第11話 出会いと進展2

 七年前・・・・・・、僕は医者になった、いやなれたと言ったほうが正しいだろう。医者の世界にも世襲ってものが存在する。医者の子は医者になる確率が高い。もちろん、なかには親が医者だから逆になりたくないと考える子も一定数いるが、医者でない親から医者になろうという子はもっと少数派だ。だから、親が医者でないのに医者になった子には、なりたいという動機が明確にある。それは、幼いころに自分が病気になったとか、身近な親族の死を間近で見たとか、あるいは、人助けを生業とする職に憧れたとか、そういうわかりやすい理由だ。もちろんそれは、看護師や保健師、社会福祉士なんかにも言えることだ。僕が医者になろうと思った動機は、ある人との勝手な約束だった(と僕は思っている)。

 

 父親は獣医だったが、それほど手広くやっているわけではなかった。犬猫などの愛玩動物の診療のほうが儲(もう)かるのに、父はいまどき流行らない“乳牛”を専門にしていた。いわゆる大動物を得意とする往診専門の獣医だ。実家は埼玉の田舎だったが、酪農を営んでいる農家はどんどん減り、それにともなって診療需要も減っていった。父は、「大きい動物が好きだったから獣医になった」と言うが、でもだからかもしれない、ときおりお金の心配をしていた。本家から譲り受けたわずかばかりの土地を均(なら)し、そこにアパートを建てて、計画的に不労所得を得ていた。

 中学時代、突拍子もなく言い出した僕の「できれば医学部に行きたい」という願望に対して、父は少しばかりの驚きを見せたが、大きく動じることもなく、「そうか、やっぱり医療というものに興味が湧いたのか」と、しみじみした表情で感想を述べた。僕は、「まあ、そういうこと」と適当な相づちを打ったところ、父は本当の理由を知らずに「獣医よりいいかもしれないが、でもそういうことならできるだけ勉強はしておけ」とだけ忠告し、こつこつ貯蓄を繰り返してくれた。


 時代は大きくさかのぼる。

 僕が、埼玉の実家近くにある嵐川(あらしがわ)町立小学校に通う五年生のときだ。当時はそれほど目立つというわけではなかったけれど、クラスメイトの女の子の一人がとても気になっていた。

 名前は大原(おおはら)君歌(きみか)。華奢な体をくねらせるような仕草と、子供とは思えないような切れ長の目つきに黒目がち、発育が他の生徒より速いわりには、ちょっと高い声。軽くくせのある髪の毛を長めにセットし、原色系の服を着ていることが多かった。この歳で、もうすでに色気というか、もっと言うと、妖艶さを身にまとったような子だった。シャイな僕が仲良くなれるはずもなく、話しかけることすらためらわれた。だから、遠くから眺めるしかなかった。

 小学校最終学年を迎えた直後だった。席替えが行われて、偶然僕は、その子の隣の席になった。当時の学校は男女がペアになって座るというものだったから、もっとも身近なところで彼女の吐息を感じることになった。

 

 きっかけは“バナナ”だった。給食で出されたそのバナナは、彼女にとってあまり好ましい食材ではなかったのかもしれない。あるいは少し黒ずんでいたのか、怪訝そうに眺めていたので、僕は、「どうしたの?」と尋ねた。彼女からは、「あんまりおいしそうじゃないから・・・」のような返事を聞かされたと思う。

「ん、ちょっと色が悪いね。僕のと交換してあげる」と言って、すばやく取り替えたのだ。

「ありがとう・・・」

 その後、交換したそのバナナをおいしそうにたいらげたのか、普通に食べたのか、あるいは、やっぱり「バナナはあまり好きじゃないから」と言って残したのか、その記憶はもうない。

