第9話

 それから間もなくしてだが、僕らははじめて食事を兼ねて飲みに行く約束を交わした。

 あのときそのままコンビニで日にちと時間と場所とを決めてもよかったのだが、あまりに突然の申し出だったので、僕のほうが動揺してしまった。結局、「あとで連絡するから、とりあえずラインだけ教えといて」ということで、その場はそれですませた。正直、まずはそれで精一杯だった。

 それにしても彼女は、どんなところで何を食べたいのだろうか。僕は昔から、女性に対する店の選択が下手だった。気取ったところを予約したのに「堅苦しいからラフなところでよかった」と言われたり、居酒屋でいいかってことにしたら「もうちょい気の利いたところに連れて行くものよ」とたしなめられたり、女性の好みを察するのが苦手なのだ。

 が、今回に関しては、誘った、いや誘われたのだからそれほど気を遣う必要もない。でもだからといって、適当というわけにもいかない。できれば彼女が好ましいと思う場所に連れていってあげたい。

 そんなことをあれこれ考えているうちに、そうか、上品だけど気さくに飲める『季さく』にしようと思い立った。病院から一駅離れた場所にある、文字通り『季さく』という名前の創作料理店だ。常連さんしか来ない隠れ家的な店だが、そのわりには気取っていない。以前に一度、「私のお気に入りの店よ」ということで、センスのいい先輩の女医さんに連れいってもらったことがある。だから、女性も入りやすい。

 <食事、十一日(金)、場所は隣の街にある『季さく』ですが、知らないと思いますので午後六時、病院駐車場内の桜の木の下あたりでお待ちしています>という丁寧なラインを入れたところ、直後に“既読”。<はいよ☺>の文字とともに“りょっす”のスタンプが貼られていた。

 やっぱ、僕のことバカにしてんな、コイツは。


「こんなところにこんなコジャレた小料理屋があったんですねぇ」と、一歩なかに入って、ぐるっと店内を一周見た時点で愛里はすぐに反応した。第一印象、まずは良し。平日とはいえ夕方のこの時間はカウンター席しか空いていなかったという僕の予約に対する応答は、「どっちでも」だった。

 まずはお互いビール。

「やっと連れてきてもらった飲み会に、かんぱーい!」

 まあまあその理由でもいいだろう。

 彼女は自身の生い立ちについていろいろ話しをしてくれた。父親の事故のことにはあえて触れないようにしたが、でもやはり、病人やケガ人の役に立ちたい、資格のある仕事に就きたいという考えから自然と看護師を目指すようになったこと。母親の家計を助けているが、今年ようやく高校に入った弟が一人いて、まだまだ手がかかること。趣味は登山で、幼いころから父親に連れられて関東の山々を登っていた、なんと言っても富士山が楽しくて、中学で二回、高校で一回登ったこと。お酒は好きだが、最近は仕事が忙しいのとダイエットを考えて、ビールに関してはちょっと控えていること。

「久しぶりだから」というセリフを何回か漏らしながら、今日に関してはまったく躊躇することなく、立て続けに二杯の生ビールを飲んだ。その後も口当たりの良さそうな酎ハイをその都度注文し、すでにそれも二、三杯は飲んでいる。僕はというとビールは一杯に留め、ハイボールをチビチビやりながら、とにかく屈託なくしゃべり続ける彼女の聞き役に回っていた。料理は、予約の時点で大将のお任せプラン的なものにした。確か四〇〇〇円だった。僕は味音痴だったけれど、先付けのズワイガニと海鮮ブイヤベースのスープに続いて、季節の前菜盛り合わせ、それから造りはカツオ藁(わら)焼きとカレイ、松茸とハモのフライなんかが出てきて、どれもとてもおいしかった。

 

 愛里はだいぶ酔ってきたようで、だんだんしどろもどろの口調になり、とりとめもない話題になってきた。だがまあこういうのも悪くない。だんだん僕も楽しくなってきた。言ってはなんだが、いまの僕と彼女との世代における五つ六つの年の差というのはけっこう大きいと感じていたから、まるで姪っ子でもあやすような気分だった。

 メインの仔羊の炭火焼きのようなものが出されたときに、「実はねぇ、今日のこの食事のきっかけになった、あのコンビニでのライン交換の日ね・・・・・・」というようなことを、急に言い出した。

 ああ、僕がうどんを買った日だ。それがどうかしたのだろうか。

「ワタシは売店に入ってすぐ、先生がなにかお弁当探しているなぁっていうのが見えたのね」

「ああ、うどんを買おうとしていたかな」

「そしたら、一緒に買い物に行った仲良くしてもらっている先輩がね・・・・・・、“小竹先生いるわよ”って言ってきてね」

 あっ、そう・・・・・・、で?

「“愛里ちゃん、あなたそろそろちゃんと言ったほうがいいわよ”って勧められたのよ」

 なにっ、つまりは先輩に背中を押されて、あのとき、あんなところで、あそこまで踏み込んだ会話をしてきたということなのか。

「ワタシ、その先輩のことを一番信頼していて、なんでも相談できるから」

 そういうことだったのか。僕のことを先輩に相談したことがあるということか。それはそれで嬉しいことかもしれない。

「そうなんだ、それでこういう機会がもてたってことだから、その先輩には感謝すべきなのかな」

 言わされている感は否めなかったけれど、要はそういうことだろう。


「先生はさぁ、ワタシを選んでくれたものね」

 出た! またその話しだ。彼女の目はすでに半開きになっていた。

「んっ!」

「“んっ”じゃないわよ。なんでワタシが良かったのかってこと?」

 なんか話しが大きくなっていないか。あのときは“同期の二人から選ぶならどっち”という二択だったはずなのに、彼女のなかでは、地球上の全女性のなかから選ばれたつもりにでもなっているのか。まあ、それを指摘したところで、たいして意味もないし、ここで「いやいや、あえて言うなら、たまたまキミのほうだった」と訂正したところで、あまり良い展開になるとは思えない。観念した僕は・・・・・・、

「そのときにも伝えたけれど、特別な理由はないよ。感覚的に思っただけ。でもいまになって確実にひとつ言えることは、やはりあのときキミを選んで良かったってこと」

 要するに、愛里を選んだ自分の目に狂いはなかった、判断は正しかったということを遠回しに伝えたかったのだ。

「ワタシのこと、スキなのぉ?」

 また、なにを言っているんだコイツは。いまちょっと誉めたと思ったらすぐにこれだ。オマエのほうから誘ったわけだし、先輩から背中を押されてやっと言えただけではないか。

 酔いの回った口調のまま眠いに任せていたずらっぽく尋ねたかっただけかもしれないけれど、でもだからといってこのまま調子に乗らせておいていいものだろうか・・・・・・が、まあとりあえず、いいか。

「好き・・・・・・なほうだよ」

 誰からでもいいってわけではないと思うけれど、でも少なくとも僕という男からでも、「好き」って言ってもらいたいのか。しかし、僕にも、年上の大人としてのプライドみたいなものがあるといえば、ある。だからせめて「好き!」とは言わず、「好きなほう」という、まだ六〇%くらいの好感度しかないような伝え方をした。

「ああそう、ワタシは先生のこと・・・・・・、嫌いなほう」

 堂々巡りの話しになってきそうだったけれど、このあと彼女は、僕の肩にそっと頭を乗せてきた。

 カウンター席を指定されて・・・、正解だったかな。

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