お呼ばれしたよ③

 ベルゼウスは、思い出のいばらに締めつけられた。鉄の仮面が苦痛に歪んでいるように見える。

「グレタは、黒魔女の誇りを胸に秘めるだけで、黒魔術を純粋に愛しているだけだった。世界征服など、微塵も考えていなかったのだ」


 ミルルは少し残念に、同時に誇らしくも思っているようだ。命の炎が尽きるまで、黒魔術を愛し続けた祖母グレタに改めて畏敬の念を抱き、その魔法と血を引き継いでいることが、嬉しくて仕方ないのだろう。


「グレタは我が理想に落胆した。暮らしていた町を離れ、溢れんばかりの魔力を荒野に注ぎ、水を湧かせ、緑を芽吹かせ、森に生まれ変わらせた。そして、そこへ籠もってしまったのだ」


 籠もるために森を作るとは……。

 ミルルは軽々とやっていたが雨や風、土に木々を操る森作りは、魔女にとって最上級の魔法なのだろうか。


「どんな森だったの? 私が作った森に似ているかしら?」

「二度、入ったことがある。それは美しい森であった……」

 ベルゼウスは、ミルルにフッと笑いかけた。昔を懐かしむ、淋しげな微笑みだ。


「木立の隙間を縫うような小径こみちにいると、森の奥へと吸い寄せられた。鬱蒼と茂る葉の隙間から、星のような木漏れ日が差していた。夢見心地で歩いていると、いつの間にかグレタが暮らす丸太小屋に辿り着いてしまうのだ」


 人を寄せつけぬミルルの森とは、だいぶ雰囲気が異なるようだ。

 話を聞く限りでは、俺がよく知るローゼンヌの森や、ドワーフの森とは違う、魔女の森ならではの美しさがある。

 持てる魔力を注ぎ込んだ、グレタの最高傑作なのだろう。


「グレタは欲望が渦巻く俗世に辟易とし、ひとり静かに暮らすと決めた。黒魔術世界繁栄のために説得したが、その意志はどの宝石よりも硬いものであった」


 そう決断しながらグレタは森を捨てて、不便な荒野の真ん中をつい棲家すみかに選んだ。今、俺たちが暮らしている家だ。

 俺が抱いた疑問は、ミルルが口にしてくれた。

「お祖母様は、どうして森を出ちゃったの?」


「白魔術世界の人間が、グレタの森に入ってきたのだ。木々は間引かれ、小径は広がり、森は草原のように明るくなった。強い陽射しを浴びたせいで苔は乾き、羊歯シダは枯れ、引き換えに青々とした葉が艷やかに茂った。森の姿は変わってしまったのだ」


 森を乗っ取られたのか……。

 俺は木こりとして森を変えてしまわないよう、細心の注意を払っていたが、それでも罪悪感に胸を締めつけられる。


「人間の手は、グレタの小屋にまで迫ろうとしていた。人間を追い払い、元の森に戻そう、何でも力になる、どのような手段でも使う、そのように説得したが、グレタは……」

 ミルルがテーブルに身を乗り出して続く言葉を促すと、ベルゼウスはつぐんだ口を引き裂いた。


「グレタは……

『取り戻しても、森は元に戻らない。争っても、不毛な戦いに終わるだけ。森が役に立つのなら、それでいい』

そう言って、森を去ってしまった」


 寂しい荒野に家を建てたのは、奪われる心配がないからだろう。森を手放すような真似は、二度としたくなかったのだ。


 ベルゼウスはシャンデリアの火を見つめると、飴玉を溶かすようにゆっくりと昔を懐かしんだ。

「失うには、惜しい森だった……。流星のような木漏れ日が、朝露に濡れる白薔薇を輝かせおったのだ。グレタはそこを、ローゼンヌと名付けた」


 俺の心臓が跳ね上がり、今にも止まってしまいそうになる。止まない動悸が、骨の髄まで殴ってくる。


「アックス……どうしたの? 具合悪いの?」


 ミルルの無垢な眼差しが、五臓六腑を貫いた。胸が苦しい、呼吸が出来ない、吸い込んだ空気は肺の奥まで届いてくれない。


「ごめんなさい、ベルゼウスさん。アックスの具合が悪いから、お家に帰るわね」

「ミルルよ、ルビーベリーのパンケーキはいらぬのか」

「せっかく用意してくださっているのに、本当にごめんなさい。皆様で召し上がって」


 俺はミルルに付き添われる格好で、ベルゼウスの城あとにした。


 木こりとして俺たち一家が暮らし、生活の糧にしていたローゼンヌの森。

 それを作り、奪われ、捨て、焼き尽くしたのがグレタだと……?

 俺には、森を奪った覚えはない。木こりの師匠から引き継いだローゼンヌは、日差しが降り注ぐ明るい森だった。

 何故、何年、何十年も経ってから火を放ち、俺からすべてを奪ったのか。


 グレタ、お前に何があったんだ……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る