほら、言えよ!! 欲しいもん、幾らでも言え!!」

「私はっ……私の絵が好きな人にっ、沢山の人に見て欲しいだけなんですっ!」

 フレンダを抱きしめる。

 華奢に見える女の体が酷く熱かった……俺には熱すぎる位に。

「世界中を見て来た俺が、認めてやる」

 カーテンに映った影は二つから一つになる。

 俺は呟いた。混じりっけ無しの本心を。

「お前の世界はどんな秘境にも劣らない。輝いていた」

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