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第8話 みんなの憧れである久羽先輩と、変な格好で女子トイレまで行く

 大学構内。

 高校と大きく違う点は喫煙所がある点だろうか。

 今日も喫煙所には、煙草を吸う人間が屯っている。

 先輩に勧められた時もあったが、結局断ったな。

 ああいう場所も、飲み会やカラオケに行く時も喫煙者同士で固まる。

 仲よくなりたい人が喫煙者だと話す機会が失われるから、そういう時は寂しいんだよな。


 喫煙所を横目にしながら踵を返すと、誰かにぶつかる。


「うわっ、と」

「す、すいません……」


 ぶつかった人が飲料缶を落としたので、手を伸ばす。

 お互いの指先が触れたので、再度謝りながら手を引っ込める。


「すいません」

「あれ? 巧くんじゃない?」

「久羽先輩。お疲れ様です」


 土屋 久羽つちや くわ

 一つ上の先輩で、大学三年生だ。

 女性でありながら、かなり喋りやすい。

 気遣わずに会話できるし、話していて楽で面白い。

 同じ文学部なので、試験範囲を教えてもらったり、単位の取れやすい講義を教えてくれたりと、俺が最もお世話になっている先輩だ。


「栞ちゃんは?」

「今日は一緒じゃないですね。確か、今の時間は講義入ってないと思うので、家にいるかと思います」

「えぇ。残念。栞ちゃんの感触を楽しみたかったのにぃ」

「抱きしめるのは止めてあげてください。嫌がってますんで」


 久羽先輩は栞のことも知っているし、俺達がカップルShowTuberをやっているのを知っている。

 相談も何度もしていて、栞とも仲がいい。

 栞へのスキンシップが激しく、栞はそれを嫌がっているシーンを何度も目撃している。


「さっき喫煙所見てたみたいだったけど、煙草吸うの?」

「いいえ。そんなことはないですけど」

「止めときな。煙草吸うとね、運動できなくなるから。凄いよ、その辺の階段でも上るの苦しくなるんだから。体力なくなるよお」

「先輩がそれを言うんですか……」

「私だって付き合いで数回しただけだって。私には合わなかったかな。お酒と一緒でコミュニケーションツールの一つって感じだったかも。でも、お酒もあんまり好きじゃなかったな、私」

「そうなんですか。先輩飲めるのに」


 飲めるどころの話じゃない。

 酒の種類に限らずお酒は何でも飲める。

 彼女と同じペースでお酒を飲める人は見たことがない。


「好きなのと得意なのは違うからね。ピアノが得意でもピアニストを職業にするのは違うでしょ?」

「そんなものですか」

「そんなものですよ、巧君」


 俺にとって久羽先輩は憧れだ。

 ずっと仲良くしたくて、煙草を吸うのも考えるほどだった。

 誰とでも親しくできて、常に明るくて面白い。

 変わっている所も多々あるが、いつもキラキラしている人だ。


「大丈夫かな、飲み物」


 久羽先輩は、缶が凹んでないかどうか回して調べる。


 というか、さっき俺の肘がぶつかったのは胸か。

 道理で全然痛くなかったわけか。


 先輩ということを差し引いても胸が大きい。

 栞と違って異性とも普通に喋られる。

 顔は整っているし、性格に表裏はない。

 なのに、彼氏の気配はまるでない。

 百合疑惑まで出る始末だ。


「すいません。俺とぶつかったせいで」

「いいの、いいの」


 プシュッと、プルタブに爪で引っかけると同時に、飲料缶から中身が勢いよく噴き出す。

 どうやら、炭酸飲料だったらしい。

 転がったのが原因なのか、噴き出した炭酸飲料は、俺と久羽先輩に降りかかった。


「ご、ごめんねぇ。濡れた!? タオル持ってるから、私」

「そ、それよりも先輩、その、下着が……」

「え、ああ。流石に恥ずかしいかも……」


 甲斐甲斐しくタオルで俺を拭いてくれたのは嬉しかったが、久羽先輩の方が大惨事になっている。

 先輩の上着にかかった炭酸飲料のせいで、黒いブラジャーの柄が見えるぐらい濡れていた。

 常に堂々としている先輩でも、声が上擦っていた。


「壁、壁になって!!」


 俺の肩を掴むと、他の人から自分の下着が見えないようにブロッキングする。

 そのまま俺を前方に押していく。


「このまま女子トイレの前まで一緒に歩いて!! ジェットタオルで何とか乾かすから!!」

「いや、余計に目立ってません?」

「お願い!! 巧くん!!」


 逼迫した表情を浮かべる久羽先輩に、憧れていた俺が逆らえるはずもない。

 珍しく頼れているのだ。

 たまには先輩に恩返しがしたい。


「分かりました」

「あ、ありがとうねっ!」


 安請け合いしたけど、その時の俺は知らなかった。

 久羽先輩の交友関係は広く、男女や学年、生徒、教師の垣根をいとも簡単に超えていた。

 俺だけじゃなく大勢の憧れの的だった久羽先輩とくっついていた俺は、女子トイレの前間まで久羽先輩と妙な格好で歩いた。

 その間、四方からチクチクとした視線の連続に、俺は辟易することをまだ知らない。

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