第十話「砂時計」

「絵って、その、どういった絵を描くんですか」


 ぼくの知っている彼女の人物像と、いわゆる絵画という存在があまり結びつかなかった。以前、車内から近くを気だるそうに歩く猫をみつけたときに思い立って、動物のイラストを描いて見せ合いっこをしたことがあった。生まれながらにして絵心というものが欠落しているぼくのキリンを見て


「すごく、なんというか…愛らしいですよね。キリンにしては結構首が短いところとか…理さん。そういった一面もあるんですね」


とにんまりしながら小馬鹿にしてきたことはだいぶ昔のことのように思われた。


 彼女は、少し待ってくださいね、と話しながらスマートフォンからなにか宝物を探り当てるように必死に画面をスクロールし始めた。画面の明るさが彼女の顔を照らし、影を作って輪郭を映し出す。彼女と出会ったときから画家によってえがかれたようだと、視線を釘付けにされたあの美しい横顔がそこにはあった。


「こういう綺麗な女性の方を描くのが好きなんです。少し恥ずかしいんですけど」


 外灯もない海辺に立って月明かりを反射して映る白波ばかりを眺めていたからか、彼女が向けてくれた画面の明るさに目がくらんだ。


「あ、ごめんなさい。明るさ落とします」


 ぼくの細い目が一層切れ味鋭くなったことに気づいた彼女はそう言って照度を調整してくれた。そのおかげでゆっくりと開けられた目の先にあったのは、美しい女性の一枚のモノクロ写真だった。なぜ今、写真なのか分からないまま、明るさに慣れてきたぼくは改めて彼女が掲げてくれている画面を眺めた。違和感がそのまま言葉となった。


「これが、、絵ですか」


「はい。ザラザラしている紙に鉛筆でえがくんです。でも色をつけることは苦手で」


 くしかした艷やかな毛流れと数本だけ跳ねた髪。鉛筆の濃淡だけでかたどられた美しい輪郭。色気さえ抱きかねないような潤った唇に加えられた無数の縦皺。虹彩で縁取られた、透き通った瞳。懸命に文字に起こそうとすることが野暮だと思うほど美しい肖像画に息を呑んだ。


「こんな感じで理さんの絵を描かせてください。だから、、私が描き終わるまでは一緒にいてくれませんか」


その瞬間の彼女の表情には自分の作品を手掛ける決意が秘められていた。

彼女はひとりの画家として、ぼくの前に立っていた。


「ちなみに、一枚を描きあげるのにどのくらいかかるんですか」


「多分一ヶ月、、いややっぱり二ヶ月かな」


 


 ぼくは彼女に見えないように胸ポケットの手紙をグイッと押し込む。まだ渡さなくていいことに安堵を覚えながら。




もう既に止まったと思っていた、ふたりの時計が再び動き始める。

きっとそれは砂時計。一秒一秒、一粒一粒が、もう一遍の別れに向けてこぼれ落ち始めた。




   いち段落、

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佳話でありますように クレオメ @kureome83

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