第10話 『今日は連れて来る事が出来なかったけど…』

 〇高原さくら


『今日は連れて来る事が出来なかったけど、次は必ず連れてきます。だから、元気でいてください』


 部屋の中から聞こえて来た誓の声に、廊下にいたみんなは優しい顔になった。


 容子さんは生きている…

 誓の嘘を、誰も責める事は出来ない。


 まだ生きる力があると言っても…認知症状もある。

 だったら、辛い事は忘れて…幸せな気持ちのままでいて欲しい。



「兄貴、とんだサプライズだろ。まだまだしっかりしてろよ?」


 なっちゃんが、ドアに寄り掛かって言うと。


「夏希…おまえ、知ってたのか?」


 お兄さんは涙を浮かべた目で、なっちゃんを見た。


「俺が知ったのも、つい数ヶ月前だ。ついでに、兄貴の居所を知ったのもな。」


「ああ…しまった…嫌味を言うはずが、返り討ちに…」


 額に手を当てて笑うお兄さんの表情に、どっと笑いが起きて。

 その隣で笑顔になってる誓と麗を見て…



 どうか…


 どうか、お兄さんの残された時間が、幸せな気持ちだけで埋まりますように。と…



 祈った。




 〇紺野陽路史


「ちょっと。誓は現役なんだから、隣に置いて比べるのやめてくれない?」


「えっ…麗ちゃん、こんなに上手なのに…」


「よく言うわよ乃梨子。最初あたしのアジサイ見て笑ったでしょ。」


「わっ笑ってない~!!二人とも同じ花買ってると思って嬉しくなっただけー!!」



 …私の…娘だという『麗』と。

 同じく、私の息子だという『誓』の…妻、乃梨子さん。

 二人の会話を聞きながら、私は何年も抱いた事のない気持ちに包まれていた。


 乃梨子さんは、以前から花を飾りに来てくれていた女性だ。

 誰の依頼とは聞かなかったが、篠田から『フラワーセラピーという、治療の一環です』と言われて、そういう事もあるのか…と納得していた。


 確かに、私は彼女の訪問が待ち遠しかった。

 花にも癒されたが、乃梨子さんを娘のようにも思っていたからだ。


 それがー…まさか…

 本当の娘と息子を連れて来てくれるなんて…



「疲れてない?」


 誓が顔を覗き込む。

 その目を見つめると、そこには…容子の面影が。

 ああ…彼女が私から去ったのは、他の男との間に子供が出来たからなんかじゃなかったのか…

 どうしてあの時、追わなかったのだろう…



「…大丈夫。元気になった。」


「ははっ。僕達、薬になれたみたいだね。良かった。」



 …本当は、気になる事が多くある。

 だが、もう私は長くない…

 それなら…この幸せに浸っていたい。

 知らなくてもいい事は、知らないままでいい。


 独りだと思っていた私に、血のつながりのある家族が出来た。

 もう、いつ終えてもいいと思っていたが…もう少し生きていたいという欲が芽を出した。

 だが、今は…


 ただ…この、とんだサプライズに身を任せてしまおう…




 〇高原夏希


 思いがけない来客に、兄の目が輝いている。

 血の繋がりはなくても、久しぶりに会った兄の表情が『もういつ終わってもいい』の、それだと気付いた。


 …俺にもあった気持ちだ。

 解る。


 それでも、ほんの数時間前の兄とは違う。

 あるはずのなかった存在が、目の前に現れた事とー…

 立場が邪魔をして垣根を越えられず、追えなかった女性の去った理由が。

 本人から知らされた、それと違った事で。



「なっちゃん、あたし達にもサプライズだね。」


 そう言って、さくらが俺の腕に絡み付いた。


「…ああ、本当に。」


 兄を囲む愛しい顔達を眺めて、自分がこんなにも幸せでいいのか、と…泣きそうになった。



「…さくら。」


「ん?」


 俺を見上げるさくらを見つめて、言葉を落とす。


「…眠ったままのさくらを…緑の中の洋館に閉じ込めた。」


 誰にも聞き取れないほどの、小さな声。

 それでも、さくらには届く。

 案の定、どうしてそんな話を?みたいな顔で首を傾げるさくら。


「どんな状態でも、俺だけのさくらでいて欲しかった。」


「……」


 さくらがゆっくりと俺の手を握る。


「色んな事があった…」


「…そうだね…」


「兄は今、夢を見てるような気分だと思う。」


「うん…ほんと。」


「だけど俺も…あの頃の事を思うと、これは本当なのか?って気がしてしまうよ。」


 俺の手を握るさくらの手に力が入って。

 俺もそれに少し力を加えて応える。


「…俺は、まだ生きるよ。」


「…なっちゃん…」


「この、夢のような幸せを…終わらせられるはずがない。」


 静かに俺の胸にもたれるさくら。

 その頭に唇を落として、この瞬間を噛みしめる。


 これで終わっていい…と、何度思ってしまっただろう。

 諦めの気持ちではなく、胸躍る最高の瞬間が訪れたせいだ。

 そして、その度に『まだ生きれる』と強く思えた。

 しかしそれはアドレナリンの成せる業とも言える。


 だけど今、この静かな時間。

 今までのどんな高揚にも勝る愛しい時間。


 生きたい。


 おそらく…今までで一番、そう思ってる自分がいる。



「当たり前じゃない。まだまだやる事いっぱいだよ?なっちゃん。」


 俺を見上げるさくらと小さく笑い合って。


 ここに居る間に…家族への曲を作りたいと思った。




 〇高原さくら


「また来たのか。」


 なっちゃんとリトルベニスを訪れて三日。

 昨日は体調の良かったお兄さんを前に、ガーデンライヴを開いた。


