赤き龍の伝説

@neko-no-ana

第1話 プロローグ

 沖縄には二十日正月(ハチカソーグヮチ)という正月の祝い納めをする伝統行事がある。その日は、那覇市辻町一帯で『ジュリ馬行列祭り』を現在も見ることができる。

 『ジュリ』とは沖縄の言葉で遊女のこと。辻(チージ)は琉球を代表する遊郭だった。

 この祭りは、かつて那覇三大祭とも呼ばれていたが、公娼制度を認めるものとして女性団体の強い反対があり、1988年に一度途絶た。しかし、伝統の継承を望む地域の人々に支えられて2000年に復活、今日に至っている。

 ジュリ役の女性たちが華やかに着飾り、馬の頭の飾り物を付けて、「ユイユイ」と威勢よく声をあげながら道路を練り歩く。三線やドラに合わせての踊りは、公娼制度云々とネガティブに捉えるのではなく、次の世代へと繋ぐべき重要な文化と捉えるべきだろう。


 琉球王朝の時代、薩摩藩侵攻により重税が課せられた民衆は貧しく、ジュリは家の事情で親に売られた娘が多かったという。

 借金を返済しないと遊廓は出られない。だが、借金を返しても、汚れた存在とされたジュリに戻る場所はなかった。

 そんな、自由に外へ出る事すら許されなかったジュリにとって、祭りの日だけが外にいる家族に自分の元気な姿を見せる事のできる唯一の日だった。

 ジュリ達が馬舞者になって町を練り歩く時、 華やかに着飾った娘の姿に涙を流す親の姿が至る所で見られたという。


 ジュリを単なる売春婦と切り捨てるべきではない。

 彼女達は、客をもてなす為に料理や唄、三線、琴、踊りなどの芸事に磨きをかけ、言葉や立ち居振る舞いから、衣装、髪型といった生活様式まで、独自の文化を創り上げていった。

 義理、人情、報恩を礎としたその文化は、琉球という国が置かれた風土や政治的な立場から、弱い者や貧しい者が生き延びる為に培われたものなだ。

 その文化も、1944年の沖縄大空襲により、壊滅的に失われてしまう。

 その失われた文化の一つに『辻村ヌンチャク』があった。


 辻村は、女性のみで構成された独自の社会を形成していた。当然ながら、自衛も自分達で行う必要がある。

 遊廓は匿名性の高い非日常的空間である。身分を越えて誰でも自由に出入りできる場所だ。結果、アウトローも多く流れ込んで来る。

 女性ばかりで金もそれなりに有るとなれば、賊に狙われるのは必然だった。自ずとガードマン的な役回りの者が現れる。多くは、盛りが過ぎて客が付かなくなったジュリだったという。

 自分の店、そして義理の繋がりではあるが家族を守る為に、彼女達は様々な試行錯誤を繰り返して闘う技術を磨いた。それは、辻村350年に渡る歴史の中で磨き続けられたのだろう。

 女性の非力を補い、遊廓の屋敷内という狭い場所で効果を発揮するその技を、彼女達は『辻村ヌンチャク』と名付けた。

 そして、その辻村ヌンチャクで賊を打ち払うジュリを、家族は尊敬を込めて『ヤーヌカミー(ウチの守り神)』と呼んだ。

 これは、歴史に翻弄されながらも、愛する者の為に辻村ヌンチャクで闘った、ある少女の物語……。


※これより先、沖縄の正確な方言や歴史より、物語の世界観を重視しています。

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