 それがきっかけだったかどうかは定かでないが、そこから少しずつ声をかけてもらえるようになった。

「小竹はさぁ、好きなのなに?」

 唇をちょっと尖らせるような仕草をしながら、彼女はそんな質問をしてきた。

「えっ 好きなのっていうのは?」

「好きなものよ」

「好きなモノ?? 焼きそば・・・とか」

「違うよ! 好きな芸能人とか、歌とか漫画とかアニメとか、そういうのある?」

「ああ、アニメは好きだよ」

「たとえばどんなの?」

「『エヴァンゲリオン』とか、最近見たのは『学園黙示録』かな」

「君歌ちゃんは?」

「ア、アタシは音楽を聴くことね」

「ああそう、どんな歌手が好きなの?」

「“斉藤和義”とか“ミスチル”かな」

「大人っぽいね、でもミスチルなら僕も聴くよ。この間、マサシからCD借りたんだ」

 打ち解けるに従い、僕らはずいぶん仲良くなった。授業中くっちゃべっていたら、あまりにうるさいということで二人して注意を受けて、教室の後ろに並んで立たされた。ちょっと前までは、まだまだそんな罰があったし、さらに言うと、立たされたというのにその最中にもまだしゃべり続けてしまい、最後には机の距離も離されてしまった。

 僕にとっては気さくで、面白い子だった。小学校の想い出のなかにおいて、唯一この時期だけは、内気な僕でも周囲と社交的に振る舞えたような気がする。が、その一方で、通知表に「授業中、クラスメイトとふざけていることが多く、不真面目です」と書かれて、両親に叱られた。

 

 運動神経が良かった点も、僕にとっては好ましかった。しなやか体付きは、見たことのないカモシカだとかフラミンゴだとかの喩えよりも、たおやかにシナる一本の細いシノのようだった。特に器械体操がうまく、かけっこや走り高飛びなんかも得意だった。実は僕も、球技に関してはてんでダメだったけれど、脚だけはちょっと速く――それも、小学生のときだけだったが――、男女の部において、二人そろって“クラス対抗リレー”のアンカーを務めたことがあった。僕は、彼女の走りを感嘆と狂喜とをもって応援した。結果なんてことよりも、「一緒にがんばろうね」と声をかけられて、鉢巻きを締め直してもらったことが強烈な印象として頭のなかに焼き付いている。

 

 勉強に関しては・・・、それはまあ正直言って、それほどではなかった。僕のほうがぜんぜんできたので、それにあやかりたいと考えた彼女から、「おまじないよ」ということで、テストのときにエンピツを貸してくれるよう頼まれた。「小竹は、あたまいいからいいよね」と言われたことがきっかけで、僕は解答を見せたいがために、それ以降の小・中学校の勉強を頑張れたという側面もあった。それにしたがい、“アタシもちょっとはがんばろう”みたいなことを言いながら、彼女の成績も少しずつ伸びていった。要領だけは良かったのかもしれない。「やればデキる子」というのは子どもを鼓舞する大人の常套句だけれど、当時の僕は、彼女に勉強を教えることくらいしか優るものがなくて、でもそうすることがこのうえなく幸せで、それはそれは楽しいひとときだった。

 

 なんかちょっと冷たく近寄りがたいオーラがあって、必ずしも人気があったというわけではなかったけれど、(僕にとっては)けっこう気の合う・・・、もう一度言うけれど、(僕にとっては)とても感じのいい、素敵な女の子だった。

 ただ、ちょっと小耳に挟んだ噂では、彼女は母子家庭で、母親の仕事はスナックというかパブというか、そういうところに勤めていた。

 それから、先にも言ったように彼女の音楽好きの幅は広く、「お気に入りの曲はこれよ」と言ってときどきCDを貸してくれたが、それらはすべて、後で知ったことだが店にあるものだった。でも僕は、当時、よくわからないながらもそれらを食い(聴き)入るように聴いた。大人っぽい楽曲、ときにムードのあるようなリズムが好きだったのは、そういう店で使用しているCDだったからかもしれない。

 もしかしたら家庭では何かあったかもしれないが、当時の自分からしてみれば、そんなものはまったく関係なかった。生意気なことを言うけれど、僕のなかでの“好きな子ランキング”では、ベスト3にランクインされていた。

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