 音楽に触れるのは久しぶりだ、と…お兄さん、すごく喜ばれた。

 特に、なっちゃんの歌には笑顔が多かった。

 良かった…


 突然の強行スケジュール。

 誓と麗、乃梨子ちゃん以外はみんなはもう帰国した。

 今日、なっちゃんはお兄さんのそばで曲作りがしたい…と、家に残ってる。


 あたしはー…

 ここぞとばかりに、気になった事を調べにやって来た。


 ここ。

 クリーンに。



「あなた、そんな言い方。もう…はい、お茶よ。」


「あっ、ありがとうございます。姐さん。」



 あたしと姐さんのやり取りを、先代はのん気な顔して見てるけど…

 気付いてるよね。

 気付いてるはずだよね。

 あたしが何しに来たか。


 先代、ジジイだけど…腐っても二階堂。

 あ、腐っても…なんて失礼か。

 だけど…もう、今日は全部聞き出しちゃう。

 本当にボケちゃう前に…!!



 あたしはー…自分でも驚くほど、歳を重ねる毎に二階堂としての能力が高くなってる。

 以前だったら、それを嘆いてたかもしれない。

 みんなと違うって事。


 だけど今は…

 自分のその特別な能力で、誰かを救う事が出来るなら…って。

 ちょっと欲張りになってる。



「…リトルベニスに行ったのか。」


 何も言ってないけど、そう切り出された。


「去年も行きましたよ?」


「去年は結婚式だろう?今回はー…に会ったか。」


「アレって酷い。」



 なっちゃんのお兄さんが、朦朧としながら漏らした言葉。

 そして…視えた過去。


 いつから?

 どの時から?

 …って…

 あたし、昨日はなっちゃんの歌を聴きながら、ずっと考えてた。

 そして、ある事を思い出したんだよ…



「…先代、桐生院に来てたんですね。」


 あたしがそう言うと、姐さんは少しハッとした表情だったけど。

 先代は口元を緩めた。


「その調子だと…さくら、環の処置は効いてないな?」


 この夏…一条との戦いで、二階堂本家が消滅した。

 その時、あたしは環さんにこめかみに手を触れられて…


 すぐに、バリアを張った。

 むしろ、環さんに『消した』と思わせた。


 でも。

 あたしは今後も二階堂と繋がる。

 消された事にしておいた方が、都合はいい。



「えっ?何の事ですか?」


「…まあいい。」



 このジジイ~。

 一度は自分で記憶を消そうとして失敗したクセに…

 あたしが治してからは絶好調じゃない。

 て言うか、あれも演技だったんじゃ?



「すまないが、さくらと二人にしてくれ。」


 ふいに先代がそう言うと。

 姐さんは予感してたのか、すでにバッグを手にしていて。


「分かりました。でも…」


 先代を直視しながら。


「いい加減、楽になってちょうだい。」


 何だか…今までになく強い声で、そう言った。



「…それで?今日は何の用だ?」


 姐さんが部屋を出ですぐ。

 先代はそばにあった杖で、少し乱暴にカーテンを引っ張った。


 いつも最初はそっけない。

 だけど少しずつ現場の話を聞きたがるのに。

 今日は少しだけバリア張られてる。


「先代…陸さんと麗が結婚する前から、桐生院に来てたんですね。」


「まさか。」


「もう騙されませんっ。」


「なぜ私が桐生院に?」


 …先代、あたしの事試してる?

 あの頃の事、思い出しちゃってるかどうか。



 あれはー…聖を産んだ後。

 あたしは酷くボンヤリしてる事が増えて。

 産後鬱なんて言われてたけど…

 過去を思い出しかけてた時期でもあったんだよ。


 なのに、なぜか。

 なぜか…いつも何かをキッカケに、また忘れたりボンヤリしてしまうようになった。


 廉君の事件だけじゃない。

 あれを思い出す事で、それよりもっと過去の事までを思い出されると都合が悪かったんだね。


 どうして二階堂はそこまでして、あたしの過去をなかったものにしたかったのか。



「姐さんもああ言ってた事だし…先代、いい加減楽になったらどうですか?」


「……」


「あたしなら…大丈夫ですよ?」


「…何の事だ。」


「いや、だからー…もうっ。頑固だなあ~先代。」


 あたしが笑ってるのに。

 先代は一ミリも口元を緩めない。


 もう…こうなったら、あたしも最後の手を使う。

 知りたいから、じゃない。

 本当に、先代に楽になって欲しいから。


 …あたしは大丈夫なんだよ…先代。


 今まで、守ってくれてありがとう。


 もっと早く知りたかった気もするけど…

 それじゃ、きっとあたし…ダメだったのかもね。

 色んな覚悟が出来てる今だから、受け止められてるんだと思う。



「先代。」


 あたしは自分が集中してる事を先代に悟られないよう、静かに先代の右側に立つ。


「どうした。」


 織さん、陸さん。

 勝手にごめん。


 こめかみになんて触れなくてもいい。

 あたしも、そうされて来たから。



「昨日、懐かしい事思い出したんです。」


「…何だ。」



 先代と目が合った。


 その瞬間、あたしはその言葉を口にした。




「じぇす。」




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お待たせしました!!久しぶりの更新です!!


「じぇす」

覚えてるかな?

36thとかに出て来ますよん。

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