第2話 売られてきた少女

「ねえ、おじちゃん。そこから海は見える?」

 痩せた牛が引く荷車の上で、サクは振動に合わせて身体を揺らしながら男に話しかけた。

「海は見えねぇなぁ。でも、遠くないし、誰かが連れて行ってくれるさぁ」

 男は中年というより老人に近く、あまり日射しを遮るのに役に立っていない目の荒い麦わら帽子を被っている。

「ふーん。海、見てみたかったなぁ」

 琉球にいながら、農村育ちのサクは、海をまだ見たことがなかった。

 両親から引き離されたばかりのサクの顔には、涙の乾いた跡が残っている。

「これから、いくらでも見れるさぁ」

 男は素っ気なく応えたが、本当は涙を堪えていた。

 荷物を牛に引かせて届けるのが男の仕事だ。その荷物には、辻村に売られた子供も含まれている。ずいぶん長くやっているが、慣れる事はない。それどころか、年々涙もろくなってきた。

 どの子供もそうだ。泣くだけ泣くと前を向く。生きる為に自分で立ち上がる。

 幼いながらに、自分が家にいたら家族の生活が成り立たない事を、ちゃんと理解しているのだ。

 牛は、道端に草が生えていると脚を止めて食む。こうなると押しても引いても牛は動かないので、男はボンヤリと草が無くなるのを待つ。

 サクは、牛がムシャムシャと口を動かしているのを無邪気に見ていた。

 男は、そんなサクの姿に涙を浮かべる。

「辻村に行けば、ご飯だけはたんと食べれるさぁ」

 そう語りかけると、サクは嬉しそうに笑った。


 日が傾きかけた頃、サクを乗せた荷車は辻村に着いた。

 昼間の辻村を通る度に、男は見ない方か良いものを見た気持ちになる。それは、芝居の舞台裏を見てしまった時の気持ちに近いのかもしれない。

 それほど高くない土塀が入り組んだ道を挟み、迷路の様に続いている。そこには多くの子供がいた。小さな子供が、もっと小さな子供をおぶって、掃除をしたり、物を運んだりしている。それに飽きると、少しさぼって遊んだりもする。

 辻村には、子供の多少のさぼりを怒る大人はいない。日が沈み、村が動きだすと、子供たちは遊廓の奥深くで息をひそめなければならないからだろう。まるで、存在すらしないかのように気配を消すのだ。

 色と欲の渦巻く遊廓に、幼い子供ほど興の醒るものはない。

 だが、今の時間、子供は元気に走り回っている。今も、サクが乗った荷車の後を、ぞろぞろと列を作って付いてきた。

「新入りだ。どこの店かしら?」 

「ボロボロの服だよ。シラミがいるかな」

「オギャー! オギャー!」

 しばらく珍しそうにサクの顔を眺めているが、飽きて仕事に戻って行く。すると、すぐに別の子供が列に加わる。

 子供が売られて来るのは、この村にとって日常なのだ。

 サクは、居心地の悪さを感じながら、荷車の上から子供たちを見ていた。

 やがて牛は、一軒の店の前で止まる。子供たちは行進が終わったのを知り、蜘蛛の子の様に散った。

 男がサクを抱えて荷車から降ろしていると、長い髪をほどいた美しい女が出て来た。着物の胸元が開き、大きな谷間が覗いている。

「早かったねぇ、おじい」

 女は眠そうな目をしていた。本当に眠いのか、それとも元々そういう目をしているのか、サクにはわからない。

「子供は最初に届けるさぁ」

「もう行くの? お茶でも飲んで行ったら」

「いや、仕事が溜まってるから」

「つれないねえ。タマにはウチで遊んで行きなよ」

「もう年だ。金も無ければ、タネもない」

「年は私と変わんないだろ。それに私が相手だし、金なんていらないよ」

「からかわんでくれよ」

 男がわざと女と目を合わせないようにしている事は、幼いサクでもわかった。代わりに、優しい目でサクを見た。

「じゃあ元気でな。時々通るから、たまには顔を見せておくれ」

 そして、乾いた鼻水で塞がりかけたサクの鼻の穴を小指でほじった。

 女はサクの事など関心が無いようで、男の後ろ姿を見送り続ける。

 立ちっぱなしのサクが疲れてしゃがみこんだ時、建物から背の高い中年の女が出てきた。

「アンマー、早いとこ朝ごはん終わらせてくれよ。片付かないだろ」

 そして、サクがいる事に気付いた。

「おや、お嬢ちゃんがサクだね。涙と鼻水でヒドイ顔だよ。顔を洗って一緒に朝ごはんを食べるといいさぁ」

 サクは、別れる前に母親に言われた通りに頭を下げる。

「サクです。五歳です。よろしくお願いします」

「しっかりした子だ。カイと同じ年だね。ほら、カイ。いつでも隠れてないで、サクちゃんに挨拶しな」

 背の高い女の後から、小さな男の子が恥ずかしそうに顔を出した。

「……おはよう、カイだよ」

 不思議に思ったサクが尋ねた。

「もう、お昼だよ」

 背の高い女は笑った。

「アッハッハッ、サクちゃんの家は農家だったね。日が昇ったら起きて、日が沈んだら寝てたわけだ。でもね、ここでは逆なんだ。日が昇る頃に寝て、日が傾きかけると起きるのさ。だから、今から朝ごはんなんだよ。さあ、一緒に井戸で顔と手を洗っておいで」

 カイはサクの手を握ると、建物に向かって走り出した。

「井戸はこっちだよ」

 サクは、カイの手が温かくて嬉しくなった。

 子供たちが井戸に向かって走り去るのを見送ると、背の高い女は呆れ顔でアンマーに言った。

「そんな未練たらしい顔でいくら見ても、おじいは戻って来ないさぁ」

 アンマーは大きなタメ息をつく。

「切ないわぁ、片想いって……」

「悪いけど、ただの老人じゃない?」

「失礼ね。私と同世代よ」

「アンマーは異常だよ。見てくれだけじゃなくて、気持ちも若いし。夜な夜な若い男の精をすすっているからね」

「人を妖怪みたいに言わないで。そう言うアナタこそ、昨夜は随分よかったみたいじゃない。肌がツヤツヤよ」

「久しぶりに付いた客だし、そりゃあ張り切るさぁ」

「あの人でしょう。薩摩のお侍さん」

「私みたいなオバちゃんを買ってくれる酔狂な男なんて、あの人だけよ」

 おじいは角を曲がり、見えなくなった。アンマーは悲しそうに言った。

「という事にしてあげるわ。ジュリだって……一人の女だから……」

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